PLAGUESが11年ぶりとなるオリジナル・ニューアルバム『CLOUD CUTTER』をリリースした。2010年5月に突如再始動し、8月には全曲新録によるベストアルバム『OUR RUSTY WAGON』を発表するなど、往年のファンを喜ばせた彼ら。だが、ベストアルバムはもちろん、その後のツアーで放たれる音の凄まじい熱量に触れた者ならば誰もが気付いたはずだ。これは単なるメモリアル的な復活ではなく、その先を感じさせるものだということを。過去の楽曲でありながら決して色褪せることのない、“今”の音をPLAGUESは鳴らしている。2011年に入ってからも何度かライブを行い、動き続けていることを窺わせてきた彼らが遂に完成させた今回のニューアルバム。8年という“活動休暇”期間にも、中心人物のVo./G. 深沼元昭はMellowheadやGHEEE、BORZOIQなどでの活動から、佐野元春や浅井健一のツアーサポート、さらには数々のプロデュース/楽曲提供まで様々な経験を血肉へと変えてきた。1人のプロフェッショナルなミュージシャンとして音楽シーンをサヴァイヴしてきた深沼に、かつての盟友・Dr. 後藤敏昭、さらにTRICERATOPSからBa. 林 幸治という新しいエッセンスも加わったことで生まれる強力な化学変化。そこから形作られていった全12曲は、紛れもなく2012年の今にしかありえないリアルなロックなのだ。先行きが見えず混沌とした音楽シーンの暗雲を切り裂く閃光のように、PLAGUESはロックバンドとしての新たな歩みを鮮烈に示していく。
●2010年8月に全曲新録によるベストアルバム『OUR RUSTY WAGON』をリリースして再始動を果たして以来、今回の『CLOUD CUTTER』が初のオリジナルアルバムとなりますね。まず、新作を作ろうという心境になるキッカケは何だったんですか?
深沼:8年間休んでいた間に得られた経験や増えた武器が、自分にはあると思うんですよ。そういう中でPLAGUESを再始動したんですけど、リリース後のツアー(“Tours For Fellows”)では『OUR RUSTY WAGON』に入っていない楽曲もやったりもして。バンドとして既存の曲をやっていたんですけど、久々に聴いたら「懐かしいね」というだけで終わらせるのはもったいないなと思ったんですよ。
●ツアーをまわる中で、モチベーションが湧いてきた。
深沼:林くん(Ba. 林 幸治 from TRICERATOPS)が入ったことで明らかにパワーアップしているというのもあって、単純にバンドとして面白いと思ったんです。あと、お客さんがたくさん来てくれて、今でもすごく熱を持ってくれているということも感じて。そこで1人のミュージシャンとして、このバンドで新しい楽曲を書きたいと思ったことがすごく大きいですね。
●同年9/20の渋谷CLUB QUATTROでのライブでは、MCで既に「また来年もやります」とおっしゃられていましたね。
深沼:実はその時点で、翌年2月の渋谷CLUB QUATTROを押さえていましたからね(笑)。その時にはもう、来年もやろうと考えていました。
●『OUR RUSTY WAGON』のレコーディングを経たことも、このメンバーで改めてやりたいと思うキッカケになったのでは?
深沼:スケジュールの関係でものすごいスピードで録らなきゃならなかったので、大変でしたけどね(笑)。新曲も2曲やったんですけど、このメンバーでバンドとして録音物を作っていくことがすごく楽しかったんです。そこから、今度はちゃんと全て新しい曲でレコーディングをやりたいなという想いも出てきて。
●『OUR RUSTY WAGON』に入っていた「プルメリア・レイ」と「グッド・ムーン・ライジング」は新曲だったんですよね。去年のライブでは既に、今作に収録されているM-2「スノードームの白熊」もやっていましたが。
深沼:去年9月の下北沢CLUB Que・2days(“Fullbore CLUB Que”)でやりましたね。その時には、もうアルバムを作るというモードになっていたんですよ。そこで一番最初にできた曲が「スノードームの白熊」でした。
●アルバムを作ろうという話になったのはいつ頃?
