茨城県日立市のレコーディングスタジオSTUDIO CHAPTER H[aus]。機材、壁の素材や建物の設計、電源周りまでにこだわり抜いた、エンジニア樫村氏のノウハウとこだわりが詰まった同スタジオが、今年20周年を迎えた。JUNGLE☆LIFE web連載『CHAPTER H[aus]エンジニア 樫村治延のセルフRECはプロRECを越えられるか?』でそのノウハウを惜しみなく公開し続けている彼に、20年間のバックグラウンドとポリシーとこだわり、そしてこれから先の夢を訊いた。
「“日本のトーレ・ヨハンソンみたいな存在になりたいな”と思うようになって、だったら自分でスタジオを作るしかない」
●CHAPTER H[aus]は今年20周年ということですが、ずっと茨城県に住んでおられるんですか?
樫村:はい。でも大学が東京だったので都内に10年以上居て、大学生の頃から音楽に携わっていて…もともとは作曲とかアレンジが本業なんですよ。CMの音楽を作ったりしていて。
●学生時代からですか。
樫村:そうですね。小さい頃から音楽を聴くのが好きで、楽器を始めたのは高校に入ってからなんですけど、大学に通いながら作曲家の先生について、作曲/アレンジ/打ち込みなどを勉強し始めたのが最初です。だからエンジニア業を始めたのは30歳過ぎてからです。
●当時はどういう音楽が好きだったんですか?
樫村:例えば4ADというレーベルからリリースした『Pump Up The Volume』というシングルが大ヒットしたM/A/R/R/Sというユニットですね。「Pump Up The Volume」という曲が大好きで、ああいう曲を作りたいなと思ってよく聴いていました。僕は5歳のときから洋楽を聴いていて、ギルバート・オサリバンやエルトン・ジョン、アルバート・ハモンドとかを聴いて子供ながらに“すごくいい曲だな”と思っていました。その後に日本の歌謡曲を聴いて“元ネタは洋楽のあの曲じゃん!”みたいな(笑)。
●情報源は何だったんですか?
樫村:FEN(現在のAFN)のビルボードチャートが2週間遅れで入ってくるんですけど、かじりついて聴いてました。こんな田舎だと、やっぱりFENが当時のいちばんの情報源でしたね。あとは『FMfan』という雑誌のチャートに赤線引っ張ってエアチェックしたり。当時はレコードも手に入らなかったし、CDはまだ無い時代だったし、タワーレコードがあったのは知っていましたけど子供だったのでちょっと敷居が高くて。
●当時、茨城県にタワーレコードはあったんですか?
樫村:いや、ないです。だから高校生になってから新宿や渋谷まで通ってました。でもなんとなく、タワーレコードはメジャー過ぎるなと思っていたんですよ。高校1年のときに六本木にWAVEができたんですけど…確かWAVEは試聴機をいちばん最初に始めたんですが…毎月1回通っていました。店員さんに色々と教えてもらいつつ、お小遣いをはたいてCDを買って。アメリカよりもヨーロッパのマニアックな音楽がかなり充実していたので個人店では渋谷ZEST、量販店ではWAVEがいちばん好きで、特に六本木WAVEが充実していたんです。
●確かにWAVEはそういう特徴がありましたね。
樫村:あと、大学生になってからは『TV Bros.』でレビューを書くようになったんですけど、当時はカセットテープのサンブル盤が100個くらいダンボールに入れて送られてくるんですよ。「新譜だと何を選んで書いてもいい」という約束だったので(笑)、好きなものばかり選んで書いてました。
●樫村さんが魅力を感じる音楽というのは、クオリティの部分なんでしょうか?
