ファンキーでソウルフルな楽曲に日本独特の“節”を融合させたサウンドと、ド派手なライブパフォーマンスで観る者に元気を与えるファンク軍団、D.O.FUNK(ディーオーファンク)。
1997年の結成以来、地元・山梨県を中心に精力的なライブ活動を展開してきた彼らが、2ndアルバム『LOVE & HAPPINESS』をリリースする。
今年で15年目を迎える長い活動の中で磨き上げてきたライブパフォーマンスの根底にあるのは、今作のタイトル通りの温かい愛情とみんなを幸せにしたいという願いだ。
“TOYOPET MUSIC SESSION 全国ナイスミドル音楽祭”でもグランプリに輝くなど、折り紙つきの実力派サウンドに乗せて届けるポジティブなメッセージ。自分たちと同じ全国のミドルエイジを勇気づけるだけでなく、ファンクという枠を飛び越えて全ての人に愛と幸せを届ける彼らの想いに、ロングインタビューで迫った。
●1997年に結成されたそうですが、ずっと同じメンバーで活動されてきたんでしょうか?
トム:若干、変わってはいますね。メンバーが増えたりもしていて。
サム:オリジナル・メンバーは7人です。実はトムも2代目のギタリストで、その前に3ヶ月間で1回もスタジオに出て来なかったギタリストがいたんですよ。だから初めて一緒にスタジオへ入ったのは、トムなんですけどね。
●一応、幻のオリジナル・メンバーがいたと(笑)。最初はどうやって集まったんですか?
サム:ドラムのストロベリー・テツと私が音楽仲間で、それぞれ別のバンドをやっていたんです。ちょうどお互いに前のバンドを解散したので、じゃあ一緒に何かやろうという話になって。そこから前のバンドのメンバーやお互いに仲が良かった友だちに声をかけて、基礎になるメンバーが集まりました。
●どんなバンドをやりたいというイメージはあった?
サム:最初からファンクバンドをやろうという話はあったんです。「ファンクがやりたい」とテツがまず言い出して、「こういう感じの音がやりたい」というところでメンバーを集めていって。
●13人もメンバーを集めるのは大変だったのでは?
サム:それは、トムの力ですね。
トム:僕はずっとファンクをやっていたので、たまたまそういう知り合いもいて。でも僕自身も大人数でできるとは思っていなくて、まずは集まった人数でやれることをやってみようかなという感じだったんです。最初はコピーから始めたんですけど、徐々に前進していく中でホーンやコーラスが欲しいという話になったんですよ。
●活動していく中で必要なメンバーを加えていったと。ちなみにトムさんは元々ファンクをやられていたということですが、サムさんはどうだったんですか?
サム:私は元々、それほどファンクを好きだったわけではなかったんです。ただ、ちょうどその頃に、パウロ・メンドーサというアーティストの音楽にハマっていて。それがちょっとロック寄りのファンクだったので、テツにそういう音楽ならやりたいと言ったんですよ。でも最初は本当に何となくで始めたので、なかなか話が進まなくて。トムが加わったことによって、どういうことをするかという具体的な案が出てきた感じですね。
●トムさんが入ったことで、方向性が見えてきたと。
サム:そこまではバンド名すらなかったですからね(笑)。最初は本当に、ただの飲み友だちの暇潰しに近い部分があったんですよ。
●最初はCDのリリースをするような本格的な活動をイメージしていなかった?
トム:最初から「いずれCDも出したいね」と言っていたんですが、そのためにどうするかというイメージはなくて。「仕事をしながら楽しくやれたらいいよね」というくらいの感じでした。まず山梨の中でガツガツやって有名になろうということで、ライブはかなり精力的にやっていたんですけどね。
●ファンクというジャンル自体も一般的に裾野が広いとは言えないでしょうし、バンドの人数も必要なので活動を続けていくのは大変だったのでは?
サム:最初は必要な時にだけ、サポートでホーンを入れていたんですよ。でもアレンジを担当しているトムが常に入れようと言い出したので、それならもうホーン隊ごとまとめて組み入れちゃおうということになりました。
トム:ライブを重ねる内に、D.O.FUNKはホーンがいて迫力があるというイメージが定着してきて。そこで今までは別のユニットとしてやっていたメンバーが、全て加入することになったんですよ。
●ホーン隊は元々、別のバンドだったんですね。
サム:ホーン隊はソウルスティーラーズという名前で活動していたんですが、D.O.FUNKにまとめて入ってもらいました。
●そもそも"D.O.FUNK"というバンド名にはどんな意味を込めているんですか?
