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ヒグチアイ

『全員優勝』、 バラエティ豊かな作品に込めた ヒグチの鋭いメッセージ

ヒグチアイアー写大柴広己がプロデュースを行った前作『三十万人』からおよそ一年。SSWヒグチアイが2ndアルバム『全員優勝』をリリースする。「これだけは書かなきゃいけない」という想いから作られた今作は、弾き語りからバンドアレンジ、そしてエレクトロニカの要素も加わったバラエティ豊かな作品となった。一方歌詞では、情念や迷いも色濃く映し出され、激情と虚無を揺れ動く1人の主人公の葛藤を描き出している。私的な体験を通して綴られた言葉は、時に鋭く本質を見抜き、聴き手の心を強く揺さぶる。そんな作品を作る彼女には今、何が見えているのか? インタビューで語ってもらった。

 

 

『本当に伝えたいんですよね…「一生忘れないよ」って』

●前作『三十万人』のセルフライナーノーツで「今ある曲を、出しきってみよう、と思った」と書かれていましたよね。そうやって出しきって今作に至るまで、どんな1年間でしたか?

ヒグチ:『三十万人』をリリースしたことで動いたところはありましたけど、それ以降は止まっているような感覚が自分の中でありましたね。それには理由があって、そうならざるを得なかったんですけど。その停滞の中で「これだけは書かなきゃいけない」っていうことがあったので、曲を書きました。

●一度出し切ってみて、作り始めた曲が本当に伝えたいことだった?

ヒグチ:というか、この一年間はこれだけしか書けなかったんです。収録曲は、本当は9曲だけにしようと思っていたんですよ。候補を出していたら11曲になって、それをそのまま収録したんですけど。昔書いたM12-「サクラ」、M-6「ポケット」、M-3「ツンデレ」以外は、全部『三十万人』以降の曲ばかりですね。

●昔の音源に収録した曲も入っているんですね。

ヒグチ:そうです。その中で「ポケット」が一番古くて、たしか20〜21歳の時に書いた曲ですね。この曲を好きだと言ってくれる人は多いんですけど、前に録音した音源は自分の中で納得いってなくて。「聴いて欲しいけど音源は渡せない」っていう状態だったので、もう一回録り直しました。前回と同様に一発録りで録音したんですけど、本当に良いものになったなと思っています。

●曲を聴いていると歌声が震えている部分があったりして、そこに感情を揺さぶられますね。歌詞に関しても、別れを経験した人なら誰もが共感できる内容というか。

ヒグチ:曲を聴くと書いた時の気持ちが思い出されますね。普段は「なんでこんな曲を書いたんだろう?」とか忘れちゃうんですけど、聴くと思い出す。

●ある意味、自分の暗い部分を引き出しちゃう曲じゃないですか。それでも収録しようと思ったんですね。

ヒグチ:今作は暗い部分もいっぱいありますけど、「(自分は)こういう風に思っているから、それが伝わらなきゃダメだ」とか、そういう責任はないと思っていて。聴いてどう思うかは、受け取り手に任せているんです。それよりも、自分で書きたいことを自分の中で「曲にして残さないと」って。そういう想いがずっとあるんですよね。

●日記というか、自分の記録として残しているところもあるんですか?

ヒグチ:結局いろんな物事って忘れちゃうじゃないですか。でも、記憶って本当はずっと頭の中にあって、それを思い出す方法を忘れちゃうだけなんですって。例えば、小学校の頃の友達に会って喋っていると当時を思い出したりしますよね。私は音楽でもそういうことをしたいと思っていて。

●思い出すきっかけを作りたいと。

ヒグチ:昔、自主制作盤で『カギノヤマ』っていうミニアルバムを出したことがあったんですけど。それは、記憶をしまっている場所の“カギ”になるような言葉がいっぱい入っているアルバムにしたくて『カギノヤマ』っていうタイトルにしたんです。そういう感覚は今も変わっていなくて、たとえ暗いことでも「忘れちゃいけないことだな」って思う。そうやって曲が、「自分の中の記憶を思い出すためのツール」になっているところはあるかもしれないです。

