佐久間正英の生前最後のプロデュース作となった前作の2ndフルアルバム『音楽はあるか』(2013年)から5年…、ウラニーノが遂に長い沈黙を破る新作を完成させた。2018年10月に所属事務所から独立し、自主での活動をスタートした2人の決意が今作『naked.』には漲っているようだ。あえてメンバー2人だけのシンプルな編成にこだわる中で削ぎ落とし、研ぎ澄まされた“ウラニーノらしさ”。より鮮烈に浮き彫りにされた独創性溢れる歌と歌詞の魅力を3曲に凝縮した今回のシングルは、まさに“むき出し”の生々しくも鋭い輝きを放っている。
「(山岸には)“歌いたい曲がある”というのは常々感じているから。今は、このスタイルでどこまで通用するか試してみたいという気持ちが強くて。こういう曲が誰に届くのかを知りたいんです」
●前作のアルバム『音楽はあるか』から5年間リリースがなかったわけですが、活動はずっと続けていたんですよね?
小倉:はい、もちろん。曲もたくさん作っていました。
山岸:ライブはずっとやっていたんですけど、リリースだけができなかったという感じですね。
●リリースできなかった理由は、何だったんですか?
山岸:『音楽はあるか』を出したんですけど、(期待していたような)結果が出なくて。“じゃあ、次の作品をどうするか?”となった時に、自分たちに求められているものがわからなくなってしまったんです。
●それくらい『音楽はあるか』は、良いものができたという感覚もあったのでは?
山岸:佐久間(正英)さんの生前最後のプロデュース作品ということもあったので、“特別なものになった”という想いがまず第一にあって。ただ、当時は“これで売れないとまずいな…”という危機感が、事務所にも僕ら自身にもあったんです。そこで妥協ではないんですけど、自分の感覚は別として“求められているのはこういうものなのかな?”という感じで探りながら作った曲もあったんですよね。
●必ずしも自分のやりたいことだけを具現化したわけではなかったと。
山岸:今になって客観的に聴くと、色々やろうとしている感はあって。あそこで“できることは全部やり尽くそう”という気持ちはあったんだろうなと思います。実際にできていたかどうかは別として、“出し切った”ところはありましたね。
小倉:契約上では最後のアルバムだったので“これからもメジャーでやっていくんだ!”という意気込みもあったし、今までのウラニーノの良さも全部を詰め込んだ感じでした。
●そこで結果が出なかったとはいえ、バンドを辞めようとは思わなかったわけですよね?
小倉:そういう気持ちは全然なかったです。
山岸:佐久間さんが亡くなったり、ピストン(大橋/Ba.)が辞めたり、色んなことはあったんですけど、“辞めよう”と思ったことは一度もなかったです。色々な逆境があったからこそ、逆に“盛り返してやろう”という気持ちにはなりましたね。
●制作への熱量はずっと下がらなかった?
山岸:でもやっぱり、“自由に作れない”という意識はどこかにあって。自分の中で“これは絶対に良い”と思う曲ができても、“でも(求められているのは)これじゃないんだろうな”という想いが常にあったんです。そういう中で正直、何が“正解”なのか僕にはわからなくなって…。
●しかも、求められているものが“正解”とも限らないというか。
山岸:そうなんですよ。“これが正解”というものがわかっていれば、たとえ自分があまりやりたくないことだとしても、そこを目指していけたと思うんです。でも周りも含めて誰も“正解”がわからない状態で、“自由に作れない”という意識もあったのでモチベーションや制作ペースも次第に落ちていって。今回の作品(『naked.』)に入れた曲は、そういう時期に“もう誰に何を言われても良いや。自分の書きたいものを書こう”と開き直った時期に書いた曲なんですよ。
小倉:でもそういう曲が、やっぱり一番良いんですよね。迷っちゃうと、曲もよくわからない感じになっちゃうことがそれまでも度々あったから。“だったらもう、こういう曲で良いんじゃない?”と僕は思っていました。
●自分たちとしては、自信もあったのでは?
山岸:自信もあったし、“ウラニーノらしさって、こういうことですよね”と僕は思っていて。ただ、“これは『音楽はあるか』の次にメジャーで出すべきものではないんじゃないか?”という判断もあって眠らせていたものを、事務所を離れて独立した今回のタイミングで出そうとなったんです。
●“ウラニーノらしさ”はちゃんと自分たちでわかっていて、そこは見失わなかった。
山岸:そこの軸だけはずっと変わらずにありました。もちろんそれを突き通すのではなく、もう少し柔軟にやることがメジャーでは必要なんだろうなとは思っていましたけどね。
●小倉くんもその“ウラニーノらしさ”が良いと信じているからこそ、ずっと一緒に活動を続けているのでは?
