“Dark & Dark=夜しかない街”の物語を今年1年をかけて4枚の作品とライブで表現していくPoet-type.Mが、その2枚目となる作品をリリースした。『夏盤』にあたる今回の『A Place, Dark & Dark -ダイヤモンドは傷つかない-』では楢原英介(VOLA & THE ORIENTAL MACHINE, YakYakYak)を迎え、共同サウンドプロデュースに挑んだという門田匡陽。Poet-type.Mの立ち上げ時から活動を共にしてきた楢原だからこそ言える制作中の言葉は門田にとって大きな刺激となり、新たな可能性の扉を開くものにもなったようだ。“追悼”と“情報”という2つのテーマを持って制作された今作は、夜しかない街の夏を全6曲で表現。かつてGood Dog Happy Menとして制作した3部作から成るお伽噺『the GOLDENBELLCITY』とのリンクも垣間見せつつ、圧倒的な世界観と美しさを今回も体感させてくれる。隠された数々の仕掛けも含め、聴けば聴くほどに発見をもたらす本作の深く豊穣な魅力を存分に味わって欲しい。
●今回のミニアルバム『A Place, Dark & Dark -ダイヤモンドは傷つかない-』(以下『夏盤』)ではサポートメンバーの楢原英介(VOLA & THE ORIENTAL MACHINE, YakYakYak)さんと共にサウンドプロデュースに挑んだわけですが、そうした理由とは?
門田:ナラヤン(楢原)はPoet-type.Mの最初のライブから常にいる唯一の人間なんだよね。ライブの仕切りやメンバーに対するアプローチといったところまで、いつも補佐してくれていて。ちょっと先のPoet-type.Mまで考えているのは、ナラヤンなんだよ。俺の他に、ナラヤンだけが“Poet-type.M”というものが見えている。
●本人以外で最も“Poet-type.M”というものを的確に捉えられている。
門田:しかも、遠慮しないから。俺がやっていることに、平気で「ダサい」と言ったりもする。『春盤』を作った時にナラヤンに「どう思う?」って訊いたら、「これだったら門さんのデモのほうが全然良いですね」と言ってきたからね。「出るべきところが出ていないし、俺は正直言ってデモのほうが良かったです」と。
●それを言えるのもすごい…(笑)。
門田:そういうナラヤンの一言を聞いて、“じゃあ、がっつり組み合ってやってみたらどうなるのかな?”と思ったんだよね。
●言われていることに対して納得できる部分もあるから、それでも一緒にやろうと思えた?
門田:実際、デモの段階のほうがトガッていたんだよね。でもCDにする時に、どこかで俺も丸くしちゃっているんだよ。そういう自分でも気付いていない部分をナラヤンがプッシュしてくれるのかなと思って。その結果、『夏盤』は今までの俺が関わってきた音源の中で一番“マッド(MAD)”な感じになったと思う。
●“マッド”?
門田:“凶暴”ね(笑)。それは完全にナラヤンの効果で。俺が1人でやっていたら、たとえばM-1「バネのいかれたベッドの上で(I Don't Wanna Grow Up)」でリズムをあんなにも前に出さないもん。どこかで俺は甘くしちゃうんだよね。そういう感覚をナラヤンが否定してくれたというのは大きかった。
●“甘くする”というのは?
門田:“アーシー”(※土の香りがする/泥くさい感じ)にしてしまうというか。特に今回の『夏盤』に関しては、俺よりもナラヤンが得意な音像だったんだと思う。
●『夏盤』に関してはそういうところもあって、共同プロデュースにしたと。
門田:そうだね。だから俺のデモをナラヤンが解体して、もう1回作り直した曲も入っていたりするし、原形を留めていない曲もあったりする。
●いくつかの曲はこれまでライブでやっていましたが、その時の印象と違うのはそういう理由なんですね。
門田:ライブでやっていたイメージは1回完全に解体して、歌詞とメロディだけを残しただけだったりする。「バネ〜」は特にそうで、俺が作っていたデモはライブでやっていた時の感じなんだよね。それを1回解体して、ナラヤンが肉付けしたというか。
●M-3「窮屈、退屈、卑屈(A-halo)」のイントロにはチップチューン的な音が入っていますが、あれも肉付け的なところ?
