2011年3月11日。あの日からわずか3カ月後の2011年6月に産声をあげた「東北ライブハウス大作戦」。ライブハウスに生きづく人たちの、“真実と志”を伝えるために…。
初めまして。カメラマンの半田安政さんからバトンを繋いで頂きました、藤野有理と申します。岩手県大船渡市で生まれ、高校を卒業するまで大船渡市で育ちました。
2011年3月11日。午後2時46分。
私はその時を実家付近にあるカラオケ店で迎えました。固定されているはずの大型テレビが前後に頭を振り始め、やがて店自体も大きく揺れ、私は窓ガラスが割れ、テレビ が転がる店内を走り抜け出しました。建物を外から見てみれば、まるで波を打っているかのようでした。
ライフラインの一切が停止してしまった為、冷たい夜、真っ暗な部屋の中で「明日がくれば、また元通りに戻る」 そんな事を考えていました。
地震が起きた数日後、津波に飲まれてしまった故郷を、この目で実際に見ました。
潮と土と、何かが焦げているような、それが混じったにおい。思い出ごと津波に飲まれ、流されてしまったようでした。耳元がシンと静まり返り、息を飲んだのを覚えています。
初めて大船渡FREAKSを訪れたのは2012年9月14日、AIR JAM東北ライブ大作戦ツアーでした。
そして2013年2月11日のGOOD4NOTHING、HOTSQUALL。
私の町、私が過ごしてきた毎日。それらを失ってしまったその日から、どんなに楽しいことや、幸せなことがあったとしても、あの日の上に成り立つ日常を愛すことが出来ずにいました。だけど、彼らの鳴らす音楽が、確かにそんな私を救いました。今でも私のヒーローだと、誇りを持って言えます。
震災を思い出すことは決して容易なことではありません。
でも、こうして文章を書いている間、頭の中には、FREAKSで見たヒーロー達の姿が浮かんで、すぐそばにはあの時の音楽があることに心の底から感謝をしています。
次は39degreesのベースボーカル、クリハラコウキさんにバトンを繋ぎます。よろしくお願いします。
藤野有理
エイジアプロモーション所属 モデル。
Twitter:@onakaippainofjn