阪神淡路大震災の10年目である2005年から始まったCOMIN'KOBE。
実行委員長の阪神淡路大震災に対する思いを形にする為に「地震の被害を風化させない」「神戸から恩返しをする」、 そして2010年より「神戸の魅力をもっと伝える」という趣旨を加え名称をCOMIN'KOBEに変更し、 遂に2014年4月29日の開催で10周年を迎える。
その10年間の歴史を過去の写真と実行委員長のコメントで「被災地のロック魂」を振り返ってみよう。
2005
もう何から手を付けていいか分からない初年度。三ノ宮のど真ん中にある東遊園地が国営公園と知り、国の許可を申請する所から始まり、全てが初めての事だらけ。イベント当日はまさかの天皇陛下が神戸に訪問していて、しかも会場の横を通るからその時は音を止めくれって言われて。しかもイベント会場の近くのレストランで結婚式があって、当日新郎新婦のウエディングロードを通る時 は音を止めてくれって言われたり。こんなに音を出したらいけない瞬間があるイベントって聞いた事無い状況になりましたw。
(そして東遊園地は来年からやったらダメという事になりました。涙)
2006
2005年の暮れに神戸市から電話があり、「神戸まつり(神戸市のお祭り)で一緒に開催しない?」と言われ、奇跡の2回目が開催。
場所は神戸メリケンパークにステージを作ってもらい開催する事になったけど、明石の歩道橋事件で初めて警察が責任を負う事になった兵庫県警か ら猛烈なプレッシャーを喰らい、機動隊100人クラスのとんでもない事態。雨は降るし“ダイブ”があったら二度と今後開催しないという誓約書を結ばされたけど、最後の最後にダイブが発生。機動隊がイベントを中止させようとステージに駆け寄るvsそれを止めたい実行委員会の修羅場。しかし怪我をしたのがステージから落ちたガガガSPギターの山本のみ。
2007
遂に神戸市の土地で開催出来なくなって困っていたら神戸市から神戸夙川学院大学にロック好きの教授がいるから紹介したいと連絡があり、お会いしたのが小野田教授。運命的な出会いでこのイベントがここまで続いているのが教授がいたおかげ。しかし開催の1ヵ月前に大学の野外ステージが諸事情で使えなくなり、いきなり会場探しが始まる。自分の人生で一番しんどかった1週間が始まる。寝ないで会場を探し、ちょっと危ない事に巻き込まれ監禁させられたり、死にそうになる。開催まで3週間を切って開催中止のアナウンスをする瞬間! 奇跡が起きて神戸夙川学院大学の徒歩10分の所にあるワールド記念ホールのその日のイベントを沢山の人の力により、1週間後に変更してもらい、イベント当日が空いたのだ! こんな奇跡は人生で初めてであり、一生忘れない日。思い出すと今でも涙が出る。本当によかった。
2008
昨年の奇跡を経て、同じ形で開催をする事になる。神戸夙川学院大学の野外ステージを使えなくなった諸事情もゆっくりと解決していき、去年は3週間で準備したのでゆっくりレイアウトなどを見直し、今のCOMIN'KOBEの形を作る礎となった年。
ようやく面白い企画も考える余裕が出来て、様々な事にチャンレンジをした。森山未來くんとの出会いも大きく、またより震災の事を考える事が出来た。
2009
5周年という事で今年と同じ発想で神戸国際展示場3号館(今年は2号館)を使用して開催。しかし自分のキャパ以上の事をしてしまい赤字に…。募金もなかなか増えず、イベントを続けていいのか悩んでいたが泉谷しげるさんにその事を話したら「365日24時間いつも震災のことを考えているのか? と言われるとそうじゃないだろ?」という言葉に色々な事を考えさせられ、勝手に救われた年。やめるなら今年と思っていたけど、続けたいと思う。続ける意味が分からず辞めるなんてもっと意味がない。やらぬ善よりやる偽善の方が絶対いいと。
2010
名称をCOMIN'KOBEに変更した年。この5年間で神戸の企業を回り、沢山の復興のお話しを聞きました。こんなにも大先輩の皆様が頑張ってくれたから今の神戸があると実感し、「神戸に も恩返しをしなければ」という趣旨を追加する事にしました。そしてイベント名も「神戸に来て!」というタイトルに生まれ変わりました。
2011
