まるで水のように歌う南壽あさ子と、ミュージシャン・音楽プロデューサーとして長く活動を続ける鈴木惣一朗。偶然的かつ必然的に邂逅を遂げた2人の音楽家が、世代を超えて価値観を共有して季刊限定ユニット・ESTACIONが始まった。日本語の情緒を大切にしつつ、四つの季節を綴っていくプロジェクトは、時代に左右されない普遍的な“日本の音楽”を紡ぎ出していく。単なるカヴァー集におさまりきらない音楽の贈り物、存分に召し上がれ。
●ESTACIONは季刊限定ユニットということですが、お2人の出会いは?
南壽:私のフルアルバム『Panorama』(2015年6月)で、「少年たち」「ちいさなラズベリー」「ペーパームーンへ連れ出して」の3曲をプロデュースしてもらったんです。その前に、インディーズのときからお世話になっているマスタリングエンジニアの小島康太郎さんという方がいて、その人が惣一朗さんのことをよく知っていて「南壽さんに合うんじゃないか」と言ってくださったんです。それで一度ライブを観に行って挨拶したんですよね。
鈴木:はい。
南壽:それは2012年とかインディーズの頃ですぐには発展しなかったんですけど、『Panorama』を作る前にもう一度マスタリングエンジニアの方と話したら「ぜひ惣一朗さんと」って。そこで繋いでもらったんです。
●鈴木さんは南壽さんの話を聞いていたんですか?
鈴木:はい。小島康太郎さんは面白い人で、マスタリングエンジニアなんだけど、人と人をコネクティングしたいっていう人なんです。普通はエンジニアって機械を操作しているだけというイメージだけど、ちょっとキャラクターのある人で。
●ほう。
鈴木:『Panorama』でプロデュースしたのは3曲だけでしたけど、すごくよかったんです。僕が考えている今やりたいことと、南壽さんが今持っている力がいいコネクティングをしたというか。そのときにすぐにスタジオで「季節のアルバムというか、こういうのをやらないか?」と提案したんですよ。
●あ、鈴木さんの方から前のめりに(笑)。
鈴木:内向的なタイプなんですけど、かなり積極的に(笑)。普通だったら社交辞令で流されるようなことだったんですが、意外に本気になってきたというか。本気になったんですかね?
南壽:はい(笑)。
鈴木:「ぜひやりましょう」みたいな形になって。そのときのイメージは漠然と“クリスマスのアルバムを作ったらおもしろいかな”というくらいのものだったですけど、。その後いろいろ真面目に考え始めて、“南壽さんはすごく日本語を丁寧に歌われている方なので、そういう部分を柱にして四季のアルバムを作るのはどうかな?”という風にイメージを膨らませていって。
●最初プロデュースされた3曲はそれぞれタイプがまったく違いますけど、ウマが合ったんですか?
鈴木:合ったのだと思います(笑)。でも「少年たち」という曲では、僕はプランがあったんです。夢があったんです。
●夢?
鈴木:いろんな金管や弦を入れて、ビッグなサウンドにしようと思っていたんです。曲想が力強い感じなので、ベーシックはギター・ベース・ドラムのいわゆる3ピースっていう形で。そしたら「これでいいです」って。
●鈴木さんが夢を持っていたのに(笑)。
鈴木:「これ気に入っちゃいました」みたいな反応が来たときに“これはわかってるな”と思ったんです。
●“この女は本質がわかっている”と。
鈴木:そう(笑)! “この女は”とは思わなかったですけど(笑)。30歳も歳が離れているから、どこまでどうわかっているのか、どういう可能性があるのか…僕も楽しみにしていたんですけど、さじ加減がわからないじゃないですか。普通の女性シンガーだったら、サウンドをゴージャスにすると喜ぶんです。でも南壽さんはベーシックを録ったら「もうこれでいいんです」と言う。“引き算的なアレンジの寄り切りまでわかっているんだな”っていう驚きがまずありました。
●「これでいいです」と南壽さんがおっしゃったのも、想像するに、やわらかい人柄ですけど結構頑固な感じだったんでしょうね。
南壽:フフフ(笑)。
鈴木:もうね、一歩も動かない感じだった(笑)。既にミュージシャンのスケジュールも押えてオファーしていたんですけど、すべてバラしたんです。マキシマムとミニマムの考え方がありますけど、「ミニマムでいい、余白があっていい、引き算でいい」っていうのは、僕が音楽を作るときの指針にしているんですけど、それを理解できる音楽家はなかなか少ないですよ。
●特に若い頃って自分を大きく見せるというか、音を足していく人が非常に多くて。一定時期を過ぎてキャリアを積んだ後に引き算する、という順番ですよね。
鈴木:そうです。でも南壽さんは3年でこの域に達している。僕は30年でやっと達したのに、3年で達せられているんだなっていうのはひとつ驚きでした。あと、スタジオで「水みたいに歌いたいんです」って言ったんです。
●名言が出た!
