音楽メディア・フリーマガジン

~関東・東北地方音楽シーンの現状報告~ Vol.15

まつみたくや (ラジオパーソナリティ / テレビリポーター / アリーナDJ / イベントMC)

http://ameblo.jp/meatong/

音楽が消えた街並みに、人々が音を鳴らし始めた。音を楽しむことがいかに素晴らしいことかを改めて思い知らされた。

東日本大震災という未曾有の危機から、1年と3ヶ月余りが過ぎた。今、私が住んでいる盛岡市に限って言えば、ほぼ震災前と変わらない姿を取り戻している。 震災時、貴重な情報源として、重要な役割を果たしたと言われたラジオからは、お気楽な方言混じりの笑い話が聞こえてくる。そしてもちろん、いつも通りの音楽も。

ラジオパーソナリティという立場上、震災後の放送は言葉選びはもちろん、選曲にも細心の注意を払った。悲惨な状況を想像させるような歌詞の曲はもちろん、過渡に前向きな楽曲、ハードロックなどの曲の出番は極端に減った。しかし今は、音楽というものを、ある程度何のためらいもなく聴くことができる状況だ。音楽を純粋に楽しむことができる。改めて考えるとこんなに幸せなことはない。それと同時に、音楽のありがたみを忘れそうになることもある。
震災直後、ラジオから音楽が消えた。不謹慎だとかCDがなかったとかではない。ただただ音楽よりも伝える情報が多すぎたのだ。24時間不眠不休、ライフラインの情報や、避難者名簿を読み上げるパーソナリティの声が永遠と流れ続けていた。ライブハウスも休業が続いた。自分が担当するラジオ番組主催のライブ も中止を余儀なくされ、音楽を生で楽しむ機会は失われた。CDショップも長らく営業を再開できず、スタッフ総動員で店舗の復旧作業に追われた。ライフラインが止まり、家庭で音楽を楽しむための電気すら通っていなかった。普段当たり前にあった音楽が生活から消えた日々だった。
その反動という訳ではないが、今、岩手には様々な音楽があふれている。ライブハウスには被災地を元気にするために数々のミュージシャンが訪れ、地元のバ ンドも精力的に活動。自らも被災したミュージシャンが“被災地”ではなく“復興地”だというメッセージを伝えマイクを握る。そして“AIR JAM 2012”の東北開催、震災の影響により中止になった“KESEN ROCK FES”(http://www.kesenrockfes.com/)の再開。さらには震災を機に、もっと音楽を盛り上げようと“東北ライブハウス大作戦”(http://www.livehouse-daisakusen.com/)という名の下、新たなライブハウス建設の動きもある。
着々と音を楽しむ環境が戻ってきたのだ。
「音楽しかできない」という言葉が賛否両論を呼んだ。被災地のミュージシャンはこの言葉に疑問を抱いたことも多いかもしれない。しかし、状況を受け入 れ、取り戻す作業に追われ「音楽すらできなかった」ミュージシャンが今、元気に音を鳴らしている。声を枯らしている。そしてそれを私たちは聴くことができ る。震災の傷跡はまだ深い。しかしその傷を癒すための音楽が鳴り、人が動き出した。
ライブでも、CDでも、メディアでも、音を楽しむことができるのはとても幸せなこと。それを忘れずにいたい。

▲昨年9月に盛岡市で開催された“いしがき MUSIC FESTIVAL 2011”
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岩渕高紀 (奥州エフエム放送(株) , 奥州ロックフェスティバル実行委員)

http://www.oshurock.com/

誰かが行動するのを待つのではなく、自ら行動してみようと考えた。震災をきっかけにして始めた手作りのロックフェス。

沈みがちな街に、とりわけ若い世代に活力をもたらしたい。自分たちに何ができるかを考えた時にロックフェスを思いつきました。出演者も、町のみんなも、観ている人も、みんな笑顔になれるイベントができたらいいなと真剣に考えています。

