響心SoundsorChestrAは、神戸市発3ピースバンド。彼らの音楽は、音を通じて楽しめるようないわゆる“グッドミュージック”とはまったく一線を画している。感情や人格、思想、哲学…言うなれば、人間を人間たらしめる塊そのものだ。音楽を身にまとって気持ちを届けるのではない。音楽を手段に、自らの“塊”をぶつけるのが彼らのやり方だ。そこには無駄なものは一切なく、ただただ本質のみが存在する。それはときに、現代社会で生きる我々にとって、とても斬新で衝撃的なものだろう。これまでの常識を覆す存在に出会ったとき、君ならどうする?
みんながやっているのは、MUSICというロボットを操縦してそれを音楽と呼んで勝負するということです。僕らは裸でMUSICという日本刀を持って戦うということです。MUSICの力を借りて戦うのでなく、あくまでも生身の剥き出しの人間性で勝負するのが僕らのやり方なんですね。
●響心SoundsorChestrAは活動自体が特異というか、イベントひとつにしても独自の動きをしていますよね。はっきりとしたバンドの指針や考え方があるんですか?
総理:やっぱり“自分たちがいいと思ったことをひたすらやる”ってことに尽きますね。今の音楽の世界って、言ってしまえばテンプレートの繰り返しで成り立ってるじゃないですか。白紙の目で見たときに、本当に自分たちがやりたいことをやる。ただそれだけのスタンスですね。
●テンプレート、とは?
総理:例えば音源をリリースしてイベントをするとなると、バンドを呼ぶ・ライブする・お客さんを集める…だいたいこのサイクルを繰り返すじゃないですか。僕はもうそれに飽きているんですよ。
●そのことに対して、最初から疑問があったということ?
総理:イベントだけじゃなくて、いろんなことに対して初めから疑問がありました。CDを出しているのに“レコ発”と言ったりするのもそうですし、アルバムやシングルという表現もそうです。「10曲入りなのにミニアルバムなの?」とか、どうでもいいことを気にする人が多すぎる。だから僕らは自分たちの音源を“フォグサーティン”と呼んでいるんです。
●そういえば、去年音源を出した際に“レコ発やめます”という名前のイベントをやっていましたね。
総理:僕は自分の言っていること、やっていることにちゃんと整合性が取れないと嫌なんですよ。だから“レコ発”と言ってCDを売るようなことはしたくないんです。
●じゃあ“CD発”ならOK?
総理:それならいいと思います。
●CDをフォグサーティンと呼ぶのはなぜ?
総理:スタジオのノリで決めました。いちばん大事なのは、自分たちで自分たちの音源の名前を決めるということなんです。
タートル:フォグサーティンっていうのは適当な造語の名詞なんですよ。特に意味はないし、それくらいのものでいいということなんです。
総理:創作はそれくらい自由なものであるべきやし、芸術って元々は何でも良かったはずなんです。でも今はいろんな制約があり過ぎて、型破りなものが認められない。そういう世界で生きているつもりはないんです。音楽界の流れに沿う必要はまったくないと思うし、バチバチした感覚の方が僕は好きなので。それは単に誰かをDisっているということじゃなくて、実際に正しくなければ正しくないと言うだけの話。レコ発のことも“お前らはレコード作ってんの? ちゃんと考えて言葉を使ってる?”って思うんですよね。
●なるほど。この強烈な個性を持つ総理を他のメンバーはどう思っているんですか?
タートル:僕は割と一般的な発想の人間なので、総理の新しい考えに関していつも“そんな考え方があるんだ!”という感覚なんです。レコ発についても違和感を感じていなかったし、総理に“ちゃんと考えてる?”って言われてしまっていた側の人間なんですよ。その側面は今も持っていて、だからこそ一般的な意見を言えるというか。その擦り合わせをすることによって、また新しいバランスが取れているかなと思います。
●なるほど。のじくんはどうですか?
のじ:僕も東京にいた頃にやっていたバンドでは、普通に“レコ発”と言ってイベントをやっていたんです。それが普通だと思っていたし、そういう文化だと思っていたから。だから去年総理に会って響心SoundsorChestrAに誘われたときは、本当にブッ飛んでいるやつだなという印象がありましたね。しかも入っていきなりツアーが始まったんですけど、そのタイトルがちょうど“レコ発やめます”っていうものだったんです。そんな考え方のバンドと出会ったことがなかったので、単純に面白いなと感じて。
●革新的な考え方の総理に対して、そうではないタイプの2人が一緒になって世間を騒がせようとしているというのは面白いですね。何で理解し辛かったブッ飛んでいる総理とやろうと思ったんですか?
