優れた音楽性とシーン最強のアンサンブルを武器に目覚ましい成長を遂げ、8/19にバンド初のライブアルバム発売&再現ライブ開催、そして9月のニューアルバムリリースと10月の全国7公演のリリースツアーを発表したNothing's Carved In Stone。当連載は、同バンドのフロントマン村松が、様々な“表現者”とガチのぶつかり合いを行い、その際に起こる化学反応を赤裸々にレポートしていく村松拓強化プロジェクトである。
先月号ではストレイテナー・ホリエアツシとの対談を行った当連載、今月号ではたっきゅんがずっと憧れ続けていた存在であるHUSKING BEE “いっそん”こと磯部正文との対談が決定。まるで頬を撫でる春風のごとく語る磯部を見つめるたっきゅんの瞳は、終始キッズのようにキラキラと輝いていた。
拓さんは昔から磯部さんが大好きで憧れ続けている先輩ということで、今回の対談をお願いしました。
一緒に花を摘んだり、痛くないフリスビーを投げる企画かと思ってました。
もともと2人はイベントとか対バンの機会にご挨拶して、話すようになったんですか?
そうです。大阪で1回対バンさせてもらって、楽屋で「好きです!」と言わせてもらって。その後、1回ラジオにゲストで来てもらったんですよね。
はい。HUSKING BEEのライブもよく観に行ったし、10代の頃はコピーバンドをやっていたんですけど、THE BLUE HEARTSとHUSKING BEEのコピーをやってたんです。
はい。ひたすらコピーしてました。「A SMALL POTATO’S MIND」とか“なんでこんなダウンのミュート弾きながら歌えるんだろう?”って。
いやいや(笑)、だから憧れの存在だったんです。一括りにするのはあまり好きじゃないんですけど、いわゆるAIR JAM世代というのがあって、そこのトップで走っているバンドの1つだと思うんですけど、なんか特殊なんですよね。
バンドの感じが。エモいし、8ビート推してくるし、メロディにフックがあって、アレンジもめちゃくちゃ凝ってたり、MARK TROMBINOがプロデュースしたり、いつの間にか日本語詞になってて、日本語もおもしろいし…なんか僕の想い出話になっちゃっててすみません。
僕の印象では当時、他のバンドはみんな「オイ!」って感じだったんですけど、HUSKING BEEは違ってて、歌を聴かせる感じというか。ライブでも、すごく一生懸命歌っててそれが伝わってくる…その感じがすごく好きなんです。
磯部さんは拓さんがおっしゃったように「憧れてます」と言われることも多いと思うんですけど、当時はどういうことを考えておられたんですか?
僕にもやっぱり憧れている存在はたくさん居ましたし、アメリカとかイギリスのいいバンドを見習おうと思っていて。僕らはパンクに傾倒していたけど、パンクに限らずいろんな見せ方をするバンドがいっぱい居るわけじゃないですか。その中でなぜパンクが好きなんだろうな? と自問したり、「パンクとは?」を考えてみたり。
HUSKING BEEを始めた初期の頃はSNUFFY SMILEという素晴らしいレーベルで、そこでは音はともかく“パンクとはなにか?”っていう思想が中心にあって。そこを納得させるにはどうしたらいいか? とか考えたり、若いから認められたい気持ちも強かったし。今から考えたら若干無理していた感もあったけど、「メジャー行ったらパンクじゃない」とか「いや、メジャー行ってもパンクだよ」とか「みんなにとってのパンクは?」とか「俺にとってのパンクは?」みたいな色々と考えていることを曲にしようと思っていたので、寡黙にしているけど“僕は歌に全部変える”みたいなところもあったりして。MCでも全部言わなかったり。そういう気持ちは今よりは強かったですね。
芯のある歌声だし、でも拓ちゃんを支える周りの音の中で、ちゃんと“芯”で居られる感じ。すげぇいいバンドだなって思いました。言っても数えるくらいしか対バンしたことがなくて。対バンやりたいよね。
僕、磯部さんの話でひとつすごく好きな話があって。磯部さんは中学1年生くらいの頃までにはもう「歌を仕事にする」と決めてたんですよね?
