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hozzy(藍坊主) × 村松 拓(Nothing’s Carved In Stone)

2/1(WED)@LIQUIDROOM presents “UNDER THE INFLUENCE” SPECIAL TALK SESSION hozzy(藍坊主) × 村松 拓(No thing's Carved In Stone)

 昨年8月、恵比寿LIQUIDROOMにて開催された藍坊主とTHE BACK HORNという2マンに思わずテンションが上がった読者も多かっただろうが、今度は藍坊主とNothing's Carved In Stoneによる2マンイベント“UNDER THE INFLUENCE”の開催が発表された。

そこで今月号のJUNGLE☆LIFEでは、両バンドのヴォーカリストを招いてSPECIAL TALK SESSIONを敢行。

今まで対バンしたことがなかったという両者が初めて顔合わせしたフロントマン対談。表現者/ヴォーカリストとしての芯に迫った。

Interview

「俺はけっこう鳴らす前にごちゃごちゃ考えちゃうんですよ。だからNothing's Carved In Stoneみたいに、音にインパクトがあるとすごくいいなと思うんです」

「藍坊主の歌を聴くと、日本語とか英語とかそんなものはぶち抜いた場所で存在をリアルに鳴らせていると感じる。俺の課題としている部分が藍坊主にはあるんだと思ったし、本当にかっこいい」

●2人がこうやって顔を合わせるのは今日が初めてということですが。

村松:以前イベントでライブを観たことはあるんです。AXの2階席に入ったらちょうど藍坊主が演奏していて"ギターの音がいいな~"と思った記憶があります。ABSTRACT MASHのDr.榊巻が「かっこいい! かっこいい!」と、めちゃめちゃ感動していました。

hozzy:榊巻さんが前にやっていたバンドと俺らは、インディー時代によく対バンしていたんですよ。榊巻さんは村松さんと幼なじみらしいので、ちょっとだけ繋がりはありますね。

●でもバンドとしての接点はほとんどなかったんですよね。今回2マンをやることになったきっかけは?

hozzy:前回THE BACK HORNと恵比寿LIQUIDROOMプレゼンツで2マン(2011年8月)をさせてもらったのが好評で、スタッフの皆さんからも「またやろうよ」と言っていただけたんです。そこで、ウチのDr.渡辺拓郎が以前からずっと「Nothing's Carved In Stoneとやりたい」と言っていて、俺らも今までやったことのないアーティストと対バンしたいと思っていたので、声をかけさせていただいたんです。

村松:俺らも今までいろんなバンドと対バンしてきたんだけど、藍坊主はガチガチの歌モノっていうイメージがあったんですよ。藍坊主は昔と比べてガラッと音楽性が変わってはいるとは思うんですけど、歌を芯に持っているバンドっていう印象が強くて。もちろん俺もそういうつもりでNothing's Carved In Stoneをやってはいるんですけど、少し違うタイプだと思っていたので今回の話が来たときはびっくりしましたね。でも実は、俺は「"歌"をやりたい!」という気持ちがどんどん強くなってきていて、この2マンはいい刺激をもらえそうな予感がしていてとても楽しみなんです。

●お互いの音楽に対してはどういう印象を持っていますか?

hozzy:村松さんは所々で声が外人っぽい瞬間があるというか…胸の辺りから鳴っている感じの声っていうんですかね…そういう声が出る瞬間があって、すごくかっこいいなと思いました。それに何より、俺は英語ができないんですよ。藍坊主に「マザー」という曲があって、少しだけ英語で歌詞を書いているんですけど、発音がどうしても"ゆあ、まぁざぁ~"って日本人の発音になってしまう(笑)。

一同:ハハハ(笑)。

hozzy:レコーディングのときもディレクションしてくれている人から「もうちょっと英語らしく発音してくれない?」と怒られたりして(笑)。だから英語の上手いヴォーカリストはすごく羨ましいですね。

村松:でも、歌詞を英語にすることで、"発音"という歌への評価基準が増えるという弊害もあったりして。音程とか音楽的なことを除いて、歌に"良い/悪い"はないじゃないですか。気持ちがこもっているかいないかなんて人からは分からない部分だし。俺はもちろんネイティブじゃないから、発音の善し悪しが常についてまわるので、自分でやっていてもたまに"しんどいな"と思うことがありますよ(笑)。

hozzy:アハハ(笑)。それでもやっぱり自分といちばん違う部分だから、英語詞で歌えるヴォーカリストに憧れがありますね。あと、曲のアレンジやバンド感もすげえかっこいいじゃないですか。ライブで観たらもっとかっこいいんだろうなと想像して楽しみになりました。

●村松さんは藍坊主の音楽に対してどういう印象を持ちました?