タートル:僕は最初に、お客さんとして響心SoundsorChestrAのライブを観たことがあるんですよ。そのときは今とはメンバーも違ったし演奏力も全然なかったんですけど、それにつけてもライブがすごく良かったんです。あのときは総理のワンマンライブみたいな印象でした。曲うんぬんよりは、総理のMCの言葉がよかった。
●響心SoundsorChestrAの放つエネルギーは、総理の特異性というか。
タートル:そのときは“すごいなコイツ”ってくらいで、何がすごいかはハッキリしていなかったんですけど…その時点で彼の言葉や思想に対するリスペクトがあったんやなと今なら思います。一緒にやっていく中で、ひいき目なしで客観的に見ていても、ライブがすごいよなって思うんですね。だから根本にはリスペクトがあって、バンドができあがっているんじゃないかと僕は思います。
●総理の魅力というところで結集しているのか。自身の音楽をオーディエンスに対して発信するときは、どういう心情なんですか?
総理:僕たちのライブは、みんながこうだと思っているものとは違うと思うんです。「楽しんでるかい!」みたいな、GOOD MUSIC, GOOD LIVEで好きになるものではなくて、新たな概念を打ち込む感覚のライブなので。だから伝われば好きになると思うし、伝わらなかったらそこまでの話だと思うし。僕らにとって音楽のライブの世界っていうのは、伝わるか伝わらないかの勝負の繰り返しですね。
●その心理は前作のタイトルでもある『バンド使って感情表現しにきました』という言葉に集約されていますね。
総理:みんながやっているのは、MUSICというロボットを操縦してそれを音楽と呼んで勝負するということです。僕らは裸でMUSICという日本刀を持って戦うということです。MUSICの力を借りて戦うのでなく、あくまでも生身の剥き出しの人間性で勝負するのが僕らのやり方なんですね。そこに決定的な違いがあります。
●でも作品が世の中に出ていくと、作品の意味は受け取り手の判断によるわけじゃないですか。当然、意図が伝わらないケースもあると思いますし。
総理:これは僕のいち意見ですけど、リスナーがどう思っているかは気にならないです。だって、結局は聴いた側の認知なんですよ。例えば僕がAということを伝えたくても、相手はそこからCということを学ぶ可能性もありますよね? それは僕にはまったく予想できないし、Aとして発したものをAとして受け取れというのは、僕は違うと思うんです。“スピーカーから出た瞬間、音はお前らのもんやから、好きに解釈してもらっていい。そこに対して何も求めない”というのが僕のスタンスです。
●総理のそういった人格は、いつ形成されたのか気になります。小さい頃はどんな子どもだったんですか?
総理:小学生の頃は1回もテストをやったことがない子どもでした。あんまり記憶にないんですけど、テストを受けるとき、いつも用紙の端に絵を書いていて、先生が「テストをやりなさい」って言ったら「絵を描くのに忙しいんや!」っていう子だったらしくて。
のじ:病気や(笑)。
総理:ピアノを習っていたこともあったんですけど、1年間やってドしか覚えられなかったんですよ。お母さんが「何でそんなに間違うん?」って聞いたとき、「何で間違ったらあかんの?」って言ったらしいんです。間違った方が良いかもしれへんやん、みたいな。決められた通りに弾くのが絶対にいいという感覚がなかったんですよ。たぶん、あまりにも自然BOYで生まれてしまったんです。
●お、名言が出た。
総理:それから高校の頃にクラシックギターに出会って、素晴らしいなと思って。クラシックはバンドとまったく違う価値観を教えてくれる場所なんです。
●例えば?
総理:楽譜には音楽記号がありますけど、バンドスコアってどんな気持ちを込めて弾くのかという記号が全くないんです。他にもクラシックは1曲が10分以上あるのが当たり前だから、バンドの曲を聴くと“4分しかないって短くない?”って思ったり。クラシックをやっていたからこそ違和感のあることもいっぱいあります。そういう感覚を持っていると、バンドをしている人が普通やと思っていることが、全然普通じゃないということを知るんです。
●それだけ違うものでも、傍から見るとロックバンドという形で一括りにされてしまうきらいはありますよね。それに対してはどう思いますか?
