音楽メディア・フリーマガジン

繋げ! 東北ライブハウス大作戦☆LIFE Vol.14

2011年3月11日。あの日からわずか3カ月後の6月に産声をあげた「大作戦」。ライブハウスに生きづく人たちの、“真実と志”を伝えるために…。

チェーンコラム14人目黒澤英明
(石巻BLUE RESISTANCE 代表 / 東北ライブハウス大作戦 石巻支部長)

JL202_daisak【プロフィール】
1971/4/27生まれ 石巻市出身
株式会社クロックサウンド 代表取締役
東北ライブハウス大作戦 石巻支部長
石巻BLUE RESISTANCE 代表

 

 

 

 

 

 

 

石巻BLUE RESISTANCEの黒澤英明と申します。大船渡FREAKSの菅野さんから繋いで頂きました。東日本大震災発災後から、石巻にライブハウスを創りたいという考えが自分の頭の中に生まれました。そんな時、「東北ライブハウス大作戦西片本部長が石巻で支部長を探している」と幡ヶ谷再生大学復興再生部/つなげる・つたえるプロジェクトのゆかりさん、ハードコアパンクバンド鐵槌  Dr.千葉浩靖さんとそのお兄さん千葉敦司さんからお話がありました。すぐに西片さんにお会いし、是非やらせてくださいと伝えました。2011年12月ごろの話です。その後、津波の為に建物がほとんどなくなっている為、貸してもらえる条件に合った物件を探すのに苦労しましたが2012年7月中旬に見つかり着工。被災した建物であった為、解体作業から始まったのですがその作業には多くのボランティアの方々にご協力頂きました。

そして全国のミュージシャン・バンドマンをはじめとするたくさんの方々の繋がりによりBLUE RESISTANCEは2012年10月30日ASPARAGUSの公演にて無事オープンを迎えることが出来ました。SPC peak performance、KLUB COUNTER ACTION MIYAKO、大船渡FREAKS、ミュージシャン、お客さん、スタッフ、様々な繋がりに感謝し、まだまだたくさん繋げていきますので、石巻BLUE RESISTANCEを、東北ライブハウス大作戦を宜しくお願い致します。

次回は、東京スカパラダイスオーケスラ/So many tears Gt.加藤隆志さんに繋げます。

繋げ! 東北ライブハウス大作戦☆LIFE Vol.13

2011年3月11日。あの日からわずか3カ月後の6月に産声をあげた「大作戦」。ライブハウスに生きづく人たちの、“真実と志”を伝えるために…。

チェーンコラム13人目菅野安宣
(大船渡FREAKS  代表)

IMG_0133東北ライブハウス大作戦によってスタートした、大船渡フリークスです。市内の土地嵩上げに伴い、この度一旦移転仮営業というかたちになりましたことをご報告致します。

2012年の8月に完成してオープンに至ったフリークスは、沢山のアーティスト、お客さんの支援があり、少しずつですが確実に存在を確かなものへと変えていきました。もともとライブハウスがなかったこの大船渡という土地にどのように根付いていったらいいものか、店長の菊池筆頭のもと、スタッフと周りを支えてくれる有志の仲間と共に日々精進してきました。一度だけ地震による公演中止という日もありました。そのようなときの意見の相違などもありましたが、日々続けてきた結果、地元の商店の一部として看板を並べられるところまで来る事ができました。ライブハウスがこれからも必要だと、地元の商業を代表される方にも言ってもらえることができました。観光、買い物、いろいろなきっかけで被災地に足を運ぶ方がいると思いますが、ライブというきっかけで被災地に足を運ぶ方も多くいるようです。

被災地にあるライブハウスだからこその存在意義というものをこれか らも意識して、少しでも街の発展の一助になれるよう努力していかなければなりません。

さしあたりフリークス自体はプレハブの商店街の一角に店を構え、「ラコスバーガー大船渡」の看板も出しながら、アコースティックライブができるお店として活動していこうと思っています。

たまには屋外でのイベントを行ないながら地元のバンドマンに機会を作ったり、ツアーバンドも混ぜたりできたら…などとも考えていますが、まだ未定です…。可能性は未知。なにせなにも無いようなところですから。

また1から始めます。

リレー方式ということで、次は宮城県石巻市のBLUE RESISTANCE黒澤さんにキラーパス。

フリークス菅野でした。(TILITILIもよろしく)

