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“キュウソネコカミ 社会のしがらみ番外編” 隔月連載 第12回(最終回) エキセントリックレコーズはいからの「マネージャー兼、社長です」

どうも。はいからです。2013年より書かせていただいたこのコラムも、今回で最終回となりました。こんな普通のおっさんがまさかJUNGLE LIFEでコーナーを持たせて頂くとは思いも寄らず、本当にありがたい限り。最後なので集大成的なことを…と考えましたが、何も思いつきません! というわけで、前回の続きから私の思考を留めつつ、締めにつなげようと試みます。

前回は「ロックはラーメンである」という訳の分からないことを滔々と語った訳ですが、今回は「驚きと共感のバランス感」ということについて触れてみたいと思います。とある対談で『音楽には「驚き=WONDER」と「共感=SYMPATHY」の側面がある』とある方がおっしゃってて、その感覚に成る程と深く会得したのでした。それは所謂、手の届かない「憧れ」の対象となるロックスターより、身近などこにでもいそうな人への「共感」が現代では主流になりつつある、ということに当てはまります。SNSも広がり、インフラも進む中で「精神的・物理的距離の均質化」ということが進んできている一つの現れと言えるかもしれません。その中では、遠くの人への驚異・憧れ=WONDER<近しい人への親近感・共感、という流れになりつつあり、それは破天荒で無茶なことをするロックスターよりも、近くにいそうな親近感を得られる普通の子への憧憬に繋がります。圧倒的な存在が表現する格好よさよりも、親近感を抱いた人間が時折見せる格好良さに惹かれる人が増えているということが言えるのかもしれません。「感動=WONDER」だけでも「共感=SYMPATHY」だけでもダメで、その2つの側面が織りなす「歪み=ギャップ」に人はより惹かれる状況になってきているのが現代のエンターテイメントシーンであり、そのギャップによる魅力というものは、前回の「ロック・ラーメン論」で述べた「ワクワク感」「アンバランス感」に繋がっていると、私は認識しております。

この理論はどんな時も、あらゆる音楽にも通じるというわけではないです。様々な捉え方ができますし、そんな一義的に読み取れるものでもありません。ただ「音楽は周囲の環境によって発展・修正され易い」という性質(この内容には触れる時間がねぇ!)を持つものである以上、その周囲からの影響力というものは看過し難いものであると言えます。

はい、というわけで以上で私のコラムはこれにて終了!
エキセントリックレコーズは細々と、しかしずっとやり続けていきますので、皆様これからもどうぞご贔屓に。皆様いずれどこかで! (主にライブハウスかTwitterにて)。

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