南壽あさ子、約2年ぶりのオリジナル・アルバム『forget me not』は、LAでのレコーディングを経た彼女の新たな扉を開かせる作品となるだろう。音楽家として覚醒しつつある南壽あさ子の自我を吐露し、物語の主人公に紡がせた10曲の歌は、瑞々しくも奥深い新たな“南壽あさ子”を予感させる。もう遠慮はいらない。まるで磁石のように触れる人たちの心を惹き付ける才能が今、開花する。
時が流れると忘れちゃう感覚を、覚えているうちに閉じ込めたいという想いがあるので、今ドバドバ流れ出ている時にもっと曲を書きたいと思う
●インタビューは久しぶりになりますが、最近何か変わりました?
南壽:去年の夏にロサンゼルスに行きまして。
●レコーディングのために行ったんですよね?
南壽:そうなんです。M-2「勿忘草の待つ丘」とM-7「八月のモス・グリーン」を録りに行ってきました。マスタリングエンジニアの小島康太郎さんという方がいて、初期の頃からお世話になっているんですけど、その方は新人時代にロサンゼルスで修行していたそうで、そこで出会っていた同じく新人だった人が、今やものすごく有名なエンジニアになっているんです。グラミー賞を12回も受賞している方なんですよ。
●めちゃくちゃすごい!
南壽:スペイン生まれアメリカ在住のRafa Sardinaさんという方なんですけど、小島さんにご紹介いただいて、レコーディングをお願いしたんです。
●Rafaさんはどうでした?
南壽:日本でバンドサウンドは録っていて、Rafaさんにはヴォーカルのレコーディングとミックスをお願いしました。ヴォーカルの録り方も日本だったら「この箇所が気になったからそこだけ録り直そう」みたいなテイクの重ね方をするんですけど、Rafaさんは1回録って日本語もわからないのに「ここはこういう意味なんじゃないか?」と訊いてきて。「だとしたら、そこはもっと熱く歌っていいんじゃないか?」と。
●ほう。
南壽:「確かにこの部分はいちばん強く言いたいところですね」と。まず“そこがわかるんだ”というところとか、それを踏まえて「じゃあもう1回最初から録ってみようか」と、その部分だけ録るんじゃなくて、必ず最初から最後までテイクを歌うというのが、“そうだよな”と思ったんです。
●気持ちとか感性を大切にしてくれる。
南壽:そういう気持ちでもう1回やることによって、他の部分も影響されて良くなるというふうに思っているだろうし、日本では“何回もやっていると声の調子やパフォーマンスが落ちてくる”という考え方なので温存しつつ録るんですけど、そういう考えはRafaさんにはなかったんです。
●なるほど。
南壽:あとはミックスに感動しました。全ての音を全部分けていて。ドラムの音もタムとかスネアとかシンバルとか、フェーダーで全て調整していくんです。海外の方ってもっとざっくりと大胆という印象だったんですけど、日本でやっている何倍も緻密で細かくて、何度もやり直して全ての音の立体感が出るようにしていて。“ここでこの音が聴きたいな”という時に、ドーンとくるというか。その感覚はもちろん他のミックスする人にもあると思うんですけど、RafaさんはMichael Jacksonなど名立たる人たちのレコーディング現場を見てきているので、知っている音がそもそも違うと思うんです。聴いてきた生の本物の音楽をRafaさんが知っているからこそ、Rafaさんの中で鳴っている“ここはもっとこういうのが聴きたい”という部分を引き出してくれだんだと思います。
●すごい経験しましたね。
南壽:そうですね。だから日本で録っているのに、その場でみんなで演奏しているような。聴いていて飽きないし、ライブ感があるというか。そういう経験が去年にあって、“音って何だろう?”という究極のことを考えるようになったんです…。
●“人生って何だろう?”みたいな問いですね(笑)。
南壽:以前は音にこだわるというより、自分の声とか自分が録ったピアノと歌がどう聴こえているかということを重視していたんです。“ここのピッチが悪かったな”とか、きれいに整える方向に考えていたんですけど、そういうまとまりの良さではなくて、ライブならではの感動ってあるじゃないですか。
●ありますね。
南壽:ズレも含めて呼吸っていうものをレコーディングに閉じ込めるというのは、難しいことなんですよね。だってレコーディングでは別々で録ったり、ちゃんと演奏しようとするので。でもそうじゃない“ライブ感”をレコーディングに採り入れられたら、ずっと聴いていてもおもしろみのあるものになると思うので、そういうほうが良いんじゃないかなというモードに変わりました。
●以前のインタビューで「物事や気持ちをストレートに伝えるのではなく、ふわっとした感覚みたいなものを表現したい」とか「曲の元となるものは、今まで生きていた中で充分にある」とか「時が経ってその時の気持ちを忘れるのが淋しくて、忘れないでいたいから音楽にする」という発言があったと思うんです。要するに南壽さんは、目に見えないものを音楽にするというか。
南壽:はい。
●でも今作は、強い想いを感じる曲が多いと感じたんですね。以前よりも自分が音楽をやる意味が明確になっているんじゃないかなと推察したんです。
南壽:ピアノの弾き唄いという枠を超えて、音楽家とか音楽を作るということにおもしろみを感じ始めている今日この頃ですね。
●今日この頃? 最近のことなんですか?
