ライブバンドとして高い支持を得ていた神戸のメロディックパンクバンド・Annyで、紅一点ボーカリストとして活躍していた宮脇早紀。2016年にバンドが解散してからソロ活動を開始した彼女が、初の流通音源『シアンの糸』を完成させた。LiSAや西野カナなどに楽曲提供を行う猫田ヒデヲの全面プロデュースにより、今作ではこれまでのイメージから大きな変貌を遂げている。持ち味である真っ直ぐな気持ちや闘争心を押し出した歌詞と、エネルギッシュで超ポップな楽曲が見事に融合。猪突猛進のイノシシ精神に新たな魅力も加わり、ここから第2章の扉を突き破っていく。
「闘っている人間に対して、勇気を与えられる存在に私はずっとなりたかったんだろうなと思って。でも等身大でいたいし、そんな自分に伝えられることは何なんだろうかと思った時に“笑顔と闘い”という言葉が浮かんだんです」
●Annyを解散した2016年に、ソロ活動を開始されたんですよね。
宮脇:解散してから3ヶ月後には動き始めて。わりとすぐに始めましたね。
●それは自分の中で、“歌い続けたい”という気持ちが強かったから?
宮脇:いや、解散当初は“もう音楽を続けられないんだろうな…”と覚悟していて。それ以外の道で人生を考えた時に、2番目に好きなファッション系に進もうと思ってアパレル業界で働き始めたんですよ。
●解散した当初は音楽を辞めようと考えていた。
宮脇:でもそのブランドが音楽との関わりも大きかったので、当時のキッズの人たちがお店に来ることも多くて。“Annyの早紀さんですか?”と話しかけてもらうこともあったんですよ。そういう人から“私は××というバンドのことが好きで〜”といった話をされた時にそれが自分の友だちだったりすると、ちょっとモヤモヤしちゃったんですよね…。
●モヤモヤしてしまった原因とは?
宮脇:友だちは頑張っているのに、自分は音楽をしていないという現実が虚しくなっちゃったんです。それから1ヶ月くらい考えて、“やっぱり音楽がしたい”となって。そこが始まりでした。
●音楽から離れていた期間で、自分の中にある本当の気持ちに気付いたと。
宮脇:“やっぱり、何か違う!”となって。ライブハウスにも怖くて行けなくなっていたくらい、音楽から離れていたんですよ。でも“このままだと自分が自分じゃないみたいだな”と感じたところから、“やっぱり音楽をやろう”という気持ちになったんですよね。
●そこで新たにバンドを組むという発想にはならなかった?
宮脇:バンドを組むことは、全く考えていなかったです。私の中ではAnnyが一番良いバンドだったし、あれ以上のメンバーに出会えることはないと思っていたから。それよりもAnnyから学んだことをソロで活かしていこうと思って、シンガーになることを決めました。
●自分で曲を作る“シンガーソングライター”ではなく、あくまでも“シンガー”になろうと思ったのはなぜ?
宮脇:昔から私の好きなボーカリストは、たとえばGLAYのTERUさんや最近だとLiSAさんみたいに、誰かが書いた曲を自分のものにされている方が多いんですよ。だから、自分もそうなりたいとずっと思っていたんです。誰かが想いを込めて作ってくれた曲を、自分も想いを込めて歌うというスタンスでやっています。
●前作の1stミニアルバム『イノシシカ』では、憧れのHIGH and MIGHTY COLORのメンバーだった平識和人さんにも楽曲提供してもらったんですよね。
宮脇:私は元々HIGH and MIGHTY COLORの追っかけをしていたんですけど、ソロ活動を始めるにあたっては夢を叶えるための第一歩が必要だなと思って。その時に“和人さんの曲を歌いたい”と思ったので、沖縄まで“曲を書いて下さい”と直接言いに行ったんです。
●すごい行動力ですね(笑)。元々、お知り合いだったんですか?