小倉:そういうところはあると思いますね。(山岸には)“歌いたい曲がある”というのは常々感じているから。今は、このスタイルでどこまで通用するか試してみたいという気持ちが強くて。こういう曲が誰に届くのかを知りたいんです。
●今のスタイルを象徴しているのが、今作に収録した3曲でしょうか?
山岸:そうですね。中でもM-1「中年花火」はライブでまさにやり始めたところで、僕らの中で“旬”だったんです。
小倉:“2人でもやれる曲”という基準もあって。ゴージャスなアレンジにしなくても、ライブハウスで実際に2人で演奏している延長線上のアレンジでやれる曲というか。エレキギターやベースも入れずに、“naked.”の形でやれる中で“旬”なものを3曲選んだ感じですね。
●最近のライブでは、アコギとドラムによる2ピース編成の“ウラニーノ naked.”として活動しているんですよね。
山岸:2018年の頭くらいから始めたんですけど、最初は僕らもそれこそ“正解”がわからなくて。でもその体制でやっていると、お客さんの評判がすごく良かったんです。アコギとドラムだけなので歌もドンと届くし、すごくスリリングなんですよね。“これこそウラニーノらしい”という感覚もあったので、その感じを音源にも閉じ込めてしまおうというのが今作の狙いでした。
●「中年花火」は、ライブでどんな空気になるんだろうと思ったのですが…。
小倉:みんな、男泣きしていますね。おっさんが泣いています(笑)。
●自分自身も実際、移動中に初めて電車の中で聴いた時はグッときてしまいました。
小倉:実際、電車の中で泣いたという人もいましたね。“「中年花火」を聴きながら電車の中で泣いていたら、隣に誰も座ってくれなかった”という話も聞きました(笑)。
●ハハハ(笑)。ただ、自分はウラニーノと同世代なので特に刺さる部分もあるのかなと思って…。
小倉:そうなんですよ。わりと世代的にピンポイントなところを攻めている感じはありますね。
山岸:10代のキッズがこの曲で踊るかと言われたら、そうではないから。やっぱりメジャーでやっていた頃は“老若男女誰もが聴けて、一緒に歌える”みたいなところを求められていたと思うんです。でも“ウラニーノらしさ”って、この「中年花火」みたいな曲に凝縮されているんじゃないかなと僕は思っていて。
●確かに“らしい”ですよね。
小倉:すごくパーソナルなところを歌った曲は今までもあったし、それも“ウラニーノらしさ”の1つだと思うんですよね。
山岸:今までもそうだったんですけど、全くゼロからの創作というよりは、何か僕の身のまわりで起こったこともちょっと入っていて。それを僕が勝手にストーリーにして広げるっていう、まさに今までどおりの手法で作った曲なんです。
●“刺青の吉野が一番泣いている ファミコンのカセットを借りたままだったと”という歌詞がすごく良いなと思って。“ファミコン”という時点でもう特定の世代に子どもの頃の記憶を蘇らせるし、“刺青の吉野”というのも人生に紆余曲折があったことを想像させるというか。
小倉:想像しちゃいますよね。
山岸:“なぜ刺青が入っているんだろう?”と考えるだけで、“色々とあった人なんだろうな”と想像できるというか。あと、僕らよりもっと年下の世代は、ファミコンのカセットの貸し借りなんてしていないでしょうからね。
●具体的な言葉が入っていることで、より想像力を掻き立てられる感じがします。
小倉:そういう具体的なキーワードをポンと入れて、想像を一気にふくらませるような書き方が(山岸は)得意なんですよ。歌詞の文字数は限られているけれど、全部説明してしまうのもつまらないから。“ここまでは言わない”というバランスを取るのが、山岸くんはすごく上手ですね。
●あえて言わないことで、想像力が広がるところもありますよね。聴いていく中で徐々に“ああ、そういうことか”と気付かされるのも、この曲の深みにつながっているなと。
小倉:最後まで聴くとわかるんですよね。
山岸:途中で“あ〜、ここで(視点が)引っ繰り返った!”というところで、ドキッとさせたりとか。1つの曲の中でそういうストーリーを描くのが、僕は好きなんです。
●逆にM-2「えら呼吸」は抽象的な感じがしたんですが、この曲はどういうイメージなんですか?
