誰かの思い出や当時の生活の有様が感じられるものをたくさん拾い撤去しました。“日々、生かされているんだ”ということを実感しました。
町はだんだんときれいになっています。しかし町の復興にはまだまだ時間がかかります。震災によって失ったものはたくさんありますが、震災をきっかけに得たものもたくさんあります。音楽ができることは何か。ライブハウスに関わるものとして、音楽が持っている力をそのまま伝えられるような技術者になりたいと思っています。
宮城県南三陸町出身の三浦です。震災時は東京で働いていました。家族、友人の安否の確認がとれないまま、その日は職場でずっとニュースを見ていました。三陸沿岸に津波が押し寄せる映像や、海岸で火が燃え上がる映像を見ながら、地元の状況を伝えるニュースを求めていました。数日が経ち、地元の映像が流れ始めました。テレビの中に写る地元の町並は、見慣れていたものとは全く違うものになっていました。家族の安否が分かるようになり、避難所に設置された衛星電話で家族と直接連絡もとれるようになりました。「じいちゃんとばあちゃんの家は流された。親戚一同がうちに泊まっている。なんとか生きている」親戚の家は皆流され、僕の実家だけが残り、そこに15人ほどで何日か暮らしていたようでした。
4月に地元に戻る機会がありました。まだ電気も復旧していなく、夜9時には就寝。実家では流されて来たガスボンベを拾って使いお湯を沸かし、自衛隊からの救援物資を暖めたり調理したりしていました。当時駅の近くに置いていた実家の車は津波に流されひっくり返っていました。母校は避難所になり、ガレキの山になった町の中には自衛隊の人たち。何ができるはずも無くただ全国からの支援に支えられ、生かされていました。
7月から8月の約2ヶ月間、復興支援団体に所属し、地元のガレキ撤去作業をしていました。炎天下や雨が降る中、目の前に広がるガレキをただひたすら仲間達と拾い集めました。家を失ったもの、職を失ったもの、様々な状況の人たちと一緒に作業していました。“このガレキがいつ全て無くなり、ここにまた人が住み、町ができるのだろう?”と思うこともありましたが、ゆっくりときれいになっていく町を見て“ここからまた始まるんだ”と、これからの町の未来に思いを馳せるときもありました。そこでの仲間達との新しい出会いもあり、失うものが多くあった震災をきっかけに得たものがあったこともまた事実でした。その後ライブハウス仙台 Mlkywayの立ち上げに携わり、今はPAとして働いています。
音楽は衣食住に直接関係がありません。しかし震災で活力を失いつつあった人たちを外に出させ、一緒に歌わせ、笑顔にさせていたのも音楽であることを実感しています。そういった音楽の力を信じ、そこに携わるものとして自分の役割、できることを示していきたいと思っています。
被災地でのライブは本当に求められているのだろうか?
“エンターテイメント”の力を再確認した大震災。
大震災で多くの変化と前進を求められた被災地で“エンターテイメント”を発信する。“一人で多くの人に勇気を届けられたら”そんな想いから被災地へ出発。
1台のトラックに機材を積み、石巻、陸前高田、郡山、北茨城の4都市を回ってライブをするという企画があった。本番の2ヶ月ほど前に現場調査をかねて下見に行って唖然としたことを覚えている。家屋が建ち並んでいた海岸近くの都市が全てなくなっていた。数年振りに訪れた土地だが建物があったことは、はっきりと覚えている。津波が奪い去ったのだ。無惨に積み重なった車、地盤のアスファルトがむき出しになった家屋、葉や枝がとれて裸になった木々。もう言葉も出なかった。とにかく「被災地に勇気を!!」なんて言葉が出るような光景ではなかった。こんな状況になった土地でライブをやっても人は来ないだろうし、来られる状況ではないだろう。そう思わずにはいられなかった。そんな光景を目の当たりにした日、現地コーディネーターの方に言われた言葉がある。「こんな街になっちゃったけど、みんなここで暮らし続けたいからがんばってるんだよ。みんなを元気してくれるイベントのためならがんばるよ!」と。がんばらなくてはいけないのはこちら側なのに現地の方に励まされ、勇気をもらい、企画を実行できた。ステージだって大きくはない。楽器も多くない。音響も照明も普通のコンサートに比べれば本当に小規模。それでも“一人でも多くの人に勇気を届けたい”というその気持ちがアーティスト、スタッフ一同ひとつになって行ったコンサートには、凄まじいパワーを感じた。そしてコンサートに来場したお客さんの笑顔を見てそのコンサートに関われたことを改めて幸せに思った。アーティスト、スタッフ、関係者は声を揃えて言う。「勇気を届けに行ったはずなのに、逆に勇気をもらった」と。当初はライブをしても誰も来ない、こんな時期に不謹慎だろうと思い、本当にライブを行ってもいいのかと苦悩したが、結果、各会場2000〜8000人が集まり、多くの笑顔が見れたのだ。
音楽だけで人を笑顔に変えることができる、これこそが“エンターテイメント”ではないだろうか? 決して自分1人でできるものではない。多くの人の力がひとつになって初めて実現するのだ。この先何年かかるかはわからないが、必ず復興することを信じて、これからも被災地でエンターテイメントを発信し続けること。それは音楽業界にいる限り自分の義務となっている。
執筆者プロフィール
バンドマン、バックダンサーを経て、CD製作におけるプロデューサー、ディレクター、音楽講師等様々な顔を持つ。 最近はベーシストとしてステージに立つ事も増えている。あとたまに閣下。
現状
いまだに思い出しますね。事務所が4Fなんです。すごい揺れ。身の危険を感じました。急いで外へ。1Fでは若手バンドの解散ワンマンライブのリハーサル中でした。同じビルに練習スタジオがありますので、そこにいた人たちもみんなビルの外へ避難。夜は帰れない人、ワンマンライブを見に渋谷に来ていた人、バンドマンを受け入れる避難所として開放しました。 いままでで東京が東京らしくなくなった1日だったんだと思います。でも次の日の朝はもう動いていたんですよね。電車もデパートの食品売場も。そして仕事に行ける人はいつも通り仕事へ行く。それが復旧の第一歩だったんだなって。まずは踏み出さなきゃ始まらないんです。忘れられないこと、忘れちゃいけないことはたくさんあるとは思いますが、前進あるのみじゃないですかね。 個人的には仲の良い仙台のライブハウスさんとのやり取りを出来るだけ早くしたいなって思ってました。ようやくこの8月に直接行くことができ、快く迎えていただきました。 “何が出来るか?”ではなく“何をするか?”ということをまじまじと実感しました。
メッセージ
ジャンル問わず、とにかく音楽で何かを伝えたい人、音楽を通して楽しいことをしたい人、連絡下さい! ぜひぜひ渋谷DESEOで盛り上がって下さい。最先端の音楽、お待ちしております!
