音楽メディア・フリーマガジン

ジムに行くの巻

前回にも書きましたが、震災から半年。これが「もう」なのか「まだ」なのかは人それぞれの感覚でしょうが、僕の感覚は「もう」半年だが「まだ」事態の改善は進んでいないといった感想。そんな状況下でも東北や北関東の沿岸部では徐々に被災された方々の日々の営みを伝えるニュースが増えてきて、それを見るたびに感情が揺さぶられる。心が暖かくなったり、震撼したり、呆然としたり、ね。きっとこの感情の機微はもうしばらく続くことでしょう。

半年を迎えたその日、その時間、僕は部屋の片付けをする手を休めて改めてこの半年のことを考えてみた。つくづく思うことは、人間なんてちっぽけだなあ、ということ。巨大な自然災害の前にはこれまで培ったノウハウなんて吹っ飛ぶんだな。これまで前例が無い、想定外、なんて言葉を震災直後によく聞いたけれど、人知なんてちっぽけなんだから想定外なんて当たり前。そしてちっぽけだからきっと今後も同じようなことを繰り返す。多くの知識人や技術者が必死になって考えて行動して、でもこれなんだ。いや、もちろんだから諦めろということじゃなくて、今まで想定しなかったことまで想定しなきゃダメなんだろうよ、といいたいわけだけども。今回起こった様々な事例の中には想定外とは到底言えない、単なる手抜き、というものも多いよね。そこはみんな忘れずキッチリと総括しないとね。ちっぽけな人間の中でズルして騙してのうのうと過ごすやつもいる。まあそんな人はちっぽけを通り越して「チンケ」なやつなんだけどね。
老いも若きも、男も女も、様々な職業の人たちみんなちっぽけなんだなあ。もちろん僕もちっぽけな人間です。でもさ、そんなちっぽけな人間同士が寄り集まって生きてきたし、これからも生きていくんだからね、様々な意見はあるだろうけどせめて最低限の相手を尊重する気遣いを持ちたいものだなあ、と思ったりもしています。原発事故に由来する放射性物質の問題でそれを痛感する。原発を残すも無くすも様々な意見があって喧々諤々の議論が起こって全く構わないと思うんだけど、それぞれの意見の中にはあまりに被災者である福島の人々に対して失礼な言動が混じっていて辟易することが多いね。個人的にはもはや原発の無い生活の模索を今後していくべきだとは思うんだけど(その前に除染作業だが)、同じ意見の人の中にもあまりに強行で承服できない言動をしている人が見受けられてがっかりしたり怒りを覚えたりするね。言動で聞く耳が持てなくなったりして。そんな人はきっと、言ってることが正しくても人間的にはダメな人なんでしょう。稚拙な表現しか思い浮かばないのでしょう。もう被災した人たちの姿が思い浮かばなくなっている人なんでしょう。でも同じちっぽけな人間同士なんだもの、目くじら立てずに温かい目で見てあげようっと、とか考えるようにしております。
僕には福島に住む友達がいて、彼や彼女は伝えられない情報や流されてくる真偽不明の情報に不安になりながら日々現地で生活をしております。最も大きな不安はもちろん放射性物質のこと。よくネット上で「逃げろ」、という意見を見たりしますが、長い間住みなれた一軒家、仕事も現地、そんな生活環境を続けてきた彼らに対し、逃げることに越したことは無い、とは思いますがそれを僕は強行に勧めることは出来ない。離れることができる人は離れたほうがいい、小さい子供のいる家庭は避難も考慮にいれて、ということが精一杯だった。友達なら強硬に言ってあげろよ! という意見もわかるのですが、それが言える人は自分の生活が自由度の高い環境にある人でしょう。もしくは被災地からずっと離れた場所に住んでいる人か。終の棲家、という感覚がわからない人にはなかなかこのジレンマはわからないかもしれない。こんな時にも僕は自分がちっぽけだな、と思ったりするのです。今はただただ早急に除染作業をお願いしたい。政争でグダグダしている場合では全く無いのだが。
さて、ここで話はガラリと変わります。突然ですがこの夏から僕はスポーツジムっつーところに通っておりまして。いや、本当にガラっと変わったな…、まあいいや、とにかくスポーツジムですよ。僕を知る人皆から、「絶対続かない」「無理ですって!」「やめとけ」とか言われたんですけどね、でも1ヶ月経った今も行ってます、スポーツジム。
自分で言うのも何なんですけど、僕ね、「運動が大嫌い!」なのです。特に走るのは大嫌い! だから自分でもスポーツジムなんてよく行くよ、と思っていたりして(笑)。数年前までなら「スポーツジムなんて敵だ!」とすら思っていましたからねえ。想像すらしてなかったなあ。でもねえ、今年自分に関わる様々なことが起こったわけですよ。初夏に初めて入院したりとか。入院は歯茎にまつわることだったんですけどね。初入院が歯茎の膿を除去する手術とは想像だにしなかった。口腔外科っていうところにも初めて行ったし。前歯の歯茎に左右膿溜が2つ同時に出来て、それを一度にとってしまおうという手術でした。入院2日。とか書くと、たいしたことねえじゃん! と言われそうだけどねえ。初めてなので不安なんですよね、やっぱり。「手術は1時間くらいで終わります」、とか先生に言われていたんだけど、実際は丸2時間かかったのであります。それだけ実際は梃子摺る手術だったんだなあ。切って削ってハンマーで叩いて、とまあ今思い出してもあれは一体なんだったのか!? と思う2時間だったなあ。しかもこれが痛い!! 途中で麻酔が切れて痛いのなんの! 自分がこれまで体験した痛みの確実にベスト3にランクインする痛さ。泣いたもんな、痛みで。どうでもいい話ですが、手術前に先生から「何かBGMでもかけましょうか?」と言われ、手術室では山下達郎のクリスマスイブのインスト・カヴァーがかかっていたので、このままでいいです、と言って手術が始まったんだけど、そのBGMが途中でCDエラーかなんかで飛びやがるの! 丁度痛みの絶頂あたりでチチッとか言いながら音楽が飛ぶので痛いやら音楽気になるやらで頭の中はグチャグチャでしたわ(笑)。術後も顔が下半分パンパンに腫れ上がって。この腫れと感染症が心配なので入院、だったわけでございますが、あの顔を見たらさもありなんという感じ。
まあそんな手術があったり、あとね、走ったら完全に息が上がってしまって動けなくなったり、献血したらある数値が完全にデブのそれだったり(笑)。そんな様々なことが一度にあって、これはダメだ! と。痩せたい! 健康になりたい! なんて思いまして。でもさっきも言ったとおり運動嫌いじゃないですか。普通に走るとかなら絶対続かないことは自分が一番わかってる! ならば何をしようか? と考えてまずはプールで水中歩行をしようかなあ、と考えたわけです。最初から飛ばしたらアカン、と皆から言われたんでね。いきなり走ったり筋トレとかしたら足と腰によくないよ! とも言われたので、負担をかけないプール歩行でのんびり。プールのある場所をいろいろ調べて意外とお安い場所を発見したので、思った時が行き時じゃ! とばかりにエイヤっと入会。以後現在に至る。
自分には全く縁がなかった場所なので、一体どんな人が来てるんだろうか、と思って恐る恐る行き出したけど、いろんな人が来てるんですなあ。人種も年齢も体格も様々。自分より太っている人も多くて安心した(笑)。心配してたプロテイン飲んで筋肉自慢しているような筋肉プロっぽい人も、いないわけじゃないけどそんなに目立たない。行ってるところが大きい街の気軽な感じの場所っていうのもよかったかも。週に数回行って、25メートルプールを40往復、計毎回2キロ延々プールを歩くんだけど、プール歩行の経験者ほとんどから「飽きるよ」と脅されてましたが、これが意外と楽しい。自分には合うのかもしれないね。まあただ歩くだけとはいうものの、歩き方がちゃんとあって、太ももを上げて大またで手を振ってっていうものなんだけど、これがコツをつかむまで難しくて。最初はあっちへ行ったりこっちへ行ったり本当にヘロヘロしておりました。水中なので判りづらいけれどかなり汗もかく。プールから上がると足が重い。数回行ったらようやく馴れてきてスイスイ歩けるようになったんだけど、そうすると心を無にできるのね。一人でナンも考えないでぼんやり歩くのって楽しい。汗をかいたらそのまま水に沈んだらいいし。で、運動が終わったらジャグジーですよ。さらに風呂。サウナとか入って身体を洗って終了。ああなんというセレブな(笑)。
なんか最近では当初の目的だった「痩せる」「健康」とかよりむしろストレス発散の機会になっております。いいもんです、スポーツジム(笑)。月6000円惜しくねえや! そのうちに機械を使ったジムでの運動とかもやってみたいとは思っているんだけど、まだしばらくはプールでいいや、という気分。4キロ痩せたしさ。まあ、そのうちピタっと止まるみたいだけど、そしたら考えよう。
まあそんなに大それたことではありませんが、歳をとってきて「生きる」ということをちょっぴり以前より考えるようになったかなあ、とも思う。最初に書いたことだけど、人間はちっぽけだけどね、ちっぽけな中でじたばたもしたいのですよ、やっぱり。

