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BUGY CRAXONE

自分らしくのびのびと生きる“ぼくたち わたしたち”の歌

今年1月にインペリアルレコードへ移籍し、新曲3曲を含むベストアルバム『ミラクル』をリリースしたBUGY CRAXONE。バンドとしての変遷を感じられると同時に、間違いなく“今”が最高の状態にあることを確信させるような作品を経て、待望の新作オリジナルフルアルバム『ぼくたち わたしたち』をリリースする。Vo./G.すずき ゆきこが“ルーツをだいじに書いた曲とそこをぶったぎる歌詞で、むしゃくしゃしたとき、いっしょに空き缶を蹴れる友人のようなアルバム”と語るとおり、ハートフルかつ青春感を漂わせる良質な楽曲の数々は彼らにしか生み出し得ないものだ。11月に渋谷CLUB QUATTROで開催する結成20周年記念ワンマンライブ“100パーセント ナイス!”に向けて勢いをつけた4人は、その先の未来へ走り出していく。

 

「自分の中でのテーマとして、“BUGY CRAXONEというバンドを1回手放そう”と思ったんですよね。バンドの根源を1回解体するというか。バンドのあり方を変えてみるということがしてみたかった」

●すずきさんは今回の新作『ぼくたち わたしたち』について“ルーツをだいじに書いた曲とそこをぶったぎる歌詞”と表現されていましたが、最初からそういうテーマで作り始めたんでしょうか?

すずき:ここ何年かはアルバムを作るにあたって、自分でトータルイメージを考えた上で“こういう曲が足りないな”と書き足したりもしていたんですけど、今回はそれをやめようと思って。自分の中でのテーマとして、“BUGY CRAXONEというバンドを1回手放そう”と思ったんですよね。

●“手放す”というのは?

すずき:たとえば私がバンマスで自分で全曲作っているんだったら良いんですけど、実際はG.笈川くんも曲をたくさん書いていてコンポーザーが2人いるわけだし、バンドセッションで作るパターンもあったりして。でも結局、私が描いた全体像に(曲を)はめ込んでいくという作業は、“曲は変われどやっていることは一緒”という感じでずっと繰り返されちゃっているなと思ったんですよね。

●ある意味、ルーティン的になってしまっていたというか。

すずき:20周年というタイミングもあったと思うんですけど、今回はそこをいったんナシにして。ベストアルバム(『ミラクル』)を作った後に、“もう一度新たな気持ちで挑戦する”というところがあったんです。たとえば同期モノをやるとかそういう挑戦の仕方ではなく、バンドの根源を1回解体するというか。バンドのあり方を変えてみるということがしてみたかったんですよね。

●すずきさんのイメージを前提にした今までの制作方法とは変えたということ?

すずき:笈川くんはアイリッシュの民族音楽が好きなんですけど、Dr.ヤマダは音楽的に笈川くんの作るものに共鳴して自分のライブラリの中からアプローチできる人だし、Ba.旭さんも鍵盤を習っていたこともあったので旋律を作るのが上手かったりして。そこをもっと存分に発揮しても良いんじゃないかなと思ったんですよ。

●メンバーそれぞれの個性や資質を活かそうとした。

すずき:そういうところで、それぞれのルーツを出していくという感じですね。私はそこをあまりコントロールしないぶん、自分に任されているボーカルと歌詞の部分でより一層の力を発揮するというか。作業の分担の仕方をちょっと変えてみました。

●その結果、“ルーツをだいじに書いた曲とそこをぶったぎる歌詞”になったと。

すずき:音楽はしっかり作っているんだけど、言っていることはすごく“土足”っぽいというか“言いたい放題”だなと。たとえばアイリッシュな音だったりオケの雰囲気を汲み取るなら、もうちょっと美しい感じの歌詞を書いても良いんじゃないかと思うんですよ。でもそこは問答無用で、“私”を出していくっていう。その混ざり合いが上手くいけば、今までみたいに“こういう曲はこうだ”というふうなわかりきった着地をすることはないんじゃないかなと思って。“どうなるかわからないこと”がやってみたかったんです。

