3/17に配信シングル「Wonderer」をリリースし、現在全国ツアー“Wonderer Tour”真っ最中のNothing’s Carved In Stone。同バンドのフロントマン・村松拓を追う当連載では、3回目の緊急事態宣言が発令された中、たっきゅんの近況と最近考えていること、そして現在敢行中のツアーの手応えやステージでの心境について訊いた。
毎回しゃべってるばかりになっちゃってるけどいいのかな?
仕方ないですよね。でも前回のインタビューの反応を見ると「前半の真面目さと後半のバカバカしさの差がいい」と好評でしたよ。
「今後連載で何しようか?」という話を後半にしていたじゃないですか。あの話についてメールも来ていて、「色々な企画をやるのも楽しいと思うけど、2人でしゃべっていることで拓さんの考え方がわかるから嬉しい」と言ってくれる人も居ました。
いやいや、そんなことないですよ。ここ最近はずっとそう思います。何かについて僕がちょっと話したら、「いつの間にこんな真面目な話しているんだろう?」と拓さんが自問するくらい深い話が出てくる。
最近そんな感じなんだよね。この間も“気付いたら真面目な話しているな”と思ったことがあって。7分くらいの短いインタビューがあったんだけど、それでも真面目な話になっちゃって。
コロナのこととかツアーのこととか。今受ける取材は自然とそういう感じの話になるから。
言っていることの重みが伝わってほしいわけではないけど、重みがある程度無いと流されてしまうし。意味が伝わらなくなってしまうから、丁寧に説明しようとして長くなるんだけど。
でも拓さんは、取材で受ける質問を想定して予めしゃべることを考えているわけではないでしょ?
昔からそうですけど、思考が深いですよね。ふと質問したことにバーっと話が出てくるから「よくそこまで考えているな」と思うことがよくあります。
うーん、理屈じゃない気もするな…。もしかしたら考えなくてもいいことかもしれないけど、思考の道がいくつかあったとしたら、全部一度通ってみないと気が済まないと言うか、通ったことのない道は残したくないという感じがする。
なるほど。興味が出ちゃうのかな? グロい系の映画や漫画とか、理不尽に人々が殺されて痛快に復讐していく創作物に興味が湧くことは多いかもね。そういうのって「どういう風に考えたらこうなるんだろうな?」と考えながら見るじゃん。でもそんなの普通だよね?
普通ですけど、物事を表面的に受け取っていない感じがします。真理を見ようとしているというか…本質かな。物事の本質。
視点を変えて考えていないのかも。バンドについても、今ライブをすることと、お客さんが来ること、それを良しとしないこと…本当に色々な視点があるから、「どういう視点に立つのがいいのかな?」と考えちゃいけないというか。色々な視点がある上で「自分はこうです」と言えるようにしておく。
なるほど。色々な人の視点になって考えるというのは、ある意味危険性もあるじゃないですか。自分の意見を無くすという。
そういうことですよね。俺ね、最近聞いて感動したのは、「みんながんばって生きていて、みんなそれぞれの正義があって、そういう人たちが一緒に生きていく」という言葉なんですよ。当たり前だけど、そうだよねって。超シンプルだけど、そういうことだよねって感動して。
0か1で決めることが出来ないし、みんなががんばって生きていく中で、いろんな力学が働いていて。その力学がどういう方向に働くかは時と場合によって違うじゃないですか。「みんながんばって生きていて、みんなそれぞれの正義があって、そういう人たちが一緒に生きていく」か。うーん、なるほど。
いや、伝わってます。話はすごく腑に落ちるけど、じゃあどうしたらいいのか? ということを考えてみると、パッと答えが出てこなくて。…結局は自分しかないのかな?
そうですね。そこは難しいことだけど、「自分は何が好き」とか「自分は何がしたい」というプロフィールの中に、他人を入れて考えることもありなんだなと。
あっ、またなんか深いこと言った! 「プロフィールに他人を入れる」ってどういうこと?
「一緒に居る人は笑っていたほうがいい」ということをプロフィールに入れるんですか?
自分の中のね。そういう風に生きていけたらいいなと思う。すごく大きくざっくり言っているけど、そういうことも必要だなって。自分だけじゃなくて。
俺も最近気付いたことなんです。「自分がやりたいことを追求することが他人に対する優しさでもある」というラインの中で「他人に優しくしたい」という項目もちょこんと入れたら、すごく腑に落ちる。そうしたら他人と関わるときも優しくなれるというか、自然なんですよ。
色々考えていて。最初の頃のことを忘れているんじゃないかなっていうのはなんとなく思っていたことなんですよ。
独立して流されないようにがんばらなきゃいけないと思って、そういうときは自分のことばかりになっちゃうのは自分でもわかっているんけど、不安なんですよね。「何か忘れてないかな?」って。
最初に始めたときとのギャップがあるというか。「自分が叫びたいことを叫んでます」と思っていたときとのギャップが…利己的な部分とか、落ち着いたり安心したりするところで自分を納得させている部分がやっぱりどこかあって。これから先の事を考えたら、「やりたいこと」と「このやり方で合っているんじゃないか」ということが全部一緒くたになっているから。そう考えていてなんとなく出てきた答えのひとつ。
「ヤバいな。どうする?」となって瞬発的に出てきたことって根本的な自分だから、嘘つけないじゃん。やっぱり自分が好きな人とか仲のいい友達とか、そういう人たちに笑っていてほしいと思う気持ちはあるじゃないですか。場合によってはそこを忘れちゃうから、「プロフィールに入れる」と言いましたけど、その内容を見直そうかなという話です。
今の話を自分に置き換えて考えているんですけど、それによって生き方は変わりますか?