変わっていくということの巻

震災から4ヶ月が過ぎ、半年がもうすぐ。日本の偉い人って実はたいしたこと無い人でいっぱいなんだなあ、とつくづく思わせてくれる数ヶ月。エエ加減腹立つのも度々過ぎて呆れかえるよなあ。それが作戦なのかもしれないね。ようやく復興への足がかり、みたいなものが見え始めております。明らかに遅い、かつ中途半端なもの、承服できないものも多いけど。いつまでも震災をひきずっているわけにもいかない。新しい何かを始めなくてはいけない。でもけして震災を忘れてはいけない、そんな気持ちの昨今でございます。半年の日、9/11には皆さん、被災地で亡くなった方々や無くなった建物のことを考えてほしいな。僕ももちろん考えるので。

さて。昨今の政治家や財界やその他様々なものの言説や意見、ニュースに接していて思うことは、いよいよこれまでの価値観で物事を続けていこうとすることが限界なんだろうなあ、と。何とか己を守ろうと必死な御仁はこれまでのように様々な方法で承服させようと躍起になっているものの、なんだか上手くいってない。嘘やごまかしはボロボロとバレてる。どうもこの震災以降特に顕著ですよねえ。それでもまだまだ足掻くみたい。ポンコツ。滑稽ですなあ。
別に滑稽では無いニュースでいえば、39年続いた情報誌「ぴあ」の休刊。なんだか寂しくも紙という媒体ではもはや限界で仕方ないのかな、とも思った。雑誌は休刊が増え、新聞も発行部数が減り、TVはこれまでのゴールデンタイムの概念が崩れつつあり、ラジオは地方局の自社制作番組が減り、とこれまであったメディアには次々と逆風が襲い掛かっている。そして僕の仕事である音楽というものもそういったものと同様、CDという既存のものがどんどん売れなくなっている。音楽配信へ徐々に移行しつつあるとはいえ、売れなくなってきた理由は他にもあるだろう。よく言われている「不法ダウンロード」問題もそりゃ確実にあるだろうけど、それのみを理由にするのはどうかと思う。仮に不法ダウンロードが全て撤廃されたとして(無理だけど)、じゃあその損益が全てまた音楽に戻ってくるのか? といえば、僕がそうは思わない。単に手に入れないだけではないのかな。タダだから入手するけど、お金がかかるなら要らないよ。悲しい話だけどそんなことになるような気がする。
ただ、今の音楽がつまらないからみんな買わないんだ、というネット上で見かける言説には真っ向反論する。今リリースされている音楽にも素晴らしいものはたくさんあるんだよね。配信にしろCDにしろインディにしろメジャーにしろ、世界中のあちこちから今も音楽は発売、もしくは配布され、溢れている。僕だけがそう思っているわけではなく、きっと皆さんも聴いたら「いい!」と思うものがあると思うんだな。ただそこに出会えていない、たどり着くことができていないんじゃないか、と思う。そしてきっとそんな自分好みの音楽があったのならお金を払うことはいとわないだろうと僕は信じている。
先日僕より年上の方(50代あたまくらいの方です)と音楽談義をしていた中で、「この音源は配信のみです、といわれたらもうそこで『じゃあ無理』と思ってしまう」的な発言をされていた。やってみたらこんなに呆気なくできるもんなの?と思えるくらいに簡単な配信も、年配の方にとって大きなハードルとなっているようで。それはかつてCD時代到来からかなり過ぎた90年代初頭、滋賀のレコード店で僕が働いていた時に妙齢のお客さんから「CDはボタンがいろいろあってよくわからん。これはカセットないの?」と言われていたことを思い出すような話。そういえばLD(レーザーディスク)をレコード盤と間違って買って行き、レコードプレーヤーに乗せたけど音が出なかった、というクレームを受けたこともあったなあ。もはやLDというメディアも若い人には通じなくなってしまったけど。
話が横道にそれました。レコード会社は「これからは配信ですよ!」とよくいうけど、配信音源のダウンロード方法であるとか、配信の利点といった基本事項についてもっと壮年層以上にアプローチしていく必要があるんじゃないのかな、と思う。じゃないと時間は相当かかるよ。なんとなく配信だから、と諦めて出会いが減るのはなんとももったいない。同時にこれだけ既存のメディアの影響力が減っている中で、新しい出会いが生まれるような施策をもっともっとお金をかけてやるべきか、と。前から何度も書いていることだけど、ネット試聴の充実もひとつ。旧譜のアーカイヴページの充実もひとつ。ネット上の映像サイトへ不法にアップロードされた音源が試聴用として多くの人に機能している事実があるというのはちょっとどうなのかなあ、と。
