京都を拠点に活動を続ける10-FEETとROTTENGRAFFTY。良き友、良きライバルとして、シーンの最前線で活動を続けてきた彼ら。両バンドのフロントマン、TAKUMAとN∀OKIはまさに親友にしてライバル、常にお互いを助けあい、励まし合い、叱咤しながら一緒に成長してきた。そんな2人がお互い与え合ってきたもの、そして音楽で生きていく上で大切にしていること。音楽に全てを捧げ、全力で走り続けてきた彼らの過去と現在を訊いた。
「仲間やお客さん、その土地…そこに尽くして蒸発すればいいっていう想いが最初の頃からあった」
「バンドによっていろんなスタンスややり方があると思うけど、見習うべきところっていうのはやればやるほどみえてくる
●関西のバンドシーンを語る上で欠かせないこの2人の出会いはいつだったんですか?
仲良くなったのはROTTENGRAFFTYの前のバンドからかな。その前から知ってはいたんです。それで偶然街で会ったりとか、TAKUMAが当時バイトしてた服屋のオーナー兼店長が俺の先輩と昔一緒に服屋をやっていたりとか。人生が進んでいくに従って、いろんなところで繋がっているのがわかってきた。いつの間にか仲良くなってたよな?
でもやっばりお前がグイグイ質問とかしてきたからやと思う。熱いっていうか、「なんだろう君」みたいな感じで「自分なんでバンドやってるの?」とか「なんであんな音楽やってるの?」とか、めっちゃ訊いてきて。
クラブイベントか何かに行ったときちょっと疲れてホールに出て座ってたら、その横に座られてめっちゃ質問してきて。「どこ住んでんの?」とか、ルーツとか探ってきて。当時パンドもやってるのかやってへん
のかわからんようなときに、そんな取材みたいなこと訊かれたことなかったし。だから"近年稀に見るグイグイくる奴やな”と。
●ハハハハ(笑)。
僕にとってN∀OKIは、自分から進んで友達になるようなタイプではないんですよ。要するに、本来仲良くなるタイプじゃない奴。そんな奴が向こうからグイグイ話しかけてきたとき“興味を持ってくれてる”と
いうのがすごい伝わってきて、“その気持に応えなあかん”と思って。僕もある程度ドアが開いたらグイグイいけるタイプの人間やから、それからは急速に仲良くなったよな。
N∀OKIは情っていうか、友達をめちゃくちゃ大事にするし、自分が掘り下げているものとか集めているものとかに対する想い入れがすこいし、そういうことを事細かにすぐパッと話せるし。僕はそういうところが余りなかったし、そういうことをちゃんと話せへんから、N∀OKIはすごい奴やなと思ってて。“すこい奴やな”と思うときと“うっとおしい奴やな”と思うときの両方あったんですけど(笑)、自分の周りに友達とか好きなものをいい意味で囲っていて、しっかり「ファミリー!」ってやってる奴は他に居なかったんですよ、それ風の奴はいっぱい居たけど。で、僕はN∀OKIと20歳超えてから知り合って、そういうN∀OKIを見てちょっとうらやましかったんです。“牧沢軍団"(N∀OKIの本名は牧沢直樹)と呼ばれている軍団があって。
●N∀OKIくんがちょっと眩しかったんですね。
そうそう。僕は同世代の友達とか多少居たけど、後輩とか先輩と上手く付き合えるようなタイプではなくて。特に年下と付き合う感じが不得意なんですけど、N∀OKIはすごくて。牧沢軍団はすこいんですよ。別に舎弟みたいな感じじゃないんやけど「牧沢さん」「牧沢さん」って慕われてて。そんなすごい奴が、「なあ兄弟!」みたいな感じでグイグイ来てくれてたのが僕はめっちゃ嬉しくて。
●自分にないところをN∀OKIくんが持っていたんですね。の頃からあったかな。もちろん今みたいな状態で音楽
人気者やなと思ってたから、そいつが仲良くしてくれて嬉しい、みたいな気持ちは正直あった。
めっちゃ遊んでたよな。ROTTENGRAFFTYが走り出して10-FEETと一緒にやることも多かったし、ほんまに家族という感じで。やっばり同世代っていうのがデカかったかな。
あと、バンドの横の繋がりとかライバルとか仲間とか、お互いがお互いをフックアップしていく関係に憧れてるときでもあったから、京都でバンドをやっていくにあたって「一緒にやっていく仲のいいツレができた!」っていう喜びも大きくて。
●Hi-STANDARD世代とかを見てきて、自分たちもそういう仲間を持ちたいと。
それもあったと思う。先輩の世代をモチーフにしていたわけではなかったけど、でもやっばりどこかで影響されていると思う。
うん。Hi-STANDARDから受け継いだ血は俺たちにも適ってるよね。
●2人が“音楽でやっていこう”と決めたタイミングいつなんですか?
