URCHIN FARMが新作ミニアルバム『By Blue』を遂にリリースする。1999年に結成後はライブバンドとして着実に実力と地位を高めながら、数々の作品を発表してきた彼ら。2010年からの活動休止期間にも、それぞれがシーンの最先端で活動を続ける中で経験値を積み重ねてきた。2014年の活動再開後は精力的なライブ活動を通じてバンドのビルドアップを果たし、満を持して放つのが今作だ。大いなる進化を遂げた新生URCHIN FARMの新作発売を記念して、JUNGLE☆LIFEではメンバー3人全員でのインタビューに加えて、今回から新レーベル“Blue Phrase Music”を立ち上げた師崎 洋平(G./Cho.)へのソロインタビューという豪華2本立てでお届けする。
●URCHIN FARMは、2010年の3月から一時活動休止していたんですよね。
師崎:1999年に結成してから10年くらいずっと全力で走り続けてきたので、活動の後半には色々と限界が生じてきていて…。年齢もあるし、やりたいことや周りの状況、自分たちの関係性も変わってきていたんです。そういう中でも誤魔化したり我慢したりすることで解決できたところもあったんだけど、(現メンバー3人以外の)メンバー2人から「抜けたい」っていう話があった時に、自分たちの中でも1回クエスチョンが出たんですよね。
●このまま活動を続けていくことに疑問が生じた?
師崎:残った3人で集まって「どうしようか?」っていう話し合いをした時に、「いや、俺たちは続けよう!」って言う人は誰もいなくて。やっぱり自分たちの中でも“このまま続けて大丈夫なのか?”みたいな想いがきっとあったんだと思う。だから「じゃあ、いったん止めようか」と言った時も、みんなが「うん」という感じで。そこでいったん活動休止という形で落ち着いたというか。5人でやることに意味があったから、それが終わってしまった時に“このまま無理に続けることはできないな”という素直な気持ちが全員にあったんじゃないかな。
●解散ではなく、活動休止にしたのは?
矢澤:「解散か休止か、どっちにする?」みたいな話にはなったよね。
師崎:当時はまたやるなんて全く思っていなかったし、復活するために充電しようっていうことでもなかった。ただ、このチームをなくしたくはなかったというか。“解散”って言いたくないところがどこかにあって、3人の中で“休止”ということでまとまったんです。
●解散したくないという気持ちは全員一致していた。
SHITTY:個人的には、活動休止前に出した『EST』(アルバム/2009年)という作品が、そこまで活動してきた中で一番手応えがあったんです。それまでも「俺らはライブバンドだ」って言っていたけど、自分の中ではしっくりきていなかったんですよね。でも『EST』を出してライブをやっていく中で、“やっとライブバンドになれたな”という実感がすごくあって。そこで活動をいったん止めるということには僕も納得していたんですけど、URCHIN FARMの作る音楽に関しては『EST』をキッカケに“まだまだイケるな”という想いがあった。“解散”じゃなくて“休止”になったのは、自分の中ではそれが大きかったですね。
●作品には満足していたし、可能性も見えていたと。
SHITTY:周りからの評価も良かったし、期待されているのも感じていたんですよね。今すぐじゃないかもしれないけど、実はまだやれることってあるんじゃないかなとは漠然と思っていました。
●活動休止の間はどういう時間だったんですか?