●“思い出す”で言うと、この間拝見したヒグチさんのライブ。M10-「つばめの巣」の演奏中に、フロアからすすり泣く声が聞こえて来たんですよね。観客が一心に歌を聴いている空気感があって。あれがすごく印象に残ったんですよ。

ヒグチ:「つばめの巣」は、今作の中でも「これだけは書かなきゃいけない」って思って作った曲のうちの1つで。一番言いたいことは「死にたい」とか「やめたい」って言っている人も、結局そこにいる必要があるから、その場所にいる。それは結局「変われないし、死ねないし、やめられないっていうことなんだな」って。

●そこに答えを出していない?

ヒグチ:以前、曲を聴いた人から「そういうのはダメなんだよって言っているような歌だと思っていた」って言われたことがありました。でも、それが「悪い」とも言っていないんですよ。だからって「良い」と言うわけでもない。「ただそれだけ」というか。

●この曲は「本質を見抜いて、それをただ提示するだけ」という曲だと思うんですよね。「こうしたらどうか」とか「こうするべきだ」みたいなメッセージはないまま終わるじゃないですか。だから、答えは受け取り手で探すしかないというか。

ヒグチ:そう言われて初めて思ったんですけど。じゃあそれは私が言わなくても、みんな根本的に持っているものなんですかね。

●そうだと思いますよ。「やめたい」、「変わりたい」って、誰しも一度は思うことじゃないかと。それを“この頃よく出会う”っていう部分も共感できる。

ヒグチ:最近はSNSで簡単にそういうことが言えてしまう。簡単に自分の心の状態を人に伝えることができる。そんなに責任感を持たずにポロッとこぼすことができる。それはその人を救っている部分があるかもしれないですよね。でも、そういうものが売り物になって、消費されちゃう。昔はそういうことが言えなかったから、頑張らなきゃいけなかった。「自分がどういう風にそこから抜け出なきゃいけないのか」っていうのがあったんですけど。

●簡単に繋がれるようになったから。

ヒグチ:それが良いのかもしれないし、悪いのかも分からないですけど、ただ「そういうことだな」って思うんですよね。

●そういう視点が曲になっているんじゃないですかね。お話を聞いていて思うのは、ヒグチさんはどんどん掘り下げて考えていくタイプじゃないかと。

ヒグチ:いろんなことを気にしすぎるんでしょうね。例えば自分がイラッとしたことがあったとして、そのイラッとした部分は自分の性格の悪いところだと。でも相手のことが分からないと「もしかしたら相手の方が正しいかもしれない」…って考えてしまって。それで怒れないことが多いです。だからイラッとした時に「なんでそういうことをするの!」って言えない。

●そういう葛藤が曲になっているんですか?

ヒグチ:葛藤ばっかりですね(笑)。「これだ!」とか、スッとした気持ちで曲を書いてみたいです。曲を作るときは、思いついた一文に対して「どうやったら自分に当てはめられるか」って練り練り。だから時間がかかるんですよね。

●練った分だけ、書いた後にスッキリすることはある?

ヒグチ:ん〜…あるかな。曲ができあがった時が一番気持ち良いです。それを家で歌ってみた時が一番「よしっ!」って思います。

●さっきおっしゃっていた「これだけは書かなきゃいけない」と思った曲は、他にありますか?

ヒグチ:M3-「まぼろしの人」とM-9「あなたが一番」っていう曲は、どうしても伝えなきゃいけないんです。

●「まぼろしの人」は、なかなか…感情がほとばしっているというか。情念を感じる歌詞ですよね。

ヒグチ:この曲を書いた時は、自分の中で「この曲を書かないとやってられない」くらいの気持ちだったんですよね。「そうなったら、一生忘れないことなんだよ」って。主人公から見たら“恨み”っていう部分があって、違う相手にしてみれば“良い思い出”になったりもする。どっちにしろ「一生忘れないこと」だなって思うんですね。本当に伝えたいんですよね…「一生忘れないよ」って(笑)。

●…。包丁を持って追いかけるくらいの勢いですね(笑)。

ヒグチ:本当にもう…。それに近いですね。私がどうこうじゃなくて、浮気したり、不倫したりっていう話は普通によく聞くので。

●そこが書きたいことの1つでもあると。

ヒグチ:そうですね。そういう世の中を書きたいです。

●M-9「あなたが一番」に関してはどうですか?