音楽はずっとやってたから気づいたら音楽しかなかった感じかな。「あれ? 音楽以外は?」みたいな。ずっと音楽の場に居たんです。ライブハウスだろうがクラブだろうが、音が嗚っている場にずっと居た気がする。
●一般の人は進学とか就職を考えるタイミングがあるじゃないですか。
そういうタイミングでも俺は「音楽!」「音楽!」って思ってた。1回音楽の専門学校も行ったけど「あ! 俺は知識とか勉強の前に音楽をやることが重要やわ!」と思って。こんなこと言うたらヒューマンアカデミーの人に怒られるかも知れへんけど(笑)。
10-FEETが上京したとき、 僕がメンバー2人に「東京に行かへんか?」と言ったんですけど、同時に「ただ、音楽では食うていけへんと思うねん」と言ったんですよ。
みんな普適に働いてたから「どこまでいけるか1年間試して、ダメやったらまた京都に戻って就職したらええやん」って。揺るぎない事実みたいな感じで“音楽で食べ続けていけるわけがない”というのがあったんです。
●悲観していたということ?
いや、卑屈な意味じゃなくて。もし人気が出ても必ず下がるときがあるから、人気と栄光を信じないっていう意識が未だにあるというか、それを覚悟に変えるというか。だから仲間やお客さん、その士地…そこに尽くし尽くして蒸発すればいいっていう想いが最初の頃からあったかな。もちろん今みたいな状態で音楽を続けることができたらいいなっていう想いは人一倍あるし、やっていて楽しいし、もしくはもっといきたいなっていう想いはあるんですけどね。でも同時に“いずれ無くなる人気や”という想いがないとここには留まれないとも思っていて。矛盾なんですけどね。
●矛盾かもしれないけど、意識としては必要だと。
お客さんのために仲間のために士地のためにっていうのは、別にニーズに応えようとしているだけではないんですよ。自分たちが全力でやることによって人が感動したり共感してもらったりっていうことがあるのが前提で、ただ表現してかっこつけたいだけじゃなくて、地元に居るときから、お客さんや仲間にとにかく助けてもらってばかりで。そこにちゃんと応え続けていかんと、失敗したり消えていくのは当たり前のことなんちゃうかなって思うんです。
●なぜ昔からそういう意識があったんですか?
それはたぷん親父の影響やと思うんです。僕の親父はミュージシャンだったんですけど、「メジャー契約の話が来たときに断って就職した」という話をしてくれていて。「あんなシピアで厳しい世界にはお前を入れへん」とよく言ってて、だからギターも歌も一切教えてくれへんかった。それが残っていたのかも知れないです。
●なるほど。
あと、色んな所でバイトして働いてて、衣食住とか、人のお金の流れとか、生活の中で必要性があるものは何かと考えたとき、音楽なんてものはやっぱりシピアな場面になったら切り捨てられるっていう想いがあったんです。
●確かに生きていく上では音楽の優先順位は低い。
そうですよね。これも卑屈な意味じゃなくて、そんな音楽を僕らみたいな人間がやって、果たして必要とされるかな? いやいやそんなわけないやろっていう想いがあったから、よりむっちゃくちゃおもしろくせんと誰も必要としてくれへんやろうと思って。
●そういう想いは今もあるんですか?
