山口県にあるオルタナ・ノイズの聖地、bar印度洋が育んだ小さな巨人、戸川祐華が衝撃的な1stアルバム『good-bye girls』を完成させた。138cmという小柄な身体から放つ中毒性のある歌声とメロディは、不思議なほどにポップで巨大なインパクトを残す。幼少期からギャルになるためにパラパラの練習に励んでいたが、中学生の時にSuicideを聴いて突如バンドを始めるというキャリアもあまりにも異端…。まだ若干21歳という彼女が鳴らす、まさしく新世代の鼓動を感じさせる比類なき音にぜひ触れてみて欲しい。
「アイドルにハマってから、歌い方が変わったのかもしれない。80年代のアイドルを聴くようになって…今は南野陽子さんみたいに歌おうと思っています(笑)」
●戸川さんは元々ギャルになりたくて、幼少期からパラパラの練習に励んでいたそうですが…。
戸川:そうなんですよ。だから音楽を聴くようになるまでは、雑誌も『egg』(※ギャル系雑誌。現在は休刊)しか読んだことがなくて。本気で自分はギャルになると思っていました(笑)。
●なぜギャルになりたいと思ったんですか?
戸川:あゆ(※浜崎あゆみ)が好きだったから。あゆみたいになりたくて、ギャルになりたいと思っていて。実家が元々アダルトビデオ屋さんだったんですけど、パラパラのVHSとかも置いてあったんですよ。それを見て、練習していました。
●実家が元々アダルトビデオ屋だったって…すごい環境ですね(笑)。
戸川:アダルトショップみたいな感じだったんですけど、棚1つ分くらいは普通の映画やCDも置いてあって。でもあんまり売れなくなっちゃったみたいで、小学校低学年くらいの時に閉店しましたね。
●音楽は身近にある環境だったんですか?
戸川:両親はバンドブーム世代なので、その時代の音楽はよく流れていました。ザ・ブルーハーツやジッタリン・ジン、JUDY AND MARYとかはよく車でかかっていたので普通に聴いてはいて。
●そういう音楽も周りにある中で一番ハマっていたのは、あゆだった。
戸川:そうですね。あゆに憧れすぎて、「髪を金髪にしてくれないと幼稚園に行かない!」と言って(笑)。
●えっ、それで金髪にしたんですか?
戸川:しました。2週間くらいゴネていたら、しょうがないから金髪にしてくれて(笑)。
●そんな女の子が2009年にSuicideを聴いてバンドを始めるに至ったというのは、いったいどんな経緯で…?
戸川:相対性理論の曲(※「スマトラ警備隊」)を聴いていた時に出てきた“スーサイド”という単語の意味がわからなくて。インターネットで調べたら、“スーサイド(バンド)”という記事が出てきたんです。YouTubeで聴いてみたら“何かすごい!”と思ったのでCDを買って、そこから自分でも音楽をやり始めました。
●その頃には、もうギャルになろうとは思っていなかった?
戸川:いや、まだ『egg』は買っていました(笑)。
●まだギャルの道を諦めてはいなかったんだ(笑)。でも相対性理論だったり、バンド系の音楽も聴くようにはなっていたんですね。
戸川:お母さんがTHE BACK HORNのファンクラブに入っていたので、家でもそういう曲が流れていたんです。あと、私は本がすごく好きなので、本に載っていた音楽を聴いたりもしていて。江國香織のエッセイにハイポジが載っていたのを見て、中学生の時に聴いていたりもしました。そういう流れもあって、音楽を聴くようになったと思います。
●本からの影響もあったと。
戸川:本はすごく読みますね。最近は稲垣足穂を読んでいますけど、ずっと中学生の時から好きなのは吉屋信子で。少女文学や幻想文学が好きで、(ジョルジュ・)バタイユとかも含めて好きなものは何でも読んでいます。
●そういうものもバックボーンにはなっているんでしょうね。バンドを始めた頃は、Suicide的な音楽をやっていたんですか?