宮脇:和人さんとは、Anny時代に一度お会いしたことがあって。初めてのソロ活動ということでゼロからのスタートになった時に、まずは自分が叶えたい夢を1つずつ叶えていこうと思ったんです。そこからFacebookで和人さんに連絡をとって、沖縄まで会いに行かせて頂きました。
●宮脇さんはHIGH and MIGHTY COLORの新ボーカルオーディションに落ちたことが悔しくて、歌手になることを決意したそうですね。そういう意味でも、とても大きな存在というか。
宮脇:めちゃくちゃ大きいですね。和人さんもいきなりで驚かれたと思うんですけど、本当に優しい方なので真剣に私の話を聴いて下さって。“次は僕が応援する番だね”と言って、曲を書いて下さることになりました。あれが本当に大きな一歩でしたね。
●そんなこともありつつ、1stミニアルバムのリリースツアー後には“燃え尽き症候群”になったそうですが…。
宮脇:私は本当に毎日を必死に生きているので、常にギリギリの状態なんですよ。バンドが解散したのも突然だったし、想像もしていなかったので、そこからさらに“1日1日を後悔なく生きなきゃダメだな”と考えるようになって。リリースツアーのファイナルのセットリストについても毎日“ああでもない、こうでもない”と必死に考えた末にようやくパズルが完成した感じだったんです。
●それが燃え尽き症候群につながった?
宮脇:ファイナルではAnnyの曲もやったんですけど、久しぶりに歌ったのですごくエモーショナルになってしまって。自分が“歌えた”という嬉しさと、お客さんが“受け止めてくれた”という嬉しさで、ライブが終わった後も幸せの余韻がすごすぎたんですよ。そこで“次の夢をどうやって描こうかな…?”という状態になって、燃え尽き症候群になってしまったんです。
●そこから復活できたキッカケが、今作『シアンの糸』を全面プロデュースした猫田ヒデヲさんとの出会いだったんでしょうか?
宮脇:そうですね。私はシンガーになると決めてから、色んな人の曲を積極的に探して聴くようになったんですよ。そこで“良いな!”と思ったものは誰が作詞・作曲したのかメモるようにしていた中に、ヒデヲさんのお名前があったんです。すごくバンドサウンド的な曲だったので、“こういうシンガーもいるんだ!”ということを知るキッカケにもなって。
●ブログではヒデヲさんの曲に救われたことがあると書かれていましたが、それは何という曲?
宮脇:LiSAさんの「Mr.Launcher」という曲ですね。初めて聴いた時に歌詞もメロディも全てが“どストライク”だなと思って。すごく元気をもらって、一時期はそればかりリピートして聴いていました。でもインターネットでヒデヲさんのことを調べてみたら“めっちゃ遠い人やん”と思ったので、“これは密かな夢だな…”という感じで自分の中にずっとしまっていたんです。
●そんなヒデヲさんにプロデュースしてもらうことになった経緯とは?
宮脇:燃え尽き症候群になった時にその状態が嫌で、居ても立ってもいられなくなって。昔からお世話になっていた下北沢CLUB251店長の高塚さんに会いに行って、“たくさん叶えたい夢はあるけど、どうしたら良いかわからないんです…”と泣きながら相談したんですよ。その中で夢の1つとして“ヒデヲさんの曲が歌いたい”と話したら、たまたまお知り合いだったという…。
●そこで紹介してもらったんですね。
宮脇:本当に奇跡のようでしたね。ヒデヲさんと出会わせて頂いたことで、燃え尽き症候群からまた“イノシシ精神”に変わり、私の夢の第2章が始まったという感じです。
●ヒデヲさんと共同作業をする中で、歌が今まで以上に好きになったとブログに書かれていましたよね。歌に対する考え方も変わってきたんでしょうか?
宮脇:かなり変わりましたね。これまで私は(レコーディングブースの)電気を消して、歌っていたこともあったんです。それくらい曲の世界観に入り込んで歌っていたんですけど、今回はかなり“体育会系”で…。気付いたら、めちゃくちゃ汗をかいているという感じでした。
●歌への取り組み方から変わったと。
宮脇:あと、(歌詞の)1文字1文字に魂を込めるということを教えてもらったのも大きかったですね。全てにメッセージを込めているつもりなので、歌詞も1文字1文字全部聴いて欲しいと思える作品ができました。
●特にタイトル曲のM-1「シアンの糸」は、宮脇さん自身の想いを込めているんですよね。
宮脇:「シアンの糸」=宮脇早紀だと思ってもらっても良いくらいですね。この曲に関しては、何もかも正直に書かせてもらって。今までは、“こういうフレーズを使ったほうが共感を得られるんじゃないか”といったことも考えながら書いていたんです。でも自分のための応援ソングがあっても良いんじゃないかなと思って、今回は自分を主人公に書いてみました。
●まず自分自身を奮い立たせられる言葉でないと、他人にも響かないというか。
宮脇:そうですね。だから頭でっかちになることなく、スラスラと書けた歌詞でもあって。きっと共感してくれる人もいるはずだし、新たな応援歌になれば良いなと思っています。
●「シアンの糸」という言葉には、どんな意味を込めているんでしょうか?