繋げ! 東北ライブハウス大作戦☆LIFE Vol.12

2011年3月11日。あの日からわずか3カ月後の6月に産声をあげた「大作戦」。ライブハウスに生きづく人たちの、“真実と志”を伝えるために…。

チェーンコラム12人目太田昭彦
(KLUB COUNTER ACTION MIYAKO 代表社員/東北ライブハウス大作戦 宮古支部長)

image太田昭彦
1967/9/13生 岩手県宮古市出身
竹岸食肉専門学校卒 第47期生
(有)太田屋肉店 代表取締役
東北ライブハウス大作戦 宮古支部長
KLUB COUNTER ACTION MIYAKO 代表社員

 

 

 

 

 

 

KLUB COUNTER ACTION MIYAKOの太田昭彦と申します。
雷矢のyasuoから繋いで戴きました。震災直後、SLANGのKOさんがyasuoと一緒に、大量の支援物資を持って宮古に来てくれたことがきっかけで、NBC作戦が始まりました。その後SPCの西片本部長も賛同し、彼らは何度も支援物資を宮古市に送り届ける活動をしてくれました。沢山のものを失い、変わり果てた宮古市にとって、NBC作戦による支援は、大きな救いとなっていました。
二回目のNBC作戦でKOさんが再び宮古市を訪れた際、「次は宮古市でライブをしよう!」と、言ってくれました。
NBC 作戦が結んだ縁と、その一言がきっかけとなり、KOさんと西片さんの協力のもと、2011年6月12日 POWER STOCK in 宮古が実現しました。ライブには沢山の人が集まり、人々から大変喜ばれました。市民へ活気を与えたこのライブは、大成功のイベントとなったのです。これまでの活動から芽生えた思いを、西片さんは打ち上げの際に私に言ってくれました、

「宮古市にライブハウスを作りたい」。

KO さんのNBC作戦をきっかけに実現したPOWER STOCK in宮古。もし宮古市にライブハウスがあれば、これからも今日みたいに多くの人々を喜ばせることが出来る。県内外各地からもライブを通して沢山の人が集ま れば、被災地へ足を運んでくれる機会になるんじゃないか。
西片さんの想いに私は感動しました。バンドは俺が呼ぶから、太田キンには宮古のライブハウスをお願いしたい、という西片さんのお願いを、私は快く引き受けました。
ここから、東北ライブハウス大作戦が始まりました。
SPCチーム、東北ライブハウス大作戦、全国の皆さんの支援により、ライブハウスが完成。ライブハウスの店名はKOさんにお願いし、KLUB COUNTER ACTION MIYAKO を名乗らせて頂くことになりました。
そして2012年8月。13日にはBRAHMAN、14日にはLAUGHIN'NOSE、ニューロティカでのプレオープンと着々と進み、遂に19日、KEN BANDでグランドオープンを迎えることが出来ました。

KLUB COUNTER ACTION MIYAKOは今年で3年目を迎えます。オー プンから今まで、沢山のバンドを迎えて、ライブを開催してきました。そして全国各地から、沢山の人々が観に来てくださっています。まさに西片さんの想いが 実現された、ライブハウスです。震災後の宮古市では考えられないような、沢山の笑顔を見ることが出来、私も日々幸せです。KOさん、西片さん、 yasuo、NBC作戦、東北ライブハウス大作戦。沢山の繋がりに感謝します。
これからもKLUB COUNTER ACTION MIYAKO、東北ライブハウス大作戦を宜しくお願い致します。
次回は大船渡支部長、フリークスの菅野さんに繋ぎます!

繋げ! 東北ライブハウス大作戦☆LIFE Vol.11

2011年3月11日。あの日からわずか3カ月後の6月に産声をあげた「大作戦」。ライブハウスに生きづく人たちの、“真実と志”を伝えるために…。

チェーンコラム11人目 yasuo
(雷矢 Vo. / KLUB COUNTER ACTION宮古 相談役)

PH_RAIYAyasuo
1970年11月29日生 岩手県宮古市出身
三陸鉄道北リアス線・宮古北高校除籍
雷矢 Vo. / KLUB COUNTER ACTION宮古 相談役

 

 

 

 

 

 

 

 

渡辺俊美さんより繋いで頂きました。震災当時、すぐさま心配の電話と宮古の仲間達に物資を送って頂いたのが俊美さんでした。俊美さんの故郷は福島県富岡町です。強固な優しさと強さの人です。

ライブハウス。今から26年前、ライブハウスの無い街から、現宮古支部長・太田昭彦氏(以下オオタキン)と高円寺20000Vの前に着いた。それはそれは、もう興奮と恐怖が入れ混じったギトギト感で昨日の事の様に覚えている。(その初めて行ったライブハウスでオオタキンは誰よりもステージの真ん前で大暴れ、クレイジーの極みだと思った)。

