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玉井(THE RUDEBOYS)×柴山“菊”俊之(ジライヤ/ サンハウス)

THE RUDEBOYS 30th Anniversary Special 特別対談 Part 2 玉井(THE RUDEBOYS)×柴山“菊”俊之(ジライヤ/ サンハウス)

 1980年代初頭に活動を始めたTHE RUDEBOYSが、今年の夏で結成30周年を迎える。パンクやニューウェーブの嵐が吹き荒れる時代に生まれ、シーンの流行が移り変わる中でもそのスタンスを変えることなく彼らは30年間サバイブしてきた。今年10/9に代官山UNITで予定される30周年イベントに向け、JUNGLE★LIFEでは縁のあるアーティストとの対談企画でその足跡と熱い生き様に迫る。第2弾は伝説のブルースロックバンド・サンハウス時代から憧れの存在だったという柴山“菊”俊之氏(ジライヤ)をゲストに迎え、玉井の音楽的ルーツから今回のイベントに向ける覚悟までが見える対談となった。

Interview

「玉井っていう男がTHE RUDEBOYSにいるから今回の出演依頼を受けたし、そうじゃないと俺たちが先に出るなんて言わない。やっぱり人間的に好きだからっていうのが、一番の理由だね」(柴山"菊"俊之)

●玉井さんにとって、柴山さんとはどんな存在?

玉井:憧れの大先輩やね。俺が中学生の頃にサンハウスと遭遇して以来ずっと聴いてたから、こうやって今話してるのが不思議なくらいで(笑)。それがある日突然、柴山さんから電話がかかってきて。人からの紹介で、ジライヤとして初めての大阪ライブをするので手伝って欲しいということやった。そこをキッカケに、大阪で何度か対バンさせて頂くようにもなったんやけど。

柴山:最初に対バンしたのは7~8年前で、十三FANDANGOやったね。THE RUDEBOYSっていう名前は知ってたけど、どんなバンドかは知らなかった。俺としてはTHE RUDEBOYSというよりも、玉井くん個人との付き合いが多くて。"玉井"っていう人間が好きだから関係も続いたというか。基本的に俺は他のバンドに興味を持たんからね。

一同:(笑)。

柴山:THE RUDEBOYS云々じゃなくて、俺はほとんどのバンドに興味がないんだよね。他人の音楽を聴いても楽しくない。でも人として初めて会った時に好きか嫌いかはわかるし、"こいつは嫌だな"と思ったら完全にシカト状態に入るから。

玉井:自分はそうじゃなくて良かった…(笑)。俺がサンハウスをすごく好きだっていう話をずっとしていた人が、たまたま柴山さんと知り合いだったので紹介してもらったんです。その人に「柴山さんから電話がかかってくると思うから」って言われてから数日間は、電話が鳴る度にドキドキしてたな(笑)。

●憧れの人ですからね。

玉井:日本で一番大好きなボーカリストやし、憧れっていうより俺にとってはもう"神様"的な存在やから。普通は自分がフェイヴァリットに挙げる人から影響を受けたりするものなんやけど、柴山さんの世界観を真似するのは無理なんだよね。俺とは声質も全く違うから真似したくてもできない。歌詞の部分では"俺"っていうところを"オイラ"にしたりとか、コソコソっと真似してるんやけど(笑)。

柴山:サンハウスが現役の頃は観てないんだよね?

玉井:最初にサンハウスと出会った頃は、まだバンドも始めてなくて。初めてライブを観たのは80年代に再結成されてからで、その頃はもうTHE RUDEBOYSをやっていたんです。バンドを始めた初期からのレパートリーに、サンハウスの曲は入ってましたね。今のTHE RUDEBOYSを聴いて、サンハウスや柴山さんの要素が感じ取れるかどうかはわからないけど、バンドの骨格の中には完全にルーツとしてある。音楽の種類としては全然違うものに思われるかもしれないけど、そういうジャンルの分かれ方は俺らには関係ないから。

●サンハウスや柴山さんの影響がルーツにはある。

玉井:その頃に流行ってたキャロルとかファニカン(ファニー・カンパニー)も聴いてたけど、サンハウスの不良さはそれとは違ったというか。デヴィッド・ボウイとかアリス・クーパーみたいな不良さがあって、そこにすごく魅力を感じた。ヤードバーズとかキンクスみたいなブリティッシュ・ビート系の音楽もサンハウスを知ってから、さかのぼって聴くようになったかな。当時の柴山さんは『ジギー・スターダスト』期のデヴィッド・ボウイみたいな格好をしてたりもして、"こんな人が日本におるんや!"って思いましたね。

