音楽メディア・フリーマガジン

~関東・東北地方音楽シーンの現状報告~ Vol.7

キリマルカラー / Key. Keiichi Hayasaka

何が正しいか何が正しくないかは後から好きなだけ悩めばいい。音楽する事の意味を探し続ける旅は、今も継続している。

まっ暗闇の中ワンセグに映し出された未曾有の光景。続々と被害を伝えるテロップ。連絡がつかない仲間達の安否を思えば、とてもじゃないけど「音楽で誰かを元気に」など言っている場合ではなかった。「みんなは無事なのか…」それしか頭になかった僕は、床に砕け散った鍵盤もそのままに、みんなの役に立ちそうな物を片っ端からリュックに放り込んだ。

震災から5日後。僕はメンバー達に物資を届けるため、ライフラインが寸断された仙台へ向かいました。車のガソリンが尽きたため、持てるだけの食料やカセットコンロ等を積んで、自宅から片道50キロの自転車の旅。そんな行動は、無力な自分の自己満足かも知れないけど…周りの大切な人たちの元気な姿、友人知己全ての安否、みんなの心、そして衣食住の充足…それをこの目で確認するまでは、自宅スタジオの復旧をする気にはなれなかった。ある意味それは自分自身に音楽を再開していいというGOサインを出すための旅でもありました。
あの震災から半年が経った今、仙台の街はまるで何事もなかったかのように平穏を取り戻しているように見えます。しかし時間の経過と共に、津波被害のあった沿岸地域との被害格差は大きくなっていくばかりです。友人が経営するスタジオも津波被害に合いました。潮臭い泥水が膝まで浸かりながらも、懐中電灯の明かりを頼りに重い機材をひとつひとつ引き揚げる…しかし機材は潮水のために錆び、全てを諦めて廃棄しなければならない状況でした。大切だった物を全て瓦礫の山に投げに行った友人の姿と、建物があった場所の瓦礫の山は、今でもこの網膜に焼きついて離れません。地震からひと月ふた月と時間を経てもなお、「自粛」「不謹慎」あるいは「自粛ムードこそを自粛しなければ」と言った世論に揺れ、まるで地雷を踏んでしまわないようにと、顔を見合せて沈黙していた日々が長く続いたように思います。誰しもがどこかで「笑顔」というものを必要としてる筈なのに…みんな辛かった。本当は元気な誰かが笑顔でいる必要があった。
僕の自転車による小さな自己満足の旅の行方。数時間かけてたどり着いた仙台で、僕は意外な光景を目にしました。仙台市中心部にある広場で、仙台バンド有志が集って、アコースティックイベントを開いていたのです。そこにはアコギを弾き語る友人の元気そうな姿や、炊き出しを配る仲間の姿がありました。それから仙台のライヴハウス関係者がお互いの無事を祝している光景…。
多分これから先そんな光景を目にする機会などないでしょう。今、何かを始めなくてはいけない。いつまでも立ち止まっている訳にはいかない。僕はそこで多くの笑顔と再会し、心から音楽活動を再開する決意を固める事ができました。自粛の世論に揺れながら、「一刻も早く日常を取り戻そう」と動いてくれた人たちの勇気の先に、仙台の未来が一直線に繋がっているものと思います。
震災直後、臨時の避難所として寝食の場をバンドマンに提供してきたスタジオさんがありました。そこには半年経った今でも、全国から物資が届けられています。そしてその救援物資は、スタジオの利用者である仙台のバンドマンの手によって、沿岸の避難所の方々へと届けられています。人が辛い時に笑顔でいるという事は本当にエネルギーがいるし、時として誤解を生む可能性もあります。けれど誰か辛い時には、側で元気な誰かが笑いかける必要がある。音楽の力で明日に笑いかけるという事は、震災を経た今の僕にとって一番大切な事であり、そこから得た人と人の繋がりは、何ものにも代え難い宝物です。何が正しいか何が正しくないかは後から好きなだけ悩めばいい。音楽する事の意味を探し続ける旅は、今も継続している。

JANGA69 / Vo./G. 馬目 由樹

福島県いわき市でJANGA69と言うBANDのVo./G.をやってます。地元いわき市を襲った震災を経て、今自分は何を歌うべきなのかを考えました。

震災から7ヶ月、僕は色んな事を考えさせられた。その思いをすぐに歌にしました。10/5にアルバム『NEXT』が発売されました。そのアルバムの「My home town」と言う曲に思いと願いを綴りました。