どこかにありますね。だから何か迷うことがあったときは「ゴールキーパーも上がれ!」っていうくらいに全力で攻めないと、変に守ったところで最初から守るもんなんてないと思ってます。かと言って無謀になるわけじゃないですけど、そういうことはよく考えるな。「俺、どこかで捨てられるんやな」って。
そういう気構えやから10-FEETは広がってるんですよ。その気持ちやから。
●危機感がいつもあるから。
うん。やっばり観てる人の何かをえぐってるし、「またあれを観たい」となっていくもんね。同じようなことなんて絶対に起こってないし。これだけやってきていると、その場面や土地で絶対に違うもんが出てきますよね。
うん。10-FEETやマキシマム ザ ホルモンとか見ててすごく思うんですけど、やっばりツアーで全国をまわってたんですよ。すごい数を。
●そうですね。
俺らがメジャーのときはちょっと抑えてたんですけど、やっばりあれが今になって全部出てるっていうか。10-FEETとか「どこまで行くねん!」って言うくらいやってたし。やっばりあのときの差がデカかったんかなって俺は思う。すこいギリギリのところでやってたし、金銭面もほんまにしんどかったやろうけど。
でもそのときにやってなかった分、ROTTENGRAFFTYは今すごいスピードで進んでると思うけどな。
ちょっとずつやで。でもl0-FEETは歩みを止めてない。まさに「どこ行くねん!」って思う。バンドによっているんなスタンスややり方があると思うけど、見習うべきところっていうのはやればやるほど見えてくるんですよね。若い世代のSiMとかHEY-SMITH、SHANKとかも同じようにまわってるし。それが力になっていくんやと思う。Crossfaithとかは海外でそれをやっていて、もう恐ろしいもん。俺らのところまでまだ10年以上あるのにすこい感じになってきてるなって。負けてられへんなって思う。
「どうしても人に甘えられへん僕にグイッと来てくれたのは後にも先にもN∀OKIだけ。あの言葉が一番印象に残っています」
「綺麗事かもしれないですけど、ちょっとでも良き方へと思っている。それは音楽に対しても、生きていくことに対しても」
●この15〜16年の付き合いの中で、相手から言われた言葉で印象に残っているものはありますか?
僕は精神的に悩んでいて、バンドというか人生に対して「もうあかんわ」と思っていた時があったんです。上京する前か直後くらいのとき、いろいろあってバンドどころじゃないくらい落ち込んでいたんですよ。そのときにN∀OKIがドライブに連れて行ってくれて、最後に車で家まで送ってくれたとき、窓を開けて「お前絶対大丈夫やぞ! 俺が助けたるから絶対大丈夫や!」と言ってくれたんです。僕がずっと落ち込んでいたから。それが「RIVER」の歌詞になったんです。
●あっ、そうなんですね。
“「僕がついている」とまた泣いた”という歌詞がありますけど、そのことを絶対に曲にしようと思っていて上京してから歌詞にしたんです。“あんなにこっ恥ずかしい事普通に言うやつなんておらんわ”ってびっくりしたんです。しかも喧嘩売るような言い方で言ってきたのでマジやなと思ったし。そう言わないとそういう言葉って臭みが出たり軽くなるんですよね。料理に白ワインとか酒をぶっかけて蒸すみたいな勢いで「うるさいわ! 俺が助けたる!」って。かっこつけている言葉でもなかったし、軍団を大事にしている軍団長が、軍団員に接する感じで俺に言うてきたから。
一同:アハハハハハ(笑)。
だからめっちゃ刺さったんです。こいつすごいなと思って。で、俺もどれだけ落ち込んでもプライドなのか性格なのかわからないですけど、「助けて」とはどうしても言えなかったんです。“助けてのその一言は僕の存在を否定するもの”という「RIVER」の歌詞はそういう僕の心の癖というか、超えられないカルマみたいなもので。そんなどうしても人に甘えられへん僕にグイッと来てくれたのは後にも先にもN∀OKIだけ。あの言葉が一番印象に残っていますね。
●N∀OKIくんが印象に残っているTAKUMAくんの言葉は?
