People In The Boxが2007年6月に1stミニアルバム『Rabbit Hole』で世に出てから10年という節目を記念して、2枚組アルバム『Things Discovered』をリリースする。新曲と各メンバーのプロデュース曲に加えて既発の3曲を新たにレコーディングしたDISC-1と、過去作品からメンバー自身がセレクトした全12曲をリマスタリング収録したDISC-2。創作活動において常に実験的で革新的なアプローチを行ってきた10年間の軌跡と、次なるステージへと向かう彼らの未来も垣間見せるような今作について、Vo./G.波多野裕文に話を訊いた。
●1stミニアルバム『Rabbit Hole』(2007年)を出してから、10周年ということですが。
波多野:結成時期が曖昧なんですよね。僕自身もいつこの名前にしたか、本当に全然覚えていないんです(笑)。ただ、自分たちにとって一番初めの記念碑的な意味では、大吾(Dr.山口)が入って1枚目の作品を出したところが出発点という意識なんですよ。大吾が加入した時に、名前こそ同じだけど“別のバンドにしよう”というくらいの気概が僕にはあったから。そこから数えての10周年ということですね。
●そのタイミングで今作『Things Discovered』をこういう形で出そうと思った理由とは?
波多野:そもそも僕が個人的に、ベストアルバムみたいなものを出したかったんです。この10年間で15枚の作品を作ったんですけど、1枚目から15枚目までの間で音楽性がだいぶ変わってきていて。どれを代表作とするかと言えば一番最新のものだという意識はありつつ、初めて聴く人に“これを聴いて欲しい”という入門編みたいなものが欲しいと思っていたんですよね。
●ちょうど10周年の節目でもあるわけですからね。
波多野:あと、純然たる新作を出すのはまだちょっと先延ばしにしたいという理由もあって。だからちょうど10年というところでこれまでを振り返って、かつ未来を想起させるような企画盤を作りたかったという感じですね。僕らはただひたすら作品を作るということをやってきたので、ちょっと振り返って“People In The Boxはこういうバンドですよ”っていうのを自分たちから発信したい気持ちがあったんです。
●自分たちの考える“People In The Box”像を提示しようと思った。
波多野:10年を経たところで改めて自分たちの意志を表明する盤にしたいというのは、みんなどこかで考えていたと思います。作品性というよりも、“これが今のPeople In The Boxです”というものにしたかった。だからDISC-1が実体で、DISC-2は今までの自分たちの足跡というか奥行きというか。結果として、そういう二面性を持つ作品になった気がしますね。
●DISC-2の選曲はどういう基準で?
波多野:メンバー3人がそれぞれに思い入れのあるものを4曲ずつ選ぶっていうやり方でした。その中でのバランスはあえて取らないと決めていて、偏ったベスト盤にしようと思っていたんですよね。これから聴く人にはベスト盤として受け取ってもらいつつ、これまでも聴いてくれている人には“僕らが今、胸を張れる曲はこれですよ”という意志の見えるものにしたかった。作った時の想いだったり、レコーディングの出来として満足しているものだったり、選んでいる理由もそれぞれ違うんです。ブックレットには曲ごとに小さな解説を書いているので、それも込みで楽しんで欲しいなと。
●曲順はリリース年と真逆の時系列になっていますが、これはどんな理由?
波多野:現在に一番近い音から聴いてもらいたいっていうことですね。CDを再生した時に、真っ先に一番未熟な音が鳴って欲しくないというエゴです(笑)。あとは時間を逆行したほうが、こういう作品にとっては自然な気がするから。
●時期の違う音が混在して並んでいたりすると、不自然な気がしますよね。
波多野:これはリマスタリングの現場でわかったことなんですけど、確実に混ざらないんですよ。声も違い過ぎるし、音像も違い過ぎて。M-9「球体」とM-10「犬猫芝居」の間が4年くらい空いているんですけど、そこのギャップがすご過ぎてもう現場でみんなズッコケちゃいましたからね(笑)。
●初期の3曲とそれ以外の曲では、どういう差があるんでしょう?