新しい出会いといえば、メジャーももちろんだけど、インディのレーベルの人ももっと考えていくべき。Amazonのページを見てもバンドのインフォは2行ほどしか載っていない。で、バンドのホームページを見てもメンバー名しかプロフィールに掲載されていない。検索してもバンド自体の詳細が掲載されているページがほぼない、そんなことなんてざら。僕らは音で勝負するからいいんです! なんてかっこいいことを思って敢えて明らかにしてないの? そういうバンドもいるかもしれないけど、ほとんどは単純にスルーしてるだけでしょ? 知ってる人はもう知ってるから、っていう理由で。それじゃあせっかく作って売ってるCDも全国展開では売れにくいんだよね。もったいないなあ、と思う。
既存メディアの話をもうひとつ。この文章を打ち込んでいるのが、実は7/22。つまり明日、24日でTVのアナログ放送が終了するのです。この文章が皆さんに読まれる頃にはすっかり地上デジタル放送1本になっていると思います。皆さんのご自宅のTVはもう地上デジタル対応、ですよね? 実は現時点、僕の家にあるTVはアナログのみ。国が発表した話によるともはや1%以下らしいですよ、アナログ放送のみの家庭っていうのは。いや、買い換えようと思って何度も電気店やネットでTVのあれこれをチェックしたんですよ。買う直前まで行ってたこともあった。でもねえ、なんか毎回「ま、今度でいいかあ」だった。そしてこれだけ24日が迫ると今度は「アナログ終了の瞬間を見させていただこうかな」なんていう考えに変わったのでございます。さようなら、ありがとうアナログ放送という気分で。じゃあアナログ放送が終わったら即新しい地デジ対応TV買うのか、といえばこれがどうもテンションあがっていない。いや、TVを全く見ないってこともないんですよ。いくつかの番組は毎週楽しみにして見ています。映画のDVDとかも見ますしね、新しいTVに買い換えたらきっと今よりも大きな画面できれいな映像で楽しめるわけで。でもなんか引っ掛かりがあるのも事実。なんだろう、この気持ちは。
子供の頃の自分は本当にTVっ子で、一日中TVをつけっぱなしにしてチャンネルを変えて様々な番組を見て。そんな頃が嘘のようにもうTVは決められた番組の時間につけるだけ、ということになってしまった。夜、家に帰ってもTVはつけない。震災直後の数日はさすがにTVをつけていたけど、数日後には自然にネットとラジオを聴く生活へと変化し、4ヶ月以上経った今も極力無駄にTVをつけない生活が続いている。だからこそ、買い替えがなんかもったいない気分になっているのかもしれない。ちなみに節電にも役立つらしいね。なんたって冷房よりTVのほうが節電になるらしいので(これ、TVでは絶対やらない、できないネタですね)。もうTVも「ながら視聴」するメディアではなくなった、ということでしょう。細やかな情報やスピード感はネットのほうが数段上なわけだし。なくなったらなくなったで全然生きていけるという気がします。震災後の総括も未だ出来ていない、なんならそのままスルーしそうな状況にも正直不信感を持ってるしね。TVは素晴らしい、TVは必要、なんてたまにTVの情報番組で言ってるけど、原発の爆発映像をリアルタイムで報道しなかった、できなかった段階でもう報道として成り立っていってない気がしますねえ。いくらネットはデマが多いとか言われてもねえ。
今回はメディアのお話をしてきましたが、既存も新しいものも含めメディアではけして味わえないものも世の中にはいっぱいありますよね。前回も岩手盛岡と青森弘前の桜を見に行った話を書きましたが、この2ヶ月間で今度は群馬、そして仙台と秋田に行ってまいりました。群馬県は震災とはあまり関係ないようなイメージで捉えられているけれど、放射性物質の溜まるホットスポットや野菜への風評被害などの問題でやっぱり不安を抱えていることが行ってみてあらためて感じられた。仙台は仕事で日帰り出張したのですが、そこに住む人たちの「それでもここにいる」という想いがお話の中で強く伝わった。秋田は日本海側で停電以外ほとんど震災の影響を受けていない土地ではあるけれど、やはり風評被害はあるそうで、観光客も例年より減ってしまったそう。そんな現地でお知り合いになった方々を訪ねて実際会い、土地の物を食べたりお酒を飲んだりしながら飛び出す話を聞いていると、これはやっぱりメディアでは味わえないものだなあ、と思う。秋田の帰りに実家のある青森にまた寄ってみたんだけど、移動に普通電車を使ってのんびり秋田の風景を見ていると、こういうものは間違いなく今も未来も関係なく素晴らしいものであるし、残すべきは己の価値観とかじゃなくてこの風景なんだろうなあとしみじみ考えましたね。日本っていい国だなあ、というのはネット上ではなかなか感じられないものではあるけれど、行ってみたら確実に思えるものなのです。大切にしていきたいものです。