●曲の持っているルーツや雰囲気に、無理に合わさずに歌詞を書くというか。

すずき:私はわりかしTPOを重んじるところがあって。だから音に影響されて歌詞を書くということが、プラスに出たりマイナスに出たりしやすいんです。でも今回は、そこを踏ん張ったというか。あまり音に引っ張られすぎず、新しい発想をしていくというところで、スタミナがついた気がしますね。

●1つのルーツに引っ張られすぎない歌詞やメロディが乗っていることで、オリジナリティも生まれている気がします。

すずき:1つのものに傾倒している人に対する憧れはあるし、すごくカッコ良いなとは思っていて。でも私には、それはできないですね。1つに絞りたいなと思って挑戦してみたこともあるんですけど、“挑戦”している時点でそもそも厳しいというか(笑)。

●確かに(笑)。過去の作品ではタイトルに“Punk”と掲げていたものもありますが、今はその枠だけに収まらない普遍的な“音楽”を鳴らしている感じがして。

すずき:笈川くんは、The Clashから音楽に入っているというのもあって。当時は若くてスピード感もあったのでそういうことができたんですけど、今はもうそこに追いつくのがしんどいというか。だから、自分に合った曲をやっています。長くやってきたからこそジャンルレスにしていけている部分もあるし、変なこだわりはないですね。だから“ロックバンド”をやっているという感覚もどんどんなくなってきていて、“すずき“なり“BUGY CRAXONE”の作品を作っているというところでしかないのかなと。

●何かに囚われていない解放感が、今作には漂っているなと思って。特にM-1「ぼくたち わたしたち」で“あっけらかんと生きるのだ”という言葉で終わって、M-2「花冷え」のイントロに続いていく流れがその空気感を象徴している感じがしたんです。

すずき:今までは曲順も私が中心で考えていて、すごく国語的に考えていたというか、物語性を重んじていたんです。だから今までの考え方なら2曲目に「花冷え」みたいな曲がくるのは有り得ないと思っていたんですけど、笈川くんが譲らなかったんですよ。「1曲目から3曲目までのつながりがすごく良いから、変にこだわらないほうが良い」と言われた時に、“そうだ。私は今回このバンドのコントロールをしないと決めたんだった”と思って、任せたんですよね。

●曲順に関しても、自分でコントロールしないようにした。

すずき:結果として今は本当に“この曲順にして良かったな”と思うし、“曲順1つでアルバム全体の印象が変わるようなものだったんだな”と改めて思って。このバンドで今まで使っていなかった筋肉が動いている感じもしていて、音楽の可能性というか“本当に些細なことでこれだけ彩りが変わるんだ!”という繊細さにも気づいたというか。音楽に関わらず何でもそうですけど、決めつけたりイメージを持ちすぎるのは危ういなと思いました。

●今までのやり方をしていたら気づけなかった発見もあったんですね。

すずき:“大切にする”と“執着する”は違うから。今はものすごく長い糸の風船を持っているような感覚でいるというのが、大事な気がしているんですよね。離さないけど、ギリギリのところで掴んでいるというか。

●天高く浮かんではいるけど、ちゃんと糸は掴んでいる。

すずき:いつでも手繰り寄せることはできるんだけど、あまりがっちり抱えてしまうと動きが取れなくなってしまうから。それは自分の首を絞めているようなことというか、息苦しくしちゃうんじゃないかなと思うんですよね。

●その感覚が今作の“囚われていない”という印象につながっているんでしょうね。

すずき:“のびのび生きることが一番なんだな”と思うから。

●M-8「ルンルンでいこう」の“ホップステップステップのまま おどりなれてしまったわたしたち”というフレーズも、バンドとしての姿勢につながる言葉かなと思いました。

すずき:“別にジャンプしなくても良いんじゃない?”と思ったんですよね。やっぱり“飛ぶことが正解”とか“何かを成し遂げることが正解”というふうになっちゃっているんだろうなと思って。