波多野:単純に成熟度もありますけど、僕が段階的にやってきた制限外しがちょうどこの間で行われていて。自分で使う楽器の数を最初はわざと制限していて、それを作品ごとに1つずつ外していくということをやっていたんです。だから10曲目以降の3曲というのは、エレキギターのみでエフェクトも空間に関係するもの以外は使わないという縛りでやっていた時期なので、違っていて当たり前というか。エンジニアさんも1〜9曲目までは同じ方で、10曲目以降は別の方なんですよ。そこも1つあるだろうし、歌への意識も全然違いますね。
●確かに歌は全然違うなと(笑)。
波多野:ガッツリ変わりましたね。その境目が入っていないので、落差が…(笑)。でも歳を取って、取り繕うことをしなくなったというか。自分の中では“結果的にイビツになって、ラッキー”くらいの感じです。
●イビツさを楽しめている?
波多野:もちろん意図したところではないんですけど、全部が意図されたものでは自分たちが楽しめなくなってきたというか。だからそういうのは全然ウェルカムだし、聴いていて混乱するかもしれないけど、そのくらいの混乱は我慢して頂けたら…という感じですね(笑)。僕自身もリスナーとして、混乱したくて音楽を聴いているところもありますから。
●“何だかよくわからないけど、すごい!”みたいなものに出会いたいというか。
波多野:そうそう。だから、特にそういうところは深く考えなくなりましたね。考えているところと、全く考えないところとの差がすごく広がりました。若い時はその日の天気すらもどうにかしたいって思う気概みたいなものがあったりするけど、天気って自分ではどうにもできないじゃないですか。逆にその日の天気を楽しむということを覚えたんだと思います。もしかしたら10年で変わったのは、そういうところかもしれないですね。
●この10年のベスト盤的な位置づけがDISC-2だとして、DISC-1は新作的な意味合いもあるんでしょうか?
波多野:新作っていう感覚はないですね。行為を見せているというか、「自分たちの頭の中を覗いて下さい」っていう感じです。だから作品性というものがないような作品にしようと思っていて。
●DISC-1には旧譜からの新録曲も入っていますが、こちらはどういう意図で?
波多野:これはそれぞれの曲で、意図が全然違うんですよ。まずM-2「空き地」は『Weather Report』(4thアルバム/2013年)に入っていたんですけど、その時はアコースティックギターの弾き語りだったんです。基本形を健太(Ba.福井)が作ってきて、その上に僕が歌を乗せたっていう曲で。それを健太が「バンドバージョンでやってみたい」と言うので、今回作り直しました。
●健太くんから要望があったと。他の2曲は?
波多野:M-3「沈黙」は僕が元々すごく気に入っている曲なんですけど、もっと“目が据わった”バージョンというのを思い浮かべたことがあって。それを今回こういう機会だからやってみようということでした。M-4「旧市街」に関しては、大吾がやりたいと言ったんです。ライブで一番やっているくらいの曲なので演奏としては一番鍛え上げられていて、でき上がっている曲なんですよ。それを「今の2016年の勢いで録ってみたいね」という話から、こういう形になりました。どの曲も当時はできなかったことを今やっているというところで、手応えや満足度はすごくありましたね。
●この3曲もメンバーがそれぞれ選んでいる。
波多野:1人1曲ずつ選んで、(他の2人に)拒否権はないっていう(笑)。DISC-1に関しては1人1人のパーソナリティが見えるようなものにしたかったので、普段の作品の中では混ざり合っている部分をあえてそのまま出している感じですね。
●ちなみに「空き地」の歌詞を変えたのはなぜ?
波多野:元々は『Weather Report』という1枚の作品のつながりの中で書いた歌詞だったから、1曲だけ抜き出すとちょっとバランスが悪いなと思って。原曲のほうが色んなことを言っているんですけど、それが今の自分とはフィットしていない感じがしたんですよ。“この曲はそんなにたくさんのことを言っていないだろう?”と。
●書き直したほうの歌詞で言っていることとは?
