2011年3月11日。あの日からわずか3カ月後の6月に産声をあげた「大作戦」。ライブハウスに生きづく人たちの、“真実と志”を伝えるために…。
おはようございます! COUNTRY YARDのシットよりバトンを渡してもらいましたRYOSUKEです。それでは当時のことを思い出しながら綴ってみようかと思います。
東日本大震災直後はなにをするに対しても「自粛しろ」の一言で一喝されて、ましてや電源を使うライブを行うこと自体が「不謹慎」と言われてて。その為にライブをキャンセルするお客さんもバンドも増えて、その為に経営不振になるライブハウスが続出してて。うーん、、なんかなーなんて思っていても、自分は被災地にいる人間では無いので何が正解なのかも解らなくなって、平均台の上を真っ直ぐ歩く為に必死に頑張ってるような日々で。
とにかくあの時期は何かアクションを起こすたびに賛否両論になっていたけど、SLANGのKOさんをはじめとした仲間の皆が行っていた活動に協力させてもらったり、『HOPE』というオムニバスCDを出したり<http://www.step-up-records.com/page_hope.html>、ライブハウスで企画を立てたりと、まずは特に深く考えずに自分がやろうとしたことをそのまま行動に移してました。
で、実際被災地に足を運んで感じた都心とのギャップに色々と考えさせられていた時期に、SPCを中心に被災地にライブハウスという点を作ってそこを線で繋いで僕らバンドがそこに足を運ぶきっかけを作ってくれるというとんでもない話を聞いて。たしかその頃は水道、電気が止まっていたり、道は瓦礫だらけだったりする中での話だったから正直想像出来ない事だらけでしたけどあの人達ならやってのけるなと確信していて。そしたらしっかり石巻、大船渡、宮古の三箇所に音を鳴らして皆で笑っていられる空間を作ってくれて。いやー。ひたすらすげーなと。
それから僕もバンド、レーベルで石巻、大船渡、宮古に足を運んで、そこで新しい友達が出来て。更に上で挙げたオムニバスの売り上げで宮古市の浄土ヶ浜にスワンボートを寄付させてもらえて自分自身でもそこに足を運ぶきっかけを作ることが出来ました。それもこれも東北ライブハウス大作戦が繋げてくれたおかげなので本当に感謝していますし、これからも石巻BLUE RESISTANCE、大船渡FREAKS、宮古KLUB COUNTER ACTION MIYAKOという素晴らしい遊び場がある事ををまだ知らないバンド、お客さん、関係者にも拡げて繋げていきます。
最後に、あれから5年経った今でも震災で知り合えた南三陸のお母さんはまだ仮設住宅で生活しています。なのでまだ全然進んでいない被災地の現状を知るということも大事なのだと思います。
次は『HOPE』にて力を貸してくれた旧知の仲、海北大輔(LOST IN TIME)にバトンを渡します。だいちゃんよろしく!
RYOSUKE
BASS PLAYER(FUCK YOU HEROES / ABSOLUTION / HARDCORE FANCLUB / ex.HAWAIIAN6 / ex.TRADITIONAL BOX) & STEP UP RECORDS BOSS
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