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バンド? 俳優? 全然オッケー! 超オッケー! 夢を応援する企業・KDDIエボルバの 「ハタラク」×「オンガク」特集 vol.3

KDDIエボルバの 「ハタラク」×「オンガク」特集 vol.3:雨先案内人

PHOTO_雨先案内人_web

2016年、とある企業が「音楽をやっている社員を応援する」という異色のプロジェクトを立ち上げた。その企業は、コールセンターなどのサービスを提供する大手企業・KDDIエボルバ。音楽をやっている社員が希望すれば、その楽曲を配信サービスに登録し、手数料なども会社が負担するという異色の企画「エボルバで、あなたの夢かなえませんか」プロジェクト第1弾「ハタラク」×「オンガク」。過去のJUNGLE☆LIFEでは、KDDIエボルバの代表取締役社長・中澤氏と同プロジェクトに応募したookubofactoryの大久保氏との対談や、KDDIエボルバで働き始めてから結成したという直美ズの特集を行ってきたが、今月号ではメンバー5人中3人がKDDIエボルバで働いているというバンド・雨先案内人に注目。仙台から東京に拠点を移して約半年前に現メンバーが揃い、ライブハウスシーンだけではなく老若男女に向けて幅広く活動する雨先案内人に迫る!
 
 
 
 
※今回のインタビューも前回に引き続き、Evolcity(ITソリューション事業本部)にて実施しました。
 
 
 
 

PHOTO_雨先案内人_web雨先案内人(L-R)
Ba./Cho.コンノハルヒロ、Dr./Cho.中島元良、Vo./G.雨ノ地晴太郎、Vo./Key.江口さっちゃん、G./Cho.武田駿平
https://amesakiannainin.jimdo.com/

 
 
 
 
 
 
●雨先案内人のオリジナルメンバーは晴太郎さんのみということですが、もともとは仙台で活動していたんですよね?

 
 
PHOTO_晴太郎はい。2006年に忌野清志郎さんのライブを観てめちゃくちゃ衝撃を受けたんです。日本語が持つ力に圧倒されて、“俺は音楽でこういうことがやりたいんだ!”と。それまで僕はドラマーとしてやっていたんですが、歌を歌って人を楽しませたり、救いたいなと思うようになったんです。音楽はこれほどまでに人に衝撃を与えたり感動させたりすることができるんだということに気付いたんです。それまでの僕にとっては、音楽はかっこいいものだったり、欲求を満たすための場所だったんですけど、認識が全然変わったんです。

 
 
●なるほど。

 
 
PHOTO_晴太郎すぐにギターを買いに行って、2ヶ月後には“雨先案内人”という名義で活動を始めたんです。最初は1人の弾き語りで、その後は仙台で知り合った仲間2人と一緒に3人組バンドとして活動をしていたんですけど、2013年頃に2人のメンバーが脱退して、それを機に上京したんです。僕的にはまだまだバンドをやりたかったし、いろいろとイメージがあったので、2人が脱退しても解散という形は絶対に取らないでおこうと。

 
 
●もっと音楽に専念するために上京したと。

 
 
PHOTO_晴太郎はい。東京に来た方がいろんな人と音楽ができるだろうし、その中でメンバーを見つけていけばいいなと思ったので。それが2014年なんですけど、意外とメンバーが見つからなかったんですよ。やっぱりみんな本気で夢を追いかけてるから、なかなか僕に時間を割いてくれないというか。この中でいちばん最初に誘ったのは駿平(武田)なんですけど。

 
 
PHOTO_コンノだから今までサポートメンバーが多かったんですよね。

 
 
PHOTO_晴太郎うん。

 
 
PHOTO_武田サポートのままメンバーにならずに去っていった人もいるし、現在の体制に至るまでにいろんな紆余曲折があって。晴太郎は、上京してすぐに自分が“すごい”と思ったメンバーを集めたんですけど、スケジュールとかいろんな事情があって、要するにうまくいかなかったんです。

 
 
●ほう。

 
 
 
 
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PHOTO_武田その後、人の紹介とかいろいろと経緯があって今のメンバーが集まったんですけど、バンドって本当にチームだと思うんですよね。役割もあるし、キャラクターのバランスもある。晴太郎がいつか「バンドは4番ばかり揃えてもダメだよね」と言っていたことがあったんですけど、本当にその通りだなと思います。

 
 
●どういう経緯でこのメンバーが集まったんですか?

