優れた音楽性とシーン最強のアンサンブルを武器に目覚ましい成長を遂げ、今年春には3ヶ月連続で開催した渋谷CLUB QUATTROのMonthly Live at QUATTROを大成功させ、8/19にバンド初のライブアルバム発売&再現ライブ開催を発表したNothing's Carved In Stone。当連載は、同バンドのフロントマン村松が、様々な“表現者”とガチのぶつかり合いを行い、その際に起こる化学反応を赤裸々にレポートしていく村松拓強化プロジェクトである。
先月号から華々しくスタートしたNothing's Carved In Stone Vo./G.村松拓の新連載『たっきゅんの受け身の美学』。同連載初の対談相手としてたっきゅんが指名したのは、彼がかねてよりヴォーカリストとしても人間としても尊敬しているというストレイテナーのホリエアツシ。唯一無二・独自の立ち位置で音楽シーンの荒波を乗り越えてきたホリエに対し、果たしてたっきゅんはどういう受け身をとったのだろうか?
『たっきゅんの受け身の美学』の記念すべき初の対談相手は、拓さんのたっての希望でホリエさんにご登場いただきました!
俺が初めてストレイテナーのライブを観たのはNothing's Carved In Stoneに入ってからなんですよ。新木場STUDIO COASTでライブをしている時に俺たちが遊びに行ったんです。
うん。それで新木場STUDIO COASTでライブをやっているのを観て、いろいろ実感がなかったんですけど、「ヤバい人たちと横並びになっちゃったな」みたいな感じだったんです。
俺らはお客さんを呼んでも30人くらいの規模でやっていたのに、急に間を飛ばしてここに来ちゃったというか。それでライブを観て「かっこいいバンドなんだな」って思ったのが第一印象だった。
ホリエさんは、拓さんのことはNothing's Carved In Stoneで知ったんですか?
はい。Nothing's Carved In Stoneを結成する前の段階で、うぶくん(G./Cho.生形真一)が、ひなっち(Ba.日向秀和)に声をかけて。ひなっちはストレイテナーをやっていたから、その段階から俺は知っているわけじゃないですか。
なので、それが徐々に「ドラムにおにぃ(大喜多崇規)誘いました」とか聞いていて。っていう中で、ボーカルはオーディションみたいな感じだったんです。
それでストレイテナーで移動中の時にひなっちが「聴いてよ」って、拓の声を聴かせてもらった気がする。「お、いいじゃん」と思って。
でも、実際は結成してからすぐに知り合ったわけじゃないもんね。しばらく間を置いて、何かのきっかけで。ずっとひなっちから「拓がおもしろい」みたいな感じで聞かされてすごくハードルが上がった状態で会ったんです。でも実際に会ってみたら「意外と内気だった」っていう(笑)。
あまりないですね。みんなで飲むことはよくあったんだけど。弾き語りのときに話したりしたかな。
“New Audiogram”の新年会とかね。あの時にハマショー(浜田省吾)を一緒に歌って。
でも最初はストレイテナーの印象が強かったので、すごく繊細な人だと思っていたんです。実際に内面はすごく繊細だと思うんですけど、でもホリエくんは思っていたより男らしいというか。最初からフタを開けてもフタを閉じてもその距離感は変わらないという。そのフラットな感じにびっくりして。俺は全然フラットじゃないんだけど。
僕はインディーズの頃にホリエさんと知り合いましたけど、昔は毒が強かったような印象があるんですよね。
そうですね。なぜかというと、やっぱり外からの攻撃があったから。実際は誰も攻撃すらしてこないんだけど、外からの無関心に対抗していた感じ。ストレイテナーは2人だったし、「2人だから大したことはできないでしょ?」みたいな、期待されなさが常にあって。
ライブでステージに立っても「どんなバンドか楽しみだな」みたいな目線じゃないんだよね。みんな「大丈夫か?」みたいな。そこで納得させるというか、ガツンと驚かせていくためには尖っていくしかない。常にそんなメンタリティだった思います。
俺、Nothing's Carved In Stoneが始まった頃はそういうメンタリティでしたね。
そっか。逆にそういうメンタリティだったんだね。そうだよね。最初はキツいよね。
俺以外の3人が認知されていて、変な話、全員敵に感じていたんですよね。「ハードルが最初から高い」みたいな。それは贅沢な話だと思うんですけど。
そうそう。でもそれがプレッシャーで。勘違いしていたと思うんですけど、すごく尖るしかなかった。だからより内にこもるようになりましたね。
連載初の対談相手にホリエさんを指名したのは、どういう気持ちがあったんですか?
