それでも世界が続くならが、2ndミニアルバム『52Hzの鯨』を完成させた。完全自主制作でリリースした前作の6thアルバム『最低の昨日はきっと死なない』を経て、ベルウッド・レコード内「ROCKBELL」に移籍を果たした彼ら。今回の新作は轟音ノイズギターと深遠なリヴァーヴギターが交錯する独自のオルタナティブロックサウンドを研ぎ澄ましつつ、結成当初から軸にある“歌”の魅力を前面に出した原点回帰的な作品となっている。諦めることすらも諦めて、かすかな希望と絶望の向こう側に手を伸ばし続けるバンドの第2章がここに幕を開けた。
●前作の6thアルバム『最低の昨日はきっと死なない』はメジャーを離れて自主制作で発表したわけですが、今作『52Hzの鯨』はまた新たなレーベルに移籍してのリリースとなりますね。
篠塚:前回は音楽的にやってみたいことがあって、それがメジャーではできなさそうだったので自分たちでやってみようと思ったんです。そしたら想像以上に難しくて、“これは無理だ”となった感じですね。自分たちだけでもやれることはやれるんですけど、コントロールできなかったというか。よくよく考えてみたら、自分たちはすごく不器用だったっていう。
●実際にやってみたことで、それを再認識したと。
篠塚:自主でやっていた時は、“自分たちはこういう音楽をやりたい”ということばかり考えていて。たとえばジャケットのデザインやニュース出しとかで、色んな人たちが手伝ってくれたりしたんですよね。恩返しできるかどうかわからないバンドのことを気にかけてくれる人がいて、むしろ自分たちのやっている以上のことをその人たちが返してくれた。カッコつけて「自分たちでやる」って言ったくせに、結局できないことが露呈しただけで…。でもそれをみんなが責めるわけでもなく、何も言わずに手助けしてくれるのを見て、本当に自分が情けないなと思ったんです。そういう時にいくつか声をかけてもらっていた中から、今回はベルウッド・レコードでやってみようという感じになりました。
●“音楽的にやりたかったこと”というのは、前作で実現できたんですか?
篠塚:自分たち的には、最高のものができましたね。音の環境というか、すごく音が整理されたスタジオじゃないところで録ってみたいというのが前回はあったんですよ。音の反射がはっきり跳ね返る、あまり吸音しない環境で録音してみたいと思っていて。昔の海外のバンドがガレージに機材を持ち込んで録っていたような感じで、でもすごくカッコ良いことをしたかったんですよね。そういう意味では、やりたかったことはできたかなと。
●それを経ての今作でも、やりたいことが明確に見えていたんでしょうか?
篠塚:今回のミニアルバムは見えていましたね。前作は元々、2枚組で出したかったんですよ。片方がオルタナティブな方向に振り切ったもので、もう1枚は歌に振り切ったものという感じで、どちらも自分たちがやりたいことだったから。でも(その2つを)同居させると、おかしくなってくるんですよね。歪んだギターの音を出し過ぎたら歌が聴こえなくなるから、ギター(の音量)を下げようかどうしようか? …となって。両方を混ぜようとすると上手くできないから、1回バラバラでやってみようと思って2枚組で出そうとしたんですけど…、予算的に無理だったんです。
●結果的に今作は、前作と対になるものになっている。
篠塚:今回はその続きというのをイメージしていたので、そういう意味では迷いがなかったですね。これ以前に出したシングル『狐と葡萄』も含めて、次は原点回帰というか、このバンドを組んだ当時のような歌モノにしようという気持ちがあったんです。そういう部分もありつつ、時期がズレたことでだいぶオルタナティブな要素も入っちゃいましたけどね。
●本来はもっと“歌”に振り切ったものになるはずだったんですね。
篠塚:当時はそうしたかったんですけど時間も経っちゃったし、もう1回ちゃんとやってみようかなって。…前作はある意味、ちゃんとやっていないので。好き勝手にやっていたところから、聴いてくれる人や周りの人たちにもう一度バンドとして向き合おうと思ったんです。作品を作っているとだんだん周りが関係ないようにも思えてくるけど、やっぱりライブをすればそこに聴いてくれる人がいるわけで、あんまり閉じこもっていてもしょうがないなっていう。バンドというか、人生の話ですね。
●自分の中に閉じこもらないように意識した?