岩手県奥州市のコミュニティFM局に勤める岩渕と申します。東日本大震災発生当時は、直後に生放送を控えていたところでした。フォンフォンと響く地震警 告音。刹那、地鳴りのような音の後に強い揺れが襲ってきました。電気は停まり発電機が起動、しばらくは緊急時の24時間体制で放送を続けました。強く恐ろ しい揺れの中、僕は比較的冷静に行動できていたと思います。強い地震を体験したのは2度目だったからです。
遡ること3年前、この地では“岩手・宮城内 陸地震”と名づけられた地震が起こりました。最大震度6強の強い地震で、被害は震源のあった山間部に集中しました。しかし比較的軽傷ですんだ市街地ではす ぐにいつも通りの生活が始まりました。それは悪いことではないけれど、震災への備えや関心が時間と共に風化していく…。僕は何か違和感を感じていました。
「このまま地震のことを忘れてしまうのか? 自分たちになにかできることはないのか?」
考えた結果、僕たちは有志を募り、チャリティイベント“奥州ロックフェスティバル”を企画しました。開催の度に、あの揺れをきっかけに始めたんだと、せ めて年1回思い出そうという思いで始めたイベントです。ちなみにここ奥州市にはライブハウスはありません。実行委員は7人、フェスどころかイベント運営も 未経験。場所もノウハウもないゼロからのスタートでした。全国のバンドさん達に企画書を送り、会場を考えたり予算を組んだり…。本当にできるのかへこたれ そうになることもありました。しかし、ちゃんと実現できたのです。第1回目は、“岩手・宮城内陸地震”のちょうど1年後に開催することができました。 300人ほどのお客さんに楽しんでいただくことができました。
世の中にロックフェスはたくさんあり、規模で言えば、僕達のフェスはちっぽけな存在かもしれません。しかし、小さな星の光が集まって天の川となるよう に、たくさんのイベントや作り手さんが増えていけば、大きなパワーを生み出せるのではないでしょうか。まだまだ未熟な僕たち“奥州ロックフェスティバル” 実行委員会ですが、この地にしっかりと足をつけ、小さいながらも力強くそこに“ある”存在になれたらと願っています。

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久保 文人  (赤坂GRAFFITI ブッキングマネージャー)

http://www.moz.co.jp/graffiti

執筆者プロフィール
福岡市出身。2005年より勤務。“手探り”、“地道”を厭わず、素敵な音楽空間を作れるように日々勉強。シンガーソングライター、またアコースティックユニット「MEGANE'S」として自身の音楽活動も展開中。

現状
現状においては、いわゆる震災の影響といったものはほぼ見られないと思います。ただ、やはりトラウマでしょうか、ちょっとした揺れでも急いで入り口のドアを開けにいくようになりましたね。地下の店はどうしても避難路確保が最優先事項になりますから。
震災当日は幸いにして機材や設備の破損はほとんど見られず、営業再開にはさほど時間はかかりませんでした。しかし他のライブハウスさん同様、3月中は キャンセルが相次いだりと厳しい状況は当然のようにありました。未曾有の天災によるものなので、“どこのあらゆる業種においてもみんな同じようにしんどい ところをがんばってるんだ”と思いながら毎日過ごしていたのは忘れられませんね。義援金も今も継続して募ってますが、僕らも驚く金額が集まってます。みな さんの想いを感じます。この場を借りて御礼申し上げます。
天災や社会状況といったものはいつどんなことがあるかはわかりません。楽器の音や歌声が響いている、僕らの中の日常をしっかり認識して、これからもしぶとく前に進んでいきたいと思います。

メッセージ
震災当日から数日のあの状況の中で、音楽そのものの存在意義を考えまくった人は少なくないと思います。もちろん僕もです。そんな禅問答のような状況を経 て尚、聴かせたい音楽や聴きたい音楽がたくさんあるのも事実。その想いを素直に形にしていけたらと思ってます。これからもよろしくお願いします。