総理:ロックを単にジャンルとしていうのは、僕はナンセンスやなと思いますね。ロックというのは“生き様”のことだと思うので、どういう風なロックなのか、種類もいっぱいあるじゃないですか。“こういう生き方をするやつやからこそ出るロック”みたいな言い方をした方が良いと思います。
●聞けば聞くほど興味を惹かれますね。名は体を表すと言うけど、なぜ響心SoundsorChestrAなのか、裏付けを全部かいつまんで言ってもらった気がする。新譜『台北より愛をこめて』についてですが、総理は台湾に惹かれているらしいですね。ジャケットも台北で撮影された写真ですが、どんな魅力があるんですか?
総理:簡単に言うと、台湾の人間の生き方と響心SoundsorChestrAって似ているんです。台湾って、基本的に台北という街が日本で言う東京のようなものなんですけど、それはもうボロボロの街なんですよ。『例えばiPhone6新発売』と書いてある建物があっても、看板に反して建物は古くてボロボロ、みたいな。だけど、それでもちゃんと成り立っているんです。言ってみれば、その店はiPhone6を売っているということが重要で、外観なんてどうでもいいんですよ。それはいかに本質主義な生き方をしているかの表れであって、僕らと似ていると思うんです。響心SoundsorChestrAも伝わったらOKやし、いろいろとハイカラなことをしないということに、美しさやよさがあると思う。台北というのは響心SoundsorChestrAと言い換えてもいい。
●なるほど、そう考えると近い気がするな。
総理:その感覚っていうのは、社会の価値観で生きている日本人はあまり持っていない人が多いんです。“みんながこう言うからこうだ”っていう日本の在り方があるけど、そういうのはよくないと思うんです。だからこの作品は、“台北という本質主義の感覚より、愛を込めてお前らに贈る”という感覚ですね。
●なるほど。本質的なところはそういう部分なんですね。響心SoundsorChestrAのような言葉を発せられるバンドは少ないし、これからもぜひ続けて発信してほしいと思います。最後に、読者へのメッセージがあれば。
タートル:僕はこのバンド自体をライブで観たいと思うくらい、良いバンドだと思うんですよ。単純で面白いことに、響心SoundsorChestrAのライブを観たらすごく疲れるんです。自分の思っていた当たり前が崩れて、新しい考えが入ってきて、考えがかき乱される結果疲れてしまう、みたいな。
●確かに深みがあるライブを観たり曲を聴いたりすると、そういう感覚になるときがあります。
タートル:すごくライブが良いからしょっちゅう観たいけど、月に1回くらいしか観る体力がないっていう人がいるくらいなんです。僕自身、その感覚がすごくよくわかる。“観て疲れるバンド”というと語弊があるかもしれないけど、そういうバンドなんですよ。だから、普段は今世間でいい音楽と言われているものしか聴かない人や、フェスにしか行かないような子たちが僕らのライブを観たら、どんな感想が出るのかちょっと興味があります。
のじ:このインタビューでしゃべってきたことは、ライブを観たら一発で“あ、こういうことか”ってわかると思うんです。ライブは本質的なことしかやっていないし、無駄がないから。かといって無理矢理な告知をしようとも思わなくて。このインタビューを読んだら勝手に気になってくれると思うし、そう言えるだけのものを発信している自負があるし、そうすれば勝手に調べてくれると思うし。そうやって純粋な興味から来てもらえたらいいな、と思っています。
総理:ライブというのは“生きる”という意味で、僕らがやるべきなのは本気でライブをするっていうことに尽きるんじゃないかなと思います。人間が感情を爆発させたら綺麗な音はないと思うんですよ。魂を爆発させたら、楽器なんて流暢に弾いている場合じゃなくなるんです。当たり前のことなんですけど、ほんまの怒りが沸いてきたときって、人間が壊れそうなくらいの感覚になるし、もはや生き様の爆発ですよね。僕らはそれをロックンロールというものに乗せて切り掛かる。それだけですね。
Interview:PJ
Edit:森下恭子