●『命の渚のコンサート』は服部緑地野外音楽堂で開催されてますが、今年で何回目になりますか。
栗田:4回目になります。
●命の渚のコンサートを始めた趣旨を教えて下さい。
栗田:最初は色々なミュージシャンが活動をしている中で、自分が良いなと思った人や大勢の人に見せてみたいなと思ってる人を集めてみようって思ったのがキッカケです。絶対に1曲は最高の曲をみんな持ってると思うんですよね。なので一曲入魂のライブにしようとか言ってたんですが、「1曲だけ歌いに来てや」っていうのはなかなかいえないので...(笑)
●1人1曲のライブ! それ面白いけどね(笑)
栗田:それはやめて、普通に25分はやってもらってます(笑)
●春一番コンサートのような昔のフォークソングの流れを汲んだ感じにしているのはあえてですか?
栗田:僕と共同主催しているカサスリムというミュージシャンが春一番を毎年楽しみにしていて、僕らの年代の春一番を作ろうってなったのも趣旨のひとつですね。
●春一番は栗田さんのお父さんぐらいの世代ですよね?
栗田:そうですね。個人的には春一番はあんまり知らなかったんですけど、同じ会場ですし、繋がりのある出演者もいたりしますね。
●栗田さんはどんな音楽に影響を受けたんですか?
栗田:60年代から70年代のソウルミュージックやブルースですね。
●本場アメリカの?
栗田:そうです。日本のブルースはあんまりしらなくて、アメリカのブルースばっかりやったんです。そうこうしてる内に、よく通うようになったお店が日本のブルースをやっていてそこで日本のブルースに出会いましたね。
●そうなんですね。影響を受けたミュージシャンは誰ですか。
栗田:最初はサムクックやマービンゲイから入って、その人達のルーツを辿っていく内にブルースに出会いました。でも僕は音楽というよりは労働歌的な、奴隷で連れてこられて、生きるパワーを歌で表現するみたいな生き様が好きなんです。
●生き様というと、栗田さんは社会人でそこそこの地位まで上り詰めたけど、辞めてアメリカに行ったと聞いたことがあるのですが。
栗田:そうなんですよね(笑)
●その理由は?
栗田:もとを辿れば小学生のときに市民会館で見た“黒人に対する差別”の映画を見て、「こんな世界あんねや」みたいなとこから気になり始めてました。そして中学生の頃にはその思いも強くなり、大学生のときには生活に根付いた黒人音楽を見てみたいなと思って一週間ぐらいニューヨークにいったりしましたね。そこですごい衝撃を受けました。
●何に対する衝撃
栗田:教会で牧師さんの演説があるんですけど、最初は普通の演説から急に歌になって、バンドがついてきたと思ったら、横のおばちゃんが立ち上がってめっちゃ上手に歌うんですよ。日本の日常にはない破壊力に魅せられた感じですね。
●日本でいうと般若心経でグルーヴしてるみたいな(笑)
栗田:ほんまそんなんです(笑)異様な世界にも写ったんですが、そんなことより“すごいな”ってなりました。それから大学を卒業して就職したんですけど、大学の後輩がバイトをしている店に通うようになり、そこがたまたまブルースとかやってる店やったんです。
●そこでも何か出会いが。
栗田:そこで自分の好きな音楽のルーツはブルースから派生しているものなんだと知りました。その店に出入りしてる人達から、ニューオリンズの話を聞かされて、半分洗脳されていったみたいな(笑)
●ハハハ
栗田:夜中にみんなで飲んでて、DVD見せられて、最初はなにが良いのかもわからなかったけど、帰るタイミングもわからへんしみたいな感じなって(笑)そこからですね僕のブルース人生は。
●そこで自身が歌おうとなったキッカケはあったんですか?