3/11の金曜日。その日僕達は、ライブのため地元いわき市から隣の郡山市に移動していました。何気なく高速を走っていると、いきなり携帯から聴き慣れない音が鳴り、見れば“宮城県沖で強い揺れ”というメッセージが書かれていました。正直、その時は地震と言うものに恐怖感を感じられませんでした。しかし、外を見てみると標識や看板が勢いよく揺れていました。
すぐに車を停め外に出ましたが、道路はすでに地割れが始っていました。それでも何とか郡山のライブハウスに辿りついたものの、余震は止むこと無く続き、落ち着くことすらできない状態…皆は各自家族や友人に携帯で連絡を取ろうとしていたのですが、一向に繋がりません。唯一の情報源はラジオだけ。家族や友人の安否などは一切分からないまま、不安な時を過ごしました。
とりあえずいわきに戻ろうという話になり、3時間ほどかけて帰りました。自宅に着くと、レンガや外壁が崩れ落ち、家の中はぐちゃぐちゃでした。家に入って家族の安否を確認したのち、自分達の地元の海沿いが津波で大変な状況になっていることを知りました。
正直、友達の安否が不安で不安で眠れなかったです。数日後になんとか友達とは連絡が取れたのですが、原発問題で友達の地域が強制避難区域になってしまい、買ったばかりの家を置いて避難せざるを得ない状況になってしまいました。今でも友達は埼玉で避難生活を送っています。あの日以来、僕達の生活は変わってしまいました。震災から7ヶ月、今も帰りたくても帰れない人達がまだまだ大勢います。
僕の家の周りにも仮設住宅が建ち並んでいます。それを見るたびに、胸が締め付けられるような思いです。自分に何が出来るかは分かりませんが、僕は「My home town」という曲にメッセージを込めました。この曲は建ち並ぶ仮設住宅を見た友達の話を聞いて、僕自身が思ったことを綴った曲です。ネットが普及している今、誰でも簡単に発言が出来ます。復興の事で言い争いになって誰かを傷つけるより、一人でも多くの方と音楽を通して復興を願っていきたい。僕一人の力ではどうにもなりませんが、多くの方、そして音楽があれば必ず復興に繋がるはずです。そのためにも、この震災が風化されてしまわない事も願っています。帰るという事を諦めずに、いつか必ずあの場所に戻れると僕達は信じています。

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錦糸町 rebirth / 店長 志多"SHIDA-X"輝彦

執筆者プロフィール

気がつけば業界歴18年のイクメンパパ。新たな地「錦糸町」で新人として頑張ります!

現状

rebirthは震災の前日、3/10から工事着工でした。当然工事はストップ、10日後から作業を再開したもの、その後も資材が入らずに中断が相次ぐ状態。当初の4月末の完成予定が、最終的にはオープン当日の6/1に本当にギリギリで完成しました。
また当時は前身である秋葉原PAGODAを運営しており、同時にそちらのキャンセルなどの対応にも追われていたため、先の見えない数日間は精神的にかなり参ってました。でも「生きてればなんとかなる!」と考え、チャリティオークションライブなどを開催し、その時に多く方から「自分が出来る事をやる!」という思いを強く感じ、そのエネルギーで私自身も立ち直り、rebirthを完成させる事が出来たと思います。

メッセージ

音楽には人を感動させたり、元気にしたりと目に見えない多くの力があります。そして、それをより強く、間近で感じられるのがライブハウスです。rebirthは本気で「音楽で日本をrebirth(生まれ変わる)出来る」と信じて新たなシンボル、スカイツリーと共に成長していきます。

郡山 PEAK ACTION / 店長 渡邊文昭

執筆者プロフィール

郡山生まれ郡山育ち。悪そうな奴はだいたい先輩。今日も笑顔ではりきってまいります!!

現状

まず、この度の震災で被害に遭われた方に、心よりお見舞い申し上げます。あの日、PEAK ACTIONの入っているタカマツビルは崩壊し、私たちは大切な場所を失ってしまいました。ビルの壁一面が落下してきたにも関わらず、被害者がいなかった事は唯一の救いです。ビルの解体が決定した時は涙が止まりませんでした。ですがスタッフや友人、仲間たち、今までPEAK ACTIONに来てくださった沢山の方から応援の声を頂き、再OPENを決意。そして9/11、以前より約束していた「ひとりぼっち秀吉BAND」のツアーファイナルワンマンでなんとか再OPENを果たすことが出来ました。深刻な問題を抱えている福島、郡山ですが、私はこれからもこの土地で、少しでも多くの方が笑顔になれるよう努めていきたいと思います。これからもよろしくお願い致します。

メッセージ

PEAK ACTIONは福島県郡山市の人情の街、中町、ドトールコーヒーさん地下にあります。郡山一小さく、出演者様とお客様の距離が一番近いライブハウスです。レコーディングもやっております。もし郡山にお越しの際には、是非お立ち寄りください!

