2011年3月11日。あの日からわずか3カ月後の2011年6月に産声をあげた「東北ライブハウス大作戦」。ライブハウスに生きづく人たちの、“真実と志”を伝えるために…。
初めての大船渡でのライブ。
震災がなければきっと足を踏み入れる事はなかった土地。
その時点で「いつも通り」のライブは出来ない。
求められてるものが「いつも通り」だって事は知ってた。
だけど、求められてるものに上手に応えられる俺達であればとっくに売れてる。
案の定、「死ぬ」や「殺す」という歌詞が含んだ曲を演奏するべきか悩んだ。
勿論、曲中のその言葉は比喩として、そして「生きる」という想いに結ぶ為に使われている。
だからこそ、それまで胸を張って声を高らかにうたって来た。
でも今は曲単位のメッセージではなく、単語の意味のみで聞き手の心が崩れてしまうような状況ではないだろうか。
そんな心配があった。
素直な事を言えばそんな難しい事を考えなければならない状況でやりたくない。
だけど俺にはたった一人の被災者を救う、という使命があった。
それだけは完遂しなければならない。
その一人とは他ならぬ、俺だ。
殆どの音楽家が震災後、疑問を抱いた。
自分の生き方に、自分の人間性に、自分の音楽に。
確信を持って鳴らしていた筈の楽曲に、疑いの雨が降り注いだ。
心の中で、耕してきた田畑や拓いた道は地割れを起こし、実が熟れる筈の経験の木々は倒された。
紛れもなく、東京にいた我々も被災した。
そんな自分自身を復興する為にやって来たのだ。
東京でそれが出来るなら来なかった。
どうしても現地に行かなきゃ心の中の荒れた地面を整地する気になれない、嫌気がさす程の厄介な自分がいた。
目的はあくまで自分自身の復興だ。
それだけだ。
それ以上は望んではならない。
それより先の結果に、自分以外に色気を出せば、すぐに矛盾と無力さで潰れてしまうんだ。
そんな事を言い聞かせながら自分の為のセットリストを組んだ。
ライブを全うする為に出来る事はそれだけだと思った。
しかしそれも全て無駄に終わる。
やっぱり人の眼の力は凄い。
舞台上でお客さんと見つめ合い向き合えば、問答無用で、どうにか伝えたい、関わりたい、と思った。
結果、思い出すだけで赤面する位に空回りするMC、力が入り過ぎて走る演奏。
瞬間で沸騰した気持ちを表現するのは難しい。
あまりに未熟。そして復興は遠い。
また来よう、と思った。
同時に全国どこででも育てられる種を受け取った気がした。
コラムのバトンはATATAの奈部川さんに繋ぎます。
MOROHA
2008年に結成された、UK(G.)とアフロ(MC)からなる2人組。
感情の破裂音としてのラップ、繊細かつ獰猛なギターリフ。
個々の持ち味を最大限に生かす為、MC+G.という最小編成にこだわる。
鬼気迫るLIVEはあなたにとって毒か薬か。
雪国信州信濃から冷えた拳骨振り回す。