門田:あれはナラヤンのアイデアだね。俺にはああいう発想はない。他にもナラヤンがデモを作ってきた時に入れてきたコーラスは全部、本人にやってもらってる。
●曲によっては“共作”と言っても良いレベルですよね。
門田:ここまで誰かと一緒にやったことはないんだよね。Good Dog Happy Men(以下グッドドッグ)の時も(他のメンバーは)「上モノは全部任すわ」っていう感じだったから。
●そこまでの深さで一緒に制作できたのは、信頼度の高さの現れというか。
門田:やっぱりナラヤンとは、この2年間ずっと一緒にやってきているから。信頼するに足るセンスのある人だと思ったんだよね。
●信頼しているから、否定的な意見も聞き入れられる。
門田:ナラヤンの良さは、ぶつかってきてくれるところなんだよね。「これは門田匡陽のソロプロジェクトだから、門さんが良いと言うなら俺はそれで良いです。でもハッキリ言って、これはクソ甘いです」と言ってきたりもして。
●ソロプロジェクトということを尊重しつつも、遠慮のない意見を言ってくれる。
門田:ナラヤンが言ってきた言葉で、一番信頼できるなと思えたポイントがあって。「“門田らしさ”って色んな人が言うけど、“お前が決めるな“って俺は思っているんです。その人の思っている“門田らしさ”をそのまま“門田らしさ”とは言ってはいけないんですよ。自分は他にVOLA & THE ORIENTAL MACHINEをやっていて、水野くんはMO'SOME TONEBENDER(のサポート)をやっているけど、そういう音の中でも(Poet-type.Mは)本当は勝負できるから。もっとゴリゴリの音の中でも勝負できる音を作っている。そこを見ずに今までのところで“門田らしさ”を決めて、どうするんですか?」と。俺はそういう言葉がすごく嬉しかったんだよね。やっぱり俺はどこかで自分の音楽の甘いところが良いと思っていたけど、それが俺の囚われていた“門田匡陽らしさ”なのかもしれない。
●“門田らしさ”で言うと、ここ2作は歌のクセみたいな部分が今までよりも薄くなっているように感じます。
門田:それはあえてそうしてる。せっかく良い曲を作っているのに、歌にクセがありすぎて、聴く人を限定するようなのはもったいないということをスタッフにも前から言われていて。それを自分の中で一生懸命改善してるというか。(そういう部分に関しては)BURGER NUDSがあるから、それで良いかなと。そういったもう1つのアウトプットがあるから、Poet-type.Mは“門田らしさ”を排除したい。未だ見ぬPoet-type.Mの音楽をやる人でいたいなっていう。
●“BURGER NUDSらしさ”や“グッドドッグらしさ”はあっても良いけど、“Poet-type.Mらしさ”というものは決めたくない。
門田:その“Poet-type.Mらしさ”が、これからやっていく中で絶対に付いてきてしまうから。まだ付いていない間はムチャしてやろうと思って。だから次の『秋盤』ではまた今作に囚われずに、ガラッと変えたいと思ってる。
●1枚1枚で変化していくと。今回の『夏盤』についてのビジョンは、最初からあったんですか?
門田:『夏盤』には“追悼”と“情報”という2つのテーマがあるんだけど、そこは決めていたかな。夏は、俺にとっては追憶のシーズンで。下町の生まれだから、夏といえば灯篭流しや慰霊堂清掃奉仕とか、あとは花火大会のイメージがあって。隅田川の花火大会は、江戸の大火での被害者への追悼の意味もある。戦時中に空襲で焼けたのも夏だったし、俺の中では子どもの頃からずっとそういうシーズンなんだよね。
●一般的な明るくて楽しい“夏”のイメージとは違う。
門田:俺はそういうこと(行事の背景)を真摯に考えてしまう人間で、単にお祭りごとにはできないんだよ。花火大会なんて、本来はお祭りごとじゃないわけで。だから“夏”というシーズンは自分にとって、海やフェスでハシャいだりBBQをやるようなイメージじゃなくて、完全に“追悼”なんだよね。だから今回のジャケットも、楽しいイメージの花火ではなくて、“鎮魂”という意味での花火を描いて欲しいというオファーをして。夏というものを考えた時に、最初に思い浮かんだのが“追悼”だった。
●もう1つのテーマの“情報”も夏と関係している?
