MUSIC VIDEOを観た人からの口コミを中心に注目を集め、デビュー以来ライブの規模を大きくしてきたamazarashi。現在まで対面形式でのインタビューを一切受けていない彼らは、スクリーンの向こう側で何を考え、どういう心境でアルバム『ねえまま あなたの言うとおり』を完成させたのか。その答えを知るため、amazarashiに対して10の質問を投げかけた。単語のひとつひとつを噛み締めるように丁寧に綴られた彼の回答に触れ、僕はamazarashiの内面を覗き見たような気がした。
- 昨年11月30日の渋谷公会堂公演を拝見いたしました。スクリーンに映し出された映像と相まって、凛と張り詰めた空気の中で、音のひとつひとつ、言葉のひとつひとつがグサグサと突き刺さってくる感触がいい意味で衝撃的で、今もあの日のライブが記憶に残っています。あの日、秋田さんはスクリーンの向こう側で何を考え、どのような気持ちでライブをしていたのですか?
大抵は曲に入り込んでるんですが、ふと我に返ってとても怖くなる瞬間があります。amazarashiを見にあんなに沢山の人が集まったっていうのは未だに不思議で、なにか試されている様な気持ちになったりしました。でもそんな事は関係なく、もっと我を忘れて歌うのが理想です。何も記憶に残らないくらい。次の目標です。
- 前回のメールインタビューの際、秋田さんは“歌う”という行為を「伝えようと話すこと」と例えられました。ライブのとき、スクリーンの向こう側(ステージ)から客席の雰囲気や観客の表情などは伺えるのでしょうか?
意外とよく見えます。表情もはっきり見えました。リズムにのってる人も分かります。ですが、スクリーンでのライブは空間の隔たりが思ったより大きくて、多分ステージの雰囲気と客席の雰囲気はかなり違うと思います。最初は楽しんでもらえてるのか分からなくてライブメンバー全員で戸惑ったんですけど、二回目のライブからはこういうものだと分かったので演奏に集中できるようになりました。
- ライブは好きですか? 嫌いですか? どちらにしても、その理由は何ですか?
そもそも人前に出るのが嫌いなので、嫌いは嫌いなんですが、ライブは絶対やりたいです。ライブで歌うのが僕の作る歌のゴールだと思ってます。
- 今作『ねえママ あなたの言うとおり』のM-1「風に流離い」を聴いて、今現在、秋田さんが歌う理由…もっと言えば音楽をやっている理由が明確に伝わって来ました。自分の為に歌いたい…秋田さんはなぜ自分の為に歌いたいと強く思ったのでしょうか? amazarashiを始めて現在に至るまでに、どのような気持ちの変化がありましたか?
最初は世間に対する恨み辛みから始まって、それが段々認められて感謝するようになったんだけど、それを伝えるよりも、自分の為に歌う事の方が結局喜んでもらえる、っていうまんまamazarashiについての歌です。気持ちの変化もこの曲そのままです。僕の現段階での人生の歌を作りたくて、この曲を作りました。amazarashiを好きになってくれた人は、リスナーだけじゃなくスタッフ、メンバー含め、僕が僕らしく歌う事で認めてくれたんだと思うので、これからもそうしていくという意思表示でもあります。
- 歌詞の節々からは、物事をまっすぐに、何のフィルターも通さずに、(過剰な期待や希望的観測などの感情も付加せずに)事実をまま見ようとする意識が見て取れます。そのような秋田さんの視線は、もともと持ち合わせていたものですか? もしそうでなければ、なにかきっかけがあって今のようなものの見方をするようになったのでしょうか?(秋田さんはリアリストなのかな? とも想像しています)
自分以外にはあまり期待しないです。理屈なしに楽観は絶対しないです。よく後ろ向きだと言われるんですが、自分では前向きだと思います。それは昔から。多分、今まであまりいい事がなかったからだと思います。
- 鋭い歌詞表現や何かを否定するような言葉を多く使われているので、秋田さんはこの世の中を憂いているというか、何にも期待していないようにも受け取れるのですが、その根底には“諦めていない”という強い意識を感じています。世の中を諦めていない、音楽を諦めていない、夢を諦めていない、人間を諦めていない、自分自身を諦めていない。たくさんの自己否定を繰り返していく中で確立した秋田さんのアイデンティティがamazarashiに詰まっていると感じます。自分の中でamazarashiとはどのような場所ですか?
amazarashiの歌は禅問答みたいな作り方をたまにするんですが、自分は今こんなに辛いけど、それはなんでだ? みたいな自問自答を何回も繰り返して、最後に自分を肯定するゴールにどうやってたどり着くか、というゴールありきの言葉遊びでもあります。きっと“諦めない”がゴールとしてある事を前提に作っているんだと思います。それは完全に自分の為で、自分を奮い立たせる為のものです。amazarashiは僕の理屈っぽいところだけを抜き出したものかもしれません。僕自身はもっとてきとうな人間です。
- 1曲1曲に込められた想いが深く、その想いが深いからこそ“音楽”という形にするまでの苦悩などを想像すると、決してポンポンと曲が生まれるタイプのアーティストではないと感じています。自身の中のどのようなもの(どのような感情? きっかけ? アイディア?)が音楽になっていると思いますか?
何をしていても、これは歌になるな、っていうのは考えます。そいうものを携帯にメモして、後々メロディーをつけて、みたいに作ります。苦悩はありますが、いい曲ができる瞬間は本当に楽しいですし、好きだからこそやってるんだと思います。
- また、それを音楽として形にするまでにいちばん苦労するところ、いちばんこだわっているところはどこですか?
できるだけ聴く人を想定せずに言いたい事を言う、っていうのは意識してます。これを書くと嫌われちゃうかな? っていう瞬間はよくあるんですが、そういう感情を一切無視して、よりいいものになるように心がけてます。
- 以前よりポエトリーリーディング的な楽曲はインタールードという位置付けで作品に収録されてきましたが、今作のM-3「春待ち」は衝撃的でした。音楽としてもすごく実験的だと思いますし、言葉の少なさと反比例するかのような豊かな感情が、曲を聴き進めていくうちにどんどん溢れて迫ってくる想いがしました。以前のインタビューで「想いが強い場合は言葉を詰め込みたくなってしまう」とおっしゃっていましたが、この曲はすごく奥深くてみずみずしい楽曲ですね。どのような経緯でこの曲が生まれたのでしょうか?
歌詞についてはいつも試行錯誤の繰り返しなんですが、やっぱりシンプルで深い歌詞が一番強くて、それは今までの言葉数の多いamazarashiとは真逆のもので、でもそれをなんとか自分のものにしたいと思ってます。別に今までのスタイルを捨てるつもりはないんですが、もっといいものを作りたいので、色々試したりしてます。「春待ち」もその一つで韻を踏んで、言葉数を制限して、その中でどれだけ表現できるかに挑戦した曲です。「風に流離い」もそうです。
- 現時点の秋田さんにとって“幸せ”とはどういうことですか?
毎日笑って生きる事です。それには僕の場合音楽が必要です。