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生きるために必要だったのは食料と灯りだった。7ヶ月経った今、音楽は心の支えとして大きな生きる力になっている。
沢山の不幸を目の当たりにし、死を感じて、沢山の支えに感謝をし、生きる希望を感じた。まだまだ不安や絶望に苦しみながら毎日を送っている被災者は沢山います。仲間達に救われ、少し早く立ち上がれた僕らが、今度は力になる時が来た。
「春が来たら、鹿を捕まえに行こう。肉無いぞ」陸前高田市で被災した僕と仲間の被災後の会話でした。眼下に見る町は藻屑と消え、昨日までいた町の人達は明らかに減っていました。はたして何人生き残ったんだろう。ラジオから流れる情報は、「陸前高田市の情報が入ってきません…」という言葉だけ。それを聞いてる僕らは、味わったことの無いほどの孤独を感じました。小高い場所にある小店から残り少ないお菓子を買い隠し、腹が減ったと嘆く我が子に、車で隠して食べさせた。「いったいいつまで続くんだ…」「こうやって終わっていくのか」。いっそ、縄文時代に戻ればいい。争いも無く、いろんな嫌なことから逃れ、食って寝る。そんな時代に戻ってもいいかな。なんて思ったりもしました。避難所で1週間、時間の無い生活をしたあと、かろうじて残っていた実家に移動し、生きる為の被災生活が始まりました。
2ヶ月の停電と3ヶ月の断水。あの時間は、今思えばとても素直で人間らしい生活だったかもしれません。「ありがとう」という気持ちを言葉にして素直に言える。当たり前の様なことが貴重なことに思える。困っている人を助けようと思う。人の為に生きようと思う。被災は経験する必要はないけど、経験を糧にする力は、誰でも秘めてると信じたい。信じても立ち上がれない時は、寄り添って支えてあげればいい。遠くに助けたい人がいたら、嘘の無い素直な言葉で共に泣き、共に笑えばいい。血が繋がって無くても、人の気持ちを支えられるのはやはり人だなって。被災から7ヶ月経った今、強く思います。
多くの人に支えられ、多くの音楽関係者に支えられました。でも別れると寂しくなった。ギターを弾いてみたい気持ちになるまでは長い時間が必要でした。僕は何を歌いたいのか。悲しみたいのか。励ましたいのか。いろんな葛藤をしながら、携帯に静かにしたためたりしました。そんなことをしながら、ゆっくりとまたギターに近づいていった記憶があります。そこに行き着くまでには、沢山の仲間達の支えてくれた想いであり言葉という力があったからこそたどり着けた。そう思うと、自分達がやってきた音楽がすごく誇らしくなって、大好きになりました。なにも御返しできないけど、僕らが元気でやり続けることが、今みんなに御返しできる唯一の方法だと思いました。無理して悲しまなくていい。無理して明るくしなくてもいい。素直な気持ちを大好きな癖のある曲に乗せて。「いってきます!」「ただいま!」「今日失敗しちゃった!」「でもいい日だったよ」。そんな日常を曲にしたい。肩肘張らないで、走らずゆっくり行けばいい。いつか心から幸せだなって思える日がきっと来る。星になった友達のぶんも、思いっきりラフに生きてやる。僕ららしい音楽を、死ぬまで続けます。
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人の優しさに触れ、心のあるライブハウスにしたいとさらに思い、こんな時代だからこそもっと人間くさく生きようと強く誓いました。
東日本大震災から7ヶ月、震災の影響により、入居していたビルの解体決定。一時は存続すら危ぶまれた中、皆さんの熱い気持ちを受け新生MACANAが10月8日リニューアルオープン!