南壽:去年録っている時もまだ開いてはいなかったというか。今年からですね。
●南壽あさ子、開いたのか(笑)。
南壽:ちょっと掴み始めています。小さい頃からお父さんの影響で、Carole KingとかTom Waitsなどを聴いてきていて。当時はあまりわからずになんとなく聴いていたんですけど、自分が音楽をやり始めてからは“ああいう音楽を作れたらいいな“という目標になっていて。ただそれと、自分の歌う音楽が結構かけ離れていたんですよね。
●かけ離れていた?
南壽:歌のテイストと音の作りとかは、もっとスンとしていたというか。
●スンとしていた?
南壽:水のような。エンジニアさんも含めて、私の歌声の良いところを「水のようだ」と言っていただけるので、そっちのほうに寄せていって、私もそっちのほうがいいと思っているし、聴く人も同じような印象を抱いてくれていて。もちろんその形もあるんですけど、“でもそれだけじゃないな”と思うようになったんです。
●それだけじゃ物足りなくなったと。だから熱さというか、気持ちが伝わる度合いが強くなってきたのか。
南壽:そうです。これまで聴いてきた洋楽と、去年ロサンゼルスに行ったことで覚醒したんでしょうね。“こういうところで音楽が生まれているんだ”と思って。実際にロサンゼルスで車に乗っていて、EAGLESの「Hotel California」が流れてきた時に、“こういう空気の中でこういう音楽を作っていたんだ”ということが自分の中で“あっ!”と思って。それが今年になって急に活かされているんです。
●“あっ!”と思って、パカッと開いて、ドバドバーッと何かが溢れ出てきた。
南壽:うふふ(笑)。今まで自分の主張は、歌とピアノというところがかなりあったんですけど、自分が曲全体をプロデュースするにあたって、全部が大事なので全部を見ているという気持ちになって。歌を録っている間は、ヴォーカリストとしての私かもしれないですけど、1回コントロールルームに戻ると、プロデューサーみたいな観点から、今歌った人の曲をチェックする別人になっている気がします。
●自分の中で優先順位が変わったのかもしれない。
南壽:それが自分でも大きい変化だなと思っていて。そこまで深く入り込んでレコーディングをしたことが今までなかったというか。エンジニアさんにある程度お任せして進行していたんですけど、今回はエンジニアさんを信用しつつも「もっとこうなりませんか?」とちゃんと言いながらできたというか。“こうなったらいいのに”というのが浮かぶようになったんです。
●それと今作は、南壽さんの明確な気持ちが見えやすい歌詞が今までと比べてあると感じたんですね。例えば「勿忘草の待つ丘」は大学卒業後の夏に作ったということですが、かなり明確に今の南壽さんの心境が歌詞に出ているような気がして。例えば“僕らの音楽に遠慮はいらない”とか、さっきの覚醒の話とリンクしているような気がする。
南壽:言われてみれば確かに。自分の曲って、書いている時よりも、あとで予言している曲だなと思うことが多くて。“この曲を入れよう”と思った時は、別に覚醒していなかったんです。作ったのは震災の年で、自分も大学を卒業して先が見えなくて。日本全体の先行きも見えないというところにいて、悶々としていたんですよね。そういうこともあって、自分自身が力強い言葉を望んでいたのかもしれないし。なので、これが力強いメッセージだと思って書いているわけではないんですけど、今見ると本当に強い希望を持とうとしているのを感じるし、過去の自分が書いているもので、今の自分が励まされたりして。だから、最近ライブで歌うと自分で感動しちゃうというか。頑張ろうと思えるんです。
●何年も前に作った曲なのに、今の自分と符号するのがいいですね。それとM-1「On My Way」もメッセージ性が強い曲ですよね。“わたしらしく生きていたいだけなの”という歌詞は、まさに今の南壽さんが表現されているような気がする。
南壽:これは“自分の曲だな”という感じがします。今までは「主語が自分ではない」と言いたかった。
●南壽さんはいつも「この曲の主人公は自分ではない」と言っていましたよね。それで魚の気持ちを歌ったり、お父さんの気持ちを歌ったり。そういう曲は、ものすごく熱量がある。
南壽:それは、あくまでも作家的な考えなんです。シンガーソングライターというと曲を作った人の経験と思われがちなんですけど、小説家だったらそこまで思われないですよね。私はもうちょっと小説家みたいな立ち位置でやりたいんです。
●あ、そういうことか。なるほど。
南壽:芸術は自分の経験も活かされていると思うんですけど、書いていることが全部ノンフィクションだとも思わないで欲しいというか。
●極端に言うと、説明したくないと思っている?