村松:やっぱり"歌モノ"ですよね。ウチはいわゆる"バンドサウンド"が売りになっていると思うんですけど、藍坊主は歌が芯にあって、歌がちゃんと伝わってくるバンド。正直、ヴォーカルの存在感の大きさは羨ましいと思います。先日武道館公演があったそうですけど、想像するにきっとヴォーカルがすごく映えて様になるんだろうなと。俺の課題として、ステージ上からいかにリアリティを持って英語で伝えられるようになるか、というのがあって。やっぱり日本人だから"英語で歌うことで多少嘘くさくなる部分があるんじゃないか?"とか"それが本当に自分の言葉なのか?"と、たまに自分自身で引っかかることがあるんですよね。

hozzy:そうなんですね。

村松:でも藍坊主の歌を聴くと、日本語とか英語とかそんなものはぶち抜いた場所で存在をリアルに鳴らせていると感じる。俺の課題としている部分が藍坊主にはあると思ったし、本当にかっこいいと思います。俺はずっと英語詞ということばかり気にして考えていたので。

hozzy:でも曲を作って最初にメロディを乗せるときはなぜか英語なんですよ、歌えないくせに(笑)。英語っぽい雰囲気ってなんか気持ちよくてついやってしまうんですよね。で、いざ日本語で歌詞を付けるときが大変なんです。あまり気持ちを込めすぎて歌詞を書いても、もともとのメロディの良さが死んでしまう気がするというか。村松さんがおっしゃっているのは、日本人として伝えたいことというか、説得力みたいなものをNothing's Carved In Stoneにも欲しいということですよね?

村松:そうですね。まさにその通り。

hozzy:でも俺からすると、Nothing's Carved In Stoneは日本語とか英語とか関係なく、ぱっと一聴したときにかっこいいということが伝わってくるからすごいと思うんです。俺はけっこう鳴らす前にごちゃごちゃ考えちゃうんですよ。だからNothing's Carved In Stoneみたいに、音にインパクトがあるとすごくいいなと思うんです。

●今までNothing's Carved In Stoneのライブを観たりインタビューをしてきた中で、村松さんの伝えたい欲求がどんどん強くなっているように感じるんですが。

村松:そうですね。ツアーをやるごとに、そういう意識は自然と強くなっています。というか、ABSTRACT MASHでは自分が中心だったから、今まで改めて考えたことはなかったんです。でもNothing's Carved In Stoneでは、最初はそれまでの経過というか歴史のあるメンバーの中に、キャリアのない俺がポンと入って4人でやっている感じがあったというか。

●ああ~。

村松:そこでただリアリティを鳴らすだけではバンドとして物足りなかったんですよ。もっと前に出て、言葉を使って、わかりやすく伝えていかないと……ヴォーカルが先頭に立って鋭く突っ込んでいけるバンドにならないといけないと思うし、ヴォーカルとして引っ張っていきたい。自然とそういう風に思うようになっちゃった(笑)。ヴォーカルとして毅然としなきゃいけないっていうか。

●なるほど。

村松:でもヴォーカルが"ヴォーカル然としていたい"と思う時点でヴォーカルではないわけですよ(笑)。そういう意味で、最初は焦りもあったし、無理にフィットさせようとした結果、いろいろ抜け落ちちゃったものもあったというか。だから今は改めてそれを補充しているところなんですよね。そして、今の自分が欲しいと思っているものが、まさにhozzyくんみたいなヴォーカルらしさなんです。

hozzy:でも俺も決してバンドを引っ張っていくようなタイプではなくて。ウチのバンド自体、時期によって引っ張る人が変わるんですよね。その時々で調子のいい奴が先頭に立つんです。他のメンバーは先頭の奴についていく。もちろん俺ががんばったこともありますし。俺らは4人でライブをやっていて、決して俺だけが目立つポジションにいるわけじゃなくて。

村松:でも"歌モノ"っていう印象があるんですよね。

hozzy:そう思ってもらえるのは、やっぱり中心にメロディがあって、歌詞があって、アレンジとかもいかにがんばれるか、それを今もやっているし。

村松:そうなんだ。

hozzy:村松さんは最近日本語の歌詞も書くようになりましたよね?