栗田:僕は高校生のときからバンドで歌ってはいたんですよ。思いっきりハードロックのバンドですけど(笑)そして大学ではソウルミュージックを熱心にやってるサークルに所属してて、そこで興味あったことがどんどん重なり始めました。
●伏線はあったんですね。
栗田:そういうことですね。社会人になってからはBARにライブをしにきてるおっちゃんとかを見ていて、そこでチップもらってる人がかっこいいなと思ったんですよね。テレビで見る人達以外で、お金をもらってやる音楽も面白いなと、もちろん普段は社会人として働いてる人が多いとは思うんですが、そういう生き方も面白そうだ! みたいな(笑)
●なるほど。
栗田:30代はそういう風に生きてみようかなって思ってて、もし10年ぐらいしてヤバいなと思ったら軌道修正しようかなって。
●すごいな! 流れのままにと。
栗田:確かに、気づけば流れにそったそんな生き方してますね。なんかそっちに身を委ねてみようかな、流れてみようかなみたいな(笑)
●そこから自分で歌を歌うようになって、仲間も増えて
栗田:そうです。
●命の渚のホストはどんな人達
栗田:まあ単純に自分が好きなアーティスト達なんです。あとは、カサスリムと僕の共通の友達がいるんですけど、ブルースBARで知り合ったKEN中島っていう人なんですが、そのKEN中島が亡くなったんですよ。ほんでなんかやりたいことがあるなら今やっとかないとあかんなと思ったんです。
●いつ人はどうなるかわからないと
栗田:なんとなく人生のテーマとして“限りがある”ていうか、それは人それぞれで長かったり短かったりすると思うんですけど、なんかドカンと元気のでることやりたいなと。そんなときにハニカムズというバンドの「命の渚」っていう曲にカサスリムが出会いまして、丁度僕らが中心に思っていたことと歌詞がリンクしたといいますか、これや! と思いました。
●色々な流れや出会いがあった上での開催になるわけですね。
栗田:2013年の10月に今の中心人物になってるメンバーが、たまたま高知県で全員ライブをしてまして、みんな違う会場やったんですけど合流して夜な夜な飲んでるときに話しが出たんですよ。もう高知から帰ってきてすぐに服部緑地予約してましたね。
●今年で4回目ということで、自分が今一番期待していることはなんですか。
栗田:このイベントはとりあえず10年は続けていこうと思ってるんです。僕もカサスリムもそのへんちょっととぼけたところがあって「10年やったらわかることもあるやろ(笑)」って決めたんですよ(笑)そんな感じで進んでるんで去年より多くの人が見てくれるのを期待というか目標でもありますね。
●今年注目のアーティストはいますか?
栗田:とりあえず1/3ぐらいは常連組で、その常連組は命の渚を支えてくれているメンバーなので是非見て欲しいですね。あとは『みかん箱ステージ』というのがありまして、そこは一曲入魂でやってもらうステージなんですけど、松濱さんという方がいましてその方に僕はハマってます。
●すごい協賛してくれている方や企業も多いですよね。
栗田:本当にありがたいですね。僕らが日々ライブ活動したり、飲みにいったりしたところにお声をかけさせてもらっています。
●だから個人やお店、企業と色々あるんですね。ラジオの協賛もありましたよね?
栗田:司会してくださったりして頂いてます。出演者の繋がりをフル活用させてもらってますね(笑)
●他のフェスにはない絶妙に新旧混ざった空気感がありますよね。
栗田:そうですね。少しずつそこは変えていったりしていますね。それでいて命の渚っぽいアバウトですけど雰囲気がわかるようなものになってます。
●栗田さんにとって『命の渚』とは?
栗田:よく言ってるんですけど、ひとつの価値観としてこういうものもあるというか、みんなが色々なものを選ぶ中のひとつになればいいなと思います。
●出演者に声をかけるときに重視していることはありますか?
栗田:五感にピンときた人なのかな(笑)今回はカサスリムがほぼ決めてるんですけど、僕はやっぱりライブ見たりとかですね。ご縁を大切にじゃないですけど、出演者も繋がりを大事にしてます。文化祭みたいな感じになってて怒られたりもしましたが(笑)
●怒られたりするんだ(笑)
栗田:お叱りを受けましたね(笑)でも世の中内輪ノリやと思うんです。それが大きいか小さいかはありますけど、だからこそ価値観が色々あって面白いんだと思うし個性があるんじゃないかと。
●その通りですよね。将来はみんなの孫とかも参加するようなイベントになれば嬉しいですね。
栗田:本当にそういうのを思い描いてこのコンサートを運営しています。
Interview:PJ