何者なんだろうな? と思って(笑)。で、中1くらいの頃には友達に「お前まだやりたいこと決まってないの? しっかりしろよ!」と言ってたみたいで。
その話が強烈だったんですよ。で、レコーディングでアメリカに行ったとき、英語で歌ってたのをやめて日本語で歌ったらMARK TROMBINOに「お前はこんないい歌が歌えるのか」って言われたんですよね?
そこに磯部さんの素晴らしさがあるんだろうなと思ったんです。MARKはアメリカ人で日本語はわからないのに伝わるっていう磯部さんの素晴らしさ。声とか歌に出ているんだろうなって。
その頃は周りのバンドがほぼ英語で歌っていた時代だったから「僕らも英語だ」って、しゃべれるわけでもないのに辞書で調べながら歌詞を書いてて。で、あれやこれやとやっていくうちに2ndアルバム『PUT ON FRESH PAINT』(98年2月)をアメリカでレコーディングすることになって、“なんてことでしょう!”とビビってて。
ドキドキしながら行ったわけですよ。最初、MARKに「僕のギターとか歌とか大丈夫ですか?」って訊いたら「まったく問題ない」って言われて。“ええッ! こんなド下手なのに!?”と思って。それで次の3rdアルバム『FOUR COLOR PROBLEM』のとき、その頃は日本語で歌ったりしていたんだけど、またMARKに録ってもらうことになって行ったら「なんでお前は日本人のくせに日本語で歌わないんだ」って言われたんです。「ぶっちゃけ、お前の英語の発音はなに言ってるかわかんない。でも、僕は英語でも日本語でもない磯部語が好きだから、とにかくお前は一生懸命歌ってりゃいい」って。
それが嬉しくて。だからMARKを喜ばせたかったり、eastern youthの吉野さんに「日本語で歌え」と言われたり、いろんな人の助言があって。ということは「聴きたい」ということなんだろうなって、そこは素直に。
磯部さんの日本語の歌詞はちょっとクセがあるというか、特徴的じゃないですか。ダジャレというか。
うん。いちばん最初に作った日本語詞の曲が「後に跡」(シングル『THE SUN AND THE MOON』/99年10月)で。最初に日本語詞の曲を作るとき、“ものごっつ変なこと考えている人っていう印象を付けよう”と思ったの。
そう。すごく一生懸命歌う感じでずっときてたんだけど、その頃は所ジョージさんの魅力にハマってて。
だからちょっと所さん風に歌いながら歌詞を読んだら「なんだこれ?」という風にしたい。一生懸命な感じにしたくないって。
でもみんなポカーンとしちゃって。「もっと一生懸命歌いなさいよ」みたいな。
でも、一生懸命だったの。僕の今後の人生を決める初めての日本語の曲。ポカーンとさせたかったんだけど、ポカーンとしたのはいいんだけど「やっぱりちゃんと歌おうよ」って言われて、結局ちゃんと歌ったんだけど(笑)。
僕の印象なんですけど、磯部さんは一貫したテーマがあるような気がしていて。パンクスピリットからきているのかはわからないけど、“喜怒哀楽”のどれか1つを書くというより、“喜怒哀楽”の全部を1曲の中に書く、みたいな。
やっぱり感情がウワーッとなったときに書くのがいいと思っているんだよね。“嬉しい”とか“哀しい”とかを素直に。でも素直な感情の裏には、絶対に逆の気持ちもあるハズだから。警戒心じゃないけど、嬉しいだけだと何かを失うかもしれないから。手にするものがあるんだったら、絶対に後々それが要らなくなる哀しさがあるハズだとか…絶対にいろんなことを考えちゃうんだよね。ただ嬉しいだけじゃないっていうか。
そういうことが頭のなかで起こるから、歌詞を書いてても嬉しいだけじゃなくなってくるんだよね。“嬉しいだけにしたかったのにな”って後から思ったり。すごくエモーショナルな曲を作ろうと思っていたのに、作っている途中で楽しくなってきたりするから。“なんか哀しいハズだったのにいい曲になってるぜ!”って。“なにこのジレンマ!”って(笑)