トム:一番最初は"ドファンク"ということで付けました。
サム:もしくは英語の"Do Funk(ファンクをする)"という意味でもあって。ドットを付けることで、みんなに"どんな意味だろう?"と思ってもらうことが狙いでしたね。
●どちらの意味にしても、ファンクをやることへのこだわりを感じる名前ですよね。
サム:私も最初に聞いた時は、ずっとファンクをし続けていかなきゃいけなくなるんじゃないかと懸念したんですよね。"自分たちの方向性をそこまで絞っちゃっても大丈夫なのか?"と。でも彼(トム)がやんわりした感じでゴリ押ししてきたので…(笑)。
●トムさんのゴリ押しだったんだ(笑)。
サム:後から聞いたら、トムは高校の先輩でもあることがわかって。私が3つ年下で彼が卒業した後に入学しているので、面識はなかったんですが。ゴリ押しされている感じだけど、先輩だし仕方ないかという気持ちも心の奥底にちょっとあったというか…。
一同:(笑)。
●メンバーの年齢は30代前半から50代後半とバラバラなので、逆にこれほど離れていると年齢差は気にならないのでは?
サム:そうですね。元々、テツと私はちょうど一回り離れているんですけど、ただの飲み友だちですから。彼もたまたま高校の先輩だったんですけど(笑)。でもそういうことは関係なく、バンド仲間でありメンバーとして付き合っているので、上も下もないんです。
●触れるか触れまいか迷うところなんですけど、メンバーの名前が面白いですよね…(笑)。
トム:実はほとんど、こっちで決めちゃいました(笑)。
サム:私もどちらかというと決められた感じですよ。最初はファンキー・トム以外のメンバーは普通の名前だったんです。でも初ライブをやった時に、それだとおかしいという話になって。飲んでいた時に「お前はサムっぽいよな。あと、ダイナマイトな感じもするから、ダイナマイト・サムでいいや」と言われました(笑)。最初はかなり抵抗感があったんですけど、最近は自分のお店でもサムさんと呼ばれるようになりましたね。
●ストロベリー・テツさんは、イチゴが好きとか…?
サム:(そういう名前を付けるのが)「俺は絶対に嫌だ」と言ったから、逆に恥ずかしい名前ということでストロベリー・テツになりました(笑)。
●ただの嫌がらせじゃないですか(笑)。
トム:でも今では本人も実は気に入っていますよ(笑)。
サム:本人は何度か名前を変えようと努力していたんですけど、その都度こっちが"ストロベリー"と呼んでいたら、5年くらい前に諦めましたね(笑)。
●ハハハ(笑)。あと、ウサギ・ダ・ピョンさんは?
トム:これは本人が自分で決めました(笑)。
サム:私たちもちょっと引いたんですが、彼がどうしてもこの名前がいいというので(笑)。最初の頃はウサギの耳を付けてきて、ファンの女の子にぬいぐるみを配ったりもしていましたからね。
●自分から率先してキャラ作りをした(笑)。
トム:そうやって自分から言ってきてくれるといいんですけど、大体はみんな恥ずかしがって。自分からはなかなか言わないので、こっちで決めてしまいました。
サム:改めてメンバー・クレジットを見たら、"悪いことをしたな"と思いますね(笑)。でも一時期はメールアドレスに入れているメンバーもいたので、意外と気に入っているのかもしれないですけど。
●こういう名前を付けることで、ステージに上った時に気持ちも切り替わったりするんじゃないですか?
トム:そうですね。ステージのONとOFFとの切り替えをした方が、気持ちを切り替えてライブができるんですよ。本名でやってもインパクトがないですし…。馬鹿にされることもありますけど、お構いなしです。
サム:でもメンバー紹介をする時に、名前をよく忘れるんですよね(笑)。
●自分で付けておきながら(笑)。メンバーはやっぱり、ファンク好きが多いんでしょうか?