執筆者プロフィール
・企画マネジメント兼PA 大型光学映像や地デジ放送局設備のエンジニアを経て、6年前にPA業界に復帰。都内ライブハウスのPAや映像、電気設備設計も手掛けています。山梨の音楽シーン発展に尽力してまいります!
現状
震災から1年半が過ぎ、以前と変わらない営業が戻っていますが、今でも不定期ながらチャリティーイベントが開催されています。
約4年前の開業時から、チャリティーやボランティアに様々な形で取り組んできた当店としては、震災以降の節電が叫ばれる中、大量の電力を必要する音楽イベントの行なうというのは心苦しいものがありました。当然、営業自粛ということは真っ先に頭をよぎりました。しかし“動ける人達が動いていかなければ!”という想いとの葛藤もありました。
そんな中、当ホールを愛用していただいている出演者の方々からの「俺達にできることをやっていこうよ」という言葉に、心を動かされたのを鮮明に覚えています。開催時間を短縮し、空調を使わないことにもご理解いただき、開催する1つ1つのイベントで募金などしっかりした形で復興への協力しようと団結しました。
導入機材も、LED照明など省エネ機器を積極的に選定し、確実な設置するなど、これまで以上に安全やエコに配慮するようになったことも震災からの教訓です。今後も継続した取り組みをしていこうと考えています。
メッセージ
ツアバンやブッキングも随時受け付けております。“ひと味違ったイベントホール”での演奏をぜひ楽しんでください。
山梨の音楽シーンはまだまだ発展途上ですが、この1年、距離を越えて繋ながる『音楽の力』を改めて実感しました。この経験を地元シーンの活性にも生かしていこうと思います。
執筆者プロフィール
新宿Motionの店長、about tess / world's end girlfriend / カオティック・スピードキングのギター、Virgin Babylon Recordsの運営、としてあらゆる角度から音楽に関わる。
現状
2011年3月11日から全てが変わった世界で生きている実感があります。東京都内に住んでいると、震災当日から今日までの毎日、日々表面上は震災以前にゆっくりゆっくり戻ってきてはいるのですが、あくまでもそれは形だけでしかなく、音楽、バンドさん、ライブハウスにまつわる様々な、夢や希望だけではどうしようもないリアルが浮き彫りになってきました。
今は近い未来に向けて毎日を一生懸命生きることしか出来ないのですが、新宿Motionはバンドさん、イベンターさん、そしてお客さん達に助けられて盛り上げてもらっている事を痛いほど感じています。
メッセージ
やりたいことや、希望をMotionという場所を通じて共有しながら広げていきたいです。いつでも何でも相談して下さい。精一杯頑張ります。
執筆者プロフィール
入社2年目。地元茨城とサッカーが大好きです。HOLIDAY SHINJUKU オフィシャルブログ担当。http://ameblo.jp/holiday-shinjuku
現状
東日本大震災におきまして被害に遭われた皆様に、心よりお見舞い申し上げます。
震災後、新宿歌舞伎町は、街のネオンサインが消え、日本一の歓楽街と思えない程ひっそりとしていたことが思い出されます。当店に震災による被害はありませんでしたが、イベントの延期・キャンセルが相次いだ為、3月一杯は総てのイベントを中止し、4月から営業を再開しました。
震災からもうすぐ1年半。歌舞伎町の街もHOLIDAYも震災前と変わらぬ日常を取り戻しておりますが、スタッフ一同の防災意識と音楽に掛ける情熱は間違い無く震災前の数倍にも膨れ上がっています。
ライブハウスは、日々、出演されるアーティスト、来場されるお客様との出会いが有り、絆が結ばれる場所だと思います。音楽を通してのこの出会いを大切に、絆を大きく太くしていくことで、少しでも復興の手助けとなれるよう、これからも頑張っていきます。
メッセージ
ヴィジュアル系のハコとしてのイメージが強いHOLIDAYですが、ヴィジュアル系は勿論、ジャンルを問わず、多くの出演者を募集しております。実はオールジャンルOKのライブハウスなんです。
大阪店・名古屋店も宜しくお願いします。