あの忌わしい震災から3ヶ月、震災時より現地入ってくれていたSLANGのKOちゃんが主催した“POWER STOCK in 宮古”。その打ち上げで、スナックのカウンターの隣にいたSPC西片さん(本部長)が突然、「ライブハウスやろう!!」と切り出した。その時点で宮古はオオタキンがやる事になり“東北ライブハウス大作戦”は動き出した。

ただやはりオレはオオタキンの被害金額状況等を聞かされ知っていた為、一度だけオオタキンに聞いたことがあった。「本当に大丈夫?」答えは食い気味に「バカヤロー! やるっつったらオレはやる!」愚問だった。その言葉で全て吹っ飛び、絶対に全身全霊でサポートしようと決めた。

その後は全国や世界の皆さんの多大なる支援のお陰で、宮古・大船渡・石巻にライブハウスが見事に完成し、全国から続々バンドさん達は来てくれ、ライブハウスが無かった街にライブハウスの楽しさを伝え、笑顔で溢れています。

今後の一番の楽しみは、ライブハウスがある街、宮古で育った若者達がどんな活躍をしてくれるのかという事です。チミだよチミ。本当に凄い事だなぁ。感謝。音楽の繋がりとロックンロールを好きでいてくれる人達に大感謝です。(もっと書きてぇけど、短くまとめるの無理、おもっさげねぇ)。

次回は宮古支部長・COUNTER ACTION 宮古代表・怪獣アギボウこと太田昭彦氏の登場です。

繋げ! 東北ライブハウス大作戦☆LIFE Vol.10

2011年3月11日。あの日からわずか3カ月後の6月に産声をあげた「大作戦」。ライブハウスに生きづく人たちの、“真実と志”を伝えるために…。

チェーンコラム10人目渡辺俊美
(TOKYO No.1 SOUL SET/猪苗代湖ズ/THE ZOOT16)

toshimi_A写_大渡辺俊美(わたなべ としみ、1966年12月6日)福島県出身。

1990年、TOKYO No.1 SOUL SETを結成。ギター、ヴォーカル、サウンドプロダクション担当。現在までに8枚のオリジナルアルバムと16枚のシングルを発表。グループと並行 して、THE ZOOT16、渡辺俊美名義での作品も発表。2009年には、山口隆(サンボマスター)、松田晋二(THE BACK HORN)、箭内道彦(風とロック)ら、福島出身のミュージシャンやクリエーターと、猪苗代湖ズを結成。11年3月、福島県復興支援チャリティーソング 『I love you & I need you ふくしま』を発表。

 

 

 

 

 

2011年のあの日から自分の故郷の日常が奪われ、自分も変わった。

悲しみと悔しさで不安の毎日だった。そんな自分を支えてくれたのは息子と嫁と音楽だった。

特に箭内道彦さんが掲げた風とロックの仲間達と一緒に音楽を奏でる事で不安が少しづつ解消され、行動力を取り戻す事が出来た。

そんなある日、西片さんが掲げる

東北ライブハウス大作戦と風とロックが繋がった。男と男が繋がった。嬉しくて直ぐに雷矢のヤスオちゃんに電話した。ヤスオちゃんもその繋がりを望んでいたからだ。宮古、大船渡、石巻…東北ライブハウス大作戦に参加して多くの仲間が増えた。ライブハウスは新しい音楽や話し合える仲間を作り、夢や希望が生まれる。夢と希望は遠い所にあるのではなく、すぐ近くにあるのだ。東北だけではく全国のライブハウス、そして音楽を愛する様々な場所にあるのだ。

近いうちに猪苗代湖ズで宮古、大船渡、石巻に行きたいです!
次回は雷矢のヤスオちゃんに繋ぎます。

繋げ! 東北ライブハウス大作戦☆LIFE Vol.9

2011年3月11日。あの日からわずか3カ月後の6月に産声をあげた「大作戦」。ライブハウスに生きづく人たちの、“真実と志”を伝えるために…。

チェーンコラム・9人目 増子直純(怒髪天)

DHT2014main_web怒髪天
1984年、札幌で結成。自らの音楽性をJAPANESE R&E(リズム&演歌)と称し、独自のロックンロール道を確立。1/12(日) 結成30周年の初日となる日本武道館公演<怒髪天結成30周年記念日本武道館公演 “ほんと、どうもね。”>は満員御礼。3/19には武道館公演を収めたLIVE DVD、4/9には、ニューアルバム『男呼盛“紅”』をリリース予定。4/18(金) 京都磔磔より47都道府県を周る<怒髪天47都道府県勝手にお礼参りツアー “いや、なんも、おかえしだって。”>の開催も決定。(地元札幌はフリーライブ!!) 詳細はオフィシャルサイトをチェック。
http://dohatsuten.jp/

