圧倒的な存在感を放つ詩人・三代目魚武濱田成夫が初めて結成したバンド、それがBAND俺屋だ。周りを固めるメンバーも一筋縄ではいかない、歴戦の猛者揃い。アナーキーをはじめとして日本のロック史に名を刻んできた藤沼伸一(G.)と、忌野清志郎と数々の活動を共にしてきた藤井裕(Ba.)というロックレジェンド2人がいるだけでも、その音の半端なさは想像がつくだろう。そこにBloodest Saxophoneのリーダー・甲田“ヤングコーン”伸太郎、BAZRAのザ・ミエダタクヤ(Dr.)も加わって、最強の5人組が誕生した。ただでさえメッセージ性の強い詩が強靭なるバンドサウンドに乗ることで、その破壊力と説得力は凄まじいものとなっている。『生きていく上で人間に必要なものは努力じゃねえぞロックだ。』というアルバムタイトルは若者だけではなく、全世代に対してその生き様を問いかけているかのようだ。
●そもそもBAND俺屋を始めたキッカケは何だったんですか?
魚武:別にドラマチックな話ではなくて、俺は前から時期が来たらバンドやりたいなって、ずっと思ってて。そしたらG.(藤沼)伸一さんの50歳の記念ライブを吉祥寺でやった時に伸一さんのマネージャーさんから「伸一と一緒にバンドをやりませんか」と誘って頂いたんですよ。俺としては伸一さんがアナーキーの時代からすごく好きだったので、もう願ったり叶ったりで。Ba.(藤井)裕さんも以前から誘ってくれていたので、そこから「じゃあ、一緒にやろう」ということで始まった感じですね。
●このバンド名にした理由とは?
魚武:“俺屋”というのは元々、俺の公式サイトのウェブショップの名前なんですよ。自分が何かやる時は“俺屋”にしようと、前から思っていて。それで最初にこのバンドで、まずは1回ライブをやるとなった時にとりあえずバンド名が必要だったので一応、(仮)で「BAND俺屋」と言ったら、それがそのままバンド名に決まったという…。ミーハーなことを言うならば俺は元々バンドやることに憧れていたわけなので、やはりバンドやる醍醐味のひとつとして、まずはバンド名を考える楽しみというのがあるわけですから。だから俺は、あとでバンドが本格発進する時になったら、バンド名は一から新しく考えたりしようなんて思ってたりもしたんですけど、やはり俺らはBAND俺屋がピッタリ(笑)。
●バンドに憧れがあったんですね。
魚武:ありましたね! ガキの頃に(ザ・ローリング・)ストーンズのコピーバンドとかをやっていたことはあるんですけど、本格的なバンドはやったことがなくて。今までもバンドを組むチャンスがなかったわけじゃないけど、まずは1人でやっておかないといけないと思うことがあったので、それを順番にやっていたんですよね。
●バンドを組む前にやるべきことがあった?
魚武:以前に俺は自伝を1冊『自由になあれ』(角川書店)というのを出しているんですけど、まあ内容はというと、やりたいことを片っ端から叶えまくっていく話なんですが、その続きをこれからもずっと書いていこうと思っているんですよ。最初の自伝では18〜23歳のことを書いていて、次はそこから今までのことを順番に書いていこうと思っているんです。その時に自伝の内容が単にやりたいことを普通に叶えていくだけの話ならどこかで聴いたことがあるようなものだから、読んでいても別に面白くないと俺は考えていて。だから、できるだけ毎回、誰とも違うような叶え方をしたいというのがあって。そう考えた時に最初にバンドで世に出てからソロになるよりも、先にソロでやってからバンドになるほうがいいと思ったんですよね。
●よくある順番とは逆を行く感じというか。
魚武:だから、まず最初に歌手としてソロでデビューした時もわざと、ほとんどがカバー曲だったんですよ。その後にポエトリーリーディングのCDを出して、そこではオリジナルの詩を朗読しているんです。詩の朗読は完全にオリジナルで、歌はカバーというふうに分けていて。レコード会社も別々にして両方でCDを出して…という間に20年くらい経っているんですけど、次に音楽をやるならいよいよバンドやなと思っていたところだったのでちょうど俺にとっては最高のタイミングで最高のメンバーでのバンドデビューなんですよね。バンド自体はすごく好きでずっとやりたかったんですけど、後で自伝に書いた時に面白い順番で面白い方法で叶えていかなきゃいけないというのがあったから。
●自伝を書くことが前提になっている。
魚武:それは、いつも全てにおいて前提なんです。だから、聴いたことのあるようなデビューの仕方だと面白みがなくて。今まで事務所とかに誘われても入らなかったのは、そういう理由なんですよ。スカウトされて事務所に所属して、そこの売り込みでレコード会社からデビューみたいな話ってよくあるじゃないですか。それが悪いっていう意味じゃなくて、自伝を読んだ人が「魚武さんもそういう感じなんだ」となるのは面白くないし、やっぱり「ええっ!?」と思われたいから。
●よくある話では面白くないと。
魚武:なのでまずは俺が朗読でも歌でもメジャーからデビューしてるのは最初から、是が非でもメジャーから出したかったんです。ホンマは俺の考え方からしたらメジャーもインディーズも関係ないけど、自伝に「個人でメジャーと契約した」と書いてあったら笑えるじゃないですか(笑)。そういう順番で来て遂に今回、満を持してバンドでデビューできるという感じなんです。
●バンドでやりたい音楽性は見えていたんですか?