トム:色んな音楽を聴いている感じで、全員がファンクを聴いているというわけではないですね。
サム:私自身も色んなジャンルが好きなんですよ。自分がやっているお店でも、ソウルからジャズ、レゲエまで色々かけていて。メンバーも個々で別のバンドをやっている人が多いですからね。まずは単に楽器を演奏するために入ってもらって、後からファンクを好きになった人もいます。
●目指すファンクバンド像があったわけではない?
トム:たとえば音楽的にはJB(ジェームス・ブラウン)だったり、大人数という部分だとTower of Powerとかがイメージとしては近いですけど、具体的に"これを目指そう"というバンドはいないですね。
サム:D.O.FUNKなりのファンクなんです。
●それぞれに違うルーツを持ったメンバーが集まって、このバンドでしかできない音を生み出している。
トム:そうですね。コピーだけやっていても仕方ないので、自分たちのオリジナル曲をやるようになって。難しいものよりはキャッチーなものだったり、ステージングの面白さを重要視するようになっていきました。
●ストイックにファンクミュージックを追求するというよりは、ステージングも含めてエンターテインメント性のあるものを目指したんですね。
トム:ライブではみんなで振り付けをして、お客さんも一緒に踊ってもらっていて。普通はファンクって、あまり振り付けとかはしないんですよ。でも僕たちの場合は、一体感で得られる楽しみを特に意識しているから。ライブに来てもらって、「楽しい」と言って帰ってもらえるような感じを目指しています。だから今までは、CDよりもライブを重視してやってきたんですよね。
●曲名や歌詞もシンプルな言葉が中心で、伝わりやすさを重視している感じがしました。
トム:基本的に難しい言葉は使わずに、わかりやすくてキャッチーであればいいかなと思っています。
●それもライブで伝えることを意識した結果?
トム:そうです。曲作りの時に、振り付けも一緒に出てきますからね。"サビでこうしよう"とか考えながら、ほとんどの曲を作っていて。そこは最初からずっと、変わらないんですよ。
●活動の根本には、ライブがあると。
トム:やっぱりライブですね。
サム:でも少しライブをお休みしていた期間もあって。実はほぼ5年くらいは、あまり活動していない時期があったんです。
●2002年頃からしばらく活動休止期間があったんですよね。その理由は何だったんですか?
トム:いつの間にかお客さんが増えていて、自分たちが思っていたよりもずっと大きくなっていたんですよね。
サム:しかも月1でライブをやりながら新曲を作ったりもしていたので、ちゃんと考える時間もないくらいで。"D.O.FUNK"というものが1人歩きしているような感覚があったんです。"こんな形で続けていいのかな?"と思ったので、ちょっと休もうということになりました。
●当初とは違う形にもなっていた?
トム:僕以外は、みんなアフロのカツラをかぶっていたりもして。そういう感じじゃなく、もうちょっと自然体にイメージチェンジしようかなと思ったんです。それで一度休止して、再開してからは揃いのスーツを着るくらいのスタイルに変わりました。
●アフロのカツラをかぶったりして、"ファンクバンド"のイメージを無理に演じていた部分があった。
トム:今よりも自分を作って、ステージに出ていたというか。まあ、彼(サム)はそのままなんですが(笑)。テレビを見ていても、ソウルバンドの人とかはアフロのカツラをかぶっていることが多いんですよね。でも自分たちは何か違うなと思って。そういう人たちとは一線を引いた、違うところでやりたいと思ったんです。自然体というか、本当のスタイルでやりたいなと。
●そこで一旦休止して、また動き始めたキッカケとは?
サム:2005年に私が結婚したんですけど、その前に河口湖でチャリティーコンサートをやって。D.O.FUNKで出てもらいたいという要請があったので、本格的に活動再開するわけではなく一時的にそうやってイベントに出るようになったんですよね。その後、私の結婚式で久しぶりに長いライブをやった時に「もう1回やっていきましょうか」という話になりました。本格的に復活したのはその半年~1年くらい後だったんですけど、良いキッカケにはなりましたね。
●復活後は、またライブの本数も増えていった?