門田:“情報”に関しては正直、夏に取り上げる必要性は全くなくて。曲の並びとしてM-2「その自慰が終わったなら(Modern Ghost)」と「窮屈、退屈、卑屈」、M-4「神の犬(Do Justice To?)」が入るという時点で、ここは一括りにして“情報”のことを歌っている曲を並べてしまおうと思ったんだよね。あとは歌詞的な意味というよりもビート感も大きいんだけど、「その自慰が終わったなら」に関しては完全に情報について歌ってる。
●それは副題の“Modern Ghost”にも表れている?
門田:“情報”というものは今や宗教に取って代わった神様だとみんな思っているけど、その人たちが言っている“情報”ってはっきり言って“現代的な幽霊”なんだよね。
●実体がない。
門田:そう。みんながぼんやりとヒップスターに憧れているというか。本当は“ヒップスター”なんていないのに、“こういうライフスタイルが良いんだろうな”とか“こういうフォントを使ったらオシャレなんだろうな”っていうような価値観が蔓延しすぎていて。膨大な情報量をインプットしているんだけど、インプットしすぎで何が自分にとって大切な情報なのかわからなくなってきちゃっている。俺も含めてみんな、そういう情報の処理スキルが著しく落ち込んじゃっているんだよ。
●「その自慰が終わったなら」に出てくる“発掘されない化石”や“発見されない流星”というのは、どういう意味で使っているんですか?
門田:“本当の自分”だよね。“本当の自分”というものがあるとしたら、それはもう“発掘されない化石”や“発見されない流星”だなと。
●M-6「ダイヤモンドは傷つかない(In Memory Of Louis)」の歌詞に出てくる“君の君”も“本当の自分”のことなのかなと。
門田:まさにそうだね。
●同じ『夏盤』に入れるということで、関連性を持たせた部分もある?
門田:たぶん、そこは無意識でやっているんだと思う。意識的にそうしようとは思っていないけど、自分で作っているから(感覚としては)わかってはいるから。結果的に、これ以外はない選曲になったとは思うけどね。
●「神の犬」でも“ダイヤモンド製の刃”という言葉が出てきたりと、共通するワードは散見されますよね。
門田:俺は全てを言うことが絶対に正しいとは思っていなくて。今の社会では“言わない”ということに対する価値を考え直したほうが良いと思っているんだよね。「ダイヤモンドは傷つかない」の“ダイヤモンド”は、言わない美しさのことで。言わないという選択肢を取ることの美しさというか。「神の犬」に関しては、全体主義について歌ってる。“ダイヤモンド製の刃”ということは、どっちも傷つかないじゃない?
●ダイヤモンドの刃でダイヤモンドを切ろうとしても、傷つけることはできない。
門田:つまり、どっちも覆ることがないんだよ。言わないという選択の美しさも覆らないし、俺たちの頭上に輝く全体主義という刃も決して傷つかない。その両方を歌っているから、これが一番良い(今作の)サブタイトルなのかなと思ったんだよね。
●「ダイヤモンドは傷つかない」の歌詞には、“Dark & Dark”の物語の主人公的存在でもある“XIII(サーティーン)”が出てきますよね。
門田:XIIIが「唱えよ、春 静か(XIII)」で旅立ったところで『春盤』は終わっているんだけど、あの直後が「バネのいかれたベッドの上で」なんだよね。「バネのいかれたベッドの上で」は、XIIIとルイというキャラクターのお話で。「ダイヤモンドは傷つかない」もその2人のお話なんだけど、そこから何年も後のことを歌っていて。だから最初と最後はこれしかなかった。
●ルイというのはどんなキャラクター?