村松:そうですね。日本語の曲は伝わっていることを実感しやすくなったし、やっぱり一緒に歌えるのが嬉しい。求めていた大きなもののひとつを掴めた感じなのでよかったなと思います。あと、日本語になったことでかっこつけやすくなりましたよ(笑)。歌いやすくなった(笑)。

hozzy:ハハハ(笑)。

村松:俺、まずは形にこだわるタイプなので、いいことなのか悪いことなのかわからないけど、"ウチのバンドとしてのかっこいい方向"を考えがちなんですよ。"俺がこうだからこうしたい"ではなくて。俺はリアリティを伝えるため、ウチのバンドの存在を鳴らすためのスピーカーの役目をしたいと思っていて、そのためにはどんなに小さなことも漏らしたくないから、可能性を広げるために日本語の歌詞に挑戦してみたんです。

hozzy:ああ~、なるほど。

村松:それともうひとつは、3月11日の震災以降、世間の音楽の聴き方も少し変わったと感じていて。きっとみんながもともと持っていたものだとは思うんですけど、誰かを支えられるような言葉を日本語で伝えていくのが俺の役目だと思い始めたこともある。

hozzy:うんうん。

村松:取って付けたようなことは言いたくないんですよ。言いたくないんだけど、自分がこんなことをやって、こんな風に思って生きているよと、以前より自分自身を出していきたくなったんです。もちろん「こんなことやってますよー!」なんて歌うわけないんですけど、もっとリアルに向き合って、具体的に自分を伝えようと。最近は特にそんな風に思っています。

●以前のインタビューで村松さんが「自分なりの"青春"を歌詞で表現したい」とおっしゃっていたのがとても印象的だったんですが、hozzyはどんなことを歌詞で表現したいと思っているんですか?

hozzy:"存在"ですね。これに尽きます。"存在"という"もの"じゃなくて"存在"という"こと"。それを音楽で明らかにしたいんです。

村松:ああ~。

hozzy:世の中のいろんな解釈のその先っていうか。"俺が在る"ということが湧き出るところがあるんだと思うんですよ。もちろん俺だけじゃなくてひとりひとりに。愛や悲しみ、苦しみのもっと奥にある意識が湧き出るところのリアリティを音楽にしたい。きっとすごく難しいことで、哲学とか理論的な部分では不可能って言われると思う。でも音楽はただの言葉じゃないから、きっと委ねられる隙間があると俺は思っていて。意識が湧き出るところに近づきたい。最終的にはそこへ感触として近付きたいんです。

村松:俺の書きたいことは、たぶんhozzyくんよりも少しだけ具体的なのかな。俺って、子供の頃から同じ性格のままなんですよ。小学校の文集とかでも「これはこうでした。でもこういうことが駄目でした」みたいに、いつも何かを憂いているんです。何でもマイナスから考える子供で。

hozzy:なんか分かる気がする(笑)。俺も晴れより曇りや雨が好きな子供だったんです。天気が悪くて薄暗い午後に蛍光灯がビカビカ光るのが大好きで(笑)。

村松:同じだ(笑)。

hozzy:晴れている午後は嫌い。蛍光灯が青白く光る下で教科書を開くのがいいんです。ちょっと憂鬱な感じがたまらない。

村松:そうそう! それそれ!

●なんだこの2人(笑)。

村松:そういう憂いている状態が基本にあるんです。基本的にそうなんだけど、だからこそたまにはドキドキしたり熱くなったりキュンキュンしたりすることがないとやっていられないっていう(笑)。

hozzy:ハハハハ(笑)。

村松:そういう気持ちが自然に湧き上がってくるのがいわゆる"青春時代"であって、その感覚は年齢を重ねたからといってなくならないハズなんです。俺はその感覚を"青春"と呼んでいて、表現していきたいなと。それがリアリティに繋がると思うんです。さっきhozzyくんが言ってた"存在"を鳴らすためには"青春"という言葉が近い場所にあると思う。

●歌詞を作るときは、スラスラと書けるんですか?

村松:かなりじっくり考えます。特に日本語は。これはいいのか悪いのか、生きているのか生きていないのか、伝えたいからこそすごく考える。書き溜めてある言葉の中から、どの言葉ならこの歌で広げられるかということも考えるし、自分が適当に歌った鼻歌の中に入っていた言葉に対して"いったいどういう意味があって使ったんだろう?"と考えることもあるし。とにかく何でも考えてしまうんです。

hozzy:俺、適当に思いついた言葉をそのまま歌詞にしたことがありますよ。「柔らかいローウィン」っていう曲なんですけど、山中さん(インタビュアー)に「何これ?」と言われた。

●そりゃ言いますよ! だって"ローウィン、ローウィン、ローウォン"ですよ(笑)。

hozzy:気持ちいいから仕方ないじゃん!

一同:アハハハハハ(笑)。

●歌詞についてメンバーに相談したりするんですか?