イベントの準備期間中に未曾有の大地震が起こる。やっとこのイベントを続けてきて、意味があったと思うと同時に無力感も感じる。何かしたくて盛岡の友人に連絡をして COMIN'MORIOKAを開催。盛岡のショッピングセンターで大型スクリーンを設置し、生中継をするけど想像を絶する大変さで疲労困憊。でも最後に盛 岡の映像を神戸に逆に中継して、やってよかったと感動した年。募金額も大幅に増えて、イベントの空気が変わったのを実感。05:46⇒14:46リアトバンドがこの年に誕生した。
2012
昨年に引き続き東北支援をテーマに 開催し、Ustreamなど会場に来なくてもイベントを体感できるような仕組みや、Googleと一緒になって色々なコンテンツを作らせて頂いた実験的な 年。震災ヴィレッジというこのイベントのテーマゾーンもより仕掛けを考え、減災と防災という新たなキーワードが生まれた。募金額も昨年より増加し、趣旨の浸透を実感出来た。
2013
初めての取り組みで「ひとぼうステージ」というトークステージが誕生。色々な出演者に震災支援の活動などを話して頂き、趣旨を明確に伝える事が出来た。その結果募金額が過去最高の800万円を超える事ができ、伝え方をこの9年間で一番手ごたえを感じた年。カミングランナーという東北からCOMIN'KOBE当日を目指して自転車で走って作曲をする企画なども生まれた。一番の事件は神戸市文化奨励賞という賞を受賞し、神戸市の歴史で快挙な事例を作る事が出来たこと。来場者数も過去最高で10周年に向けて規模拡大のきっかけになった。
2014
このイベントは僕の「後悔」と「罪悪感」の気持ちから始まりました。阪神淡路大震災の時に僕は中学3年生で高校受験の勉強に勤しむ中で地震の影響で学校が無くなり、「ラッキー」と心の中で思ってしまっていました。そして事の重大さは理解していたので すが自分で何か復興に活動を行うという発想もなく時を過ごしました。しかし大人になり阪神淡路大震災の事を考えるあるきっかけがあり、そこでようやく独り立ちしていた松原は「家が無くなる大変さ」「仕事が無くなる大変さ」という経済的被害の大きさに気が付きました。その瞬間、あの時の自分に怒りと後悔を覚え、「今からでも何か行動しなきゃ!」と思いました。
それから色々の震災の行事にも参加したのですが、若い世代の参加者は少なく、何か違和感を感じました。もっと若い世代が “自発的”に考えるきっかけが必要だと。そこでこのイベントを開催し、表現が難しいですが入口が固いイベントでは無く、 「楽しそう」「無料だったら」などそんな気持ちで良いので震災関連のイベントに参加してもらい、その中で色々な光景を見てもらい“考えるきっかけ”を作れば良いと考えました。
「無料」であればそこに疑問がおそらく湧くだろうし、会場の中で「募金活動」があり、「アーティストからのメッセージ」 があり、700人を超えるボランティアスタッフがいる。チャリティーイベントとは何か浸透していない頃は募金も集まらず、心が折れそうになりながらも何とか続ける事できっと正解が見えると思い、沢山の方に支えられて10年間を過ごせました。
そして神戸のアーティスト、ミュージックラバーに「神戸で生まれてよかった」と思ってもらいたいと考えてます。
と、真面目な事を書いておりますが普段はフザけまくったどうしようも無い人間な訳で、ただこの志が本当かどうか当日の会場を見て伝える事が出来れば幸いです。
受け売りの言葉ですが「白」だけじゃ「白さ」が解らないので相反するものを敢えて加えてこのイベントをデザイン出来ればと思います。
目に見える復興が完了した時、一通りのライフラインが確保できた時に生活や街にデザインが必要になる。水がある。コップさえあれば水が飲めるのに。コップがあった。やっと水が飲める。水を飲み続ける。おしゃれなコップで飲んでみたい。何でもない事に心のデザインが必要となった時に神戸にCOMIN'KOBEが生まれたと思います。これがデザイン都市神戸の精神であり、震災から19年の街が出来る事だと思います。今年も一生懸命イベントに力を注ぎますので皆様のお力添えを何卒宜しくお願い致します。
(COMIN'KOBE実行委員長 松原 裕)