深沼:その2daysのリハーサルをやっている間も、新曲は作っていて。2010年に活動を再開してから大きな流れはもう3回目だったので(2011年2月には“Tours For Fellows 2011”を開催)、レア曲の掘り起こしだけだと自分たちでも満足いかなくなってきたというか。「そろそろ新しいものをやらない?」ということで、曲を作り始めたんです。
●そこから一気に曲作りモードに入っていったと。
深沼:“この調子でやれば、アルバムくらいは作れるんじゃないか?”と思うようになったのが、その頃です。当時は『OUR RUSTY WAGON』に新曲を2曲入れているし、あと10曲くらい書けばいいだろうと思っていたんですよね。
●でもその2曲は入らなかったわけですが…。
深沼:結局は全て書き下ろしになりました(笑)。
●それだけ曲が増えたということ?
深沼:そうですね。あとは“そこまでいったら全部、新曲で作りたい!”という意地もありました(笑)。
●今年3月にはBORZOIQのアルバムもリリースしたわけですが、制作は同時進行だったんでしょうか?
深沼:BORZOIQのアルバムができたのが去年の12月だったので、PLAGUES用の作曲を本格的に始めたのは今年の頭からですね。
●深沼さんは他にも多数のバンド/プロジェクトに関わっているわけですが、PLAGUESとしての曲を書くというのはやはり特別な感覚だったりする?
深沼:PLAGUESの場合は、バンドのイメージや今までの作品の流れを一応考えてはいます。でも結果的に今回は“こんなに元気な曲は今まで作ったことがない!”っていうくらいのものになって。自分ではこれまでの流れの中で作っているつもりなんですけど、実際は違ったんでしょうね。
●活動を休んでいた8年間で得たものが出ている部分もあるのでは?
深沼:それはありました。元々、PLAGUESをまだ休止する前に深田恭子さんのプロデュースをしたことがあって、その時に自分の曲が初めてオリコンで3位とかになったんです(シングル『イージーライダー』)。そこからプロデューサーとしての依頼がたくさん来るようになって、それまでとは全然違う超ビジネスライクな活動が増えてきたんですよ。ちょうど当時のマネジメントがいなくなって突然、一匹狼みたいに生きていかなきゃいけなくなった時期だったし、“これはこれで面白いな”と思って。
●そこから今までとは違う世界に関わるようになっていった。
深沼:PLAGUESもやりつつプロデューサーとしての仕事もあって、一番忙しい時期でしたね。でもそんな中で、Mellowheadとしてソロ活動を始めて。ソロをやり始めてから、新たなミュージシャンとの出会いがたくさんあったんですよ。そこで一気に世間が広がったというか。PLAGUESはある意味で独立したバンドだったから、そんなに横のつながりがなかったんですよね。
●ソロ活動を始めたことで、横のつながりが増えたんですね。
深沼:そうなんです。今まではモロにロックバンドだったところからソロ活動を始めたことによって、色んなお客さんが観に来るようにもなって。そういう中で、日常的にライブハウスへ出られるようなバンドをやりたいと思うようにもなっていったんですよ。Mellowheadはソロプロジェクトだからいちいちメンバーを集めなきゃならないし、PLAGUESにしても基本的にはリリースの時とか何か理由があってライブをやる感じだった。そういう理由を必要とせず、部活動のようにやれるバンドがしたいと思って結成したのが、GHEEEで。PLAGUESって最初のワンマンから渋谷CLUB QUATTROだったりして、実は世に出てからあまり小さいライブハウスでやっていないんですよね。
●そうだったんですか。
深沼:だから、ライブハウスシーンのことを全然知らなかった。そういう場所には、GHEEEになって初めて出るようになったんです。実はPLAGUESではCLUB Queにも出たことがなくて、去年の2daysが実は初めてだったんですよ。だから新たにライブハウスシーンの中でやっていくことがまた面白くて。
●今まで知らない世界をそこでも知ったんですね。
深沼:そこから今度は自分でやるツアーの3倍くらいはまわる浅井(健一)さんのツアーに参加して、佐野(元春)さんのツアーにも参加して…。自分はミュージシャンのたった一側面だけで生きてきたんだなと知ったというか。まだまだこんなにも知らない世界があるし、単純に面白いなと思ったんですよね。そこで自分にはミュージシャン業というのが、思ったよりも向いているなと実感して。
●昔は本当にPLAGUESだけをやっていた。
深沼:そうなんですよ。だからプレッシャーもデカかったし、ツアーに出ても楽しいという感覚じゃなかったんですよね。東名阪、札幌、福岡くらいをまわって、絶対に全箇所でキメてくれっていうものしかやったことがなかったから。
●絶対に失敗できない状況下で、楽しんで音楽をやれる感じではなかった。でもそういった経験もしたから、今は新たな気持でPLAGUESを再びやれているのでは?