フカミマドカ Profile

東京都内在住。音楽にまつわるあれこれでなんとか生きたい音楽自由業。レコード会社で働きながらラジオでパーソナリティや選曲をしてみたり、Ustreamに出てみたり、いろいろ。毎週日曜22時から仙台のDate FMで「ニポノフォン」、北海道NORTH WAVEで岡村詩野さんと毎週水曜22時から「NISHIAZABU RECORDS STORE」っていう番組やってます。月一回FM大阪の「MIDNIGHT☆JUNGLE」にも出演してます。あと月一回Ustreamで番組やってます。mona records行達也店長、寺岡歩美さんといっしょに「全日本モナレコ連盟」を、ondo records中川さんといっしょに「ondo records放送部」など。いろいろやってるね。twitter ID:madonco 男。一応書いておく(笑)。

東北を旅するの巻

震災からあっというまに2ヶ月が過ぎて。まー、いろんなことがありました。交通機関が凄まじい速さで復旧していったことに驚きましたなあ。わずか1ヶ月半でまさか東北新幹線が全線開通するとは思わなかった。在来線も、高速道路も、港も、飛行場も、完全復旧には遠いけどこんなに早く動き出すとは思わなかったなあ。現場の皆さんの必死な努力に頭が下がりますね。
東北新幹線が開通し、早速盛岡と実家のある青森へ行ってきました。仙台にも6月中に行くつもり。盛岡では仲良くしていただいているラヂオもりおかの吉田さんと杯を傾けましたが、現地ならではの話がいろいろ聞けましたよ。現地、といっても盛岡は大きな被害を受けた沿岸部からかなり離れているため、街はほとんど被害を受けてない。これは東北に縁遠い人にはわからない話。同じ岩手というだけで被害を受けていると思っていらっしゃる方がいっぱいいるそうで、「遠方から電話がかかってきて『大丈夫ですか?』といわれるのも、なんか逆に申し訳ない気になりますよ。」、とおっしゃっていたのはやはりその場でないとわからないことですよ。それは今、日本という国が放射能汚染で全国どこでも被害を受けている、と世界中の国から思われているということに似ていますね。
実際、盛岡に関しては地震の被害より地震によって生まれた風評被害で観光客が圧倒的に減ってしまった、というほうがむしろ痛いとのこと。僕が行った当日も盛岡では桜がきれいに咲いていて、本来それ目当てに観光客が多く訪れるはずなんですが、まばらでしたね、そういう人は。
市街地の普通のお店は平常時より幾分早く店を閉じるため、街は早く暗くなるのだけれど、飲み屋さんとかは明るく営業していて賑わっておりましたよ。皆、仕事が早く終わるので飲みに出ているみたいですね。
次の日からは実家のある青森の津軽地方へ。ゴールデンウィークの津軽、弘前といえば桜祭り。今年の目的の半分以上が実はこれ。僕は家庭環境がちとややこしくて、実家は弘前のほうにあるのですが、僕の生まれも育ちも青森ではないのです。親が家を建て、実家を青森に移したのがここ10年くらい。その前は何年かに一度親に連れられて母方の実家を訪れる、そんな場所なのです。よって桜祭りというのもしっかり体験したことがない。実は数年前に仕事で弘前のライヴハウスMagnetに行ったときに偶然桜祭りの終わりかけに当ってその美しさは体感したんですが(周りのお堀が全部桜の花びらで埋まっているところ、とか)、その時も30分も見てませんから。城公園の中にも入っていなかったし、実際今回が初めてみたいなもんです。
で、前日までの盛岡で観光客が激減という話を聞いていたので心配したんですよね。まあ桜はきれいだろうけど、通常のお祭りの賑わいを期待しちゃいけないのかなあ、とか思ってて。
が、それは杞憂でしたね。僕の行ったその日はどこに行っても人だらけ。実際は今年の桜祭り動員数は平年より60万人少なかったそうですが、それでもトータル200万人超え。青森県の人口より多い人数が集まりました。さすが全国で有数の動員を誇る春のお祭り。
そして始めてゆっくり見る桜は実に素晴らしかったですよ。どこに行っても桜があるんだよね、弘前城公園。そして桜のトンネルといわれる西壕の桜並木のスケールの大きさ、予想以上だったなあ。西日本の人はなかなか難しいだろうけど、東日本の人はぜひ見に行っていただきたいものですな。日本で育って本当に良かったなあ、なんて思えるような場所、お祭りですので。
青森弘前の親戚でも地震の被害を聞いたのですが、「停電とガソリン不足のほうが困った」と皆言ってましたよ。丁度地震の日が寒かったらしく、「電気が使えなかったため、電気でスイッチを入れるガスストーブも使えずに急いで石油ストーブを出してきて暖をとったけど、日が暮れたら真っ暗になったので寝てしもた」、とのこと。地震がこんなに大きい被害だったことを知ったのは電気が復旧した次の日の昼以降で、それまでは「なにがなんだかわからなかった」、といってましたね。