村松:俺はNothing's Carved In Stoneに入ってから相談するようになりました。"自分が歌えりゃ問題ない"っていうところから離れたくて。"伝えたい"と思って始めたことだから、ちょっとずつ歌って「どう?」って訊いて、修正しながら。自己満足になることは避けたかったですからね。

hozzy:俺の場合は時期にもよるんですけど、今はメンバーから意見を聞くようになりましたね。要するに今はみんなが納得できるようにしようという時期っていうか。この前出したシングル『生命のシンバル』(2011年12月)は、メンバーもスタッフもみんなが「いい」と言ってくれるところまで詰めたんです。何回もメロディを聴いて、そこで呼ばれるというか、メロディの雰囲気に沿った言葉と意味を書いていったんです。

村松:だいたいそういう書き方なんですか?

hozzy:いや、他にも、敢えてメロディとぶつかるような歌詞にしたり、漢字ばっかりにしたり、いろんなやり方で作っています。だから毎回どういう書き方をしようかと悩む部分はありますね。

●バンドとして表現をしたいという気持ちがある一方で、自分が完全に満足できる表現を追求したいというアーティスティックな気質も持っている2人だと思うんです。自分の中でそういう表現レベルでのせめぎ合いはないのかなと。

村松:ああ~、それは難しいですよね。正直いつもせめぎ合っています。でも、俺は今で終わらせるつもりはないと思っているというか。

hozzy:どういうことですか?

村松:例えば、70人が船で1週間かけてサイパンに行って現地で1日だけ滞在するというような、船の中で起こることが全てという変わった旅があったとしますよね。すると集団生活が主になるわけですよ。

hozzy:うんうん。

村松:そこで俺は「海外に行ってよかった!」というよりも、集団生活であった出来事をくよくよと考えてしまうタイプなんです。

hozzy:思い出すのはサイパンの青い海じゃないと(笑)。

村松:もちろんサイパンは行ってよかったと思ってるけど、みんなと生活した中で俺は意地悪だったとか。そういう部分が根本にあるから、バンドで自分が100%満足することは不可能なんです。でも満足することへの欲求もあるし、できない自分に対してのイラつきもあるから、ずっと方法を探っているところですね。バンドとしての満足と自分としての満足、両方とも諦めてはいない。

hozzy:俺も同じな気がする(笑)。本当にそうですよね。あと、やっぱり時期による。さっき言ったように、俺もメンバーも時期によって調子のいい奴と悪い奴がいるから、バンド内の空気感を見つつそこは決めています。たとえ自己満足だろうが、周りに何を言われようが、今はお客さんが離れたとしても、こうすることで今後の道が開けると思ったら、貫き通す。要するにさじ加減ですね(笑)。

村松:ハハハ(笑)。

●今回の2マンはどのようなライブにしたいですか?

hozzy:今まで対バンしたことのなかったNothing's Carved In Stoneと2マンをやれる場が実現して、絶対楽しいと思うんですよ。間違いないと思う。もちろんガチさはあると思うけど、単純に楽しみたいですね。 Nothing's Carved In Stoneのライブは絶対にかっこいいと思うので、今からワクワクしています。

村松:この対バンのライブを楽しみたいし、バチバチと火花も散らしてみたいし、その日の俺を出したライブをしたいし。とにかく楽しみです。

●当日はお互いを意識したセットリストになるんでしょうか?

hozzy:ウチはギターのユウイチがセットリストを考えてるんですけど、少しは意識したものになるんじゃないかな。

村松:ウチはセットリストをあまりフレキシブルに変えたがらないバンドなんですけど、多少は藍坊主シフトになるんじゃないかと思います。歌い方や歌うときの気持ちに関しては、特に変わらないかな。

hozzy:俺は全部英語詞になるかもしれないです! それも日本語読みの英語に!

一同:ハハハハハ(笑)。

●そういえばhozzyが冒頭で言っていた村松さんの"胸の辺りから鳴っている感じの声"というのは具体的にどういう声のことなんですか?

hozzy:Red Hot Chili PeppersのVo.アンソニーみたいなイメージです。村松さんの声質とは違いますけど、彼のような太さを感じるんです。鼻の辺りから伸びるような、儚げな雰囲気の声の出し方をする日本人が多い中、こういうパワーのある声ってすごく珍しいと思う。だからライブで聴けるのが「やった!」って感じ。

村松:俺の声って親父とそっくりなんですよ。話し声も全く一緒。

hozzy:ということは、お父さんが歌っても目を閉じて聴いていたらわからない?

村松:そういうことになりますね(笑)。

hozzy:それめっちゃ面白いじゃないですか(笑)。

村松:レコーディングは替え玉でもOKですよ(笑)。

interview:Takeshi.Yamanaka

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