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藤倉 周 (LIVE HALL aube shibuya 店長)

http://www.aube-shibuya.com

執筆者プロフィール
和光大学卒業後、ライブハウス入り。その後、今のライブハウスの立ち上げに関わり、店長となる。

現状
震災後、4日で営業を再開しました。色々な問題もありながら、ライブハウスとアーティストが一体となって節電や・募金も積極的に行ってきました。
今はかなり渋谷にお客さんは戻って来ましたが、最初の1ヶ月間は渋谷がゴーストタウンとなっていたことを、今でもよく思い出します。
二度と体験したくないことで、あってはならないこと。
これからもしっかりと音楽で支えていけるようにと思っております。

メッセージ
震災後、4日で営業を再開しました。色々な問題もありながら、ライブハウスとアーティストが一体となって節電や・募金も積極的に行ってきました。
今はかなり渋谷にお客さんは戻って来ましたが、最初の1ヶ月間は渋谷がゴーストタウンとなっていたことを、今でもよく思い出します。
二度と体験したくないことで、あってはならないこと。
これからもしっかりと音楽で支えていけるようにと思っております。

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祢津 洋輔 (越谷 EASYGOINGS 店長)

http://www.easygoings.net

執筆者プロフィール
2004年お店の立ち上げから関わり、初めはドリンクカウンターから、2005年ブッキングとして2007年店長として、どうしようもない事を叫び続けている。

現状
東日本大震災で被災された皆様に深くお見舞い申し上げます。
震災直後から娯楽業と言われてしまう我々の必要性を本当に悩まされましたが、スタッフの皆で話し合い、ライブハウスとして何をするべきか、今の自分達は 何ができるのかを考え、地元のバンド達から周りのお店、お客さんみんなと協力し、チャリティーイベントを行うことにしました。皆で試行錯誤を重ね行った チャリティーイベントだからこそ、ライブハウスから出る音の意味、バンドが出す音の意味を考えさせられた時期でもありました。
その後時間が経ち、通常営業に戻ってからは、現地で被災者の為に活動しているアーティストから、テレビ等メディアでからの情報しか得られない我々に本当 の現状を伝えてくれました。音で繋がり集まることができるライブハウスとして、大小関わらず、きっかけと、刺激を与えられる場所として在り続けたいと思っ ております。

メッセージ
皆様のおかげで、今年の5月で8周年を迎えることができました。
日々精進をモットーに埼玉の越谷から、独特の空気を発信し続けていますので、気軽に遊びに来て、感じてください!!

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加藤雅泰 新潟CLUB RIVERST 店長/ブッキングマネージャー

http://clubriverst.org/

執筆者プロフィール
CLUB RIVERSTで店長(1年)とブッキングマネージャー(4年)をしています。33歳で独身でスキンヘッドで酔っ払っています。日々試行錯誤を繰り返し、面白いコトができればと思っています。お酒大好き。

現状
震災から1年以上が過ぎ、直接そして間接的に受けた方、その地域のバンドは次に進むために動いているのではないかと思います。当店では直後の影響は若干 ありました。その後は可能な限りそして継続的に被災地の方々への募金活動をメインとした活動を行いました。県内、県外に関わらず多くの音楽人が呼びかけに 応えてくれて、団結力を再確認し、風化させてはいけないと思いました。現在はやはり記憶は薄れてきてはいますが、要となるイベントでは寄付金集めのブース を出すなど、まだ継続して募金活動等は行っております。

メッセージ
お陰様で、今年の5月で無事4周年を迎えることが出来ました! まだまだ若いライブハウスですが、日々かっこいい音楽、美味い酒(ビール)、素敵な出会いがひしめき合い続け、何気ない1日が特別な1日になるようなライ ブハウスになるよう精進します! 最響の音と最狂の酒でお迎えいたします!

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