SHITTY:モロくん(師崎)と僕はJAWEYEで一緒に活動を始めて、壮太(矢澤)もback numberでサポートを始めたりして。お互いに連絡を取っていたわけではないんですけど、それぞれの活動が勝手に耳に入ってくるような状況ではありましたね。
矢澤:特に仲が悪いとかケンカしたわけではないんだけど、休止してから2年くらい俺は2人と会っていなくて。それでも2人が下北沢ReGで働き始めてブッキングをやっているということや、JAWEYEがCD出したりという話は何かと耳に入ってきましたね。
師崎:バンドがいったんお休みしようということになって、それでまた毎日会っていたら何も変わらないから。意識的に距離を取っていたわけではないけど、いったん鏡に向き合って“自分はどうしたいのかな?”っていうのを考える期間にお互いなったんじゃないかな。
●自分を見つめ直す期間でもあった。
矢澤:10年間くらい活動を続ける中でみんなURCHIN FARMのことしか考えてこなかったから、自分が何者なのかもだんだんよくわからなくなっていて…。
師崎:バンドのことが生活の99%を占めている感じで、あとは移動とか寝るとか食べるとか…本当にそれくらいの活動になっていたんです。その頃は見えている世界が狭かったし、“夢”の良い部分だけを見ていたと思うんですよね。嫌な部分をちょっとでも知っちゃうと心が折れるのはわかっていたから、怖くて見ないようにしていたというか。でもいったん落ち着いてから見てみると、“案外これは要らなかったな”とか“こんなことを言わなくても良かったんじゃない?”っていうところが見えてきて。自分自身も柔らかくなってきたし、受け入れられる部分が増えてきた。3人ともそうだったと思うんだけど、そこから人間が変わってきて、昔の自分とは全然違う感じになりましたね。
●人間としても成長したわけですね。
矢澤:休止した当初はケンカや言い合いになっちゃうのが怖くて、2人に会いたくないと思っていたんです。でも休止から2年後くらいにモロから「弾き語りをやらないか?」って声をかけてもらった時に、久々にやってみようかなと思って。それで2人に会ってみたら、すごく変わったなと。人間味が出たというか、“人間になったんだ!”みたいな感覚があったので安心しましたね。
●それが活動再開のキッカケになった?
矢澤:「せっかくだから3人で出るか」みたいな話になったんですけど、その時はまだバンドとして動こうと思っていたわけではなくて。“URCHIN FARMはこういうことをやっていたんだ”っていうのを改めて確認する機会にはなりましたね。
師崎:その時に初めて“この3人でURCHIN FARMなんだ”っていうのが理解できたんです。休止前までは“5人でURCHIN FARM”という形でずっとやってきたけど、3人で弾き語りでやろうとなった時に“今からメンバーはこの3人なんだ”と認識できたというか。
●でも本格的な活動再開には、そこからまだ2年くらいかかるわけですよね。
師崎:お互いにJAWEYEやback numberをやっていて、充実したバンド活動をやれていたというのはあったかな。でも休止してから自分と向き合う中で見つけたものが、それぞれにあって。俺はライブハウスでブッキングとして働くようになって、バンドと一緒にやっていくことが天職だと思えるくらい好きで大事なものになったんです。今まで自分のバンドしか守ってこなかったところから、守りたいものが増えた。それをやっていく上で、JAWEYEとはやり方や考え方が合わなくなってきたんですよね。
●それがJAWEYEからの脱退につながった?
師崎:JAWEYEも以前のURCHIN FARMと同じように、“ここに全てを懸けていこう!”というものになっていって。もちろん俺もそこに懸けたいんだけど、こっち(ブッキングの仕事)もすごく大事で…というところでバランスが取れなくなってきたんです。「このまま一緒にやっていても、お互い上手くいかなくなっちゃうよね」というところで、「じゃあ今の自分のスタイルと合うようなバンドをやろう」ということになった。
●ライブハウスのブッキングという仕事もしながら、バンド活動も続けていこうとした結果だった。
師崎:このスタイルでやるのが今の俺だし、今の自分のままでバンドをやりたいっていう気持ちになったから。それでまずSHITTYに「またURCHIN FARMをやらない?」って、声をかけたんです。SHITTYもライブハウスで同じような仕事をしていたから、「そういう形でやれるんだったら、またバンドをやりたい」っていう話になって。そこから壮太にも電話したんだよね。
矢澤:俺はその日の朝起きた時に、“絶対電話が来るな”という予兆があったんですよ(笑)。SHITTYは先にJAWEYEを脱退していたんですけど、モロも脱退となった時に“これは今夜、電話が来るな…”と思っていて。そしたら、やっぱり夜に電話がかかってきたんです。俺はback numberではギターとしてサポートをやっていたので、“そろそろ歌いたいな”とちょうど思っていた時期で。そこに連絡が来たから「じゃあ、やろう」と。
●ちょうど良いタイミングだったんですね。
矢澤:渡りに船でしたね。違う形になった3人が古巣に帰ってくる感じで、面白いことができるんじゃないかなっていう感覚はあって。URCHIN FARMを大事にしつつ、自分のライフワークや今大事にしている場所も守りながらやってみないかっていう話だったので、これは良いなと。“この3人でこんなことをやってみたい”っていう明るい話が出てきたし、それをどう形にしていこうかって考えるのがすごく楽しかったんですよ。だから“イケるな!”って思いましたね。
●そこからまずライブ活動を再開して、今回の新作発売までにも時間をかけたわけですが。
師崎:復活してすぐにリリース、みたいな生半可なことはしたくなくて。もう1回鍛え直して、誰にも負けない俺たちになって…というか前よりも良くなった上で作品を出さないと復活した意味なんてないし、カッコ悪いから。ゼロからちゃんとやってビルドアップして、納得のいくものになってきてから、新譜を出すという流れになったんです。
●音楽的にも新しいことをやろうという意識はあったんでしょうか?