 

 

震災直後、もうバンドなんてやってる場合じゃない、これからは東北の為に何かしなければ! と即座に思った。

そう、ロックミュージックに乗せたボケナスのしみったれた心情の吐露なんぞ最早クソの足しにもならん! と。

では、具体的に俺には何ができるのか考えた。 40半ばのやせっぽちのオッサンに何が出来るのか? そうだ、力は無くとも募金はできるじゃないか! ならば、懸命に働いてなるべく沢山の募金をしよう!

で、俺が最も稼げる仕事はなんだ? やはりバンドか! そうか、全国でライブやって、その上がりを募金すれば良いんだ!その使命を胸にライブを再開した。

たとえ音楽は役に立たなくとも、それで稼いだ金は役に立つ! しかし、それは間違いだった…。

震災から約半年後の2011年9月、福島県を6日間巡った「風とロック スーパー野馬追」に参加した。

ここで俺は知った。「音楽で悲しい思い出は消せない。しかし、楽しい思い出を一つ作ることはできる。」音楽は求められていると言う事を…。

そして「東北ライブハウス大作戦」を知った時、心が動いた。なんて純粋で聖なる志を持った活動なんだろうかと。

本来、ロックなんて我儘で勝手で独善的で「自分の為だけに」やるモノのハズだった。

それがどうだ、今、日本のロックバンドどもは「他人の為に」歌い、動いているんだ。

だから俺はこの活動を支持し協力を惜しまない。それはこの日本で同じ時代を生きる者にとって当然の事だと思っているから。

そして、俺は同じ年のこの男の生き様を尊敬してやまない。渡辺俊美と言う、優しく強い人間を。

繋げ! 東北ライブハウス大作戦☆LIFE Vol.8

2011年3月11日。あの日からわずか3カ月後の6月に産声をあげた「大作戦」。ライブハウスに生きづく人たちの、“真実と志”を伝えるために…。

チェーンコラム・8人目 高橋優

メイン1983年12月26日生まれ。
2010年7月にリリースのシングル「素晴らしき日常」でメジャーデビュー。
2013年11月24日での初の武道館公演は9000人を動員する。
2014年3月12日にシングル「パイオニア/旅人」発売予定。

 

 

 

西片さんにライブハウス大作戦のリストバンドを2012年の末にもらってからずっと着けている。
箭内さんに誘ってもらって福島での風とロックのイベントに出させてもらった。

キッカケをもらってから動くことが多かった気がする。有難いことだけど、なんだか悔しい。ここにコメントを寄せている人や大作戦に携わる人の背中を見てたらそう思う。

自分の意思で決め、自分の足で動き、手で掴み、見る…字にすると当たり前過ぎることだ。その当たり前が出来なくて悩んだり立ち止まることがどれだけあっただろう。

傍目からどう見えるか何て言われるかより、まず自分の意志を行動に移している。この大作戦をやってる人たちを僕はそういう風に見ている。そして心から尊敬している。

「作戦」とは戦う際の計画。
一体何との戦いか。音楽それ自体は戦いなんかじゃ決してないのに。もしかしたら、「行動する」という当たり前のことが出来なくて悩んだり立ち止まろうとする自分との戦いなのかもしれない。その戦いに打ち勝って出来上がったライブハウスなのかもしれない。
ならば自分も負けていられない。自分に、負けていられない。2014年3月末、ようやく行ける。楽しみだ。
一緒に唄いたい。そこに来てくれた全ての「意志」と。大声を張り上げて唄いたい。
自分の意志で。

次は怒髪天、増子直純さん。

繋げ! 東北ライブハウス大作戦☆LIFE Vol.7

2011年3月11日。あの日からわずか3カ月後の6月に産声をあげた「大作戦」。ライブハウスに生きづく人たちの、“真実と志”を伝えるために…。

チェーンコラム7人目 平井理央

平井理央平井理央
1982年生まれ。慶應義塾大学法学部卒業後、2005年にフジテレビ入社。2年目から「すぽると!」のキャスターを務め、主にスポーツ報道に携わる。オリンピックなど国際大会の現地中継でも活躍。結婚を機に、2012年9月末でフジテレビを退社し、現在フリー。

 

