9/2の夜に下北沢CLUB Queで開催するワンマン公演「休戦協定」で“活動中止”することを発表した、それでも世界が続くなら。その日を迎える前に、8/15に新宿SAMURAIにて「休戦前夜」と題した2マンライブをCIVILIANと行うことが急遽決定した。どこか相通ずる匂いを漂わせる両バンドの出会いと関係性とは、どういったものなのか? 篠塚将行(Vo./G.)とコヤマ ヒデカズ(Vo./G.)という両フロントマンの対話から、互いの音楽観だけではなく人生観にまで迫るスペシャル・トークセッション。
「音楽に自分を投影できている人間同士だと思うので、(ライブで)ぶつかり合うことでもっと仲良くなりたいし、お互いをもっと知ることで人生の糧にもなれば良いなと思っていて」
●最初に2人が出会った時のことを覚えていますか?
篠塚:確か下北沢のサーキットイベントで偶然一緒になって、コンポラ(※コンテンポラリーな生活)のステージが終わった後に喋ったのが最初だよね?
コヤマ:その頃から俺はそれせか(※それでも世界が続くなら)が好きで、音源を聴いてはいて。それでコンポラのVo./G.朝日(廉)くんにしのさん(※篠塚)を紹介してもらって、初めて挨拶したんです。
篠塚:その前にもコヤマくんたちから、企画に誘われたことがあって。すごく出たかったんですけど、別のライブが入っていたので断ったんですよ。それもあってコヤマくんは“俺らなんて好きになってもらえるわけないよな。きっと嫌われているんだろうな”と思っていたらしいんです。
●勝手に嫌われていると勘違いしていた。
篠塚:初めて会った時にその話をされて、逆に僕は“そんなふうに思っていたんだ…”という気持ちになったことをすごく覚えています。本当に“歌どおりの人だな”と思いましたね。人によってはあまり考えもしないような、心の根っこにあることを歌う人だと思うんですよ。だから“やっぱり、そう考えてしまうんだな”と思って…。
コヤマ:そういう話をしたことは、俺も何となく覚えています。こっちから企画に誘ったけどお断りされて、“やっぱりそうだよな…”と思ってしまいましたね(笑)。しのさんに対してだけじゃないんですけど、やっている音楽や書いている歌詞の内容が必ずしもその人の“生き写し”ではないということを僕は充分にわかっているつもりで。そういう意味で自分が好きなアーティストとは、あまり知り合いになりたくないところがあったんです。音楽や歌詞から勝手に“こういう人だ”と思って尊敬したりしている気持ちを壊されたくないという想いがすごくあったから。
篠塚:それはすごくわかる。
コヤマ:だから好きな人ほど、知りあうのが怖くて。でもしのさんに関しては初めて会って話した時から今まで、本当に全く印象が変わっていないんです。すごく緊張していたので何を話したのかはよく覚えていないんですけど、しのさんがとにかく誠実に話してくれたということだけはすごく覚えていて…その印象が今でもずっと続いていますね。
●誠実な印象が大きいんですね。
篠塚:コヤマくんはこっちが誠実に話したら、ちょっと無理してでも誠実に返してくれようとする人だという印象が自分の中であって。それがムチャクチャ好印象だったんですけど、それと同時に“これだけ頑張ってくれているというのが他の人にもちゃんと伝わっているのかな?”っていう不安が湧いてきたんです。
コヤマ:自分ではそんなに誠実に話しているなんて思っていなくて。“相手が不快に感じてしまったらどうしよう?”とか考えちゃうんですよ。それって相手のことを考えているわけではなくて、結局は自分が嫌な想いをするのが嫌なだけで。だから1から10まで説明してしまわないと怖いし、丁寧に話さざるを得ないんです。“雑なコミュニケーション”ができないんですよね。
●だから自然と、誠実に思われる対応になると。
篠塚:“怖いから”というのが大きいんだと思う。僕もそういうところがあるから、よくわかりますね。昨日まで平気で話せていた人と突然、今日は話すのが辛いって感じたことはない?
コヤマ:ああ〜、メッチャあります。たとえば“今こうやって楽しげに話している相手が、明日も同じように自分と良い気持ちで話してくれるかなんてわからない”と俺は考えてしまうんです。友だちと呑みながら楽しく喋って“楽しかったね。また呑みに行こうよ”という感じで別れたのに、帰宅する頃には“今日の自分の対応は正しかったんだろうか?”という気持ちが湧いてきたりして…。
篠塚:“もしかしたら相手に嫌な想いをさせたんじゃないか?”とか、自分の中での反省会が始まるんだよね。
●悪い方向に想像してしまうんですね。
コヤマ:そういう感じで、自分と他人との関係性が連続しているものとは思えないような感覚はずっとあって…。
篠塚:それはすごくわかる。ちなみにコヤマくんって、家庭環境はどうだったの?