宮脇:私は青色がすごく好きなんです。元気になる色だなと思っていて。今回は“青”を前面に押し出していこうということで、まずは“シアン”を入れました。
●“糸”のほうはどういった理由で?
宮脇:今回は“闘い”をテーマにしているんですけど、“つながっていること”をもう1つのテーマにしていて。たとえばM-3「キミ、ヒカリ」は、出産について歌っているんですよ。赤ちゃんの“へその緒”も、お母さんとつながっているじゃないですか。
●確かに。
宮脇:最近、周りの友だちが子どもを産んだり、Anny時代にライブに通ってくれていた女の子たちからも“子どもが生まれました”という報告をもらったりして、出産ラッシュだったんですよ。自分は結婚願望もないし、お母さんになりたいとも今はまだ思っていないので、これまでそういう曲を書くことはなかったんです。でも最近、本当に大事な親友がお母さんになった時に出産の話を聞いて、音楽を生み出す苦しみや喜びに似ているところがたくさんあるなと思ったんですよね。だから、今回はそれを歌詞にしたいと思いました。
●母親と子どものつながりから、“糸”というイメージが湧いたと。
宮脇:他にもM-2「Bright Place」は”明日につながるように”という意味が込められているように感じるし、M-4「JUST LIKE YOU」も“色んなことがあるけれど、闘っていこう”という意志が表れていて、全曲が“前に進んでいくもの”になっているんです。「シアンの糸」に関しても、私はずっと夢の糸を途切れさせないように日々生きているし、“ギリギリの状況の中でもつなげていきたい”という想いを込めて書いたから。そういう意味もあって、“糸”が浮かびました。
●そういう意味だったんですね。ヒデヲさんの作詞による「Bright Place」と「JUST LIKE YOU」に関しても、宮脇さんの気持ちとつながる内容になっている気がして。
宮脇:そうなんですよ。歌詞を頂いた時点ではヒデヲさんと出会ってからまだあまり時間も経っていなかったのに、(自分のことを)すごく見て下さっていたんだなと思ってビックリしました。私自身も、この2曲の歌詞には元気づけられますね。
●先ほど“闘い”をテーマにしているというお話もありましたが、それはどこから出てきたんでしょうか?
宮脇:前作では“元気”な感じを前面に押し出していたんですけど、その時点では自分がシンガーとして何を伝えたいのかまだあまり考えられていなかったんですよね。ただ、元気なことだけは誰にも負けないと思って、活動してきて。でもこの1年間で『シアンの糸』を作るために動いてきて、完成まで至った時に色んな人から“闘っているね“と言ってもらえたんです。
●周りから、そう見えていたと。
宮脇:それを聞いた時に自分の中でも色んな闘いがあったので、“確かにそうだな”と思ったんです。闘っている人間に対して、勇気を与えられる存在に私はずっとなりたかったんだろうなと思って。でも等身大でいたいし、そんな自分に伝えられることは何なんだろうかと思った時に“笑顔と闘い”という言葉が浮かんだんですよ。全く別物だけど、それを同時に伝えられるのが自分の強みなんじゃないかなと。それを今回ですごく思うようになりましたね。
●今回のジャケット写真のイラストは、まさに“笑顔と闘い”を表している感じがします。
宮脇:今回はジャケットにもすごくこだわったんです。親友の福井信実にいつも描いてもらっているんですけど、“闘い”というテーマがちゃんと伝わるように細かいところまで要望を伝えて。ジャケットの裏面では“大勢の人の前で歌う”という私の夢を描いてもらっているんですけど、最初はもっと野外フェスっぽい雰囲気だったんですよ。でも“(自分の夢である)武道館っぽくして欲しい”とお願いして、直してもらったりもしました。いつも快く対応してくれるので、本当に感謝しています。
●闘う姿勢がジャケットの表面に出ていて、その結果として“こうなりたい”というイメージが裏面には出ているのでは?
宮脇:そうなんですよ! 闘い続けて、その結果こうなりたいんです。今回の『シアンの糸』が、その良い通過点になってくれるんじゃないかなと思っています。
Interview:IMAI