●“そうあるべき”という固定観念に囚われがちというか。

すずき:たとえば車って、丸っこい形のものが最近増えているじゃないですか。あれって、ぶつかった時の衝撃を抑えるために丸みのある車が増えているらしいんですけど、私は四角くてガチガチした車が好きなんですよ。でもそうすると古い車になるから、燃費が悪くて。じゃあ、そこで「四角い車をもう1回作ろうよ」と言うのか、「丸い車でカッコ良いものを作ろうよ」と言うのかということを考えたんです。四角い車がどうしても好きなら“昔ので良いんじゃない?”って感じなんですけど、私は“丸い車でカッコ良いものを作りたい”という気持ちがあるんですよ。自分の人生を新しくデザインしていくのが好きなんでしょうね。

●過去の焼き直しをするわけではなく、ちゃんと今に沿った形で“カッコ良い”と思えるものを作っていきたいと。

すずき:そういう挑戦をしても良いんじゃないかなと思っているんです。特に今の時代は音楽以外のことでも、“型にはめていく”ということがすごく危ないんじゃないかなと思うんですよね。だから、“ステップのままおどっても良いわ”っていう。

●みんなと同じおどりかたでなくても良い。

すずき:ライブではすごく盛り上がっていることが何となく正解な感じがするけど、自分の場合はすごく感動していても両手はなかなか上がらないんですよね。誰かのライブで感動した時に私はすごく心を込めて拍手をするし、それで良いと思うんです。だから自分がライブをやっている時にも、そんなところだけでその日の自分たちやお客さんの成果を判断したくないというか。

●みんなと一緒に手を上げたりしなくても、本当に良いライブだと感じていれば自然と空気で伝わりますからね。

すずき:そうなんですよ。でも自分もそういうライブを求めていた時期もあっただろうし、そういった時間も経て今思うのは、やっぱり“自分らしくのびのびとやる”というところに帰結するんじゃないかなというところで。だから安心して自分たちのままで観に来て欲しいと思うし、私も安心して自分のままでライブをします。

●演奏する側も観る側も“こうでなければいけない”と思っていたら、のびのびできないし楽しめない。

すずき:そうなんですよ。だから、おかげ様で今は気分が良いです。

●今作について“むしゃくしゃしたとき、いっしょに空き缶を蹴れる友人のようなアルバムになりました”とも書かれていましたが、そういう良い心境でいてもやはりむしゃくしゃすることはある?

すずき:それはありますよ。でもその気持ちをなかったことにしないというか、押し殺さない。“友よ、そのための音楽じゃないか”という感じですね。そこをなかったことにしたり、“そんなふうに思っちゃう私なんて…”というふうに考えると潰れちゃうから。そういう姿を見ると、非常にもったいないと思うんです。“何もむしゃくしゃしたからって、酷いことをしたいわけではないでしょ? その1歩手前に、音楽があるじゃないか”ということですよね。

●だから、そういう気持ちになった時に“いっしょに空き缶を蹴れる友人のようなアルバム”なわけですよね。

すずき:イメージとしては、会社からの帰り道に同僚と缶ビールでも呑みながら帰っている感じというか。わざわざお店に入るまでもないんだけど、“ちょっと呑まない?”とか“ちょっと話していかない?”みたいな。それって学校帰りの思い出とかに近いのかもしれない。そういう時間を共有できたら良いなというのが、今回のアルバムのテーマですね。

●『ぼくたち わたしたち』というアルバムタイトルにも、その空気感が表れている感じがします。

すずき:自分たちの年齢を考えた時に“友だち”とか“仲間”と呼ぶにはもう存分に大人で、一緒に仕事をしていく“同志”というのがすごく心強いなと。バンドもそうだなと思っていて。だから『ぼくたち わたしたち』というタイトルをアルバムにつけたんですけど、“みんなじゃない”というか。小学校の時に卒業式の呼びかけで「ぼくたち わたしたちは…」と言っていたような、あの清々しさと“わたしたちはもっとやれるんじゃない?”という気持ちが今はすごくあるんですよね。それが曲や作品全体にもつながっているんだと思います。

Interview:IMAI
Assistant:室井健吾

 

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