樫村:いや、どうでしょうね。特に当時はクオリティなんか特に意識せず、直感的にいいと思ったものをどんどん掘り下げていった感じですかね。イギリスだけでは物足りなくなって、フランスとかイタリア、当時流行っていたスウェディッシュ・ポップとか。そうやっていくうちに“日本のトーレ・ヨハンソンみたいな存在になりたいな”と思うようになって、だったら自分でスタジオを作るしかないなと。
●そこでスタジオに繋がるんですね。
樫村:スタジオ名は敢えてシューゲイザーを感じさせるものにして“シューゲイザーのマニアだろう”と思わせて、実はフレンチ・ポップとかスウェディッシュ・ポップのような他のジャンルの方がもっと詳しい、みたいな裏切り方を狙ったんです。
●案外あざといですね(笑)。そんな樫村さんが個人で始められたスタジオが20周年を迎え、専門誌などでもそうそうたるスタジオと肩を並べて取り上げられているわけじゃないですか。CHAPTER H[aus]の個性というのはどういうところなんでしょうか?
樫村:アイドルやらない、ボカロもアニソンも滅多にやらない、ビジュアル系もほとんどやらない、乗り込みエンジニアもやらない…いわゆるビジネス的にはいちばんおいしいところを半分以上ぶった斬っているんです。東京のスタジオとかでは有り得ない話じゃないですか。
●それはなぜですか?
樫村:うーん、僕の中ではタレントとアーティストの違い、という感じですね。アカデミックな要素があるか/ないかでいつも考えているんです。欧米の価値観からしたら僕が言っている方がワールドスタンダードだと思うんです。日本が偏っているんですよね。
●なるほど。ビジネスになるというか、お金になるとわかったらみんながワーッと集まる傾向が日本にはありますからね。
樫村:でも日本の場合は日本で売れないと…例えば「海外で評価されています」と言われてもピンと来ない人が圧倒的に多いですよね。それよりも「日本の有名なフェスに出ています」とかの方が若い人たちには確実に支持されますよね。その偏り方が非常に残念かなと思います。
●RUINSやBOREDOMSなどがそうですよね。
樫村:そうそう。少年ナイフやCibo Mattoもそうじゃないですか。
●樫村さんの人生は自分の好きなことだけを追求してきた結果、という感じがしますね。
樫村:はい、20年間そこはまったくブレずにやってきました。ウチに来るお客さんには「日本の俗っぽいところをまったく感じない」と言っていただくことが多いんです。
●俗っぽいところ?
樫村:レコード屋さんの店員さんと話している感覚でレコーディングが進められる感じというか。
●なるほど。
樫村:ものすごく音楽に詳しいこだわりのアナログ盤バイヤーとか居るじゃないですか。そういう人と話している感覚なんでしょうね。だから「あっという間に終わった」と言ってもらえることが多いです。
●樫村さんに「こういうサウンドにしたい」と伝えたら、それをすぐ引き出してくれるというか。
樫村:それはあると思います。「New Orderの何枚目の何曲目のベースの音っぽくしてほしい」と言われたら「ああ、あれね!」という感じで即答できると思うので。
●そういうリクエストは多いんですか?
樫村:多いですね。お客さんが音源を持ってきて「こんな感じにしたい」って。「でもこの音はこのギターだと出ないから、ウチにあるギターとアンプとエフェクター使ったら近くなるよ」みたいなアドバイスをしたり。だからCHAPTER H[aus]には楽器も色々と用意しているんですよ。手っ取り早く“FUJI ROCK FESTIVAL”に出演するようなジャンルの音はだいたいカバーできるように、ギターもベースもチューンナップして。ラウドパーク系やサマソニ系にも対応できるようにしています。
●楽器は自分でチューンナップしているんですか?
樫村:いや、テックの人に頼んでます。バンドもやっぱりいろんな機材を持ち込みますけど、ツアーをやりまくってて楽器がへたっていたり、アルバムを作るときに持っている機材だけではカバーできなかったりしたときに、スタジオにある楽器を使うことを提案する。そういうことはよくあります。
●バンドが持ってきた音源を聴いて、わかるものなんですか?
