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Nothing’s Carved In Stone Vo./G.村松拓 連載『続・たっきゅんのキングコングニー』
Vol.5:たっきゅん、2017年を締めくくるコラムと写真の巻

Vol.5:たっきゅん、2017年を締めくくるコラムと写真の巻

 
 
 
 
 
 
 

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column

 
 
 

 今日って日はどうかしてると思う。

 世田谷通り。三軒茶屋から246を右折した。

 カーナビは下らないテレビ番組。小さい頃からテレビっ子の理由は両親の影響だろう。土木関係の会社で働いている父親は毎日夕方六時には帰宅してその日二度目の汗を流し、その余韻とともにテレビに齧り付いては三度目の汗を流すような人だ。〜〜

 
 
 
 
 これはこれは…何と忌々しい(笑)。
 
 
 
 
 何年も前に書きかけたとても小説と言えないチラシの裏の言葉達、ふとPCに見慣れない文書ファイルがあるなと開いてみたファイルが、まさかのこれだったとは。この先は恥ずかしくてとてもじゃないがここに載せられない。
 
 
 
 
 完全に削除したつもりだったのに。見てシマッッタよ…。
 
 
 
 
 
 
 
 
 最近PCの復元をしたばかりなので多分それが原因。Walking Deadのゾンビ達のように完全に脳(HDD)を破壊せねば。また復活して追いかけてくるのか。普段は頭の中で浮浪浮浪して、夜な夜なワラワラと集まってくる苦い方の初体験の思い出のようである。
 
 
 
 
 まず、今日コラムを書き上げる為にこの何ともやるせ無い気持ちを浄化するためのビールが必要だ、が、冷蔵庫はすっからかん。今日は昨日までとはうって変わって東京は冷え込んでいるのです。こんな時に外に出るわけにはいかない。広瀬香美じゃあるまいし。絶好調に風邪ひいちゃうよ。しかし今どうしてもビールが必要なのだから何とかしなきゃならん。
 
 
 
 
 
 
 
 
 そして今15分後、ただいま〜と一人呟きながらプシュっ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 2017年。念願の対バン、イベント、SHIKABANE弾き語り、台湾上海ツアー、(小田原からヒッチハイク、樹海でテント泊しながらの誕生日)。何かと初体験。ロストバージンイヤーである。
 
 
 
 
 今後の我々に必要なアイデアとガソリンがたっぷり溜まった。台湾の臭豆腐を食べてアイヤー。上海の街並みにアイヤー。アイヤーショックに打たれた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 その土地で暮らしている人々の営みがその国そのものだと、やはりそうなんだと実感した。この感覚はこれからの財産になるだろうし、より沢山の人と交わる為にも、我々はさらに外に出て行くべきだと思った。このバンドと自分を使ってスタッフや沢山のファン達とすばらしい経験を共有していきたい。夢が広がるばかりなのです。
 
 
 
 
 
 
 
 

 『外に出て行く』

 
 
 
 
 
 
 
 
 これは当たり前のようで当たり前でない。実は自分でないものとの出会いの連続だから、ロストバージンの連続を実行することなのである。よくある大切にとっておいて大好きな人に捧げたいというあれ。操(みさお)的感覚のそれは美しいことで否定しないが、場合によっては軽〜く捨ててしまった方がいいバージンもあるんじゃないか(物理的に危険な場所や危険な人間の元へ行けってことでは無い)。
 
 
 
 
 自分より若い人を見て思う。いつの間に恐怖心を持ったのかを。
 
 
 
 
 子供は経験が無い代わりに恐れが無い。恐怖心が無い代わりにアクセルに遊びが無い。常にフルスロットルなのだ。つまりフルスロットルで怪我をする。とんでもない怪我をして、そのおかげでアクセルに遊びを作る。ブレーキングやハンドリングを学ぶのだ。そうすると段々ツーリングごたる周りの景色が楽しめるようになる。段々見えるものが変わるのだ。すると見たいものが変わりまた新しいものに出会える機会が来る。そしてそこに行く為に、時にはアクセルを踏む。べったり踏む。そこに思わぬチャンスがあったりして昔から見てきた景色が突然輝いたりする。時には見えなくなることも、ある。
 
 
 
 
 我々はそんな当たり前の成長をしてきたのだ、ワクワクしながら。なのになぜいつまでたっても外の世界に踏み込んで ゆく事は怖いのか。アイデンティティの概念があるからだと思う。飛び込み続けて山程付けたかさぶたの跡はもはやちょっとしたアイデンティティ山になっている。今は意味のなかったものは一つとしてないのだ。崩す事は簡単じゃ無い。
 
 
 
 
 
 
 
 
 僕が思うのは、
 
 
 
 
 その山を崩す経験は、『自分を変える出来事』だとわかっている人
 
 
 
 
 そういう人が外へ出て行く事を怖がるんだということ。勿体無い。ワクワクして自分を使う機会を失っている。
 
 
 
 
 こう考えるべきだ。
 
 
 
 
 自信がないのはなぜなのか?
 それは承認欲求に自分が負けているのだ。
 自分に負けている。
 
 
 
 
 自分に自信がある人間は根本的には自分のことを喋る必要などない(コミュニケーション能力の話ではなくて)のと一緒で、本当は自分は自分でしかないのに。
 
 
 
 
 その自分自身を見る方法はやはりどこまで行っても鏡を使うしかない。しかしその鏡を探しに行く事が外へ出て行くという事なのだと考えるとワクワクしないかな? 思わぬことを考えたり、楽しめる自分だったりしてしまうかもしれない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 鏡はたくさんあってそこに映る自分はどうなんだって事。
 
 
 
 
 経験にはその鏡を変えてしまえるパワーがあるという事。
 
 
 
 
 その鏡に感謝は忘れずに。
 
 
 
 
 
 
 
 
 今年も沢山の鏡に出会えたな〜感謝に尽きます。
 
 
 
 
 ついにNothing’s Carved In Stoneは10年目を迎えました。
 『Mirror Ocean』、鏡の海と名付けた音達を来年リリースします。どうか皆様聴いてくれだぜ。よろしくお願いします。
 
 
 
 
 
 
 
 
 よいお年を。
 
 
 
 
2017年12月
村松 拓

 
 
 
 
 
 
 
 

当連載へのメッセージや感想、2人にやって欲しい企画案はyamanaka@hirax.co.jpまで!!

 
 
 
 
 
 

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