目の前にあるものが当たり前ではないという現実、自然の脅威というものを多くの方が体感しました。そして、当たり前にそこにあった仙台MACANAも震災の影響により営業が出来なくなって約7ヶ月。2012年10月8日無事リニューアルオープンを迎えることが出来ました。ご協力いただいた皆さん本当にありがとうございます! 私たちスタッフもこの日をどれだけ待ちわびていたことか。初めてスピーカーから音が出た瞬間、本当に涙が出そうになりました。沢山の方との出会い、そして別れ、応援メッセージ、他会場を借りての復興イベント、深夜の徹夜作業等々、今までの7ヶ月本当に色々あったなぁと思い返しています。
私自身も町の6割が津波で浸水した宮城県東松島市出身で、多くの親族、友人を津波で亡くしました。親戚を火葬している時、自然の脅威に対する自分の無力さを痛感し本当に悔しくて、悔しくて「地震の馬鹿野郎」と涙しました。今思うとすごく不謹慎ですが、震災直後はサバイバルゲームみたいで楽しかった事を覚えています。というかそう思わないとやっていけなかったんでしょうね。生きていることに喜びをただただ感じました。結局は皆人間、今回の件で人の優しさに触れ、心のあるライブハウスにしたいとさらに思い、こんな時代だからこそもっと人間くさく生きようと強く誓いました。
そんな中、地元石巻市出身の同級生で現在東京で活動している「ANCHOR」と東京の「DRADNATS」とが中心となって、今年7月に無料野外フェス“LANDMARK FESTIVAL 石巻 2011”を開催しました。ゲストに「磯部正文(ex.HUSKING BEE)」などを迎え開かれたこのフェスは、何より「石巻に音楽のランドマークが出来たら、よりいろんな人たちに地元の良さを知ってもらえる機会が増えるんじゃないか」という思いから始まったこのお祭り。来年も開催しますので、ふるってご参加下さい! 場所はかなり田舎ですが、愛の詰まったイベントです(笑)。よろしく!!
そんなこんなで喜怒哀楽にとても敏感になってしまった私ですが、オープンしてからというものライブをやっているだけで涙が出そうになるという失態をおかしています。自分のせいなのか、はたまたアーティストのせいなのか(笑)。15年目の1年生ですが、これからも共に皆さんと新たな歴史を刻んでいければと思っていますのでよろしくお願いします。まずはパワーアップした新生MACANAに遊びに来て頂ければと思います!
新住所:〒980-0803 仙台市青葉区一番町2丁目5-1大一野村ビルB1F
TEL 022-262-4787
FAX 022-262-8738
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たこ焼きで舌を火傷した事がない人は、たこ焼きを語らないで下さい。
弊店は現在、震災以前と変わらず、しかし微力ではありますが、募金箱を店内に常設させて頂いた上で、元気! に営業させて頂いております。当日はリハーサル中での出来事でした。一体何が起こっているのか…交通機関の麻痺や、突然の出来事に困惑している方が弊店のまわりでも多く見受けられました。大塚という場所は外国人の方も多く住まれているのですが、それまで毎月開催していた外国人BARとの合同営業も、多くの方が母国へ帰られたりで開催ができない状況でした。しかし現在は徐々に戻られてきており、10月に再び開催させて頂けました。徐々に街も活気を戻してきておりますので、今まで以上に大塚という場所を盛り上げていく事ができる様、これからも邁進していきます!
2011年、皆さんはどの様な音楽ライフを過ごされましたか? 先月、遂に弊店も3周年を迎えさせて頂く事ができました! まだまだ未熟ではありますが、これからもスタッフ一丸となって大塚から様々な、そして多くの音楽を発信して参りますので、何卒宜しくお願い致します!
全ての雑務こなして頑張ってます!! (笑)。
山形県日本海側は、揺れはしたものの建物も倒壊もなく、停電が1日続いたぐらいでさほど被害はありませんでした。震災後は不景気も重なりお店をたたむ所が多く、良い状態ではないと思います。ライブハウスもどちらかというと娯楽の部類に分けられると思いますが、震災後は娯楽にお金を使わなくなったうえに、不景気も重なりさらに余裕がなくなった。そんな感じを受けます。
震災後には1人1人の考えも変わったのではないでしょうか。バンド、アコースティック、DJ、MC、etc…ステージに上がるものは皆アーティスト。ステージに上がる事にどこかで慣れてしまっていた中で、ライブの1本1本が大切であり大事であると気付き、重く受け止めてステージに上がる人が増えたように思います。
アーティスト自身が持っている輝くもの、可能性に気付くといいですね。それがお客さんに求められるのであればなお良いですよね。被災地や東北にその素晴らしいエネルギーを出しにきてください。
大阪出身32歳。系列店のブッキングを歴任しここに落ち着きました。ご一緒した際はユナイトしましょう!!