まあそんなのんびりとした話を聞き、桜祭りでかなりの動員を見たので青森は全然大丈夫かな、とか思っていたんですが、帰りの段になって新幹線のチケットが容易く取れ、ここで初めて遠方からの観光客がやはり減っている、ということを実感したのです。通常の年なら電車はどこも満員で、昨年までの八戸からの新幹線チケットも一日中予約完売、でしたから。
とまあこんな感じで同じ東北でも場所によって様々あるんです。もちろん、あのTVや新聞で見るような胸が締め付けられるような被災地の姿もあれば、通常通りの日々の生活をもう営んでいる場所もあります。僕らはその両方の生活を慮る必要がある。被災地に用もないのに行くのはもってのほか、ではるけれど、じゃあ東北全体に行ってはいけないのか?といえば答えはノー。むしろ沿岸部でない観光地には経済を回す意味も含め、行くべきなのです。
とはいえ、行くべきではあるのですが頭を悩ますニュースがありますよね。今回の震災では地震による津波や倒壊での被害に加え、原子力発電所の事故、そしてそこから発する放射能汚染、という頭を悩ますことが起こりました。もはや東京から発信されるニュースでは沿岸部の被災地よりこの原子力発電所の動向がメインになりつつあります。実際は沿岸部の復興なんてまだ始まったばかりで、避難所で生活をされている方は数万人規模でいらっしゃる。それでも原子力発電所の動向が大きく取り上げられるわけは、やはりあまりに情報が錯綜し、隠蔽されていると思われても仕方がないような事柄が国や東京電力によって行われているから、でしょう。多くの人が何が正しいのかわからないまま怒り、悲しみ、呆れかえっていますよね。実際僕も何を信じていいかわからない。これには本当に参った。国は今年中にけりをつける!と断言してますけど、信じられます?僕は無理なんじゃないかなあと思ってますよ。信じてくださいよ、なんて言われてもね、国は事故当初話していた談話と真逆の状況を事が起こってからだいぶ経ってから今になって「実は…」と報告してるし、一番状況が危うかった時期に明らかに東電よりのニュースを垂れ流していた新聞やTVのニュースを今更信じろといわれてもねえ、という気持ち。全てが落ち着いた後に(何年先になるかわかりませんが)あらためて検証されるべきだと思いますが、かなりデタラメをやらかしていた、ということを今のうちメディアは自覚し、素直に謝っておいたほうがいいと思いますがね。
まあそんな既存のメディアや国からの通達が信用できない、と同様、危険を煽るニュースも一体どこまで信用していいやら、という気持ちもあります。もう東北地方はだめだ、九州に逃げろ、海外に逃げろと煽っている人もこれまた全てを信用することができませんよね。いや、逃げることができる人は逃げても全然いいと思います。特に小さいお子さんがいらっしゃる家庭は例え何か起こらなかったとしても、逃げることによってその心配が消えるのであれば、可能なら遠くへ行くのもいい。実際僕の友人でも西へ引越ししていった小さいお子さんを持つお母さんがいらっしゃいます。でもねえ、それは個人個人が決めることであって、誰かが扇動してイイというものではない。「私は逃げる」は扇動ではないけど、「皆逃げろ!」は明らかに扇動、でしょうね。そういう扇動している人の意見も、これまた眉唾ものといいますか、正直胡散臭く感じてしまいます。そういう人は大抵、自分の言ったことに責任を取らない。都合が悪くなったらバックレる。それもまた信用できないでしょう。
「僕も何を信じていいかわからない。」と先ほど書きましたが、唯一信じられるのは毎日報告される放射能濃度、ですかね。例えば http://atmc.jp/ や http://microsievert.net/ といった数値でしょう。これを毎日見て予測するしかない。この号が配布される頃にどうなっているか全くわかりませんが、今日時点(5/23)では、東京で基準をオーバーしてるということはない。こういった発表され続けている数値でしか信用できないわけです。
そして、この全国の放射能濃度一覧の数値を見ると同じ東北でも北のほうの青森や盛岡や秋田、そして山形といった場所は東京よりむしろ濃度が低かったりするということがわかります。そして青森に関して言うなら、逃げろといわれている西日本の多くの都市より放射能濃度が低いということになります。ということはむしろ北東北、青森に行ったほうが安心なのか?ということに。どうですかね。
そういえば青森でTVを見ていたら盛んに「青森へ観光に来てください」というキャンペーンがやってましたが、これを何で青森でやっているのかなあ、と。むしろこれは東京や他に地域でするべきなんじゃないですかね?加えるならば、放射能も東京より西日本より濃度が低かったりする、ということも加えたりなんかしてもらって(笑)。
まあ、この2ヶ月で学んだことは「自分の身は自分で守るしかない」ということなんでしょう。おっと、また今号も音楽について全く書いてませんね。次号では自然と話が音楽に向いていた、というような状況になっていることを望みます。