昔から友達とかには言ってんだけど、例えば大好きな吉野さん(eastern youth)は“すごいな”って思うんだけど、その“すごい”の中には“苦しいだろうな”という気持ちも入ってて。吉野さんって哀しみに近い愛の曲が多い。“スコーンと抜けるような曲を作りたくありませんか?”と思うんだけど、でもきっとそうじゃないって思っているんだろうし、なにかを突き詰めている感じに素晴らしさがあると思うし。
でも自分はそうじゃない。きっとそうじゃないから、やっぱり個性があるというか。吉野さんに憧れる部分はあるし、“漢を感じるわ〜”と思うんだけど、言い訳をすると自分は喜怒哀楽を歌えるから“じゃあどんな喜怒哀楽を歌えるか?”っていうところを詰めていこうと。それはいつも思ってるかな。言い訳だけど。
バンドマンに限らず、若い頃は背伸びをするというか、憧れに近づこうとするじゃないですか。でもなにかのきっかけで、憧れと自分とは違うということに気付くタイミングがあるんでしょうね。
そう。ある種の限界を知るというか、同時に許せるようになるというか。“でもここは絶対に伸びるよな”っていう可能性を信じるというか。
磯部さんはHUSKING BEEの活動を再開する前に音楽を辞めようと思っていた時期があったという話を以前インビューで聞かせていただきましたけど、今現時点ではなにのために音楽をやっておられるんですか?
うーん…シンプルに思いつくのは、やっぱりたくさんの人のためになるから、かな。余計なことを付け加えるとするならば、それが自分のためにもなるから。“たくさんの人のために”しか思っていないかな。でも「たくさんの人のために」って言いたくないじゃん。恥ずかしいから(笑)。
フフフ(笑)。でも僕はまだ忘れがちになるんですけど、やっぱり人のために生きたいじゃないですか。そういう当たり前のことをバンドでやりたい。僕が磯部さんと同じ歳になったときに同じことを思っているかどうかはわからないですけど、人のために人として生きていきたいという気持ちと、バンドとして自分を表現して世の中を認めさせたいっていう気持ちが、僕はまだあるんですよね。
そう。時期としてはあると思う。何かを作って、それがちゃんと次に繋がるように進んでいるときって、大変だもんね。
それと磯部さんと拓さんはひとまわりくらい年齢が違いますけど、若い世代に期待することってあるんですか?
活躍してほしい。やっぱり刺激になるから。“いいなぁ”って思う。
たぶん自分が作って、ステージに立ったりするからかもしれないけど、昔から嫉妬する気持ちがあまりないんだよね。
なんとなく自分の経験からそう思うんですけど、嫉妬はきっと自分の首を絞めるだろうなって。余計なパワーだって。「嫉妬するくらいなら曲作れ!」って(笑)。嫉妬したら前に進めないですからね。いい人間関係ができていない。
そうそう。なんか楽しくなってくるんです。ライブだけじゃなくて、ライブ終わったあとの表情とかも含めて。外を歩いているだけでも“いいな”と思ったりするの。オーラっていうか、やってる感というか、“この人充実してるな”とか“この人納得してないな”とかさ。納得してなくても、それは何かをやってるからこその気持ちじゃんか。だから“俺も色々と思いてぇ!”って思う。そこがおもしろい。30代なんてクソ悩めるときだからね。
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たっきゅんの受け身の美学へのメッセージや感想は
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