コヤマ:家庭環境に関しては、他人に話して“大変だったんだな…”と言われる感じではたぶんないと思います。
篠塚:そうなんだ。“じゃあ、どうしてそういう感じになったんだろう?”というところに僕は興味があって。たとえば子どもの頃から全肯定されて愛され続けてきた人は、こういう感覚にならないと思うから。実体験として明確に裏切られたり、傷ついたりして“人って当然こういうものだよな”と理解する瞬間がきっとあったんだろうなと思うんですよ。
●そういった経験はない?
コヤマ:俺は東京出身なんですけど、実家があるのはメチャクチャ田舎なんですよ。だから保育園から小学校・中学校まで10年以上もずっと、ほぼ同じ人たちと一緒に過ごしてきたんです。でも高校で少し都会のほうに出た時に、地元から同じ学校に進学したのが2〜3人くらいしかいなくて、周りは知らない人間ばかりになって。そこで初めて自分が今まで“これで良いんだ”と思ってやっていたことが実は全然正しくなかったり、実はすごく人に笑われたり怒られたりするようなことだと知って、それまでに作り上げてきた世界が一気に崩れた感じがしたというか。思えば、そこからずっと自分は彷徨い続けているような感じがします。
篠塚:ずっと同じ世界にいたところから、外に行って違う人たちと接した時に自分の中での“常識”が崩れ落ちたというか。“じゃあ、やっても良いことって何なんですか…?”っていう恐怖心みたいなものが生まれるんですよね。それはすごく怖いことだと思う。
●幼少期に作り上げてきた常識が、高校で一気に覆されてしまった。
コヤマ:それもあったし、あとは高校に入ってから初めて俺は異性を好きになって。高校1年生の時に生まれて初めて彼女ができたんですけど、簡単に言えば結局その人に自分は遊ばれただけで終わってしまったんですよ。
篠塚:ええ〜!
コヤマ:今となってはその人が本当にどう思っていたのか確かめようがないのでわからないんですけど、向こうは俺のことが特に好きだったわけでもなくて。“こんなことを言っていたよ”みたいな話を人づてに色々と聞いて、すごくショックを受けたんです。そういう経験も関係しているかもしれないですね。
篠塚:恋愛にかかわらず“人を好きになる”って、相手を素敵だなと思って信じることなわけで。親だろうが、好きな女の子だろうが、友だちだろうが、“愛に裏切られる”というのはものすごく苦しいことだと思うんですよ。
●高校時代の経験が大きな影響を与えている?
コヤマ:そうですね。もちろん楽しいこともあったんですけど、自分自身に対する不信感というか、自己肯定感の低さみたいなものは高校時代に基礎ができてしまったかもしれない。あと、今思い出したんですけど、俺がまだ小さい頃、母親と祖母の仲がメチャクチャ悪かったんです。朝、母親が(祖母に対して)怒鳴る声で目が覚めるような感じで…。
篠塚:そこは僕も同じような経験をしていて。父親がまだいた頃は、母親とよくケンカしていましたね。親の怒鳴り声で朝起きて、まず最初にするのが縁側に逃げるっていうことで。(ケンカの声を)聞きたくないから、縁側の端っこで耳をふさいでいたんです。だから、そういう辛さはすごくわかります。
コヤマ:子どもながらに、ケンカしている状況や母親がイライラしていることに対して、自分には何もできないという感覚があって。それが根本的な無力感につながっているような気がしますね。
●その経験も大きかったんですね。
コヤマ:“自分は何もできない人間である”という自覚が、そこで生まれて。だから何をやっていても、虚しく感じる瞬間があるというか。音楽をやり始めてからも“自分がこんなことをやっていて何になるんだろう?”みたいな感覚がずっとあったんです。でも今までずっと続けてきて、自分たちの曲を“好きだ”と言ってくれる人がどんどん増えてきたことで初めて、“自分のやっていることにはもしかしたら何か意味があるのかもしれない”と思えるようになってきたんですよね。
篠塚:コヤマくんの口から“自分が音楽をやることに何の意味があるのか?“という言葉を聞けたことがすごく素敵だなと思って。そういうふうにはっきりと感じている人なのに、「顔」みたいな曲を書けてしまったり、誰かと一緒に呑んで帰った後に1人で反省会をしたりしているんですよ。
コヤマ:ハハハ(笑)。