TAKUMAは「お前があかん時はいつでも駆けつけるから」とよく言っていたんですよ。でも、そうは言っても全国回っていて忙しい時とか無理じゃないですか。たまたま京都に帰ってきてもやることとかあるだろうし。でも電話でそういう話をしたときにツアーの合間にタクシー飛ばして2回来てくれたんです。音楽をやっていて一緒の境遇やし、俺のことをわかってもらえる立場だし。そこはメンバーとかにも言えへんことってあるから、そういう話をTAKUMAに相談したんです。
でもそれはお前の「俺が助けたるから絶対大丈夫や!」という一撃があったからで。“ほんまに俺が助けたい”とめっちゃ思ってるよ。そういうことはこの人もあまり言わへんから。
●ぞれぞれに訊きたいんですが、生きていて大切にしていることとか、音楽をやっていく上で大事だと思っている意識とかはありますか?
ちょっとキモいかもしれへんけど、日に日にもっと綺麗になっていきたいですね。1日に1ついいことをするとかじゃなくて、人に対して前からやったり言うたりできひんかったことをちゃんとしたいというか。当然汚れている部分ってあるじゃないですか。人によって受け取り方もちゃうから「それは汚れてへんで」と言われることもあるかもしれへんけど、自分なりに浄化していきたいというか。
●それは今までにしなかったことをやるとか?
簡単に言えばそうですね。このストリートだけちょっとだけいいヤツモードに入ったときは、目に見えるゴミを全部拾ってみるとか。わからんけどほんまに些細なこと。普段親父とあまり喋らんけど、ちょっと喋りかけてみるとか。そんなことは当たり前のことなんやけど、自分がしてなかった事で、良き日により良く綺麗にしていきたい。
●そう思うきっかけは何かあったんですか?
やっぱり嘘をついてもうたりとか、約束を破ってもうたりとか、結果的に自分に負けてたりとか、言い訳を作ってたりとか。その後はめっちゃ後悔したりするんですよ。人生はそれを乗り越えていく連続なんですけど、「綺麗事かもしれないですけど、ちょっとでも良き方へと思っている。それは音楽に対しても、生きていくことに対しても、人とのコミュニケーションに対しても、全部やがて活きていくと信じているというか。より良く自分をまわしたら、周りも良い方にまわっていくだろうし。自分の汚い部分を燃やしたいですね。ええ奴になりたいわけじゃないんですけどね。
●聖人君子になりたいわけではないですよね。後悔をしたくないと。
そう。後悔をしたくない。1日生きていく過程で後悔をしたくないかな。
●TAKUMAくんは?
インスピレーションとかパッと感じることとか、そういう理屈じゃない感性というか、もっと反射的に感じる部分…それは人の本音だし人の崇高な部分であり聡明な部分でもあり、また汚い部分でもあると思うんです。そういうところでパッと感じるものが人々の気持ちとか真理とか現実である…という考え方で生きていたり物事を見ていた時期が僕は長くて。ライブとか出会った人に対しても「なんかいいな」「あまり好きじゃないな」とパッと思った感覚に従えばいいなと思っているところがあったけど、それは自分に対する意識付けと言うか、頭の中での反芻で変わり得るなと。習慣とか勉強というものが、自分の感性や好き嫌いををも変える力を持っているなと思うようになったんです。
●はい。
あまりにも感性だけに頼って生きていると、結構怠慢になっていくというか。人間っていい加減にチャラくなったり、怒りやすくなったり、諦めやすくなったり、人を嫌いやすくなったり、頑張ろうとしていることを簡単に切り捨てやすくなったり…楽な方にいく傾向があるじゃないですか。
●そうですね。
だからふとした時に“もうちょっと話を聞いてみようかな”とか“もうちょっと見てみようかな”とか思うようにしているんです。それはN∀OKIがゴミを拾おうとしたことと一緒で、全部が全部出来なかったりもするんですけど、そういう感覚も持っていないと、人は例外なく緩んでいくんやなって。怖いなって思うことが最近よくあるんですよ。
●そうなんですね。
そういうことはライブとか歌詞にも結びつくことになるから、時にはそういう心の筋トレみたいなことをせんとアカンなって思っています。それが心がけたいことかな。