純粋に大好きなんです。歌も年々好きになる。すごく尊敬の対象ですね。面と向かってこんな風に言うのもアレなんですけど(笑)。近いと思うところもいっぱいあるんですけど、ヴォーカリストとして俺にないものもすごく持っていて。キャリアの積み方もそうだし。そういうのが魅力的なんです。
ヴォーカリストとして、ホリエさんのどういうところに惹かれるんですか?
ストレイテナーってすごくオシャレな感じがするんですよ。バンドとして、日本のシーンで。それで「音楽性を伝えていこう」みたいなインディー感とバンド感のドラマチックさもある。でも、ちゃんと歌を聴かせていくっていうか。そういうバンド、日本のシーンの中で他にいないと思うんですよね。それをずっと2人の頃からやっていて、もっとパンクっぽい方向にもいけたけど、ひなっちを入れて、大山純(ストレイテナーG./Cho./Harmonica.)を入れて、それで今「4人でストレイテナーです」って言えるのは、“ホリエアツシ”というものがしっかりとあるからだと思うんです。
すごく繊細な情景が浮かぶような言葉とか、にじみ出てくる何かがあるのに「ひと言でこじ開けていく」みたいなところがある。どこにも居場所がないし、ジャンル分けができない。みんなが「どこにこのバンドの行き先があるんだ?」と思っていても、自分の手でこじ開けていくみたいな姿勢がすごく好きなんです。
そう。すごく新しい気がする。歌詞からもそういう姿勢をすごく感じる。
今まではあまりフォークソングとか歌詞を気にして聴いたことはなかったんですけど、最近になって聴いてみると、物語っぽく綴られていたりとか、俺がよく書くような情景描写で綴られていたりするんだけど、急激に気持ちを鷲掴まれる何かが入ってきたりして。拓も作詞家としては文学的タイプだと思うので、ちょっとひねった表現というか「曖昧なんだけど分かるわ」みたいなものが共通してあるんでしょうね。
でもホリエくんは歌詞もだんだん変わってきているじゃないですか。どんどんストレートになっているというか。一人称も、前はホリエくんとごく少数の仲間だけだったのが、最近はすごく大きくなっているというか、よりピュアになってる。
そうかもね。「よりピュアに」は心がけていて。特に昔のネガティブだった頃は「分かってほしい」よりは「分かるでしょ?」みたいな感じだったんだよね。
そうですね。何がきっかけだったか覚えていないんですけど、いろんな小説だったり、映画を観ていて、たまたまかもしれないですけどこの10年くらいで、いろんな作家の人たちがすごくピュアにメッセージを発信するようになっていて。でもその前の10年とか…90年代の終りくらいから、世界的に音楽は「分かりにくいものがかっこいい」という価値観があったような気がして。
一発では読み解けないものの方が、かっこよくてミステリアス。それが「実はすごい」みたいなことにだんだん気付いていく喜び…そういう美学がずっとあって。30歳くらいまでかな? マニアックなものとか、万人に理解されなくても分かる人が分かって「こいつすげえや!」って評価される方がかっこいいんだって思っていたんですよね。それを徐々に自分で「意図的に変えていかなきゃ」って思うようになってきたという感じです。
うちのバンドもよりストレートになってきていているんです。前はもっとせせこましく、細かく、難しいことをやっていて。歌があって、歌を聴くんだけど、実はその中に構築美があって…みたいなものを見せている。でも最近はそういうものがありつつ「よりピュアなもの、よりストレートなものを作ろう」みたいな風にどんどんなってきていて。
けっこうアレンジありきで作っているように聴こえるもんね。バンドのセッションのフレーズのぶつけ合いみたいなところからNothing's Carved In Stoneの曲ができている。
拓と弾き語りで一緒にやって思うのは、アコギの弾き語りからメロディや歌の世界観をそのまま広げていくようなこととか、そういうのをエアロスミスくらいのピュアさでやればいいのにって(笑)。
この対談の直前にストレイテナーの新曲「NO ~命の跡に咲いた花~」(2015年7月15リリース)を聴かせていただきましたけど、この曲はものすごくピュアですよね。心の中のすごくピュアな気持ちを音楽にしているというか、本当に心から“歌いたい”と思わないと伝わらないというか。こういうことを歌うことに抵抗はなかったんですか?