深沼:それを経た上でやったら、全然違いましたね。最初に組んだバンドでメジャーデビューして、しかも20代の頃なんて周りもそんなに見えていないですし…。今やっと音楽を仕事でやるということに対して、別の楽しみも含めて多角的に見られるようになったんです。その中でPLAGUESをやり直してみたら、面白かったんですよ。
●活動休暇期間中にいったん距離を置いたことで、PLAGUESというバンドを客観的に見ることもできたんじゃないですか?
深沼:そうですね。あとは色々なプロデュース業もやっていたことで、そういうふうに見られるようになったというのもあって。あとは今の技術があれば、もっとバンドとしての良さを引き出せるはずだという想いもありましたね。
●しかも今は自分でミックスまでできるので、イメージ通りの音にできる。
深沼:それはありましたね。だから演奏している時はレコーディングということを意識せずに弾いて、後から上手く形にすればいいだけというか。以前は僕が頭の中で考えながらやったことをエンジニアに伝えないと物事が進んでいかなかったんですけど、今は何も考えずにやっても後から自分で何とかできる。良い意味で何も考えずに演奏できるから、時間も全然かからないんですよね。実際に、今回は12曲のリズム録りを2日間でやりました。
●それは速いですね…。やりたい音像が見えていたということでしょうか?
深沼:それはいつもかなりはっきりと見えていますね。エンジニアにイメージを伝えて、その場である程度納得できる音に到達するまでのスピードが昔の10倍くらい速くなりました。昔はドラムの音作りを朝から夕方までかかってやっていましたけど、今はその時間で4曲くらいは録れますよ。
●頭の中にイメージがあってもそれを形にするというのは、若い頃では難しいんですよね。
深沼:それは無理ですね(笑)。ミュージシャンが長くやっていく上では精神的にも色々と大変なことがあるし、最初の衝動はどんどん薄れていく。その代わりに何を武器として手に入れるのかということが一番大切なんだと思いました。それがあったから40代になっても、こんなに勢いのある若いアルバムを作れるようなモチベーションを保てているというのがあって。
●GHEEEでは脊髄反射を活かした曲作りをしていると以前に話されていましたが、その感覚とはまた違う?
深沼:そういうものも出ているとは思います。ただ、PLAGUESの場合はもう少し僕の比重が大きいんですよ。GHEEEの場合は全員が1/4でいられる面白さがあるから、もっと野放しなんです(笑)。PLAGUESでは、アルバム1枚に対するイメージをもっとはっきりと持って作っているというか。
●GHEEEは野放しなんだ…(笑)。
深沼:ギリギリまで散らかっているのをただ眺めているだけという(笑)。そこがGHEEEの面白いところだと思っているから。
●PLAGUESの再始動後は林さんがベースで加わっているというのも、以前との大きな違いだと思うのですが。
深沼:林くんとプレイしていないと、こういうアルバムにはならないですよね。元々、林くんと後藤のリズム隊の音を聴いたことで自分のモチベーションが刺激された部分があるから。音楽はやっぱり、音に動かされるんだと思いましたね。理屈じゃない部分はそこだなと。PLAGUESを今やっていて楽しい理由を色々と言っているんですけど、結局は一緒に音を出してみたら良かったということに尽きると思うんですよ。
●このメンバーで鳴らした音に突き動かされて、今回のアルバム制作まで至ったというか。
深沼:林くんと一緒にスタジオに入った時に“これは良いバンドなんじゃないの?”って思ったし、“そりゃ、アルバムも作るよな”っていう感じなんですよね。林くんはこっちが「自由にやってもいいよ」と言っても、PLAGUESの伝統を重んじてやってくれるのが面白くて。
●ちなみに、Dr.後藤さんと8年ぶりに音を合わせてみた感覚はどうだったんですか?