 
 
PHOTO_コンノ僕はもともと関西でバンドをやっていて、雨先案内人も知っていたんですけど、上京したときに晴太郎さんから「ベース探してるんだけど」と連絡が来て、雨先案内人のサポートをするようになり、半年前に正式メンバーになったんです。

 
 
PHOTO_中島僕も今までいろんなバンドで活動をしてきて、全国をツアーでまわったりしてきたんですけど、“死ぬまでに1度は一緒にバンドをやりたいな”と思った人が何人かいるんです。その中で、同世代のヴォーカルで“天才だな”と思った人は3人いて、踊ってばかりの国の下津くんとAlaska Jamの心言くん(森 心言)、そしてもう1人が雨ノ地晴太郎。

 
 
PHOTO_晴太郎PHOTO_コンノPHOTO_武田おお~!

 
 
PHOTO_中島僕が前にやっていたバンドが2年前に解散して、いろんなところでいろんな人のサポートをやっていて、そんな中でハルくん(コンノ)がサポートをしていたバンドと対バンしたんです。そこでハルくんが僕のことを覚えていて声をかけてくれて、それがきっかけで誘われて雨先案内人でも叩くようになったんです。

 
 
●なるほど。今日のインタビューには参加できなかった江口さんはどういうきっかけだったんですか?

 
 
PHOTO_中島僕がいろいろとサポートしているときに知り合ったんです。さっちゃん(江口)はもともと1人で鍵盤弾き語りでも活動をしていて、僕が雨先案内人に誘われたときに「鍵盤を探している」という話になって、「絶対にあの子しかいない!」と浮かんだのがさっちゃんだったんです。絶対にキャラクターがハマるだろうなと。

 
 
 
 
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PHOTO_晴太郎がっつりハマりました。いろんな経緯がありましたけど、この5人が揃ったとき、僕が前からやりたかったバンドが形になったという手応えがあったんです。

 
 
PHOTO_中島僕らこれから20年、30年と音楽活動をしていくつもりなんですけど、今までの10年はこのための準備期間だったと言っても過言ではないですね。

 
 
●素晴らしいですね。KDDIエボルバの企画「エボルバで、あなたの夢かなえませんか」プロジェクト第1弾「ハタラク」×「オンガク」に応募した「ネオン」という楽曲を聴かせていただいたんですけど、雨先案内人の音楽はすごくキラキラした世界観で、簡単に言うとポップでキャッチーだと思うんですけど、バンドサウンドはかなり音数が多くて独特なアンサンブルですよね。

 
 
PHOTO_コンノ遊園地みたいなイメージがあるんです。どこにでも耳がいくというか、それが1つのテーマとしてあるのかもしれないです。

 
 
●どういうきっかけで「ネオン」ができたんですか?

 
 
PHOTO_晴太郎基本的には僕が曲を作ってアレンジも大まかに考えた上でメンバーに投げるんですけど、「ネオン」を作ったきっかけは、新宿を歩いていて…東京ってめっちゃ人がいるじゃないですか。でもこんなにたくさん人がいるのに、なんでこんなに寂しいんだろう? と思ったんですよね。

 
 
●雨先案内人の世界観はアーティスト写真の通り、一見キラキラしていて、まさに遊園地のような雰囲気が強いと思うんですけど、その裏側には哀愁というか影があるような気がするんです。“雨ノ地晴太郎”という名前の通り、どしゃ降りの雨を経験した人しか見ることができない晴れた空というか。それが音楽やバンドのキャラクターにも共通しているのかなと。

 
 
PHOTO_武田僕はメンバーになるずっと前から感じていて…きっと他のメンバーもそうだと思うんですけど…雨先案内人は明るいだけじゃなくて、闇というか影の部分はずっと持っているんですよね。そこが晴太郎の魅力だと思うんです。

 
 
PHOTO_コンノPHOTO_中島うんうん。

 
 
●半年前に現メンバーが揃い、雨先案内人はこれからがんばっていこうというタイミングなんですね。

 
 
PHOTO_晴太郎そうですね。まだ始まったばかりという感じで、これからがすごく楽しみなんです。仙台で活動していた2人が脱退して完全に1人になったとき、武道館でライブをしたいと改めて思ったんです。満員の武道館で、お客さんと一緒にウワーッ! とやっている姿を想像して、それがきっかけで上京したんです。忌野清志郎さんの“完全復活祭”を観た場所だから、僕もあのステージに立ちたい。自分はそれで救われたし、自分も音楽で人を救いたいと思っているので…雨先案内人としてはやっぱり武道館が目標ですね。

 
 
●ところで晴太郎さんと中島さん、そしてコンノさんの3人が現在KDDIエボルバで働いているらしいですが…。

 
 