昔だったら抵抗があったんでしょうね。でも、いろんな要因から引き出されるものがありますよね。この曲は最初から「今年は戦争について歌う曲を出す」っていうのがあったので、最初からどう伝えるかを考えながら書き始めたんです。
知らない世界の“戦争”ではなく、自分の故郷と繋がった自分なりの“戦争”を歌っているからこそ、伝わる力が強い。
戦争の風景を写真とか映像でしか見ていない分、自分が自分の故郷の風景をそこに重ねることってできなくて。本当にここが戦争で爆撃されて、人が何千、何万人死んでっていうことは想像できないというか。「本当にここで?」みたいな感覚。そういう気持ちもありますよね。
うん。こういう曲を作ることはすごく勇気のいることだと思います。震災の後も動き始めた人と、動かなかった人がいたくらいですから。要はその問題自体じゃなくて、思念として日本の中にずっとこういう気持ちがあって、「バンドとして身を置く方向に1曲投げていく」みたいな感じというか。
戦争を知っているお年寄りとか、戦争の頃に生まれて育った人もいるし、その人たちの話を聞いて育った親父の世代もあるし、その中に自分の身を投じていく。それは怖さもあるし、下の世代と自分の世代を気持ちで繋いでいくことでもあると俺は感じたんです。それをバンドでやるっていうのがすごいなと思う。ウチはまだできない。やっぱりストレイテナーはバンドとしても器がすごくデカくなっている気がする。だから“僕ら”の意味がすごい。遠いなぁ…。辿り着きたいところなんですけど…。
うん。やっぱりね。歌がある意味って、歌が最終的に行き着くところって一緒な気がするんですよ。情景描写にしても、歌詞にしても。こっちから気持ちを伝えて「僕の声を聴いてよ」っていう歌だったとしても、聴いている側はそこに自己を投影して、共感してっていう。だってストーリーテラーだから。映画的な、そこにあるひとつのストーリーに自分の身を重ねて「じゃあがんばってみよう」と思ったりとか。「今日は悲しい気持ちに浸っていてもいいや」とか、どんなに反骨心を立てても、行き着くところはそこだと思うんですよね。
いろんな人の気持をどれだけ背負うか。そのつもりがあるかどうかは分からないですけど、でも“僕ら”の意味が変わっているはずだから。そこにはまだちょっと辿り着いていないというか。
変わったんですかね。でも話してて、拓を初めて観た頃に「もっと歌が聴きたいな」と感じたことを思い出したよ。「もっと歌が聴きたい」、「もっと歌をガンと出して欲しい」って。それが何回か観て「すごく良くなった」と思ったことがあったんです。3~4年くらい前かな。「あ、よくなったな」みたいな風に。初めて観た時から、成長の過程をちょこちょこ観させてもらっていて、すごく気持ちいい。
気持ちいいし、一緒にやれても気持ちいいし。バンド同士でお互いにっていう。Nothing's Carved In Stoneを背負っていると思うし。それが気持ちいい。
ホリエアツシ × たっきゅんチェキプレゼント!!
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ストレイテナー
http://www.straightener.net/
たっきゅんの受け身の美学へのメッセージや感想は
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