初めまして、風とロックLIVE福島CARAVAN日本の公式MC平井理央です。10ヶ月の旅、沖縄から北海道まで、全会場に参加しました。各地で感じた人の温かさ、そして逞しさと笑い合える尊さ。遠いところに住んでいても、出身地が違っても、私たちに出来ることは、きっともっとある、と力をもらえた経験になりました。
旅のFINALが猪苗代で行われた芋煮会だったのですが、その翌日、猪苗代湖畔で開催された東北ライブハウス大作戦with LIVE福島で、なんと西片さんとステージでデュエットさせていただきました。私、歌は下手です。それなのに何故歌うことになったのかというと、芋煮会の夜、TOSHI-LOWさんから「おい、平井、明日歌えよ」と言われ…もとい、言っていただき、「西片さんとデュエットならやります」と苦し紛れに言ってみたところTOSHI-LOWさんが話をつけてくれちゃう…もとい、つけてくださることになり、私も腹をくくったのです。(西片さん、巻き込んでしまいごめんなさい!)しかもRONZIさんKOHKIさんが特訓してくださるという、信じられない事態に。もう、申し訳なさすぎて、泣きそうでした。
そして迎えた当日。嫌がる西片さんを引っ張って、いざステージへ。「愛が生まれた日」の替え歌で「東北ライブハウス大作戦・野外音楽堂が生まれた日」を歌わせていただきました。聴いてしまったお客様、ギターを弾いてくださったKOHKIさん、西片さん、本当すみません&ありがとうございました…。自分のこと以外は、快晴の空の下での自然エネルギーを使用した野外フェス、最高でした。その場の空気の全てが柔らかくて、毎日こんな場があったら幸せだな、とワクワクしました。野外音楽堂が本格的に始動する日を楽しみにしております。
チェーンコラム、続いては、風とロック一座の「永遠の弟」高橋優さんにバトンを繋ぎたいと思います。優さん、30歳はどうですか? コラム、よろしくお願いします!!

繋げ! 東北ライブハウス大作戦☆LIFE Vol.6

2011年3月11日。あの日からわずか3カ月後の6月に産声をあげた「大作戦」。ライブハウスに生きづく人たちの、“真実と志”を伝えるために…。

チェーンコラム・6人目 風とロック / 猪苗代湖ズ 箭内道彦

風とロック
猪苗代湖ズ
箭内道彦

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「東北ライブハウス大作戦のCM作ってよ、タダで。」
TOSHI-LOWがそう言った。
「いいよ。」
カメラと三脚を担いで僕は、まだ開業前の大船渡、宮古、石巻に向かった。
 
 
 

 

  

 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
岩手と宮城の沿岸部にある、3つのライブハウスが繋いだたくさんのこと。
西片本部長と僕は、次を福島へと話した。
「福島には野外音楽堂を。自然エネルギーで。」本部長があの目で言った。

2013年9月23日。福島県猪苗代町での「風とロック芋煮会」翌日、
猪苗代の天神浜で「東北ライブハウス大作戦 with LIVE福島 野外音楽堂建設予定地」が開かれた。
青空、光る湖、沈む夕日、素敵な仲間達。
美しく、あたたかな一日。
 
“君と僕の違うところを尊敬し合いたい
僕と君の同じところを大切にしていたい”
 
2012年12月から2013年9月まで、「Two Shot」という歌とともに全国を旅した「風とロック LIVE福島 CARAVAN日本」の全収益も、このプロジェクトに寄付される。
 
写真は、9月23日の天神浜。「東北ライブハウス大作戦 with LIVE福島 野外音楽堂が生まれた日」(「愛が生まれた日」のメロディで)をデュエットする本部長と平井理央さん(←次回のコラム執筆者)。ギターはBRAHMAN KOHKI。
 
 
 
この一日を収録した「月刊 風とロック 新春お年玉号」
新年元旦から配布中。(撮影:石井麻木さん)

H1_3天神浜の景色

繋げ! 東北ライブハウス大作戦☆LIFE Vol.5

2011年3月11日。あの日からわずか3カ月後の6月に産声をあげた「大作戦」。ライブハウスに生きづく人たちの、“真実と志”を伝えるために…。

「東北ライブハウス大作戦チェーンコラム・5人目」TOSHI-LOW(BRAHMAN)

東北ライブハウス大作戦アコースティックツアー 2013 細美武士 / TOSHI-LOW 編

2013/11/20-11/23(詳しくはコチラ http://togetter.com/li/595557 )写真協力:石井麻木

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津波にのまれた45号線沿いの街々を細美武士と廻った4日間は俺が歌を歌い続けていく人生のイママデとコレカラの重要で大切な日々になるだろう TOSHI-LOW(BRAHMAN)
次は金髪クソ野郎 箭内道彦

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