樫村:大体はわかります。もしわからなかったら、海外の知り合いに訊いてチェックします。
●でも楽器と機材の組み合わせなんて、パターンでいうと無限にあるじゃないですか。
樫村:もちろんそうなんですけど、これだけ長くやっていると大体予測がつくんですよ。それにMVを観れば何をギターを使っているかもわかるじゃないですか。“きっとライブはこれだけどレコーディングはこっちだな”みたいな予測をして、それを試してみるという感じです。
●CHAPTER H[aus]は至れり尽くせりですね。
樫村:やっぱり狙った音が録れると、後が楽ですからね。録りに時間をかけても狙った音が録れたら、トータルするとミックス/マスタリングが苦労しないんです。
●20年やってきて、CHAPTER H[aus]を選ぶ人たちの傾向というか匂いみたいなものは出来つつあるんでしょうね。
樫村:なんとなくは出来つつあるかなと思います。わかりやすく言うと、邦楽しか聴かない人はあまり来ないですね。“邦楽”と言ってもさっき話題にあがったBOREDOMSとかを好きな人たちは来るけど、売れ線ばかり聴いてるような人たちには合わないと思います(笑)。
●ある意味、樫村さんは自由な考え方なのかもしれないですね。
樫村:でもいちばん難しいのは、自由なものを好き勝手にやって…それを趣味でやるんだったらいいんですけど…多くの人に届けたいと思ったとき、どう自由にやるかが重要だと思うんです。好き勝手なことばかりやっていると多くの人に届きにくくなるじゃないですか。そこのギャップをどう埋めるかが永遠の課題かなって思うんですよ。大体の人は「もうちょっと売れ線に寄せよう」と考えるじゃないですか。でも僕は出来れば、本当にアンダーグラウンドのままでメガヒットを作り出せるように出来たらいいなと思うんです。まったく媚びずに。音楽が大衆化しちゃっている気がするんです。
●先程樫村さんは「アカデミックな要素があるか/ないかでいつも考えている」とおっしゃいましたが、日本のシーンの状態として、アカデミックに音楽を追求して作品を制作することよりも、フェスやライブで多くの人に届ける必要性が強くなっているから、という理由もあると思うんです。
樫村:そうでしょうね。実際に今はバンドの知名度を上げようと思ったら、どれだけいいフェスやライブに出られるか、が重要になってきますもんね。まあ「世の中の流れ」と言ってしまえばそれまでかもしれないですけど、ロックが生まれてから何十年も経っていて、日本だけなんか頭1〜2個分抜けきれていないなっていう気がどうもするんですよね。日本からローリング・ストーンズやU2やレディオヘッドみたいに世界規模で評価される本格的なバンドが出てこない理由はそういうところなのかなって思うんです。
●そうかもしれない。
樫村:日本が世界に通用しないのは音楽と映画。映画は音楽よりはマシだと思うんですが、音楽はやっぱり世界規模になる可能性があるとしたらアイドルくらいかなという気がします。西洋人からすると、洋楽の真似をやっているところがいちばんピンと来ないんですよね。だから西洋人に洋楽を教えるくらいの博士レベルまでいくか、和のテイストをぶっ込むか、そのどちらかだと思うんですよ。だから若い人たちには「洋楽っぽい音楽をやるんだったら西洋人の遥か上をいかなきゃ通用しないよ」という話をよくするんです。要するにイチローにならなくちゃいけないなって。
●よくわかりました。では最後に、今年で20周年を迎えたCHAPTER H[aus]が今後目指す先はどういうところですか?
樫村:知り合いのアルトフォニックというスタジオが東京と大阪2箇所で営業していたんですけど、3年前に日本の2軒をたたんでベルリンにレコーディングスタジオを作っちゃったんです。それでエレクトロを中心とした勢いのあるミュージシャンを中心にやってるんですよ。雇われて行くんだったらよくある話ですけど、ベルリンのど真ん中に建てちゃったんですよね。今、アナログレコードのカッティング技術はドイツが世界一で、そのカッティング技術を習得するという目的もあるらしいんですが。
●でもドイツでレコーディングスタジオを作るってすごいですね。
樫村:すごいですよね。それが僕としてはすごく衝撃的で、刺激を受けて。「よくぞやったな」と。僕が今いちばん行きたいのはパリなんですけど、だったら僕は、最終的にはパリでスタジオをやることを目標にしたいなと。
Interview:PJ