魚武:俺の中には、2つの自分がいて。昔からあるものが好きな自分と、新しくないとイヤな自分がいるんですよ。たとえばロックをそのままやるのも好きなので、ソロでカバーをやる時はそっちの自分なんですよね。逆に朗読のアルバムは内容も形態も、全てにおいて新しくないとイヤな自分。2枚組のボックスで出したりトラック数を99にしたりとかまでしてたんですけど、ポエトリーリーディングのアルバムに関しては新しいことじゃないとイヤだったんです。そうやって両方をやってきたので、バンドを今回やるにあたってはある意味で自然に、またある意味では不自然にというのが良い具合に混ざったところがあって。
●2つの志向が良いバランスで混ざり合った。
魚武:たとえばM-1「夕焼け」は歌と朗読の要素が両方ありながら、ちょっとポエトリーリーディング寄りな感じになっていて。この曲で俺は一発録りしているんですけど、ということは演奏のビートやキメに朗読をその場で全部合わせているんですよ。これは今まで朗読のCDでメッチャやってきたことだから、それをさらに自分の中で進化させられたんですよね。
●詩の朗読で鍛えてきたことが活きている。
魚武:ボーカルって、バンドを引っ張っていけないとアカンじゃないですか。歌で引っ張るのもそうなんですけど、朗読で引っ張るってもっと難しいんですよ。それをできるところまで行けたから、この曲がやれたというか。そういう意味で「夕焼け」という曲はものすごく新しいし、真似しようとしてもメッチャ難しいと思いますね。まずは伸一さんが曲を作ってくれて、すごいサウンドですよね。そこに負けないようなボーカルをポエトリーリーディングスタイルで乗せるというのは、まあ俺にしかできないといいますかね。それに普通だったら「ここに歌は付けなくてもいい」というようなところにまで、俺は付けているので。逆にここに普通ならギターソロないようなとこにあったりもする。まさにバンド。ええ感じで融合しています。
●しかもこれだけ凄いメンバーを引っ張っていくというのは、並大抵のことではできないですよね。
魚武:俺は毎回“今日で終わりかもな”と思って、ライブをやっているんです。お客さんから見て…というよりも正直、伸一さんと裕さんから見て俺がアリかナシかというところが絶えずあって。2人に「おまえ、つまんねぇな」と思われた時点で、このバンドはやる意味がなくなるんですよ。だから、“今日で終わり”になっても不思議でも何でもない。それをずっとやってきたので、リハーサルとかもマジなんですよね。
●普段から緊張感を持ってやっていると。
魚武:ライブを観てもらえればわかるんですけど、この2人はメチャクチャ音がデカいんですよ。かといってアンプのボリュームを上げているわけじゃなくて、音にエッジが利いているので鳴りがすごいんです。狭いスタジオだったら、まず自分の声が聴こえないくらいで。それでも聴こえる歌い方というのもあるし、「ここなら聴こえる」という隙間を探すというのもやっていて。
●自分自身の方法を模索しないと、引っ張っていけない。
魚武:そこで普通に読んでもダメなので、ボーカルの声の出し方で朗読するっていうことを俺は発明したんですよ。みんな普段の声と歌声は違うと思うんですけど、朗読でもその声じゃないとダメなんです。だから(今作を聴いていると、特にそれがわかりやすいのは『夕焼け』『こころのなかのビルのお話』など)、どう考えても歌っていないのに、歌っているような気もしてくるんですよね。かといって、ラップでもない。ラップにも歌にもそれぞれの良さがもちろんあるんですけど、朗読にはそのどちらにもできないことができるっていう。実際にやるのは、難しいんですけどね。
