そう。アホ、ボケ、カスのカスです。誰かを罵倒しているわけでも文句たれソングでもない。ちっぽけな自分に向けた言葉、それが『カス』でした。
3〜4年前、当時住んでいた小さな部屋で“こぼれ落ちた”唄です。その頃私には何もなかった。長年追い求めた夢への想いは、強く握りすぎてへしゃげてた。
初めてオーディションを受けたときからもう8〜9年たってた。『夢があっていいね』ってそんな言葉も、みんなの就職活動話の最中にきくとすごくアホくさく思えた。周りと自分を比較していやんなった。人と会いたくなくなった。でも独りでいたら消えてしまうんちゃうか。ありきたりな言葉やけど、ほんまに居場所がなかった。
中学から高校卒業までで数え切れないほどのオーディションやコンテストを受けた。そして全て落ちた。けなされるならまだいいほう。何も言わずに落とされるのはもちろん、散々褒められて落とされることだってあった。何が足りないなんてことは誰も教えてくれないし、きっと単純に「イマイチ」なんやろうな。自分のことをそう分析するのはなかなかキツイ。
そのあと東京に出てきて、作詞作曲と同時にライブ活動をはじめた。それが数年、何も変わらないまま続いていくことになるんやけど、その間に浮かんでは消えていくデビューの話がたくさんあった。
そのうち「誰も信じない!」って身構えて人と接するようになった。でもその中でふと助けてくれる人が現れたりするとすごく嬉しい反面その何倍も情けなくなった。常に攻撃態勢で分厚いバリアをはって人と接してたから。申し訳なくて恥ずかしくて、どんどん自分じゃなくなっていく気がした。
誰に決められた道でもないのに、小さい頃から私の頭の中には【唄での成功】か【何もない】っていう二択しかなかった。何もないっていうのが何を指すのか具体的にいうのは難しいけど、漠然と"無"になるんやっていうイメージがこびりついてた。
だからいつもすごく怖かった。
よく「なぜ10年も落ち続けたのに続けられたんですか? すごいですよね」って言ってくれる人がいる。いつもうまく答えられへんけど、それは“無”になりたくないから。やめたら、諦めたら、何もない暗闇に落ちていくだけや。
それって実際の社会でいうと何にあたるんかな?? とにかく私にとってすごく怖い。「なぜ?」ってさ…谷底に落ちそうで枝にしがみついてたとしたら、絶対放さないでしょう。それだけのこと。反射や。
今だってそんな風に考える夜は時々ある。いや、結構ある。
私は、「人に愛されたい。人を愛したい。」って感情がすごく大きい。人間誰しもそうやとは思うねんけど。それが人一倍大きいところが、私の強さと弱さ。誰の目にもとまらなくて誰かに見つけてもらいたくて、心の底から欲しがった。疲れ果てて無表情やけど、心の中では声がガッスガスに枯れるほど叫んでるみたいなそんな状態やった。
思い出すと、ちょっと喉がキュッてなる。胸がチクリどころじゃない、グヮッ!! と掴まれるくらい苦しかった。
でも、そんな時期があってカスって唄ができた。要領よくはやってこられなかったけど、その分全てがリアル。聴けば温度も息もきっと伝わる。
カスがこぼれ落ちた夜から3〜4年たって振り返れば状況は少しずつでも変わってる。オーディションでグランプリをとった。10年遅れやけどスタートをきれた。まだまだ多くはないけど私の唄を待ってくれている人がおる。それが本当に嬉しい。救われる。
決して後ろ向きな唄じゃない。欲しがってなんぼや。願っていないものが手に入るわけがない。どんなにいいものが手に入ったって欲しくなければゴミや。どんだけ嘆いても、叫んでも、愚痴っても、欲しがりさえすれば進める。
カスはブルースや。泥にまみれても泣いても、最後にそれを突き破って進むブルースや。
この先も少しずつ質感を変えながら泉沙世子を支えてくれるんやと思う。ずっとずっと大切にうたっていきたい唄、それがカスです。
泉 沙世子