深沼:そこは全然変わらなかったですね。8年ぶりということでの感慨がもうちょっとあるのかと思ったら、全くないんですよ(笑)。
●良い意味で、何も変わっていない?
深沼:本当にいつも通りで、せいぜい2ヶ月ぶりにやったくらいの印象ですよ(笑)。
●ハハハ(笑)。収録曲の話に戻りますが、一番最初にできたのが「スノードームの白熊」だったんですよね。
深沼:今作の中ではそうですね。M-12「Open your eyes」と同時進行で作っていました。曲作りはだいたい2曲とか3曲を同時にやるんですよ。たとえばM-3「新世界」とM-7「Free」とM-9「パッキャマラード」の3曲はセットで作っていて。
●その3曲に何か共通点があったりする?
深沼:3曲とも曲調が違うんですけど、逆にこんなふうに全く違うリズムの曲を同時に作るほうが自分的にはバランスが良いんですよね。今年の頭くらいから曲作りを始めて、最後のほうにできたのがこの3曲です。
●ちなみに、曲作りはスムーズだったんですか?
深沼:曲作りに関してはもはや掃除、洗濯の勢いでやっているというか(笑)。時間さえあれば、絶対にできると思っているんです。とにかく数を作るので、シビアに1曲をじっくり作るとかはやろうと思ったこともないですね。
●それは昔から?
深沼:昔からですけど、最近は特にそうですね。20曲くらい作ると、絶対に1〜2曲は良いんですよ(笑)。そういう感覚でやっています。
●とにかく数を作って、その中から選んでいくと。
深沼:今回もたくさん作りましたね。途中でどんどんフルイにかけて落としていくんですけど、“この先に進める価値はない”と思ったらそこでやめる。だから形にするまで残ったのが、今回の12曲ということですね。そこから最後に歌詞を付けていきました。
●歌詞は最後に付けるんですね。
深沼:逆にタイトルが先に思い付いていて、そのタイトルに相応しい曲を書いたりすることはありますね。「パッキャマラード」とかは、3曲競合で作りましたから。
●ちなみに“パッキャマラード”って、何のことなんですか?
深沼:フランス語ですね。本当は「オ・パッキャマラード」なんですけど、「クラリネットをこわしちゃった」(童謡)のフレーズですよ。
●「オ パッキャマラード パッキャマラード パオパオパパパ」っていうやつですね。あ…、この曲の歌詞にある「子供の頃からどうしてもさ 意味が分からない歌のワンフレーズ」というのはそれのことですか。
深沼:昔から意味がわからなくても、みんな放置しているものってありますよね。それの1つです。
●タイトルでいえば、アルバムタイトルの『CLOUD CUTTER』はどんなイメージで?
深沼:厚い雲を切って、光が差してくるようなイメージですね。このアルバムがその媒介となるようなものになったらいいなと思って付けました。タイトルは何か始まりをイメージするものにしたいとは思っていたんですよ。
●それはなぜ?