篠塚:そうですね。僕は人のことを考え始めると止まらなくなるから、曲を作り始めるともう自分の世界に入っちゃうんですよ。そうすると自分の頭の中の話だけになっちゃうんですけど、今回のアルバムはもうちょっと現実的なものにしたかったというか。
●現実的なものというのは?
篠塚:現実の自分はすごく過渡期というか、“途中”だと思うんですよ。そういう自分が“このアルバムはこういうふうにする”と結論付けちゃうと、嘘くさくなりそうで。だから曲も含めて今回はあまりゴールを決めずに、ちょっとカッコ悪くても今あるものを何でも作って良いのかなと思ったんです。できるだけ嘘っぽくならないと良いなと思いつつ、たとえ嘘っぽく見えても嘘じゃなきゃ良いなというところで、腹を括って作った感じですね。
●自分の中で嘘はつきたくない。
篠塚:“リアル”と“リアリティ”って、違うじゃないですか。リアルなほうが伝わりにくかったりもするし、“こう感じてもらうためには、これは見せないほうが良い”というものもあったりして。僕は“リアルに感じる”ことよりも、本当にリアルなほうに行ってしまいたいんですよね。でも仮に音楽を表現だとするなら、本当のことに振り切ろうとすればするほど、たぶん伝わらなくなっていく。「表現として届けたい」ってみんな簡単に言うけど、そっちに行こうとすればするほど、結果的にどんどん“嘘”と呼べるようなものが必要になってくるというか。そういうものがないと他人と自分との価値観の違いを埋められない…というのが寂しいから、“絶対に伝わらないだろうけど、やってみなきゃわからない”と思いながらアルバムを作りましたね。
●絶対に伝わらないと思いながらも、決して諦めていないというのは伝わってくるかなと。たとえばM-3「ベッドルームのすべて」でも、“全部どうでもいいと諦めて 布団に潜る それでも それでも今日も手を伸ばす”と歌っているわけで。
篠塚:バンド名にもなっているから、今までは“それでも”っていう言葉を意識的に歌詞から外していた時期もあったんですよ。テーマソングみたいで恥ずかしくなってくるというか。そんなつもりでバンド名をつけたわけじゃないのに、後からだんだん意識しちゃって、完全に自滅しているなと思いながら。でも今回は“まぁ、どうでもいいか”と思うようにして、できるだけリアルなほうに寄せましたね。
●今までは逆に意識し過ぎていたというか。
篠塚:元々2枚組を出したかった理由でもあるんですけど、単純にバンドとしてもっとディープでオルタナティブなほうに進んで行きたいっていう欲求と、“記録として残したい”とか“嘘じゃないものをやってみたい”という欲求があって。でもたとえば歌モノっぽいものに振ることって、“売れ線に走った”みたいに捉えられやすいじゃないですか。
●悪い意味に捉えられたりもしますよね。
篠塚:そう思われたくないから避けていただけで、聴きやすいものが嫌いなわけじゃないんですよね。だから、一度そういうことを気にせず作ってみたい気持ちがあったんです。特に僕らのバンドって、自分たちの手を離れてイメージがついちゃったバンドだと思うんですよ。
●ちょっと暗いイメージというか。
篠塚:「曲が重いね」って、よく言われるんですよ。でも僕が重いんじゃなくて、みんなが軽いんだと思っていて。「しのくん(篠塚)は変わっているね」って言われても、“お前らのほうがよっぽど変だ”と思っていたんです。自分としては銀杏BOYZとかTHE BLUE HEARTSとか、そういう感じのバンドになりたかったんですよね。
●それはどういう意味で?