鈴木:ハハハ(笑)。26歳なんて、自分のアイデンティティを強さとか表現で出したい時期じゃないですか。そんな時期に「水みたいに歌いたい」って…確かに歌を歌われると、そういう感じがするんですよね。
●みなさん「透明感がある」とか、そういうイメージを持ちますよね。
鈴木:それも半端な透明感じゃない。非常に強さのある透明感というか。僕はそこに一種の力を感じたんですよね。よく南壽さんの歌を聴いて「癒される」と言う方が多いと思うんですけど、僕はそれだけじゃない強いものをレコーディングしたときに感じたんです。じゃあ思い切ってもっと引き算でやろうと。それがESTACIONのアルバムに繋がっていったというか。
●南壽さんは、鈴木さんにどういう印象を持たれたんですか?
南壽:熱い方だなと思いました。とにかく音楽が好きだし、いろんな知識もあって。ただそれを押し付けるわけじゃなくて、私の意見というか率直な等身大のことも受け入れてくださるので、一緒に作っているという感じが生まれたんです。
●はい。
南壽:なのでESTACIONの話をいただいたときも、一緒に作ることができると思ったんですよね。ESTACIONは3年のプロジェクトの予定なんですけど、時間をかけながら季節ごとに作品を出していければいいなと思っていて。その過程の中で、自分がいろんなものを見て、それを音にしていくことができるんじゃないかなと。
●なるほど。ところで今作のカバー曲はどうやって選んでいったんですか?
鈴木:ほとんど南壽さんの選曲ですね。
南壽:M-4「500マイル」はずっとライブで歌ってきていたんです。英語で歌っていたんですけど、忌野清志郎さんが日本語詞で書いているものを教えてもらって。意訳されてはいるんですけど、元詞に近いくらい切ないというか、日本人の情緒に合っているような書き方をされていてすごくよかったんです。ESTACIONは日本語で全部紡いでいこうと思っているので、海外のトラディショナルソングも日本語で歌うことによって、スッと入ってくるようにしたいなと。
●なるほど。
南壽:あと当初「日本の唱歌が似合うんじゃないか」と言ってくださっていたので、M-3「冬の星座」とM-5「白い道」を選びました。あとクリスマスアルバムというのもあったので、クリスマスの曲を1曲入れて。あとは初めて朗読したり。
●これはすごくびっくりしました。
鈴木:僕は普段から朗読ものが好きなんですけど、南壽さんがレギュラーでされているラジオ番組(『真夜中のsoup』)に出たときに、既に朗読のコーナーがあって、それがすごくいいわけですよ。谷崎潤一郎さんとか宮沢賢治さんを朗読していて、それが曲の間に入ったらいいんじゃないかな、みたいな。
●朗読も含めて、選曲はまったく時代感を感じさせないですよね。「普遍的にいいものを」という基準なんですか?
南壽:そうですね。あとは、風化していかないでほしいものというか。日本の唱歌とか…惣一朗さんがおっしゃっていたんですけど…もう教科書には載っていないらしいんです。
●え? マジですか。
鈴木:今はSMAPとかビートルズとかが載っているんです。唱歌は情操教育としてもともと聴かれていたのに、今は聴かれなくなった。それが寂しいという想いと、変だなと思うところがあって。
●うんうん。
鈴木:そういう歌はちょっと怖かったりもするんですよね。“恐れ”とか“怯え”という感受性を覚えることも大事だから。でも、南壽さんと出会って、本人がそういうものに興味がなければ押しつけになるじゃないですか。そしたら感じてくれるところがあった。南壽さんはこういう唱歌は知っていたの?