わからない。それはこれからかな。それでこれからどうなるかとかは全然考えていないけど、「そう考えると見落としていたな」と気づくことが結構あるから、今からでもやらなきゃいけないなと思うことはいくつかある。それをやったら確かに人生は少し変わるかもしれない。
興味深い話ですね。その話を聞いてふと思ったんですが、僕は仕事をやっていく中で、関わる人との目線の違いに「あれ?」と思うことが前から気になっていて。例えばクライアントからお金をいただいて、その対価としてサービスを提供する…その関係は対等だと思っているんですが、そういう中で相手の態度から「金を払っているんだから」と感じることがある。
相手も意図的ではないんですよ。悪意があったり偉そうにしているわけじゃないんです。でも例えばふとしたメールで「すみません。私の指示が間違っていました。修正お願いします」と書いているとすると、なぜここで“指示”という言葉を使うのか? ということに引っかかるんです。
それ、わかります。全く違う話かもしれないけど、言葉のイメージって人によって違うじゃないですか。今は違う意味で使われている言葉…例えば「役不足」とか。今は「役に対して力不足」という意味だけど、昔は「その役はその人には足りない」と逆の意味だったの。
そういう風に、全く違う言葉のイメージを持っている人っていっぱい居るじゃん。
例えば配達してくれた宅配の人に対して俺は「ご苦労さまです」と言わないんですよ。なぜなら「ご苦労さまです」って上から言っているから、「ありがとうございます」と言うようにしている。山中さんのメールの相手は、そこを理解していない可能性はあるよね。“指示”という言葉のイメージ。
それはおっしゃる通りだと思います。でもその人だけじゃなくて、複数の人からそういうニュアンスを感じるんですよ。ということは、社外の人間に対して普通に使っている言葉なんだなと。
ということだね。みんなそういう言葉を普通に使っているんだね。
あとこれは別の例ですけど、「アプルーバルが終わっていないので少々お待ち下さい」というメールが来たことがあって。
ですよね(笑)。そこで僕は「申し訳ないですがアプルーバルは初見の言葉なのでニュアンスがわからないんですが、具体的にはどういうことですか?」と質問したんですが、“アプルーバル”という言葉の意味自体については何もコメントがなくて。「社会人なんだから“アプルーバル”なんて知っていて当然」と笑われる話かもしれないけど、自分のコミュニティで使っている共通言語を当然のようにコミュニティ外の人に対して使うのは、想像力に欠けるんじゃないかと。
2つの例は同じ現象を表している話ではないですが、僕の解釈として“指示”も“アプルーバル”の話も目線が違うと思ったんです。相手は上から目線のつもりでは全然ないかもしれないけど、関係性としては健全ではないんじゃないかなと。
この話はよく拓さんと話していることに繋がるんですけど、僕はお互いのメリットがないとその関係性は長くは続かないと思っていて。そういう意味で、“指示”も“アプルーバル”も一方通行な関係性を強いているなと。
一方で、別に言葉で確認し合ったわけではないんですが、お互いのメリットをお互いが意識して関係を続けてこられている人も居て、そういう人には本当に感謝しなきゃいけないなと。多くはないですけど、拓さんもそのうちの1人だと思っていて。
さっき拓さんが「自分のプロフィールの中に他人も入れていいんじゃないか」とおっしゃいましたけど、僕も今言ったような人たちを自分のプロフィールに入れたら変わるかな? と考えていたんです。
最近歌録りがひと段落して、また曲を作りましょうという感じです。
ツアー初日の渋谷CLUB QUATTROですが、かなりよかったですよね。
約1ヶ月ぶりのライブでしたけど、ざっくり言うとほぼライブが出来ていない1年じゃないですか。なのに、よく自信満々でライブが出来たなと。観ている側に一切不安を感じさせない頼もしさがあって。
でも1年間ほとんどライブが出来ていないわけだから、“鍛錬に裏付けられた自信”という話でもないと思うんですよね。
ツアー最初の渋谷CLUB QUATTROですけど、「Dream in the Dark」がね…。
1日目は大丈夫だったんだけど、2日目のライブで…MCの後に「Dream in the Dark」だったんだけど、拍手が鳴り止まなかったのかなんなのか、“もう来ないだろうな”と思っていた感動の波が来ちゃったの。「Dream in the Dark」の歌詞の内容のことも、コロナのことも、ツアーをやっとまわれているということも含めて、初めてボロ泣きしちゃって。
2/27のSPECIAL ONE-MAN LIVE “BEGINNING 2021” feat.『PARALLEL LIVES』でもそういう瞬間があったような気がしたんですが。
やっぱりステージに立ったからには泣いたりとかじゃなくて、ちゃんと歌いたいんです。
丁寧に歌い切りたい。歌を楽しんでもらいたい。結構そこは俺のプライドなんだけど、無理でしたね。以前この連載で「まるで毎日ライブをしていたかのように同じクオリティでライブをしていたい」と話したと思うんだけど、たぶんメンバーはみんなその準備をしているんじゃないかな。
うん。そうだと思います。ステージからそれが伝わってきました。今まで何度も同じような話を聞いていますけど、このバンドが結成当初から突き詰めてきたことは間違っていなかったということが、コロナになってからのライブですごくわかる。
めっちゃ嬉しい。それいちばん嬉しいですね。ライブしたいな〜。
Nothing’s Carved In Stone Official Website
https://www.ncis.jp/
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