トム:昔ほど多くはないですけどね。
サム:それは私が病気をしてしまったので…。結婚して2年後くらいに、急に血管が切れてしまって脳内出血したんですよ。それによってロレツも思うように回らなくなってしまって、喉も自分が今まで持っていたポテンシャルには及ばないようなものになってしまったんです。
●音楽活動にも支障が出るくらいの重症だった。
サム:それでもみんなが「やろうよ」と言ってくれたんです。最初に倒れてから半年~1年くらいは、もう歌うのは辞めようと思っていて。でもそんな言葉をもらったり、ライブにも来てくれるお客さんがいて、何本かライブをこなしていく内に自分の中でも"できるかもしれない"という自信が付いてきたんですよ。10月に脳内出血しちゃって、その翌年の3月には復活して地元のテレビ番組に出演していましたからね。
●周りに背中を押してもらえて、すぐ復活できたと。
サム:でも今その時の映像を見てみると、ロレツが全然回っていないんですよね(笑)。今考えると、見切り発進だった気はします。そもそも僕が病院に担ぎ込まれた時に、トムがお見舞いに来て最初に言った言葉が、デモテープと一緒に「これが新しい曲だから」って…。
トム:「練習しておいて」と(笑)。
一同:(笑)。
●それは励ます意味でもあったんじゃないですか?
トム:もちろんそうですよ(笑)。
サム:こっちからしたら「死にかけたんだけど!」っていう感じですけどね(笑)。でも渡されたら"聴くか…仕方がねえな"と。
●(笑)。今は完全復活されたんですよね?
サム:自分でも"やっと"っていう感じです。ちょうど5年経って、やっと90%以上は戻ってきたかなと。無理やりにでも使っていたら、勘が戻ってきました。そのまま放置していたら、ずっとそのままだったんでしょうね。歌うことがリハビリになったんだと思います。
●もし音楽を辞めていたら、再びちゃんと喋れるようになっていたかどうかもわからない。
トム:普通はそういう大病をすると周りも止めるだろうし、音楽をやめてしまう可能性もあるのに、僕たちにとってはちょっと怪我をした程度の通過点というか(笑)。まだまだいけるだろうという感じでしたね。本人にとっては大変なことだったと思うんですけど、復活して以降はお客さんも応援してくれて、ライブも引き続き盛り上がっているので良かったと思います。
サム:最初はみんな腫れ物に触るような感じで、「イェーイ!」って言わないでほしいとか、シャウトをすると「切れるから(やめて)!」って言われるような感じだったんです。今回の収録曲でも「THIS IS MYWAY」ですごく高い音を出す部分があるので、そこはちょっとヤバいんじゃないかと自分でも思っていますけどね(笑)。
●ライブで無理すると、また血管が切れる恐れが…。
トム:「切れても演奏は続けるよ」ということで、本人にも確認は取ってあります(笑)。
●スパルタですね(笑)。さて作品の話が出ましたが、今回の『LOVE & HAPPINESS』は15年目にして2枚目のアルバムなんですよね。
サム:活動休止前の段階から2枚目のアルバムを出せるくらいの曲はあったんですが、その頃はメンバー内でなかなか意見も合わない状態だったので「そんな中で出すのはどうなんだろう?」ということになって。今も2枚組にできるくらいの曲数はあるんですが、今回はそこから選りすぐった曲を入れました。
トム:昔よりもそれぞれの仕事とかも落ち着いた状態なのもあって、新しい今のスタイルで楽しみながらCDにしていきました。新たに加わったメンバーからも「CDを作りましょうよ」という意見もあったので、「じゃあ、やろうか!」という感じでしたね。
●音楽的な変化もあったんでしょうか?