南壽:知っていましたけど、実際に私も教科書に唱歌があまり載っていなかった世代なんです。でも唱歌を聴いたり詞を見たりすると、普段は使わない日本語だけど、日本人なら耳で聴いたときに情景がなぜか浮かんでくるという不思議な魅力があるというか。言葉を知らなくてもそう感じるんだから、その曲を知らない若い人も聴けば、情景が浮かんでくるんじゃないかなと思っていて。
●なるほど。1つ気になったのが、M-1「ふゆる」の最初の歌詞に、“音のない音が好き”というフレーズがあって。歌詞を最初にパッと見たとき“南壽あさ子だ!”と思ったんです。無音や余白を音と捉える考え方というか。
鈴木:外で雪が降っているとき、人間には雪が降った音が聴こえるらしいんですよ。実音じゃないんだけど、気配を感じるというか、潜在能力が残っていて。日本人だけかもしれないけど、あれですよね。
●うんうん。先ほどの鈴木さんの引き算の話に通じる価値観だと思うんですが、今作は全体的にシンプルで音の隙間も多いですよね。
南壽:「ふゆる」を作った最初の段階はピアノを弾いていたんですけど、その上に一緒にアイリッシュハープを重ねたんです。それを聴いたときに“ピアノは要らないな”と思って。
●南壽さん、ピアノ弾きなのに(笑)。
鈴木:積極的でしょ?
南壽:「ピアノの音を抜きたい」と言って、ハープと弦だけですね。
鈴木:“ピアノ弾き唄いの南壽あさ子”というある種のブランディングができているから、次のステージに行ってほしいと僕は思っていたんです。でも、よく考えるとまだ1年にも満たない関係なので、南壽さんのことをまだよくわかっていないと思います。でも、南壽さんの成長率はやっぱり高いですよね。伸びしろがある。3年やっている間に、すごく変化をする感じ。3年後にはお母さんになっているかもしれないし、モヒカンになっているかもしれないけど(笑)。
●ハハハ(笑)。
鈴木:こうやって、じっくりとアーティストの変わっていく様を見ていけるってなかなかないし、やってみたいと思わせるだけのアーティストだと思ったんです。それに、じゃなきゃ声を掛けないですよね。南壽さんは楽器を弾きながら歌でひとりで成立する形を徹底的にまず鍛えたじゃないですか、アスリート的に。
●今まで細く全国をまわっていましたもんね。
鈴木:ということは、たぶんピアノを捨てることもできる。本当のアーティストって自由だから、どういう風になってもいいってことなんですよ。でも普通は、そこに達するまでにはみんな迷う。だから3年でそこまで到達しているのは、なかなか稀なことだと思います。
●あと、さきほど鈴木さんが「南壽さんの声は透明感だけでなく強さも感じる」とおっしゃっていましたけど、それは感情を込める/込めないとか、そういうレベルの話でもないような気がするんですが。
鈴木:音楽の専門的な言い方をすると“ステイ”という言い方をします。“ステイ=なにもしない”という表現が黒人の音楽であるんです。上手いミュージシャンはステイしたらなにもしない。細かいフレージングじゃなくて、音のリリースの長さとタイミング、音色だけで勝負してくるんです。
●ほう。
鈴木:南壽さんが細かくビブラートをかけたり抑揚を付けたりしないのは、ステイしているからなんです。ステイしながらも、表現しようとしている。だから僕には単なる癒しには聴こえなくて、そこを超えようとしている感じがする。別の言い方をすれば、意思の力を感じる。まだわからないところも多いですけど…それはさっき「童謡が怖い」と言った感じにも近いかもしれない。
●あぁ〜、なるほど。そうかもしれない。
鈴木:可愛いとか綺麗とかそういうことだけじゃなくて、強さとか怖さとか、そういうものも全部南壽さんにはあるんじゃないかな。じゃなきゃ中原中也は出てこないでしょ(笑)。
●確かに(笑)。
鈴木:南壽さんには、きっと見えてるんですよね。「水みたいになりたい」って、ただ言っているだけじゃなくて。自分で歩く道を選んでいると思う。
interview:Takeshi.Yamanaka
Assistant:森下恭子