師崎:ありましたね。各人がURCHIN FARMとはまた違う方向に特化したバンドに入って、そっちの真髄というか面白さや楽しさやカッコ良さに触れまくってきた4年間だったから。そういう俺たちが出す音っていうのは、昔の俺たちとはまた別のものになると思うんですよ。でも作ってみて思ったのは、要素として残っているものは残っているなということで。キャッチーさやポップさとか楽しさとか…どんな音楽を作ろうとしても、それは絶対に要素として残っている。そこに知識や経験、研究してきたものが加わることで、URCHIN FARMの進化版みたいなものができたらなとは思っていました。
●キャッチーさやポップさ、楽しさといった部分が特に強く出ているのがM-1「Mr.Holic」とM-2「ワレワレハ地球人デアル」という冒頭の2曲かなと。
師崎:JAWEYEでは熱量というところを一番大事にしていたから、URCHIN FARMと色味は違うけど“それってこうやって出せば良いんだ”っていうのがわかったというか。そこで熱量の表現の仕方を勉強できたというのが一番デカかったかもしれない。URCHIN FARMは人がワーッと泣き笑いするっていうところをずっとテーマにしてきたから、実際にそうさせるためにはどうしたら良いかっていうテクニックの部分がわかったことで本格的にやれるようになったのかな。だから今回は本当にどこを切ってもテンションの上がるものになっていて。
●休止していた期間の経験を昇華できている。
矢澤:俺の中では、ゴールが明確になったというのがあって。前のURCHIN FARMは曲を作るのがゴールで、あとは聴いた人が勝手に判断してくれっていうところが強かったんです。でもJAWEYEやback numberの曲がお客さんに届いていく感じを見ていて、“これがゴールなんじゃないかな”と思うようになったんです。今は“こうやったらちゃんとお客さんに届いて喜んでもらえる”っていうふうに目標を作って、作品が完成するまでの絵を描いた上で曲を作れるバンドになったんだなというのはすごく感じていますね。
●リスナーにきちんと届けようという想いが生まれた。
矢澤:冷静に考えれば当たり前のことなのに、それすらもわからなくなっていたんですよね。そんな当たり前のことを今のURCHIN FARMではできるようになったというのは、とても幸せなことだなって思います。
師崎:今回の『By Blue』に関しては“こういうふうにやったら、お客さんがこういう顔になるんじゃないかな”っていうことを想像しながら作っていったんです。それをやれるのがカッコ良いバンドだし、ここからのURCHIN FARMが絶対にやっていきたいことでもあるから。そこが前とは違うところなのかな。とにかく外に向けて表現するために作っているというか。“作品は作品、ライブはライブ”というわけじゃなく、どっちも一緒という感覚で作ることができた感じはあります。
●そういう感覚で作ったからこそ、特にツアーが楽しみなのでは?
師崎:ツアーをやってみて、もちろん“こうじゃないんだ”っていう瞬間もあるだろうし、“やっぱりそうなんだ!”っていう瞬間もあると思うんですよ。冒頭の2曲が今作のコアな部分というか、“俺たちの新しい音楽はこれです!”みたいなものなんですけど、まだライブでやっていなくて。この2曲がライブでどうなるのか、ワクワクしますね。
SHITTY:今作はスタジオワークで作った作品じゃないなと思っていて。ライブハウスで活動しているバンドがちゃんと練習して、1曲ずつ作った曲を仕上げて、披露して、反省して…というのを積み上げて、ようやく満を持して自信を持って出せる作品なんです。自分たちとしても“これから絶対にイケるぜ!”っていう確信が持てるような作品ができたので、これがもっと多くの人に伝わって欲しいなと思っています。
Interview:IMAI
Assistant:森下恭子