波多野:いや、基本的に“何も言っていない”という状態ですね。最近は、何も言っていない曲というのが良いなと思っていて。ただ、そこにはせめぎ合いがあって、音楽がすごく何かを言いたくなっているのを言葉で押さえつける…みたいな作業をよくやっているんです。この歌詞のリメイクも、そういうせめぎ合いの中でやりました。
●そういう歌詞の書き方をしているんですね。
波多野:その曲で言いたいことが歌詞(を読む)だけでわかっちゃうと、すごく冷めちゃうんですよね。音楽の影が薄くなっちゃうというか、音楽が可哀想だと思っちゃう。だから僕が作る作品に関しては、自分でも“何も言っていない”と思えるくらいまで行かないと嫌だなと思っています。特に今回の新曲に関しては、歌詞をすごく作り直していて。
●M-1「木洩れ陽、果物、機関車」のことですよね。これは波多野くんの意志が見える内容かなと思ったんですが…。
波多野:…だとしたら、僕がまだ未熟なんです(笑)。
●ハハハ(笑)。
波多野:最近の大きなモードチェンジとして、なるべく自分が反映されないと良いなと思いながら書いているところがあって。音楽と総体で伝わって欲しいんですよ。そこに関しては、早く次のレベルに行きたいなと思っています。自分の気持ちを曲に乗せて伝えるとか、そういうレベルではやりたくないんです。もっと“音楽そのものが勝手に物語を伝えだす”っていう感じが良いなと思っていて。曲調が疾走感もあるものなので「門出っぽい曲ですね」とか言われると、恥ずかし過ぎる…(笑)。“そんなつもりないんだけど…”っていうのは正直ありますね。
●“さあ行こうぜ”で始まるけど、そんなに単純ではないと(笑)。ちなみに自分が波多野くんの意志を感じたのは、“好きなものだけでハッピーバースデーからレストインピースまで埋め尽くすだけ”というところで。
波多野:あ、そこは書いている時に“賛成賛成!”って思いました。
●まるで他人が書いているみたいな(笑)。
波多野:『Talky Organs』(5thミニアルバム/2015年)以降は、特にそうなろうと思っています。表面的にはそれまでとの違いがわからないと思うんですけど、作り方としては自分の中で大革命が起きているというか。“自分じゃない人になったと錯覚するくらいまでやる”っていう作り方をしてみて、それがすごく良かったんですよね。自分のフィルターを意識しないレベルにまで行くというのが、体験としてすごく先があるなっていう感じがして。そこから地続きのものではありますね。
●今作にはそれぞれのプロデュース曲も入っていますが、波多野くんによるM-6「プレムジーク 9月/東京」はどういうイメージで?
波多野:これは“どこからどこまでが音楽なのか?”っていうところを、過程として表現したかったというのがあって。いわゆる“作曲”はされていないんですよね。他の2人には「お互いの音を聴いた上で完全に無視してくれ」っていうことと「ビートを全く出さないでくれ」というオーダーをしていて。あとは「楽器を初めて持って、弾き方がわからない人の気持ちになって弾いてくれ」っていう注文を出したら、こうなったという。
●その注文の意図するところとは?
波多野:特に2人が納得した説明としては、「赤ちゃんの動作の美しさを思い出して」というもので。たとえば氷柱から雫が落ちる音とか風に吹かれた木々の葉っぱが擦れ合う音だったり、僕らが普段はそれを“音楽”だと思っていないもののような音楽にしたかったんです。楽器を持っているという時点で矛盾している行為の中で、せめぎ合っている感じですね。境界の曖昧さというところを僕はすごく大事にしていて。そういう気持ちを常に持ちながら楽器を持っているんだっていう意味で、タネ明かしをしたという気持ちなんです。
●先ほど言った「頭の中を見せる」というのはそういうことだったんですね。今作を経ての新作も聴いてみたいところですが、まだしばらく先になる…?
波多野:新曲もだいぶできているので普通のペースなら新譜も全然作れるんですけど、簡単にレコーディングしたくないなという気持ちがあって。料理にたとえるなら、すごいスープができてから配膳したいんですよ。“採れたての野菜”みたいなものも良いんですけど、そういうことはもうやってきたし、僕らが今作るべきなのはコース料理だろうという気持ちがあるんです。今までと比べて目に見えて何か変わるかというと、おそらくそうはならなくて。ただ、次に作る料理はたぶん…“燻製”ということなんだと思いますね。
●燻製なんだ(笑)。
波多野:何の燻製にするかは、まだ決まっていなんですけどね。「食材は揃っているけど、燻製だからすぐには出しませんよ」っていう感じです。
Interview:IMAI
Assistant:森下恭子
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