浦和 ナルシス / ブッキング & A.R. 岩波 夕子

執筆者プロフィール

良くも悪くもマイペース人間。記憶力にはちょっと自信あります!

現状

最初はバイトから働き始めたナルシスも、今年で勤続14年となりました。それだけ長く勤めていますが、あんなに大きな地震を体験したのは初めてで、当日の事は今でも忘れられません。恐ろしい程の大きな揺れでは有りましたが周辺建物被害も無く、店内も何一つ倒れる物も有りませんでした。しかし計画停電が行われる地域という事もあり、キャンセルや日程調整・移動となり余震も続く中、一体いつから営業ができるのか毎日が不安でした。長く働いているからこそ色々な時代を見てきましたが、震災があったからだけではなく今現在、音楽業界全般的にとても厳しい気がしてなりません。ですが、やはり音楽というものは規模には関係なく、たくさんの人々を元気に笑顔にさせるものだと思っております。

メッセージ

浦和ナルシスは来年で30周年となります。その半分ほどをナルシスで過ごしている私にとっては、ここはもう1つの家のような存在です。今後も出演してくれるバンドさんやお客様にとっても、そのような場所になれたら大変嬉しいです。そして微力ながらも皆さんが元気になれるお手伝いが今後も出来ればと思っております。

新宿 HEAD POWER / 副店長 小峰"ふーみん"史也

執筆者プロフィール

へたれ副店長。毎日ヘドバンしたい今日この頃。

現状

大きな横揺れによって揺れる天吊りスピーカー、事務所のラック。幸い出演者も無事に避難し、姿見が倒れた程度の被害ですんだのですが、近隣ではビルの窓ガラスが割れ道路に破片が散っているのも見受けられました。避難所としての無料開放、情報収集と拡散をしながら朝を迎えました。近隣ライブハウスも夜通し無料開放を行っておりました。その後、アーティストが被災者を支援する為の道筋を考え、復興支援イベント“Playing is Praying”を開催しました。ドリンク・チケット売り上げを全て寄付し、出演者からも営業をする為の最低限の出演費しか頂いていません。5日間の開催で46万を超える義援金を作ることができました。このイベントは来年3月にも予定しています。

メッセージ

アーティストとお客様の立場とを考え抜き、アーティストが最高に映えるステージを作り上げる。そのことに誇りを持ち日々改善を重ねています。僕達が作り上げた『新宿HEAD POWER』というライブハウスを体感してくれ!

石巻 La Strada / オーナー 相澤政洋

執筆者プロフィール

La Stradaを始めて今秋で9年目を迎えます。ちんどん屋もやっています。

現状

3/11、地震と津波が発生し、北上川河口から約1kmの川岸にあったLa Stradaの1階部分に漁船が衝突していました。店舗は2階で機材が浸水を免れたため、船の撤去後の5月、設備が不十分な中で営業を再開しましたが、建物が解体されることになり、6月に市街地の別の地区に引っ越しました。地元のバンドマンや友人、ボランティア、多くのミュージシャンの協力のもと、7月から音作り、店作りを続けながら営業しています。
ライブハウスで演奏してきたバンドの大多数が活動休止中か活動が困難であり、また町の人々はライブハウスに足を運べない様々な理由を抱えています。

メッセージ

3/11以降、石巻とLa Stradaに寄せられた全国の皆様からの応援に支えられてきました。縁と出会いに恵まれたことに感謝し、そのひとつひとつをこれからも大切にしていきたいと思います。

八戸 ROXX / 代表 大隅由紀子

執筆者プロフィール

89年より何もわからないままROXXを始め、綱渡り状態で間もなく23年目を迎える自称永遠の乙女。

現状

東日本大震災の際では、直接的な被害だけでなく、二次災害のような事もたくさんございました。全ての皆様にお見舞い申し上げます。当店は機材が壊れたり、ライフラインの復旧に多少時間がかかったこともあり、3月はほとんど営業できませんでしたが、4月からは通常営業できるようになりました。壊滅状態だったフェリー埠頭も8月から再開しております。ただし、八戸~久慈間の電車はまだ線路が復旧してないため、今でも利用できない状態のままです。現在はみなさまから頂いたお気持ちのおかげで元気に営業させて頂いております。ご心配いただいた皆様、本当にありがとうございました。

メッセージ

停電の続く真夜中、家族と身を寄せ合いラジオから流れてくる音楽に涙しました。思えば、音楽はいつも私の側にありました。地震の前も、地震直後も、今も、これからも。改めて音楽の力を痛感いたしました。音楽を作る皆さんを心から尊敬しております。音楽にしかできないことがあると信じています。これからも心震わせる瞬間のお手伝いをさせて頂きたいと思っております。

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