柴山:そういう時代もあったね(笑)。初めて俺がTHE RUDEBOYSのライブを観た時は、日本でパンクが流行り始めた時代の流れを汲んだストレートなロックバンドというイメージだった。サンハウスは元々パンクバンドじゃないんだけど、一度解散してからパンクが流行って"めんたいロック"とか呼ばれるようにもなって、そこに助けれられた部分もあるかな。

玉井:そういうバンドの"元祖"的な存在と言われてましたよね。ニューヨーク・ドールズが出てきた時も、本人はパンクだと思ってやってたわけじゃないと思うんですよ。その後で起こったパンク・ムーブメントがそこからの影響を引っ張ってるところもあったから、パンク的な要素はあんまりないのにみんなのフェイバリットになってしまって。

●本人が意識していないところで、後進のバンドに影響を与える存在になった。

柴山:それと一緒だと思うね。だから、他の"めんたいロック"と言われてるようなバンドも周りにいたから聴いてはいたけど、特に興味がなかった。THE RUDEBOYSを初めて聴いた時も"こんなバンドがあの時代はよくいたな"っていう感じで、ルースターズとかが好きなんだろうなと思った。THE WHOとかが好きなのも何となく感じたけど、極端に言えば日本のロックバンドに影響を受けたバンドというか。

玉井:そのものズバリで、THE RUDEBOYSは日本のバンドに多大な影響を受けてるんです。そういう人たちがインタビューの中で名前を挙げた洋楽のバンドを聴くことでルーツをさかのぼっていったりはしたけど、やっぱり日本語のバンドの方が言葉の切り方とかも馴染みやすかったんですよ。かぐや姫とか吉田拓郎みたいな、俺が音楽を聴き始めた頃に流行ってたものから影響を受けていて。柴山さんはどの曲を聴いても柴山さんだとわかるし、それを今も昔も変わらず維持できてるのがすごい。

柴山:それはやっぱり、洋楽のコピーを相当やってきたからじゃないかな。外国人とは声質が違うから声の真似はできないけど、歌への入り方や節回しのコピーとかは死ぬほどやった。日本語で歌うとなった時も今までに勉強してきたものを上手に取り入れて、なるべく言葉が字余りにならずメロディに乗るようにということを考えて歌詞を書いてたね。

●玉井さんは歌詞の面でも柴山さんから影響を受けているんですよね?

玉井:影響は受けてるけど、サンハウスみたいな歌詞は真似しようとしても書けないから。柴山さんの家に泊めてもらった時も、こっちから一方的に質問攻めして(笑)。「どんなふうに考えて、この歌詞を書いたんですか?」とか訊いてみると、自分が勝手に思ってたこととは違ったりもした。でも歌詞って、そういうものなんですよね。

柴山:人それぞれで受け取り方は違うからね。そういうことまで俺はあんまり考えてない。サンハウスの「キングスネークブルース」だってセックスの歌だけど、そのまま蛇の歌だと思ってもいいわけだし。ダブルミーニングにしても、聴いた人が第一印象で強く受け取った方の意味でいいんだよ。

玉井:俺らは柴山さんといえば、"ヤンチャな下半身"を持ってるイメージしかないですからね(笑)。

柴山:(笑)。サンハウスを始めた頃にブルースのコピーをずっとやってたから、歌詞については絶対に他人が真似できない方法論を知ってるんだと思う。メロディが付いた時にどれだけカッコ良く聞こえるかっていうことが、歌詞にとっては大事で。歌詞か曲のどちらかだけが独り歩きするんじゃなくて、両方の相乗効果でカッコ良くなるのがいい。

●独自の世界観はどこから生まれたんですか?

