1980年代後半より30年余りにわたって活躍を続ける作詞家・及川眠子(おいかわねこ)の集大成となる2枚組CD『ネコイズム〜及川眠子作品集』がリリースされる。
Winkの「淋しい熱帯魚」から、やしきたかじん「東京」や『新世紀エヴァンゲリオン』の主題歌「残酷な天使のテーゼ」まで、誰もが耳にしたことがある名曲たちを多数手がけてきた彼女。
プロフェッショナルとして様々な歌い手や企画に寄り添い、それぞれの個性や世界観を牽引してきた姿勢は“最後の職業作詞家”という呼び名がまさに相応しい。
キャリア30年を超えた現在も第一線で活躍を続けている彼女に話を訊く、貴重なスペシャルインタビュー。
「“今までの全て”っていうものじゃなく、“これはまだ前半戦”みたいな感じなんです」
●及川さんが元々、音楽に興味を持ったキッカケは何だったんでしょうか?
及川:ラジオですね。私たちはラジオ世代で、深夜放送がいちばん元気のある頃だったんです。中でも影響を受けたのは、TBSの林美雄さんがDJをやっていた「パックインミュージック」でした。
●それは及川さんがいくつくらいの頃ですか?
及川:中学〜高校くらいの頃です。自然と洋楽も耳に入ってきたし、ラジオで色んな曲を聴くようになりましたね。
●ラジオを通じて、色んな音楽を聴くようになったんですね。
及川:そもそも音楽が好きだから。音楽が好きな人って、色んなものを聴くんですよね。その中で自分に合うものをチョイスしていくというか。そこから自分の好きになった音楽のルーツはどこから来ているのか探って、その(ルーツに当たる)曲もまた好きになっていくという感じでした。
●好きなものから、どんどん掘り下げていった。
及川:そうですね。私たちの世代は、みんなそうだったんじゃないかなと思います。
●最初に好きになったのは、どういう音楽だったんでしょうか?
及川:ポップスというか、歌謡曲ですね。60〜70年代って歌謡曲にすごく力があった時代でヒット曲もたくさん出ていたので、自然とTVでも聴いていたんですよ。最初に買ったレコードも、フォーリーブスとかだったんじゃないかなと思います。
●そういうものを好きになったところから、作詞家を目指そうと思うようになったキッカケとは?
及川:“こんなのだったら私でも書ける”と思ったからですね。
●ハハハ(笑)。元々、文章を書くのは得意だったんですか?
及川:好きか嫌いかで言えば好きだったし、得意ではありましたね。
●でも小説家や作家ではなく、作詞家になろうと思ったのはなぜ?
及川:音楽が好きだったからですね。それ以外に何もないんですよ。音楽が好きだから詞を書きたかったし、音楽が好きだから音楽の世界で生きたかったというだけで。「じゃあ、なぜミュージシャンじゃないんだ?」って訊かれたら、ギターはFのコードでつまずいたからっていう(笑)。
●ギターを始めるにあたって、多くの人が最初に挫折するところですよね(笑)。
及川:ピアノも両手でそれぞれ違う動きができなくて(笑)。やっぱり、向き不向きってあるものなんですよ。“ものを書きたい”じゃなく、“音楽が好き”だから私は“作詞家”という方法を選びました。
●音楽の世界で生きていくために、作詞家になる道を選んだ。
及川:そうです。だから未だに、詞なんか信用していないんですよ。“いい詞”なんかなくて、“いい歌”だけがあると思っています。
●歌詞にメロディや曲、アレンジが加わって、人に歌われることで初めて“歌”になるというか。
及川:そうですね。私は“歌の言葉”を書いているのであって、ただ言葉を書いているわけではないから。“100点の詞”を書くのなんて、簡単なんですよ。それを“100点の歌”にするのが難しいんです。個人作業ではなくて、共同作業ですからね。
●歌詞だけで成り立っているわけではない。
及川:アレンジやスタッフの力もあります。仲間の作曲家に「100点の曲を書くのなんて簡単だよね?」と訊いたら、「簡単だよ」って言うんですよ。でもそれがアレンジや歌唱などによって、10点になったり200点になったりもする。こっちは(歌詞や曲を)差し出しているわけですから、あとは“それをどう育ててくれるか”っていうところで。“せっかく、いい子に生んだのに…”みたいな場合もありますからね。
●自分が書いた時点では、“いい歌詞”が書けたという感覚はあるわけですよね?