●それがやれているからこそ、BAND俺屋でしかできない音楽になっているんだと思います。
魚武:今回やりたかったことがもう1つあって。何にでもベストなタイミングというものがあると思うんですよ。そこまではやれてもあえてやらないようにするっていうところに、センスがいると思うんですけど。今まで自分で歌う時はカバー以外で、メッセージ色がある歌はあんまり歌わなかったんです。若い時にメッセージ色があることを言うと、「若いからだよね」みたいに言われるのがすごくイヤで。
●若気の至り的に捉えられるのがイヤだった。
魚武:だからあえて封印していたものを出すのに、このタイミングがベストだと思ったんですよ。バンドやし、もう50歳やし。今回の詩は、20歳くらいのヤツが怒っている感じになっているんですよね。今の俺がそういうことを言えば、大人も何も言えないだろうなと思って。若い時は自分よりも若い世代にしかメッセージが届かないものじゃないですか。でも50歳の俺なら、もし48歳とかのヤツがダサかったら「俺よりも若いくせに何を老けこんでるねん」って言えるわけだから。そういう意味で、おっさんの耳にも痛い歌を歌いたかったんです。
●自分自身が今の年齢になったから、同世代の耳にも響かせられるメッセージがある。
魚武:若者が大人を攻撃する歌はあるけど、おっさんがおっさんを攻撃する歌はないと思うんです。みんなが折り合いをつけて、やらない理由にするのに対して「それでいいのか?」と。“逃げられない歌”というか、やりたいことをやろうとしなくなったような、おっさんどもをロックオンしたかったですね。
●おっさんをロックオンする歌(笑)。人は何かにつけて、やらないことの理由を考えてしまうものですからね。
魚武:M-2「俺も何かをやってみようと思う。」は、やりたいことをやっているヤツにとって心の主題歌みたいになってくれたらいいなと思っていて。この歌詞の“俺”というのは、最初に出てきた時は完全に俺自身のことなんですよ。でも2番目からは、どんどん俺のことじゃなくなっていく。その“俺”のどれかが自分やと思った瞬間から、この曲はそいつの歌になるんです。
●色んな人が自分の姿を重ねられる歌詞になっている。
魚武:あと、この曲はすごく長いんですけど、聴いた人に「長いね」と言わせることが1つの罠みたいなものにもなっていて。“長いと思うんやったら、考える時間は十分にあったやろ? この曲が終わって、まだ何もやっていないというのはおかしいんちゃうの?”と。これもおっさんたちに向けてという気持ちが強いですね。俺らくらいの歳だと仕事ではそれなりに偉くなっているんだろうけど、“はてさて、そんなんでしたっけ? もうアガリですか?”と言いたい。この歌を聴いて、たとえば53歳の人が今からやりたいことをやるっていうことにおかしいところは何もないと思うんですよね。
●やりたいことを始めるのに年齢は関係ない。
魚武:出会ったのは何歳だか知らないけど、ロックを聴いたことによって自分の中に電気が走って、映画監督になろうと思ったヤツも漫画家になろうと思ったヤツも八百屋になろうと思ったヤツもいる。何屋になろうと関係ない。ただ「やってみようと思ったのならやらないといけないはずなのに、“もうやらなくてもよくなった”というのはおかしくないですかね〜、おじさん?」ということを言いたいんですよ。…ただ、自分がものすごく過激なことをやっているなと思うのは、この2曲目を聴き終わった時点でもう23〜4分も経っているということですね。2曲目まで聴いてもらった時点で23分くらい経ってるって、無茶してますね。アルバム11曲入りですから(笑)。
●ちょっと時間をかけすぎですね。
一同:(笑)。
Interview:IMAI