PHOTO_中島僕がいちばん最初にKDDIエボルバで働き始めたんですけど、すぐに雇ってもらえそうで時給がいい仕事を探していてKDDIエボルバに辿り着いたんです。それが5年前なんですけど、雨先案内人で活動をし始めてすぐにメンバーを誘ったんです。

 
 
PHOTO_コンノ初めて飲んだとき「お金あるの?」って訊かれて。「いや、ないです」って答えたら「じゃあ仕事紹介するよ」って(笑)。

 
 
 
 
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PHOTO_中島やっぱりバンドメンバーの生活は安定していてほしいんですよ。経験上、お金がなくてバンド活動ができないとかは絶対に嫌なんです。

 
 
●それはバンドマンあるあるですね。ツアーに行ったら借金増える、とか。

 
 
PHOTO_中島そうそう。そんなことでバンド活動が滞るのは馬鹿らしい話で。バンドマンに向いている仕事は2種類あると思うんですけど、音楽に携わることができる仕事か、もしくはなるべく時給が高くて融通が効く仕事。僕は後者の方がいいんじゃないかと思ったんです。だから雨先案内人のメンバーにも紹介しました。

 
 
PHOTO_武田それと、実は僕も今からKDDIエボルバの面接なんです。

 
 
●え! マジですか。

 
 
PHOTO_武田そろそろ面接の時間なので、行ってきますね(と席を外す)。

 
 
PHOTO_晴太郎PHOTO_コンノPHOTO_中島がんばってね〜!(※後日、武田は無事合格。これで雨先案内人は5人中4人がKDDIエボルバのスタッフとなった)

 
 
●KDDIエボルバは、やっぱりバンドマンとしては働きやすい職場ですか?

 
 
PHOTO_中島そうですね。だから音楽をやっている人はかなり多くて。職場のアクセスもいいですし、給料もいいし、シフトも融通が効きますし。

 
 
PHOTO_晴太郎いろいろと話を聞くと、バンドマン以外でも俳優さんとか声優さんが多いみたいです。コールセンターと聞くと堅いイメージがあったんですけど、実際に働いてみると全然イメージと違って若い人も多いし、みんなそれぞれ夢を持ちながら働いている感じがすごくありますね。

 
 
PHOTO_中島うん。そういう人が多いですね。同じ職場にシンガーの人がいるんですけど、その人のサポートもしたことがあったり。

 
 
●へぇ〜。

 
 
PHOTO_コンノ僕はもともとずっと飲食業で働いていて、正直なところ働きがいもあったんですけど、すごく労力を使う仕事でもあるんですよね。上京してきて、雨先案内人のみんなと出会って“本気で音楽をがんばろう!”となったとき、二足のわらじは無理だなと思ったんです。それにコールセンターって、いろんな地域のいろんな層の人から電話がかかってくるんですけど、それは雨先案内人が掲げている“老若男女に聴いてもらいたい”というテーマにも通じるんですよね。

 
 
●晴太郎さんはKDDIエボルバで働く前は何をしていたんですか?

 
 
PHOTO_晴太郎コールセンターで働くのは初めてで、前は飲食店でパフォーマンスをするような仕事をしていたんです。

 
 
●え?

 
 
PHOTO_晴太郎そういうのってやっぱり夜が多いので、バンド活動に影響するんですよね。1日何公演もあるので、体力的にもすごくキツいし。そういう仕事をやりながらバンドをやるのは難しいなと思っていたとき、元良くんにKDDIエボルバを紹介してもらって、タイミング的にもすごく良かったんです。今のメンバーが揃って雨先案内人としてこれからがんばろうという時期だったし。

 
 
 
 
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●KDDIエボルバがバンドマンを応援する「ハタラク」×「オンガク」をやっていること自体、どう思いました?

 
 
PHOTO_中島僕らはまだ活動を始めたばかりで、まだ事務所にも所属していないんです。そういう立場のバンドからすると、働いている会社がバンド活動を応援してくれるっていうのはすごく嬉しいことですね。

 
 
●今後の活動をがんばって、武道館にKDDIエボルバの方も来てもらえたらいいですね。

 
 
PHOTO_晴太郎みんなを呼びたいですね。今も、ライブに来てくれる同僚がいるんですよ。そういうのってすごく嬉しくて。そんな人たちへも恩返しじゃないですけど、みんなを武道館に呼べたらいいですね。

 
 
 
 
interview:Takeshi.Yamanaka
 
 
 
 
KDDIエボルバのお仕事情報サイト
https://www.evojob.com/

ITエンジニア積極採用中!
https://www.its.k-evolva.com/recruit/

「やってみたい」をカタチに。スタートIT
https://www.evojob.com/itengineer/
 
 

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