フカミマドカ

東京都内在住。
音楽にまつわるあれこれでなんとか生きたい音楽自由業。レコード会社で働きながらラジオでパーソナリティや選曲をしてみたり、Ustreamに出てみたり、いろいろ。
毎週日曜22時から仙台のDate FMで「ニポノフォン」、北海道NORTH WAVEで岡村詩野さんと毎週水曜22時から「NISHIAZABU RECORDS STORE」っていう番組やってます。
月一回FM大阪の「MIDNIGHT JUNGLE」にも出演してます。
あと月一回Ustreamで番組やってます。mona records行達也店長、寺岡歩美さんといっしょに「全日本モナレコ連盟」を、ondo records中川さんといっしょに
「ondo records放送部」など。いろいろやってるね。twitter ID:madonco 男。一応書いておく(笑)。

東北地方太平洋沖地震の巻

この原稿を書いているのは3月19日。先週の金曜日、3月11日、想像を絶することが起こった。もちろんあの地震、東北地方太平洋沖地震のことだ(個人的にこの地震は「東北関東太平洋沖地震」と名づけるべきだと思うが)。

本当に多くの方々が亡くなった。そして未だ身元がわかっていない方も大勢いらっしゃる。あの震災から早くも一週間が過ぎたけれど、未だ被災地では十万人規模の被災者の皆さんが避難所で厳しい生活を送っておられ、福島の原発事故は収まっておらず、余震は止まることなく、関東では来週以降も停電が続く。この震災の被害は全くの現在進行形。
ただ、不幸中の幸いとしては幾分先週末よりは各所で平静を取り戻しつつあるのかな。週のあたまには買い占めに遭ってがらんとしていたスーパーに少しづつ品が並ぶようになり、避難所にも物資が届けられつつある、という情報も入ってきた。街は節電で暗いながらも先週に比べ出歩く人も増えてきたように思う。
とはいうもののやはりこの先どうなるのか、このジャングルライフが配布される頃にどのような状況になっているか見当がつかない。阪神淡路大震災(その時僕は京都に住んでいた)の時もそうだったけれど、この1週間はこれまでの、そしてこれからも、人生の中で記憶に残る1週間。この震災がどうだったか、なんてまだ総括できるような状況じゃない。だけど、今はもうこの地震のことしか書くことができない。だから思いつくまま書きますね。東京の話ですので被災地の皆さんの苦痛から比べると全く話にならない内容だとは思うけれど。
あの地震で初めて話に聞く「地震酔い」を体験し、初めて避難場所である公園に移動して余震が収まるのを待った。職場に戻ってTVを見て驚いた。あの津波で水没していく仙台空港の映像が流されていたから。阪神淡路大震災の時、地震の時はさすがに目が覚めたが、あまりたいしたこと無いだろうと高をくくって二度寝し、朝になって当時の上司に電話でたたき起こされ「TVをつけろ!」と言われてTVをつけ、崩落した高速道路の映像を見たときのショック。あれと同じショックがそこにはあった。現実のものとは到底思えない映像。
地震が起こって、こんなに首都の交通網や通信網ってもろいものだったのか、という意見をきっと東京近郊に住む人たちは持ったことだろう。帰宅することになり、僕は幸せなことに会社から徒歩1時間半くらいで自宅にたどり着く距離に住んでいたので難を逃れたが、多くの人は苦労をなさったことだろう。しかも全く携帯もメールも不通。連絡の取りようがない。
そんな中で多くの人が挙げていらっしゃったとおり、t w it t e r やFacebookは難なくつながった。何度かエラーは出たものの、ほぼ平時と同じ状態。僕もtwitterで各地各所の情報を見つつ帰った。エジプトやリビアの革命でtwitterが、というニュースが伝わった時になるほどとは思ったけれどリアリティがあったかといえば正直海の向こうの出来事だからウソになる。ただ、今回は確実にインフラとして一番役に立ったのは間違いなくtwitterだった。これは否定ができない事実。その力はさらに翌日以降もどんどん大きくなっていった。もちろんtwitterの全てを手放しで信用できるもの、とは言わない。今回もどさくさにまぎれてデマが乱れ飛び、僕も危うく騙されてしまうところだった。千葉のコンビナート火事で有害物質が、というデマが拡散されたことはニュースにもなったのでご存知の方も多いだろう。こういうものが拡散しやすいものであることも書いておかなくてはいけない。こういう非常時だからこそ、拡散する場合は元の発言を公式リツイートするべきだし、それ以前に発言元の確認をするべき。
使い方を間違えない、使う人が注意深くなればtwitterはとても威力を発揮するツール。威力が発揮されすぎて原子力発電所の事故に関してはクラクラするほどの情報が飛び交っていますが(今でも)。
震災後の初めての週末はどこにも行く気にはならず、近所のスーパーで買い物をしてあとはほとんど家で過ごした。一日中ニュースとtwitterで動向を見守りながら過ごした気がする。次第と明らかになって大きくなっていく被害状況と行方不明者。僕も東北には多くの知人友人がいるのでつながらない電話やメールにいらいらしながら安否確認をすることにも時間を費やした。ほとんどの知人友人とは連絡がとれたが、2名だけ一切連絡がつかない。現在はその2名とも連絡が取れたので一安心したが、彼らの知人でなくなった方がいらっしゃるそうなので喜んでもいられない。
そんな状況下で、自分が関わる音楽というものの非力さにちょっと考えさせられることもあった。こんな状況で人は音楽なんていらないんじゃないか?そしてそれはずっと続くのではないか?という漠然とした不安。でも不安を抱えながら過ごした時間の中でTBSラジオがオンエアした「ウィークエンド・シャッフル」には元気付けられたな。「人間なめんな」というメッセージはシンプルだが心に強く残ったよ。
時間が経つにつれ、映像素材がなくなったのだろうか繰り返し繰り返し流される津波の映像や被災地の状況映像をTVで見ていたら段々気分が滅入ってきて、Radikoでラジオを聴いていたら随分落ち着いた気がする。この連載でラジオについて以前触れたけれど、ラジオにはまだまだ存在価値があるということが今回とてもよくわかった。停電の中、電池で動くラジオの音声はきっと被災地にも届けられただろう。下手な繰り返し映像が無い分細やかな言葉の表現や情報に頭が下がる。Twitterでも今回のTV報道についてたくさんの疑問が提言されていたけど、行くところが偏っている(TVネットのない茨城や原発のある福島の情報がほとんどない)というのは僕もどうかと思う。かつての阪神淡路大震災時と同様、結局東京の事情なのだろう。週の後半がほとんど原発のニュースで費やされたことでもわかる。要は東京が危険だから、でしょ?情報ツールとしてTV(民放)は役立たない。
この一週間、様々な情報と意見をたくさん見聞きしたことによって考えさせられたり勉強になったりしたけれど、そのたくさんの意見によって僕は救われた気がする。一部のデマを流す元のヤツ以外の情報はいいものであれ、悪いものであれ、良かれと思って流している。この「良かれ」という根の部分を日が経つにつれて感じることができるようになり、それによって随分楽になった。
音楽が必要とされないんじゃないかという疑問も全く杞憂に終わった。多くのミュージシャンやリスナーが様々なスタンスの違いはあれ、全て「良かれ」の元に行動している。ある人はライヴイベントを決行することによって、逆に中止することによって被災者に気持ちを伝えようとする。見に行く人も家にいる人もそれぞれの意見があって。それがとても健康的な気がした。こういう人たちがたくさんいるならきっと音楽は大丈夫。自分がやっている仙台のラジオ番組のリスナーから「ぜひ早く復活してください」というメッセージをもらったことも嬉しかったな。
この良かれ、のバランスが崩れたらきっともっとギスギスした救いの無い状況になるのだろう。でも現在時点はそうはなっていない。そしてこの絶妙なバランスを保ち続けていけたらきっと時間はかかるけど皆暮らしていけるんじゃないかな、なんて思えてきた。とはいえ初段で書いた通りまだ全然この地震に伴う状況は収まっていない。行方不明のままの人もまだ多数。復興はまだ先の話。傷ついた被災者の皆さんのケアもこれから。これはもう膨大な時間と技術とお金が必要となるだろう。とても難しい問題が山積みだ。
ただ震災後の日本を早く元通りに、という気持ちは重要だが元通りにする必要はない、とも思う。より良くする必要があるのだ。そのより良くするため個々が自分でできる「良かれ」なことをする必要がある。特に今後西日本の皆さんには経済を循環させていただく必要がある。これはもうスタートしてもいいこと。することは簡単。買い物をして、食事を外でして、いろんなものを見に行ってお金をどんどん使ったらいい、それで経済はよくなる。溜め込むことが最もよくないこと。
そして東北が復興しようとする時に東北へ旅行をしよう。そこでお金を使おう。ここ数年僕は仕事で東北へよく行って本当に思ったこと。それは東北にはおいしい食べ物があって、とても素敵な場所がいっぱいあって、いい温泉もいっぱいあって、独特の風土と素晴らしい人たちがそこに在るということ。ライヴを見に行くツアーもいいだろう。自分の全然知らない場所で見るライヴは新鮮で面白い、それを主目的にするのも全然いいだろう。一刻も早く被災者の皆さんの心が癒され、生活が安定していくことを僕は願って止みません。きっとこの苦境にも日本は負けない。負ける気がしない。人間なめんな!と僕は言いたい。