深沼:活動休暇中の8年間で色々なことをやってきて、本当は30歳くらいで辞めようと考えていたミュージシャンという仕事が自分はよっぽど好きなんだなと思ったんです。というか、これしかできないなと。そういう自覚を持った上で、世に出るキッカケになったバンドの方にまた戻ってきたというところで、自分としての新たな始まりでもあるから。
●最初は30歳くらいで辞めようと考えていたんですか。
深沼:やっぱりロック自体が限られたフォーマットだと思うし、個人的にもアルバムを3枚くらい出して解散するようなバンドが好きなんですよ(笑)。
●そういうバンドのほうが多いですしね(笑)。
深沼:ロックバンドって、アルバム2枚目くらいまでで十分だと思っていて。ある意味では、自分もそういうバンドでありたいと思っているんです。
●でもPLAGUESはここまでで8枚のアルバムを出してきたわけで…。
深沼:ロックバンドなんて本来、20年もやるものじゃないんですよ(笑)。…と思っていたんですけど、“そうじゃないな”という気持ちになったというか。やっぱりバンドが好きだし、良いメンバーがいて、今まで書いてきた良い曲たちがあって、“20年もやってみるもんだな”と思ったんです。そこが一番、考え方の変わったところかな。
●かと言って、ただの過去の焼き直しみたいなアルバムじゃなくて、進化も感じさせるアルバムにしないと今やっている意味がないわけですよね。
深沼:それはすごく思いましたね。サウンドプロダクト的には、まとめるのが上手くなったという面があって。音を作っていく上で、上手くコントロールできるようになったというか。たとえば今作には堀江くん(Key. 堀江博久)が参加しているのでキーボードを前提としている曲がたくさんあるんですけど、いかにもキーボードが入りそうなM-4「前兆を待つ」にはあえて入れていないんですよ。そういう曲でも“これはギターだけで大丈夫だな”というふうに冷静に判断できるようになったところは、昔と違う部分ですね。
●ちゃんと客観的に判断できている。M-11「Special one」では、堀江さんのキーボードがすごく印象的でした。
深沼:こういうメロウな感じの曲は昔のPLAGUESでいうところの「言葉にならないよ」(『センチメンタル・キック・ボクサー』収録)みたいなタイプで、よくある形ではあったんです。でも当時だと“こういうことをやりたい!”という意識が先行しちゃっていたものが、今は“もっとサラッといこうよ”という感じでやれるようになりましたね。
●やりたいことを全部詰め込むんじゃなくて、バランスを見て取捨選択できる。
深沼:人のプロデュースをする時には全てのパートを自分で作るので、全部わかった上であえてやらないことの重要性がわかるようになって。“ここでそういうものはいらないな”という判断ができるようになったことは大きいですね。
●バンドのメンバーでもあり、プロデューサーでもあるような視点を深沼さんは持っている気がします。
深沼:昔からそうしたいと思ってはいたけど、全然そこに至っていなかったんですよ。できるようになったのはやっぱり、音楽に対してバンド以外の接し方もやってきたからでしょうね。
●キャリアを経てきた上で、ちゃんと今の自分がやる意味のある音楽を鳴らしている。
深沼:これからはキャリアの長いミュージシャンが増えていく時代かもしれないけど、そういう感覚はすごく重要になってくる部分かなと思います。今はそれが可能な時代ですからね。
●“ロックスターは27歳で死ぬのがカッコ良い”みたいな価値観が1つある中で、PLAGUESはそれとは違う1つの在り方を体現しているバンドなのかなと思います。
深沼:昔は27歳で死ぬ(ような音楽の)ほうがビッグビジネスだったわけじゃないですか。でも今はそれがビッグビジネスにならなくなった分、もっと長く生きる術もあるんじゃないかと思うんですよ。たとえば僕が自分のスタジオを作れて、そこであらゆることができてしまうことによって、仕事がなくなってしまっている人も当然いるわけで。それが良いか悪いかということではなくて、そうすることで自分はミュージシャンとして新たなモチベーションを持って長生きできている部分があるんですよね。
●そういうモチベーションがあるから、次の作品をという気持ちも湧いてくるのでは?
深沼:そういう気持ちは普通にあります。結局、今回は完成までは至らず録らなかった曲もありますからね。自分の作業量が多いので、出し切った感は毎回大きいんですけど…。
●しかも深沼さんの場合、PLAGUES以外にも色んな作業がありますからね。
深沼:基本的に同時進行が当たり前というか。今作のレコーディングの合間に、佐野さん(佐野元春)のレコーディングもしましたからね。ツアーの合間にも全て、佐野さんのツアーのリハーサルが入っていたりして。
●よくそれだけの作業量がこなせるなといつも思います…。
深沼:それが当たり前だし、それくらいの処理能力がないと生きていけないというか。「1ヵ月間あげるから、良い曲を書いて」と言われるよりも、「全然時間がないのにできるわけがないだろ!」って言いながらやる方が僕は面白いんですよね(笑)。
Interview:IMAI
Assistant:Hirase.M