及川:もちろん。そうじゃなきゃ出さないですから。
●誰かに歌詞を書かれる上で、その中にご自身の想いを込めたりすることもあるんでしょうか?
及川:私を通して出ていくものなので、そういうものも多少は入っていると思います。でもそこは微妙な部分で“だからこうです”、“ああです”みたいに簡単には割り切れないというか。“ここは自分の主張が半分出ている”とか、“この歌には8割くらい出ている”みたいな感じで色んなパターンがあるんです。曲の作り方がどれも違うように、詞の書き方も毎回違っていて。全部違うから、この仕事は面白いんですよね。
●歌い手や時代性に合わせて、1曲ごとに違う形で表現している。
及川:それが“職業作詞家”の仕事ですから。私は“音楽家”でもなければ“芸術家”でもなくて、“職業作詞家”であることに誇りを持っているんです。私の役目があるので、それを遂行するっていうだけですね。
●“職業作詞家”として、プロフェショナルな仕事をすることに徹しているわけですね。
及川:最初から、そこを目指してやってきましたから。“アーティスト”にはなれないんです。また、たとえどんな依頼が来ても“それをどうやって楽しむか?”とか“どうやって、この子を使って(自分の)言いたいことを言うのか?”といったところが楽しいんですよ。
●アーティストの場合だと周りから見た自分のイメージというものに縛られたりもしますが、職業作詞家だからこそ何か1つに囚われることなく色んな表現にチャレンジできる楽しさがあるのかなと思います。
及川:それもありますね。昔、大地真央さんに歌詞を書いた時に彼女から「どうして作詞家になったの?」って訊かれたんですよ。私がまだ20代後半だった頃なんですけど、その時に「たぶん1つの人生じゃ物足りないんだと思う」と答えて。そうしたら「すっごくわかる! だから私も女優をやってる」って言われたんです。それに近いんだと思います。
●歌詞を書くことで、色んな人を演じている感じでしょうか?
及川:“演じている”というより、“自分を加工している”感じですね。“人に合わせている”というか。他人の体験であっても、一度は自分のフィルターを通すんですよ。だから全部、私のフィルターを通ってはいるんですよね。「この人の経験を聴いて、それを書いて欲しい」と言われても、それだけじゃつまらなくて。誰かに詞を書くということは、そこに自分のフィルターを1回通すっていう面白さがあるんです。
●その面白さも最初から感じていたんですか?