柴山:サンハウスをブルースのコピーバンドからオリジナル曲を演奏するバンドに変えようと思った時に、他人が書いてない歌詞を書こうと思っただけかな。そのために当時のはっぴいえんどや三上寛から吉田拓郎や井上陽水も聴いて、その中には絶対に当てはまらないものを書こうと思ったんだよね。そうしないとバンドとして成り立たないと思ったし、ものすごく目立つかものすごく嫌われるかのどちらかになりたかった。

玉井:そういうところでの不良っぽさが、歌詞に出ているんだと思います。歌詞について色々と訊いた時も洋楽をコピーすることが大事とは教えてくれましたけど、この歳になってからやるのは大変で…。

柴山:大変だよ。真似をしようと思って聴くのと趣味で聴くのとは違うけど、趣味で聴く時間も大事で。それは何となく聴く時間も必要だからなんだよね。小学生の頃に聴いてた歌をいつまでも覚えてるように、自然と身体に入ってきたものと頭で覚えようとしたものとは違う。一夜漬けで覚えたものは3日も経てば忘れるから、日頃から身に付けることが大事なんだよね。

玉井:ウチはメンバーが色々と変わってきてるから、"こういうふうにやってくれ"と言ってもすぐには通じないこともあって。参考になるような音源を貸しても、日頃から聴いてないと絶対にできないんですよね。それすら聴いてきてなかったらあからさまにわかるし、そういうヤツとは一緒にできない。最近の人は、1つのバンドを大切にしようっていう意識が薄いと思うんですよ。

柴山:自分の生活の中に、音楽っていうものがないからじゃないかな。それが商売なんだから本当は日常生活の中で朝起きてから寝るまでの間、ずっと身体の中で音楽が鳴ってないといけないんだよね。

●そういう意識は玉井さんも共通するのでは?

玉井:俺は仕事をしながらバンドを続けてきたから、飯を食うための部分を音楽には求めてなくて。若い時は音楽で飯が食いたいとか思ったこともあるけど、メジャーに行くことで自分が思ってない方向に行かされるのはどうしても嫌だったんだよね。

柴山:俺もサンハウスを辞めてソロデビューの話が来た時に、"桑名正博みたいにアフロにしませんか?"って言われたことがあるよ。

玉井:それはあかん(笑)。

柴山:1枚出すだけなら笑い話で済むだろうけど、もしヒットしちゃったら困るからね(笑)。

玉井:飯を食うための音楽っていう形を取るには、どうしても俺らは妥協しないと無理やと思ったんですよね。それやったら仕事は別としてお金を稼いで、音楽は音楽で純粋にやるっていう方が良かったから。でも四六時中ずっと音楽に携わってる人たちとも対決しないといけないし、その時に「俺らは1日10時間働いてるから」っていう言い訳は通用しない。そんなことを言っても自分が恥をかくだけやから、そういう人たちと同じだけの時間を取れるように寝る時間を削ってでも練習をやってた。

●そうやってバンドを30年間続けてきた記念として、今回のイベントで対バンされるわけですが。

柴山:今回はTHE RUDEBOYSが主役で、俺たちは前座やからね。それだけの世話になってるし、正直言って俺は玉井くんが主役になれてさえいればいいよ。玉井っていう男がTHE RUDEBOYSにいるから今回の出演依頼を受けたし、そうじゃないと俺たちが先に出るなんて言わない。やっぱり人間的に好きだからっていうのが、一番の理由だね。

玉井:そうやってプレッシャーを掛けられるから、しょうもないライブをやったら絶対にあかんと思うんですよ(笑)。自分たちにとっては大きな会場だから当日のお客さんがもし少なかった時に、先に出てもらう柴山さんたちに迷惑を掛けるわけにもいかない。だから頭の中で色々と考えるんですけど、本気でやるしかなくて。でも俺、主役って昔から苦手なんですよね…(笑)。

柴山:苦手とか苦手じゃないとかじゃなくて、主役なんだから(笑)。普段通りにやればいいんだよ。少なくともこのイベントに関わってる人たちの中だけでも、玉井っていうヤツが主役だと伝わればいい。逆に俺たちが「後でやってくれ」って頼まれてたら、断ってたと思うし。

玉井:憧れてる人からそうやって言ってもらえることが俺にとっては励みになるし、やってきた甲斐があったなと。これこそが30周年の記念で、自分に対するごほうびみたいなものだと思う。30年続けてきて良かったなと思えるのはこういうことやなって。別に追いつけたとは思ってないけど、同じステージに立てるっていうことには"やっとここまで来たか"と思いますね。

柴山:でも相手が生きてる間は、追い抜ける可能性もあるわけじゃない?

玉井:それは夜道でこそっと…いや、無理やね。絶対、シバき返されるな(笑)。

一同:(笑)。

Interview:IMAI

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