戸川:そういうものをやりたかったんですけど、メンバーには全然わかってもらえなくて…。Sonic Youthとかならもうちょっと聴きやすいかなと思って、色々と聴かせたりしたんですよ。だからそのバンドでは、普通のオルタナ・ロック系の歌モノをやっていました。
●当時からSonic Youthも聴いていたんですね。
戸川:ロックの名盤100枚を紹介するような本を読んだんですけど、その本がちょっと変わっていて。(アインシュテュルツェンデ・)ノイバウテンの1stアルバムとかが載っていたんです。そういうのをYouTubeで探して、その横に出てきた関連動画を片っ端から全部聴いて、気に入ったのがあればCDを買ったり借りたりしていましたね。
●山口県のオルタナ・ノイズの聖地と言われるbar印度洋に出演するようになったのは、いつ頃から?
戸川:印度洋に出るようになったのは弾き語りになってからで、初めて出たのは17歳くらいだったと思います。バンドが上手くいかなかった時にちょうどアコギをもらったのもあって、弾き語りを始めたんです。その頃から弾き語りで歌モノをやるようになりました。
●YouTube上には“戸川碧子”名義での動画も上がっていますが、元々は違う名前で活動していたんですね。
戸川:17歳からの2〜3年くらいは、その名義でやっていて。
●名前を変えたのは、やりたいことが変わったから?
戸川:気持ちの話になっちゃうんですけど、今のほうが音楽をやっていて楽しいんです。弾き語りを始めた頃は、イライラしながらやっていたんですよ。今はあんまりイライラしていなくて。
●確かに“戸川碧子”名義の動画を見ると、今より情念的な感じがするというか。
戸川:そこは大森靖子さんの影響もあるのかな。ちょうど弾き語りを始めた頃に、広島のイベントで大森さんの前座をやらせて頂いたことがあったんですよ。自分でも“大森靖子っぽい”とわかってはいたんだけど、“でもどうしたら良いんだろう…?”という感じですごく悩んでいた時期があって。でも“好きなものは好きだし、そんなことはどうでもいいや”みたいな感じになったので、今はもう気にしていないですね。
●それはここ最近のこと?
戸川:ここ最近ですね。東京に出てきてからかな。
●名義を変えたのは上京してきてから?
戸川:東京に出てくる、ちょっと前ですね。今は本名なんです。
●上京したキッカケは?
戸川:キッカケは“円盤 雪まつり”を3〜4年前に東京へ観に来たことですね。犬風さんというシンガーソングライターの人が好きで「ライブを観に行きたいです」と言ったら、“円盤 雪まつり”に誘ってくれて。それを観に行った時に、(会場に)いっぱい人がいたんですよ。それが田舎ではありえないことだなと思って、東京に来たいなって思いました。
●ディープな音楽のイベントにたくさん人がいることに驚いた?
戸川:その時にペガサスというバンドを観て、すごく感動したんです。でもそのバンドがもし田舎のライブハウスに出ていたら、その良さをわかる人は少ないと思うんですよ。だったら自分は東京に行ったほうが良いのかなと思って、引っ越してきました。
●東京に出てきてからは、弾き語り系のイベントに出ていたんでしょうか?
戸川:いや、東京では高円寺4thによく出ているんですけど、ノイズの人とかに囲まれて出ています(笑)。そういう中でレーベルをやっている人を紹介してもらえたりもするので、そっちに出ているほうが面白いですね。
●レーベルといえば、現在所属するギューンカセットの須原(敬三)さんとは何がキッカケで知り合ったんですか?
戸川:(須原氏もメンバーの)サイケ奉行の(砂十島)NANIさんとは元々、知り合いだったんです。それでサイケ奉行のライブを観に行った時に、打ち上げにも出ていて。その席で何もわからずに須原さんの隣に座っていたら話しかけてくれて、よく話を聞いてみるとギューンカセットの社長だったっていう(笑)。
●そこから今回のリリースにもつながった?
戸川:White Molesっていう山口のサイケバンドで私はキーボードを弾いていたことがあって、それを須原さんに話したら知っていたんですよ。そういうつながりもあって仲良くなって、大阪でライブをやった時も観に来てくれて。一緒にご飯を食べに行って音楽の話をしたりもしたりしている中で、「ウチから出す?」みたいな流れになりましたね。
●リリースが決まったのは、いつ頃?