及川:いえ、最初からあったものではなく、色んなキッカケがあって。つまずきとかも色々あって、今に至るという感じですね。
●紆余曲折があって、今の考えに至っている。
及川:私は元々、アイドルで売れるとは思っていなかったんですよ。フォークソングとか、わりとマニアックな音楽ばかり聴いてきたので、どちらかと言えばそっちで売れたかったんです。でもWinkが売れたことで、やっぱり“アイドルの作詞家”っていうイメージが付いちゃうんですよね。
●象徴的なヒット曲があると、その印象が付いてしまう。
及川:そうなった時に、来る依頼がほとんどアイドルや何かの企画物になってきて、すごく苦しかったんです。“事務所を変えたほうがいいのか…? アイドルの仕事を辞めたほうがいいのか…?”という葛藤があった時に、色々な方に相談して。そこで言われた言葉の中で特に印象的だったのが、「世間が求めている“及川眠子”と、あなたがやりたい“及川眠子”は違う」っていう言葉でした。
●そこの乖離に苦しんでいた。
及川:若い頃って、理想が高いんですよね。それに追いつけていない自分がいるという苦しさがあって。あとは、求められることと自分がやりたいことの比重というか。“なぜ、ここばかり求められるんだろう?”と思うものなんですよ。今売れている作詞家や作曲家は、みんな同じ経験をしていると思います。
●一度イメージがついてしまうと、それに近い仕事の依頼がたくさん来てしまうわけですね。
及川:Winkで売れたらアイドルの仕事ばかり来て、やしきたかじんで売れたら歌謡曲の仕事ばかりで、“エヴァンゲリオン”で売れたらアニメの仕事ばかりで、次はR&Bで…という感じで。そうなると“この人はいったい何が得意なの?”って、世間に思われるわけですよ。そして結論としては、“何でも書けるんだ”っていうことになるんです。
●ヒット曲を生み出す度に、世間からのイメージが変わっていく。
及川:私の考えている、今後一生かけての目標はただ1つで。“エヴァ作詞家”っていう肩書きを外すヒットを作ることなんですよ。
●世間に付けられた肩書を塗り替えるような、新たな代表作を作りたいと。
及川:まさにそうです。
●今回の『ネコイズム〜及川眠子作品集』には過去の代表作と言える曲がたくさん入っていると思うのですが、どの曲にも思い入れが深いものでしょうか?
及川:思い入れはないです。自分の手を離れた瞬間にもう“歌手のもの”だと思っているし、もっと言うと“世の中のもの”だと私は思っているんですよ。だから、すごく客観的に見ているというか。
●よく言われる“自分の子ども”みたいな感覚ではないんですね。
及川:“里子に出した子ども”と同じような感覚ですね。そこに思い入れを持ってはいけないんです。というのは、“私のいちばんの代表作はきっと未来にある”と思っているからで。そこに行くためには、個々に思い入れを持ち過ぎるとそれに引っ張られてしまうんですよね。
●過去よりも、未来を見つめている。今回の収録曲をセレクトする時も、これまでの道のりを振り返ったりはしなかったんですか?
及川:振り返ったりはしていないですね。今回収録した30曲中、27曲は20世紀に発表したものなんですよ。なぜそうしたかと言うと、“21世紀バージョン”をいつか出すっていう想いがあるからで。そういう課題を残すほうが楽しいというか。“今までの全て”っていうものじゃなく、“これはまだ前半戦”みたいな感じなんです。
●これまで30年以上も創作活動を続けられてきたわけですが、まだ“前半戦”という意識なんですね。
及川:というか、“現役”なんですよ。こういう作品を出してしまうとすぐ“終わっちゃった”とか思われがちなんですけど、そういう意識は全くないですね。
●まだまだ新しいものを生み出していきたいという意欲がある。
及川:それがなくなったら、辞めます。
●ちなみに今作に入っている中でいちばん新しいものは、木島ユタカさんに提供した「十年経てば」(アルバム『和のこころ2 〜ケルティック編〜』収録/2017年)ですが。
及川:本人は「もう自分のことが嫌いになるくらい、詞と向き合うしかなかった」と言っていましたね。“(今の自分に)これを歌えっていうのか?”みたいな。
●年齢的にまだ“父が娘を想う気持ち”をテーマにした曲を歌うのが難しいというか。
及川:でも私は「等身大の歌を歌いたかったら、自分で書けばいいんだよ。5年〜10年経って、そこに来たら良いじゃない」と言ったんです。時を経て、気持ちがシンクロする時が必ず来るから。その成長のために、詞を提供したという感じですね。
●そこも未来を見据えて、書いているわけですね。
及川:“成長してもらいたい”っていう想いはありますね。そういう意味では、やしきたかじんはよく私を使っていたなと思うんですよ。今改めて考えてみると、「東京」を歌っていた時って(やしきたかじんは)45歳くらいなんですよね。そんな歳の人に、人生の黄昏時のような歌を歌わせていたわけだから…。“俺はこんなんちゃうわ!”って、思わなかったのかなと(笑)。
一同:ハハハハハ(笑)。
Interview:IMAI
Assistant:平井駿也