篠塚:このインタビューだけを読んだ人は、“コヤマさんはバンドをやったことで救われたんだな。良かった”とか思っちゃいそうじゃないですか。でも“こういうふうに感じることが増えました”っていうだけで、人格を変えるまでには至っていないというか。(根本は)何1つ変わっていないと思うんです。
●根本にあるものは変わっていないと。
篠塚:コヤマくんは自分の中にあるマイナス面やコンプレックスをそのまま動機にしているというか、それを推進力に変えてきた人だと思うんですよ。そういう感じが僕はすごく好きなんですよね。僕自身も負のエネルギーが推進力になっているところがあるので、グッとくるんです。
コヤマ:負の感情みたいなものがエネルギーになって、作品になっているというのは俺としのさんだけじゃなくて。そういう人って、いっぱいいると思うんですよ。僕らはタイムマシーンに乗って過去を変えに行けない代わりに、作品として出すことで過去にさかのぼって誰かに復讐を遂げている気になっていたりするんだなと思うことはありますね。
●音楽を通して過去に復讐している。
篠塚:僕がコヤマくんの歌に一番グッとくるところは、そこなんですよね。“音楽で復讐したい”という感覚は自分にもあるんですけど、僕はそれがすごく下手なんです。それで“どうやったらできるんだろう?”と思っていた時にコヤマくんの歌に出会って、ものすごく衝撃を受けて。“この人は音楽で、本気で過去の誰かを殺しにいっているぞ…”と思いましたね。
コヤマ:ハハハハハ(笑)。
篠塚:太宰治の『人間失格』を初めて読んだ時くらいの衝撃というか、とんでもないものに出会ってしまった感じがしたんです。人間の本質だったり、足掻いている感じが伝わってきたりするのが本当にすごいなと思って。今のCIVILIANを聴いている人がどう感じているかはわからないんですけど、僕の中ではLyu:Lyuの頃から全く変わっていないと思っています。
●バンド名が変わっても、そこは変わっていない。
篠塚:僕らも生きているから、作る曲も当然変わっていくわけで。でも自分が中2の頃に初めて作った曲から今の曲まで、全部がつながっていると思うんですよ。本当に自分のことを歌っている人は、そうやって地続きでつながっていくものだと僕は思っていて。コヤマくんが作っている曲は、本当に地続きなんですよね。だからコヤマくんが作った曲を順番に並べた時に、どんな人かわかるというか。それこそ高校生の時に作った曲から、VOCALOIDで作った曲まで全部並べた時に、“こういう人なんだな”という“人”が見えると思うんです。
●曲がその人を映し出している。逆にコヤマくんにとって、それせかの音楽とは?
コヤマ:それせかの音楽やしのさんが書いている歌詞の内容って、俺みたいな人間にとっては心の奥にあるものを口の中に手を突っ込んでガーッと引っ張り出されているような感覚になるんです。そういうことって、他ではあまりないんですよね。俺は人のライブを観ている時も、一番後ろでずっと黙って観ているのが好きなんですよ。自分の中で楽しんではいるんですけど、今まで観たライブの中で自分がワーッと盛り上がった記憶は本当になくて。でも名古屋で対バンをした時にそれせかのライブを観ていたら、お客さんに見られたら困るくらい号泣してしまって…。
篠塚:それは本当にもう…嬉しいですね。
●そんな両者が8/15に2マンを行うわけですが。
篠塚:僕は音楽も人間も両方好きじゃないと、基本的には一緒にやったりできないんです。そういう意味でCIVILIANは本当に好きで尊敬できる相手でもあるので、自分がどう感じるのかも楽しみだし、コヤマくんがどう感じるのかも知りたくて。活動中止を発表したことでちょっと大ごとになってしまったという感覚はあるんですけど、本当に自分が好きな相手と純粋に対バンできたら良いなと思っています。
コヤマ:自分もそれせかを好きな人間の1人として、お客さんの気持ちもよくわかるというか。もしかしたら、それせかという存在が二度と帰ってこない可能性も0ではないわけだから。そういう意味でも、こうやってまた一緒にライブできる機会をもらえたことが本当にありがたいです。でもライブ当日はもう活動中止のことも関係なく、全力でやるだけだなと思っています。
篠塚:音楽に自分を投影できている人間同士だと思うので、(ライブで)ぶつかり合うことでもっと仲良くなりたいし、お互いをもっと知ることで人生の糧にもなれば良いなと思っていて。一緒にやれて本当に嬉しいし、その日で僕の人生の分岐点がちょっと変わると思うんですよね。だから当日は、よろしくお願いします!
Interview:IMAI