ヒグチ:これは、逆に「そういうことがあっても、その中にも綺麗な部分はあるよな」っていうところですね。最後の歌詞の一節だけ“あたし”が“わたし”に変わるんですけど、これは同じ主人公なんです。今までずっと自分に自信を持って「そういうの幸せだよね」って、自分のことを“あたし”って呼んで言い聞かせて。でも最後の一節で、色んなものを見て、社会に出ている“わたし”は結局「やっぱりこういう風に思う」っていう。

●そういう意味だったんですね。しかし…2曲ともかなり私的な部分を書いていますよね。

ヒグチ:そうなんです。大丈夫なんでしょうかね? 「ヒグチアイ大変そうだな」って思われるかな(笑)。この間、20歳の女の子から手紙をもらったんですけど、文の最後に「ヒグチさんには幸せになってもらいたいです」って書いてあって。「ホント心配かけてすみません…」って思いました(笑)。

●でも、それだけ聴き手に感じ取ってもらえているんですね。

ヒグチ:そうですね。すごい話ですよね(笑)。

●逆に、幸せな時も曲になるんじゃないですか?

ヒグチ:幸せな時って、自分の中で妄想しやすいんですよね。もともと明るいことを書く人間じゃないんですけど、幸せな時はいろんな視点から物事が見れるっていうのはあります。辛いことも、相手の視点とか、それを見ている人の視点で曲が書ける。だからいろんなことが書けるっていうのはあります。

●なるほど。じゃあ是非とも次は“幸せなアルバム”を作っていただきたいですね。

ヒグチ:フフフ(笑)。ホントそうですよ。そういう曲を書いてきたら「ヒグチアイ幸せになったな」って思っていただきたい(笑)。

●サウンド的には、今回M-2「朝に夢を託した」やM-7「ペーパームーン」で、エレクトロニカの要素も入ってきましたよね。サウンドクリエイターのmeis clauson、LASTorderとのコラボレーションで作られた楽曲だそうですが。

ヒグチ:きっかけは事務所からの提案だったんですけど、音源を聴かせてもらった時に「一緒にできたら絶対面白い」って思いましたね。

●弾き語りとはだいぶ表情が違いますよね。

ヒグチ:特に「朝に夢を託した」は、弾き語りでは「ずっとハープと歌だけ」っていうイメージなんですよ。でも音源では「ドーンとオーケストラがいる」という感じなので、世界観が全然違う。

●アレンジについては自分から要望を出すんですか?

ヒグチ:そうですね。あまり音の重なりを考える人間じゃなかったので、今回初めて自分で楽譜を書いたりして。「ここで、こういうドラムを入れて欲しい」とか「ベースがこう」とか書いたんですけど。それをやってみて、「そういう風に重ねると良いんだ」と気付いたりしました。今回、エレクトロニカの要素を入れてみて良かったです。

●作曲の幅も増えていきそうですね。そんな楽曲が詰め込めれた今作ですが、タイトルが『全員優勝』ですよね。なぜこのタイトルにしたんですか?

ヒグチ:「生まれてから死ぬまでに必ず優勝できる何かがある」と思っているんですよ。今作には、自分の分身みたいな主人公が全曲にいて。その主人公に対してもそうだし、自分の周りで生きている人たちに対してもそうなんです。例えばそれは、音楽じゃなくて空手かもしれないし。もしかしたら玉子焼きを作らせたら世界一かもしれない。それは、どんなに苦しくても全員が持っているものだと思うんですよね。

●それぞれ、一番になれる良さがあると。

ヒグチ:その人たちがどういう風に生きていくか分からないけど、絶対優勝できる何かがあるから。だから、もっと自信を持って欲しい。それは自分に対しても言っています。頑張って欲しいし、自分も頑張りたいです。

Interview:馬渡司

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