戸川:19歳の夏とかですね。最初は「20歳の内に出したい」という話をしていたんですけど、私が東京に出てきたばかりの頃に曲が全然作れない時期があって…。だからちょっと待ってもらって、去年の5月からレコーディングを始めました。
●今回は大阪で録ったそうですね。
戸川:大阪のLM Studioで録ったんですけど、そこのエンジニアがCorruptedのIppei(Suda)さんなので良いなと思って。
●そこに反応したんだ(笑)。
戸川:Corruptedのことはずっと知っていて。印度洋のマスターがよく深夜にお店で流していたので、そこでずっと聴いていたんです。今回レコーディングしてもらうにあたって挨拶をするためにライブを観に行ったんですけど、メチャクチャカッコ良かったですね。
●今作『good-bye girls』にはギターやキーボード、ドラムも入っているわけですが、元々は弾き語りでやっていた曲をバンドアレンジしたんでしょうか?
戸川:アレンジに関しては今回、須原さんが大体やってくれましたね。最初はアルバムは弾き語りで録って、バンド形態でシングルを出そうっていう話だったんです。でも実際に録ってみたらバンドアレンジがカッコ良くて、アルバムに全部入れたいからシングルはナシにしたんですよ。それで(バンドアレンジと弾き語りが)半々くらいになりました。
●オルガンの音がすごく良いなと思いました。
戸川:M-1「ほーむすいーとほーむ」とかは最初(Key.タジマ)アヤさんがフェンダー・ローズのピアノで作ってきてくれたんですけど、私が「オルガンにして下さい」と言ったんです。アヤさんのオルガンの音がすごくカッコ良いので、そっちのほうが良いなと思って。
●今回の収録曲は、古いものも入っている?
戸川:M-2「パパとみた」は19歳くらいの時に作った曲なんですけど、それ以外は上京する前後で作ったものばかりですね。
●アルバムの収録曲を選んだ基準は?
戸川:あんまり暗くない曲を選びました。あとはなるべく聴きやすいものというか、メロディがちゃんとある曲。自分が歌っていて楽しい曲を選びましたね。
●あえて明るめの曲を選んだんですね。
戸川:私はソフトロックがメチャクチャ好きなんです。ヴァン・ダイク・パークスみたいなすごく楽しい音楽が好きだし、自分でも本当は楽しくてオシャレな音楽をやりたいんですよ。でもどう頑張っても自分の作る曲は泥臭くて…、自分に近い範囲のことばかり歌っているなって思います。
●“自分が歌っていて楽しい曲”という話もありましたが、歌うこと自体は好き?
戸川:歌うことは好きなんですけど、別に上手じゃないから。他に上手な人がいるなら、その人が歌ったほうが良いんじゃないかなって思います(笑)。
●ハハハ(笑)。でも聴いているとクセになる、すごく良い声だと思いますよ。
戸川:アイドルにハマってから、歌い方が変わったのかもしれない。
●アイドルにハマったんですか?
戸川:2016年の初頭くらいからアイドルにハマって。アイドルヲタクの友だちに誘われて何となく観に行ったら、案外良かったんですよね。最初はベルハー(※BELLRING少女ハート)にハマって、その後にハロプロ好きの友だちから他もいっぱい教えられたんです。その中に筒美京平さんが作曲している曲があって、そこから80年代のアイドルを聴くようになって…今は南野陽子さんみたいに歌おうと思っています(笑)。
●歌のイメージは南野陽子(笑)。声に独特の緊張感とゆらぎがあるのも良いなと。
戸川:アイドルが好きになったせいで、自分の出せる範囲よりも高い音域の声で歌う曲がやりたくなっちゃって。だから、もう…ギリギリ(声が)出ていないみたいな(笑)。
●結果的にそれが良い方向に出ていると思います。
戸川:そうですね。“楽しく歌おう”っていう感じでした。こんなことを言っちゃダメだと思うんですけど、本当は“趣味”みたいな感覚でやりたいんです。“良いものを作らない”というわけではなくて、自分が作りたくないものは絶対に作りたくないから。
●今は自分の好きなことをやれている?
戸川:自分の好きなことを“やろうとしている”っていう感じですね。だからもっと練習したら、もうちょっと楽しくなるかなって思います。
●ライブも含めて、自分の音楽をもっと広げたいという気持ちはあるのでは?
戸川:18歳くらいの時から、弾き語りで東京・大阪でライブをやったりもしていて。ツアーに行くのは好きだし、面白いんですよね。人と会うのは好きなので、もっと色んな人と出会いたいなって思います。
Interview:IMAI
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