トム:ギターを1人増やしたので、アレンジも昔よりファンクっぽい感じが出ていると思います。でもキャッチーな部分とか、基本的なコンセプトとかはあまり変わらないですね。
●今作を聴かせて頂いて、人間味を感じられる温かいファンク・サウンドだと感じました。それは自然体でやるようになったことで生まれるグルーヴなのかなと。
トム:そう言って頂けると、ありがたいです。ただリズムでお洒落にカッコ良く決める感じというより、ファンクを知らない人でも誰が聴いても面白くて耳に残るメロディの曲が今回は多いと思いますね。
●メロディもキャッチーですし、言葉もすごく耳に残ります。歌詞はポジティブな言葉が多いですよね。
トム:そこは意識していますね。以前、"全国ナイスミドル音楽祭"というコンテストに出た時に、関東甲信越エリアのグランプリを頂いたことがあって。去年は東日本大震災の復興イベントとしてやるということだったから、そこに出演するためにM-2「FLY HIGHER」という曲を作ったんですよ。そしたらまた関東甲信越エリアのグランプリに選んで頂いて、仙台の被災者の方たちの前でライブをやってきたんです。「FLY HIGHER」はかなり明るくて前向きな曲なんですけど、泣いているお客さんも結構いらっしゃるのを見て"色んな想いがあるんだな"と。すごく良い体験になりました。
●そういう新しい曲も収録している。
トム:新しく作ったのは「FLY HIGHER」とM-1「GET FUNKY」、「THIS IS MYWAY」ですね。
サム:逆にM-6「MOON」なんてトムが大学時代に作った曲で、D.O.FUNKを始めた当初に私がその歌詞を書き換えて今の形に仕上げたんです。この曲はレゲエっぽい感じのリズムで夏向きの曲なので、ライブでも季節によって外されることもあって。でも私はすごく好きな曲なので、今作を夏に出すことになった時に「ぜひ入れてもらいたい」と言いました。
●昔からある曲も入っているんですね。収録曲を選ぶ基準は何だったんですか?
トム:今作の収録曲は、今ライブでやっている曲ばかりですね。気持ち的に、今やりたい曲なんだと思います。
サム:中には、脂の乗った曲も入っていて。タイトル曲のM-8「LOVE & HAPPINESS」もかなり前にできた曲なんです。10年くらい前に書いた歌詞なので今回レコーディングをする時に、当時と今でモチベーションが違うところをどう擦り合わせていくかで悩んだところはあったんですが。
●この曲をタイトルにしたのは、作品全体のテーマにもつながっているから?
トム:バンドとしてのテーマでもある、"明るく幸せに、みんなが楽しくいられる"というのが今作のテーマですね。タイトルは何となく自然に"これだな"と感じていて。サムも「そうだよね」と言ってくれて、決まった感じです。
サム:震災が起きた時にも、それ以前から決まっていたライブはあったのでやったんですよ。ただ計画停電とかがあって、「電気が消えている中でライブを観には行けない」と言っている人の話も聞いて。お客さんが来てくれた中でライブをやるということは、自分たちだけじゃなく、みんながそういう気持ちでないとできないんです。そこの根底には"LOVE & HAPPINESS"があるのかなと。
●震災もあった中で"明るく幸せに、みんなが楽しくいられる"というテーマを再確認したというか。
トム:年齢的な部分もありますからね。ただカッコ良さを求めていた昔の僕たちとは違って、音楽だけじゃなく自分の生活も含めてハッピーに楽しくできたらなという想いなんです。
●生活と一体になった音楽だからこそ、一生続けられるライフワークにもなるんでしょうね。
トム:まさにそうですね。ここまで続いているので、これからもずっと現役でできればいいなと思っています。
サム:誰かが死んだら音楽葬です。俺が一番最初になるかもしれないけど(笑)。
●シャレにならないですって(笑)。
サム:個人的な話になりますが、私は子供がいないんですよ。だから自分の生きていた証というものを残したくて。それでお店もやっているんですけど、作品もその1つですね。
●自分が生きていた証と言えるくらい、満足のいく作品にもなった。
トム:今回は特に、世のミドルエイジの人たちに聴いてもらいたくて。昔は音楽をやっていたけど挫折した人たちも多い中で、"まだまだやれるじゃん"というものを全国の人に聴いてもらいたかった。それが今回、全国発売をするキッカケにもなったんですよ。
サム:"全国ナイスミドル音楽祭"に出た時に、「山梨でこういう音楽をやっている人がいるんですね」とよく言われたことがすごく自信になって。単に地元でライブをやってお客さんに観てもらうだけじゃなく、他の場所でも評価してくれる人がいるというのは自分たちの励みにもなりますからね。人数が多いのでなかなか県外に出られないという事情はあるんですけど、こういう形で自分たちから発信していけたら、また違う形で自分たちを見せられるんじゃないかなと思っています。
Interview:IMAI
Assistant:Hirase.M