やることいっぱいだなーの巻

皆様、あけましておめでとうございます。なーんて2月に何言ってるんでしょうね。でもこの原稿を打ち込んでいるのがまだ1月中旬だから仕方ない。大声でもう一度言う。「あけましておめでとう」と。

まー、しかし2010年はいろいろあったね。ここ数回いろいろと書いてきたけど、そんなあれこれが一気に起こって、グッチャグチャになったのが2010年という年、だったのであります。もう坂本龍一さんのツアーや宇多田光さんの横浜アリーナライヴなんかですっかりUstreamも一般化。もう読者の皆さんの中でも見た人いっぱいいらっしゃるでしょ?でも去年の今頃は「なに? Ustreamって」ってみんな言ってたもんね。今や日本各所でUstream中継が行われております。個人的には実家のほど近くにある東北新幹線の新青森駅オープンの生中継がぐっときたね。上手くいってなかったけど(笑)。
Twitterもそうだよなあ。まあネガティヴなニュースもあったりしつつ一般化。オバハンでも「なう」を知っている、と。次は映画なんかも公開になったりするのでやっぱアレか、Facebookか。僕、去年の夏にFacebookのページを作ってたりするんですけどね、あれはどうなのかな。自分の身元を明らかにしてページを作るということが日本で根付くのかなあ。現時点もうひとつ盛り上がってはいないけど(映画公開直後ということもあるでしょうが)。でもmixiよりページのカスタムが自由度高いので上手く使いこなしたらオモロそうではあります。期待しつつ。
前回の連載にも書きましたが、北海道のFM north wave毎週水曜日の22時からラジオ番組「nishiazabu records store」ってのをやっているんですけどね、ライターの岡村詩野さんと新譜をオンエアする番組なんですけど、これがとっても勉強になっているんですわ。岡村さんが持ってくるいわゆるロックの新譜、けして一般的なヒットものではなく、ニューカマーだったり海外では話題だけど日本ではまだまだ無名だったり、最先端のものを聴くのが楽しいんですよ。そしてそんなあれこれを聴きながら、すっかり自分がロックから遠くなっちゃってるなー、知らないなー、よくないなーなんてことを実感するのであります。
日本のバンドやミュージシャンに会う自分の普段の仕事にも役立つなあ。それはきっとこういった海外の最先端のものが後々日本で根付き、一般化する場合が多いからなのでございますね。例えばBest CoastやWavvesのわかりやすさはきっと近々日本のバンドにも取り入れられたりするだろうなあ、とか、Antony And TheJohnsonsやPerfume Geniusの持つ思想的なものは今後近似性をもったバンドやミュージシャンが日本から出てくるかも、とか。そんなことを考えると今までとは違った視点で物事を追ったりするようになります。
US、UKインディ・ロックを好んで聴く人にとっては前述のバンドや、SufjanStevensやDeerhunterという名前を挙げるとそんなの無名でも最先端でもないじゃん! という返事が返ってきそう。実際輸入盤店では売れているようですからね。でも一般的にはほとんどの人が「?」なのが実情。なぜならこういったバンドやミュージシャンの音と偶然に出会うという可能性が現在の媒体では極めて少ないから。もちろん意識すると即ネットで調べて試聴することも可能だし、情報もいっぱい入手できますが、それは何かしらのきっかけが必要なんですよね。そのきっかけがあまりに少ない。LADY GAGAのような否が応でも耳に入ってくる、画像や映像が目に留まる、というような状況は皆無ですから(まあそりゃLADY GAGAと比べるのも酷ですけどね)、おのずと海外ではメジャーな存在でも国内ではドマイナーということになってしまいます。
まあそのきっかけ作りをnishiazabu records storeでやってたりするんですけど、探れば探るほど現在の洋楽は芳醇なのに取り巻く状況は厳しいなあ、とか思う。そして世の中こんなに進んでいるのでこうしたらもっとよいんじゃないかなあ、なんていうアイディアも生まれます。例えば訳詞。手軽に配信でも輸入盤でもこういった作品を入手可能にはなっているんだけど、訳詞は国内盤を買うしか入手する方法がないというのはいかがなのか。訳詞を配信でネット販売するのは不可能なのか? とかね。それを売ったらますます国内盤が売れなくなるじゃん! なんて声もレコード会社の洋楽部から出てきそうですけど、じゃあせめて国内盤が未発売のものは著作権をクリアする形で原詞と訳詞をネットでダウンロードできるような販売の仕組みを作るというのはどうでしょう。でもねえ、国内盤が出ているものもCDレンタルは一定期間過ぎたらオープンになっているんだったら訳詞も一定期間過ぎたらダウンロード可能にしてもいいと思うんですけどねえ。