山岸:“えら”がある女性のことを歌っているんですけど、これは完全に自分の中での創作ですね。歌詞にあるとおり“水の中を自由に泳げるよりも、この町の中でもっと上手に生きたかった”という気持ちを描いていて。“便利だけど、こんな能力要らなかった”というか。
●たとえ話ではなく、この曲の主人公は本当に“えら”があるんですね。何かの身体的なコンプレックスの比喩として、“えら”を使っているのかと思いました…。
小倉:確かにそういう捉え方もできますよね。人によってはホクロや傷も、コンプレックスの象徴だったりするから。
山岸:そういうところも含めてリアルと虚構がないまぜの、気持ち悪いくらいの感じを描いてみようと思って。想像するとちょっとグロテスクな感じもするし、不気味さは出そうと思っていました。
●イントロの演奏も民族音楽的な雰囲気があって、ちょっと不気味な感じがします。
山岸:そうですね。ちょっと不思議な音階を使っていて。
小倉:アラビア音階っぽい感じというか。元々、山岸くんの作ってきたギターリフがそういう感じだったんです。
●元からそういう匂いがあったと。
山岸:最初はエレキギターでやっていたんですけど、“これはアコギでやっても面白いかもね”となって。元々はバンドで演奏していたものを、“naked.”スタイルに変えたんですよ。そこから“もうちょっとブッ飛んだ感じにしてみよう”となって、ピアノを入れることにして。
小倉:それによって、ブッ飛んでいて不思議な感じになって。今までやったことのない感じになりましたね。
●そして実は今作で一番の問題作かもしれないのが、M-3「日陰者」ですが…。
山岸:そうですね。これは今の世の中では、あまり大っぴらには語れないような内容というか。
●ここでは“自衛隊”という具体的な言葉をあえて使っている?
山岸:この曲に関してはそこを言わないと(意図が)わかりにくすぎるし、ここで言ってしまう意味もあるのかなと思って書きました。もちろんデリケートな問題なので、どちらかに偏った人たちに偏った捉えられ方をするかもしれないけど、それも覚悟の上というか。ただ、僕自身はどちらかに偏っているわけではなくて、単純に“そういうことがないような世の中になれば良いな”という立ち位置なんですけどね。
●純粋に、平和を願う気持ちを歌っているわけですよね。
山岸:純粋な“願い”というか。ジョン・レノンの「イマジン」的な感じですね。最近はメッセージソングを歌う人も少ないので、こういう曲があっても良いんじゃないかと思って3曲目に入れてみました。
●作品化しておきたい気持ちもあったのでは?
山岸:ライブで歌うと反響も結構大きくて、これは形に残しておきたいなと思っていたんです。そんな時にトランペットの音が頭の中に浮かんだので、知り合いのファンファン(くるり)にお願いしてみたら快く引き受けて頂いて。彼女の音も加わったことで、ちゃんと意味のある作品になったかなと思います。
●ゲストミュージシャンによる音も、曲の欠かせない一部になっているように感じました。
山岸:チェリストの櫻井(慶喜)さんにもファンファンにも、“小倉と山岸以外に主役がもう1人いるという感覚で参加して下さい”と最初に伝えたんです。やっぱりサポートメンバーなので、一歩引くことを意識してしまうかなと思ったから。でもそうじゃなくて、主役が3人いる感じで演奏して欲しいとお願いしました。そういう意味でも、2人とも期待以上の演奏をしてくれましたね。
●今後の作品では、2人だけの“naked”スタイルではなくなる可能性もある?
山岸:最初は同じように次作も3曲入りくらいで、『naked. 2』を出そうかと考えていたんですよ。でもやっぱりエレキギターが欲しくなる曲もあるし、“そういう曲も聴きたい”というファンもいるだろうから、次はもうアルバムを出しちゃおうかという気分にもなっていて。
●おおっ!
山岸:実際に今はもうレコーディングを始めているんですけど、その中で“この人と一緒にやりたいね”というアイデアが浮かんだら自分たちで直接連絡して交渉もしていて。それがすぐに実現して、形にもなっていくという過程がすごく楽しいんですよね。自分が動いたぶんだけ、ちゃんと物事が動いていくことの面白さを感じています。
●次作は流通盤でのアルバムを期待しています。
山岸:次はやっぱり流通させて、今回の『naked.』以上に広める努力をしたいなと思っていて。色んな人に教えてもらいながらですけど、今年は楽しくなりそうな気がしています。
Interview:IMAI