篠塚:似ているとか意識しているというわけじゃなくて、パンクみたいなバンドだなと思っていたんですよね。実際にライブハウスではそう言われたこともあったんですけど、作品をリリースするようになってから“意外と(リスナーの受け取り方は)そういう感じじゃないんだな”というのがわかって。“人ってわからないものだな”と思いながら、そのどれもが(本当の)僕じゃないからしょうがないっていうか。
●どれも他人から見た勝手なイメージであって、本当の自分たちとは違っていた。
篠塚:でもどこかでそういうものを全部、このバンドであり続けながら壊せないかなとこの数年は特に思っていたんですよ。何度か試みてはいるけど、そんなに上手くいかなくて。このままでは色んな意味で何も変わらないなというところで、前の所属レコード会社も辞めてしまおうとなったんです。辞めたら何か変わるかもしれないと思いつつも、すごく希望のある未来が待っているというよりは、90%くらいはネガティブなほうに変わるだろうという予測もつきながらで…。辞めたら、実際にきつかったっていう。でもそれが今回のアルバムにつながったと思いますね。
●変化は痛みも伴うわけですからね。
篠塚:だから、本当は嫌ですもん。「どうでもいいや」で終われたら楽なんですけど、音楽に真剣じゃないのは嫌なんですよね。僕自身の生き方が不誠実だと思われようが、それはどうでも良いんですよ。でも“不誠実だ”っていうことを隠すような、そういう不誠実さは嫌なんです。音楽をやる上では真剣にやりたいし、“真剣”以外は要らない。
●その包み隠していない感じが、作品やライブからも伝わっていると思います。
篠塚:昔ライブハウスの店長さんに「このバンドって毎回すごく良いライブをするけど、もしかしたら毎回失敗しているんじゃないか」って言われたことがあるんですよ。自分では失敗だと思っていないから衝撃的でしたけど、何となく言わんとしていることはわかるというか。僕らのバンドって“未完成”なんですよね。自分でも聴いていて、“これが完成だったら鼻で笑いたくなるな”って思うから。たとえば詞やメロディって作っている時に自分では判断できないんですけど、今アルバムを聴いてみると“泥まみれ”な感じなんですよね。“もっとキレイにできるだろうに”って思います。
●まだ完成していないからこそ、新たな作品を作り続ける意欲も湧いてくるのでは?
篠塚:未完成だから“次はこうしようかな”というのはありますね。今回も気持ちとしてはやり切ったんですけど、これが自分のゴールではないから。スタートラインになっていれば良いなとは思います。でももう何回もスタートラインに立っているというか、“曲単位でずっと白線を引いてない?”っていう感じですけどね。
●作品ごとに新たなスタートを切っている。
篠塚:不器用だから毎回だいたい似たような感じがするのかもしれないけど、自分の中では変えているんですよね。そういう意味で特に今回は、ものすごくシンプルなアルバムになったと思います。歌に振り切っているし、“パンクっぽい”と言われていたあの頃の感じに近いかもしれないです。
●先ほども名前の出たTHE BLUE HEARTSや銀杏BOYZに通じるところもある?
篠塚:(甲本)ヒロトさんも峯田(和伸)さんもカッコ良いですけどね。生き方がカッコ良いし、勇気がありますよね。僕はあんなに勇気がないなと思ってしまう。
●そういうところも理解した上で自分なりの表現をしているところが、“らしさ”なのかなと。
篠塚:「勇気がない」と言うしかないっていう。でもそう言えるっていうことは、「勇気あるじゃん」っていう無限ループになりますけど。
●無限ループをする勇気はあると(笑)。
篠塚:確かに。断言する勇気がないだけで、無限ループをする覚悟は決めていますね。諦めるのを諦めちゃったみたいな感じというか。“諦めるのがカッコ良いと思っているんじゃないか?”っていう疑問が湧いてきて、自分がだんだん嫌になってくるんです。だから“とりあえず血ヘドを吐いてもらっても良いですか?”っていう気持ちになるんですよね。自分に対して“諦めながら全力疾走してもらって良いですか?”っていう気持ちになってくる。そういう感じのアルバムですね。
Interview:IMAI
Assistant:森下恭子