門田:グッドドッグの『the GOLDENBELLCITY』(1stフルアルバム)の中に「廃墟の子供達-黒い羊水-」という曲があって、その中にルイというキャラクターが出てくるんだよ。その“廃墟の子供達”というのは、世界が終わった後の廃墟で毎日ドラム缶のコールタールの上に船を浮かべて遊んでいたような子たちで。最後に違うグループの子たちとケンカになって、生死がどうなったのかわからないっていうところで終わっているんだけど、その中の1人であるルイがGOLDENBELLCITYから“Dark & Dark”の街に来ているんだよね。
●そういう設定だったんですね。「バネのいかれたベッドの上で」では歌詞の中では大人になる体験をしたことを歌いつつも“I Don't Wanna Grow Up”と歌っているのが面白い。
門田:この曲にはそういった意味で、俺の皮肉性というものがすごく出ているよね。“I Don't Wanna Grow Up”っていう言葉に反して、大人にはなっているわけで。だけど“この気持ちのままでずっと生きていきたい”っていうことを言っていて。最後に「ダイヤモンドは傷つかない」が入ることによって、ある意味でルイの望みは叶っているというか。
●「ダイヤモンドは傷つかない」では“永遠の終りまで「YES」と決めた”と歌っているように、“XIII”という女の子に対する全肯定の物語である“Dark & Dark”のコンセプトを象徴している曲かなと。
門田:これは“確認”だね。XIIIが「唱えよ、春 静か」で旅立った気持ちを誰かと共有することで、それを確認しているというか。
●その相手はルイということですよね。歌詞中のセリフのような部分はルイの言葉?
門田:ルイがXIIIに向かって喋っていることだね。XIIIはルイと同じサーカス団で働いていて。
●そういう設定になっていると。ちなみにM-5「瞳は野性、星はペット(Nursery Rhymes ep2)」はどういうイメージなんですか?
門田:これもネタばらしになっちゃうんだけど、「ダイヤモンドは傷つかない」から何年も後のXIIIのことなんだよね。XIIIは色々あって、ちょっと良い“悪い女”になっているんだよ。だから実は『夏盤』の中で、XIIIの気持ちに救いの部分をもう作っちゃっているっていう。
●この曲の副題は“Nursery Rhymes ep2”ですが、前作の「泥棒猫かく語りき(Nursery Rhymes ep3)」ほど“童謡”っぽい曲調ではないですよね。
門田:「泥棒猫かく語りき」は今すでに童謡としてある曲で、「瞳は野性、星はペット」は“こういう童謡がこの先できる”という意味での“Nursery Rhymes”だね。XIIIの視点から外れた後も、“Dark & Dark”という街は未来永劫続くわけで。何百年か経った後に、この曲がもう童謡になっているっていう。
●曲順も時系列に沿っているわけではない。
門田:ではない。だから「ダイヤモンドは傷つかない」の前に、それよりも何年も後のお話が入っていたりして。ただ、重要なのは「バネのいかれたベッドの上で」で始まり「ダイヤモンドは傷つかない」で終わるということだった。ディテールはすごくはっきりと自分の中であるんだよね。でも今話していることなんて、別に(リスナーは)知らなくても良いと思っているから。俺の言っていることも設定の1つでしかないという感じかな。「こう聴いてくれ」っていうわけではない。
●聴き方を強要するわけではないけど、気付くと面白い仕掛けがいくつもあるわけですよね。
門田:たとえば「その自慰が終わったなら」の歌詞中にある“Headache Lover Slave”という言葉も、『the GOLDENBELLCITY』の「VIVACE-TiTs-」という曲の中で出てきていて。当時は“Headache Lover Slave”が何のことを歌っているのか定かにはしていなかったんだけど、その時から既に俺の中では“情報”のことだったんだよね。
●“Headache Lover Slave”は情報のこと?