南壽:元々、曲の説明はいらないと思っていて。
●表現したいことは音楽に詰まっているからということですか?
南壽:ライブで「これはこういうきっかけで、こういうことを歌った曲です。それでは聴いてください」と言うのは、これから歌うんだから必要ないというか…。
●美学に反しますね。
南壽:そうなんです。だから言葉は少なめにやっていたんですけど、エンターテインメントとして考えると、全く話は違ってきて。色んなレコーディングの裏話とかもたくさんあるし、曲を作る上での葛藤とか、こういうふうにして生まれたというのはもちろんあるので、曲を聴かずして観たり聴いたりする中で、興味を持って聴いてくれる人もいるかもしれないという考え方をすれば、変わるので。
●それは何かのタイミングで変わったんですか?
南壽:受け入れました。私も他の人の曲を聴く時に、そういうエピソードを聞くとより愛着が持てたり、深くまで詞を読めたりするので。客観的に見ればよくわかるから、納得して前に進んでいるんです。
●「On My Way」は“自分の曲”という感覚があるとのことですが、元々そう思って書いたんですか?
南壽:自分のことではなくて、自分の歳くらいの大人の女性が、色んなことがあったけど次のステージに進もうとしている、というイメージで書き始めたんです。でも端々に私の溢れんばかりの自我が入ってきていて。いつも鼻歌でデモを入れるんですけど、そのデモの段階ではデタラメの日本語で歌っているんですよ。でも「On My Way」は“そろそろ 次のステージ”というところはメロディと同時に、鼻歌の段階でこの歌詞を歌っていたんです。だから、こういうはっきりとした物言いはあまりしたことがないけれど、いいかなと思って。
●“いいかな”と思えたんですね。
南壽:自分から出てきているし、今の自分にも合っているかもしれないと思って生かして。そうしたら、最後の“わたしらしく生きていたいだけなの”っていうフレーズが出てきて。女性像が見えてきて、自分に近い女性っていうイメージで書くと、テーマがはっきり固まってきたんです。
●今年になって開いたというか覚醒したという話がありましたけど、これから南壽あさ子の音楽はどうなっていくんですか?
南壽:どうなるんでしょうか…。
●まだ見えていない?
南壽:でも今作の1曲目「On My Way」とM-10「forget me not」のような印象の曲をもっと作りたいと思っていて。
●音のビジョンはあるんですね。
南壽:このアルバムのレコーディングでそういうところを掴んだので、掴んだまま次の曲を作りたいなと思っていて。だから曲のテーマっていうよりも、今は音の印象とコード感を探りたいなと思っています。
●なるほど。
南壽:それから、「音楽で目に見えないものとか淋しさとかを残したい」と前に言っていましたけど、要するに記録していきたいんだと思いますね。時が流れると忘れちゃう感覚を、覚えているうちに閉じ込めたいという想いがあるので、今ドバドバ流れ出ている時にもっと曲を書きたいと思うのは、そういう現象なのかもしれないです。
●ドバドバ流れ出ているものは、いったいどんな曲になるんだろう(笑)。
南壽:言葉だけじゃなくて、音楽で思い出すこともあるので。曲は書ける時にどんどん書きたいですね。
Interview:Takeshi.Yamanaka
Assistant:室井健吾