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「水の都 古里石巻は皮肉にも、その水によって無惨な形に成り果てた。あの惨状は今も片時も頭から離れる事はない」
20数年を石巻で過ごした。幾多の音楽を聴いて育った。言ってみれば、現在の自分の土台は石巻で形成されたと言える。今でもその当時の音楽を聴くと、情景が鮮明に思い浮かぶ。音楽にはそういう力があるのだろう。町や海、河を一望できる日和山。満開の桜を愛でながらの酒席は殊の外、酒杯を速めた。日常の風景が日和山にあった。はずだった。
3月11日。音が繋がらない。声と言う音が。流れる音に呆然となった。連呼される壊滅という聞き慣れない音。繰り返し流される壊滅の音。生きてきて一番不快な音。古里の情景が壊滅していく。音で壊滅していく。
3月12日、仙台市内に居た弟の無事が確認出来た。只、親は駄目かもしれないと。と同時に福島第一原発が爆発したらしいと聞く。女川原発は大丈夫なのか? 弟の声で事態の深刻さを知らされた。生家の近くまでは行けるものの、水が引かず近づく事が出来ないと連日連絡が入る。プラスになど考えられない状況。時間だけが過ぎていく。駄目か。
3月16日、2階で在宅避難していた両親の無事が確認出来た。弟と再会したその時マッコリ他諸々で一杯やっていたらしい。思わず笑った。震災後、初めて笑った。とりあえずは胸を撫で下ろす。
3月26日、高速バス再開に伴い救援物資を持って被災地へ。初めて見る光景。何だこれ? 何処だここ? まさに戦場が現実に目の前に拡がっている。砂塵、臭気、泥、残骸、傾斜、湾曲、倒壊、絶無。ライフラインが遮断された生家で両親と再会。声が出ない。夜2階で両親と缶詰でささやかな酒杯をあげた。マッコリ他諸々で。
川の字で寝たのなんて、何十年振りだろう。翌日、日和山へ向かう。日常の風景が消えていた。まるで違う風景になっていた。それでも桜は咲くんだろうな。ぼんやりと思った。後に分かる事だが幼い子供含め縁者が多数、犠牲となった。流される我が子に笑顔で手を振ったという話を聞いた。てんでんこ、何も考えずに逃げるとは、そういう事なのだろう。が、きつい。自分は直接被災していない。その事に負い目を感じている。話を聞いたり体験談を読む度に悔しくなる。
今年、新譜をリリースする。楽曲自体は震災のひと月前に出来上がっていたが、録音までには相当な時間を要した。計画停電という無意味な物の為、リハーサルが思うように出来なくなった。思うように動けない事への焦り。高校野球春の選抜大会に母校石巻工業が初出場を果たした。プレーもそうだが選手宣誓と校歌は、やはり感慨深かった。自分が、この年齢の頃“17Gig”と銘を打ったライブを自分達で企画した。石巻の友人が津波の影響を受ける事もなく、その映像を発見した。震災前の石巻が、そこにあった。来年30年振りに“17Gig”改め“47Gig”の企画をしている。実現出来たら、こんなに嬉しい事はない。“77Gig”目指して大いに酒杯を傾けたい。マッコリ他諸々で。