門田:自分にとって情報は“頭痛”であり“恋人”であり、自分は情報の“奴隷”でもあって。「VIVACE-TiTs-」の最初の“Headache Lover Slave 俺 ちゃんと 夢 叶えなくちゃ”という一文は、“情報の波に埋もれながらも俺はちゃんと夢を叶えなくちゃ”という意味だった。だから今回も“情報”を歌うのであれば、それを入れてみようかなっていう。
●実はそこからつながっていたと。そもそもグッドドッグの時は、こんなに歌詞について語ることはなかった気がします。
門田:歌詞について語ることもなかったし、そういうのがあまり好きじゃなかった。メンバーにも話したことはなかったから。メンバーも知らない設定がいっぱいある中での『the GOLDENBELLCITY』だった。昨日ちょうど改めて聴いていたんだけど、すごく良いアルバムだなって。グッドドッグはやっぱり早すぎたんだよ。(リリースから)約8年経った今でも聴けるものだし、『the GOLDENBELLCITY』の価値観をあのまま眠らせるわけにはいかないんだよね。
●今改めて聴くことでの発見もある作品ですよね。
門田:俺だって、当時は気付かなかったことがいっぱいあるもん。やっぱり、作った本人よりも作られた音楽のほうが絶対に偉いんだよ。俺が教えられることのほうが全然多いからね。
●今回の“Dark & Dark”シリーズもそういう作品になるんじゃないですか?
門田:ある意味では、俺はすごく焦っていて。自分たちの作っている音楽がダサくて、遅れていると思っている自分がいる。でも別の側面では、また早すぎることをやっているのかもしれないとも思う。そういう天秤の揺れ方が不安だからこそ、俺はこうやって確認したいんだよ。自分たちの歩んできた道が正しかったと思いたいし、この“Dark & Dark”というのは大いなるそれだと思っていて。
●これまでの道のりの正しさを確認するためのものというか。「ダイヤモンドは傷つかない」の“解らないのは不安かい? 湧かないイメージに幻滅したの?”という歌詞は自分に対しても向けられているものかなと。
門田:これも大いなる種明かしになってしまうけど、“XIII”っていうのは“1月30日”のアナグラムでもあるわけさ。俺の誕生日だから。どこかで俺は自分にこういうことを言いたいんだよね。ここでルイが言っていることって、どこかで自分が自分に言いたいことというか。
●もしかしたら、未来の自分へのメッセージにもなっていたりもする?
門田:それは前回の『春盤』でやってる。逆にあれは10年前の自分が今の自分を見て、こう言っているということで。「楽園の追放者(Somebody To Love)」の“大人になるなよ 無駄に許すなよ 二度と日和るなよ”というのは、グッドドッグの「Nightmare's Beginning」の動画をYouTubeで見ていて、あの時の4人が今の俺に向かって言っていると思ったんだよ。その4人に言われていることを(歌詞にして)並べていっただけみたいな。
●そして遂に“「festival M.O.N -美学の勝利-」”へのグッドドッグの出演が発表されたわけですが、ライブをやるのはかなり久々ですよね?
門田:4人でのグッドドッグとしてライブをやるのはもう5年ぶりくらいじゃないかな。“「4人のゴブリン大いに踊る」ツアー”というのをやったのが最後で、やっぱりそれ以降のグッドドッグはグッドドッグじゃないんだよね。『The Light』(2ndフルアルバム)は良いアルバムだけど、あれはグッドドッグではない。やっぱりグッドドッグは『the GOLDENBELLCITY』で燃え尽きたんだと思う。ラストの「今、万感の想いを込めて」で全てを終わらせているバンドだから。
●そこでやろうとしていたことを引き継いでいるのがPtMなのかなと。
門田:そう。だからグッドドッグは復活する必要がないんだよね。なぜ“「festival M.O.N -美学の勝利-」”という大げさな名前を付けているかというところなんだけど、やっぱりBURGER NUDSから始まった俺の音楽人生はずっと常にこういう“イズム”でいて。無駄に友だちを作りたくない、誰にも日和りたくない、自分が最高だと思っている…そういう主義でずっとやってきた俺と仲間たちで。BURGER NUDSの3人もそう思ってた。グッドドッグもみんな、自分たちが一番良いと思ってた。だからこそ続かなかったんだけどね(笑)。そういう不器用なヤツらが集まったんだけど、未だにみんなでこうやって楽しめる。未だに俺はCDをリリースできる。そういうことに対する祝祭なんだよね。だから“フェス”ではなくて、“フェスティバル”なんだよ。ちゃんと理由があるから。
●今、この形でやれるということ自体が“美学の勝利”なんじゃないかなと思います。
門田:一番の危惧していたところがBURGER NUDSだったから。BURGER NUDSが再結成された時点で、美学の勝利は見えていたんだよね。
Interview:IMAI