3/11、当店は地下1階にあり、揺れは感じたもの瓶1本も倒れること無く機材も全て無事でした。計画停電などの心配の中、3/26より営業を再開しました。できる限りの節電をと思い、照明にLEDパーライトを導入し、エアコンも必要最小限で対応しました。再開当初はまだまだ世間は自粛ムードで、お客様に本当に楽しんでいただけるのか不安でした。しかし、結局今まで通り演者は良いプレイをし、会場はそれをサポートし、良い音、良い照明、良い接客でお客様を迎える、ということしかやれることは無く、それ以外に存在意義も無いと痛感しました。現在は特に影響もなく吉祥寺の街も元に戻ったように見えます。ですが万が一に備え、営業中はスタッフにLEDペンライトを所持させ、お客様を誘導できるよう指導しています。
吉祥寺は良い街です。吉祥寺を通るJR中央線は気分が悪くなった女性がいれば向かいの席の青年がそっとハンカチを差し出すようなハートフルな電車です。京王井の頭線もくしゃみをすると隣に座っていた外国の方がティッシュをくれました。皆様ぜひ吉祥寺にお越しください。
ロックバンドTHE OLIVEのボーカルとしても奮闘中。
震災当日、震源地から遠く離れた山梨もいまだかつて無いほどの強い揺れが起こりました。娯楽施設であるライブハウスがこの未曽有の大事件の中、何をすべきなのかを地元のバンド、ライブハウス関係者共々話し合いを重ねた結果、3月の21日には地元新聞社、地元バンドの協力の下、“音の名の下に”という被災地復興支援イベントを行う事が出来ました。現在、すでにあの大事件の記憶が人々の中から薄れていってると思いますが、薄れるほどの被害にしかあっていない私共だからこそ、被災地に向けての復興支援は続けていきたいと思っています。
甲府CONVICTIONは今日も元気に営業できています。元気だからこそマイペースに被災地支援を続けていきたいと思います。被災地は今も被災地です。日本よ手を繋げ!!
もっともっと皆で力を合わせて、日本を元気にして行きましょう!
うちの小屋は千葉県柏市にあるので、たまに放射線の質問が来る事がありますが、現状としては政府が安全と言う以上、信用してやっていくしかないと思っています。またうちの小屋は街なかにありますので、放射能の残留しやすい土がむき出しのところは少なく、ニュースに出るような事態はありません。ただやるべき事として、店の前をこまめに掃除するなどの対策をとっています。周辺地域も大差なく、道の掃除をする(歩道や、吹き溜まり)など、それぞれがやれるべき事をやっています。さらに全国的なニュースとなりましたが、市が進んで放射線の測定などをやっています。ある意味、放射線に神経をとがらせている街です。
うちに限らず、今回の震災でライブハウスにも多大な影響がありました。でも何を言ってみても、やれることはひとつだけです。熱いライブを作る事です。“音楽でみんなを元気に!”というよりも、ライブハウスが持っている本来の努力をするだけです。いいライブを作りたい!
『KEEP ON ROCKIN'!!』
はじめに、この度震災によって被害に遭われた方々には改めてお見舞いを申し上げます。当店は震災日から約10日間程、苦渋の決断で中止または延期という形をとらせてもらいました。そんな中、若いバンドマンの中には『こういう時こそロックが必要なんだ!!』という声もありました。とても頼もしく、奮い立つ言葉でした!! それは単に格好をつけた言葉ではなく、非常にシンプルで、まっすぐな表現だと感じました。1人の人間として、またミュージシャンとしての意識と、責任感があったからなのだと思います。そんな思いを馳せ、3月末に営業再開のめどが立ち、完全生音&必要最低限の明かりでノーチャージ(ドリンク代も無し)で、募金のみというライブを実施。4/3には“JYOJI-ROCK GRANPRIX春大会”で出演予定だったバンド達で義援金ライブ。共に大盛況で、意味深いライブでした。それから、早くも半年が過ぎ今に至る訳ですが、これからも「人が音楽を創り音楽が人を動かす場所」にこだわって発信していきます!!
日本の、いや世界の熱きロッカー達、 待ってます!!