実際音自体はシンプルであっても詞の深みで売れてるシンガーソングライターものが海外では少なくない。国内盤は音が地味、ということで発売見送りされたりね。でも現状だとその素晴らしい詞の内容に言及しようがないですもん。ネットで調べて翻訳ソフトかましてもダブルミーニングや裏の意味といった深い部分はやはり知識のある人も訳詞じゃないとわからないものです(まあたまに酷い訳詞もあるけどね)。発売の権利を持つレコード会社が見送った盤、ということならこれは出版社がやるべきことなんですかね。まあ諸所の事情もありそうですが、これはね、どこかのレーベルでやったらばっと広がりそうではありますが。どかんと大きな売り上げが見込める、とは思えませんが、例えばAmazonのmp3や輸入盤のページにリンク貼って置くとかすることである程度の売り上げが見込めそうではあります。配信も、新譜はi-tunesのニューリリースで紹介されますが、旧譜に関してはあまり大きく取り上げられない。これは洋楽も邦楽もそうですけどね。それこそThe Beatlesレベルにならないと話題には一切なりません。なんならいつのまにか配信になってました、みたいな告知なしでの配信もあったり。でもねえ、この機会に各社再発の専門ページの拡大とかしてみたらいいのに、と思うなあ。日本コロムビアさんとかは100周年事業で特設ページを作っていらっしゃいますが、他は再発のページを作っているところは少ないですよね。でもアーカイヴ事業が配信への転換などで今後重要になっていくのであれば、今のうちに作っておくべきじゃないかなあ、なんて思いますよ。
海外のACE RECORDS( http://www.acerecords.co.uk/ )やRHINO( http://www.rhino.com/ )ほどのものはなかなか難しいとは思いますが、一度ページを作ったらフォーマットに基本はめ込むだけなので簡単とは思うんですけどね。
まあラジオをやりながらそんな種を思いついたりしてる毎日なんですけど、実際はほとんど芽が出ないまま放置、ということになっております。なんとかねえ、これをお金にする方法を考えないといけないなあ。それが2011年の野望でもあるんですけどね。でもこういうシブい作業をやってる場合じゃない! という意見も今のこのご時世ってヤツでは言われがち。よくニュースとかに音楽業界の不況とかが取り上げられたりしていますが、実際どうなんですかね。実際レコード会社全体では売り上げが落ちていると思います。でもその落ち幅は各社まちまち。5年前に比べ少しの減少で収まっているところもあれば、ドっと落ちている会社もあるでしょうね。
ジャングルライフを読んでいるのは以前も書いたとおりバンドをやっている人が多いようなのでそこに焦点を絞って書きますと、レコード会社の売上不振によってバンドの形でメジャー契約を希望するバンドの皆さんは以前より不利になるでしょう。事務所は複数の人数で演奏するバンドという形態を取っている音楽家よりソロのヴォーカリストやシンガーソングライターのほうがリスク回避できますからそちらを探すようになります。簡単に書くと4人バンドに給料を払うより1人のほうが持ち出しのリスクが少なくて済む、ということ。もちろんゼロになるということはありませんが、以前より契約する枠は狭き門となるでしょう。
もちろん「じゃあインディでやったらいいじゃん!」と考えるバンドもいると思います。それはそうなんですけど、レコード会社の売上不振はイコール作っているCDが売れていないということ。つまりレコード店も売り上げが減っているということなんですよね。仕入れたCDが売れない。売り上げが減ったら当然仕入れのお金も絞らなくてはなりません。そうなると確実に売れる、というものを中心に仕入れなくてはなりません。つまりこれからの新人である人たちにとってはやはり不利。
「じゃあツアーでお客さんに直接売る」という考え方は正しいんですけど、地元でもお客さんが入っていないようなバンドがツアーで全国回ったところでなかなか上手くいかないと思いますよ。お金を持ち出してツアーした結果借金を負って活動がままならなくなった、というバンドもたくさんいます。ネットとかで「ツアーでライヴやって」みたいな書き込みを見るたびに、甘いなあと思いますもん。地方のライヴハウスの通常ブッキングでお客さんが最初からずっとたくさん、という状況があまり無いということは地方で活動している皆さんならおわかりかと。そこに実績の無いバンドが行った所で上手く行くと思います?
まー、文章打ち込んでだんだん暗澹たる気持ちになったりしていますが、もちろん成功しているバンドもいます。でもねえ、そんな成功例のバンドのライヴを見て、どこがどうやって彼らは成功しているのかなんて考えているバンドは実際少ないでしょね。見てないでしょ?ライヴハウスで行われるそういう成功例、もしくはブレイク直前のバンドのライヴ。
とある音楽学校で先生に話を聞いたんですが、生徒にライヴを見に行けといっても見に行くのは大きなホールのライヴだけなんだ、と。そんな生徒さんに限らず皆さんもそうじゃないですかね。でもね、ホールクラスのバンドのライヴを見たところで演奏のテクニックはためになるかもしれませんが、自分のバンドの活動指針にはならないのですよねえ。将来こんな感じになりたい、なんて夢見がちな気分になるくらいで。絶対見るべき! とは言いませんが、見ておいたほうがいいと思いますよ。
基本ミュージシャンは自分はカッコいい、自分たちは素晴らしい音楽をやっているバンドなんだ、と思って活動してますから、自分のバンドのレベルが如何ほどのものなんて考えませんよね、あまり。でもねえ、自分たちでやるということはそこを冷静に判断しないといけないということでもあります。どっちにしろ音楽以外のストレスも増えるということ。本来そういったことはメンバーではなく、事務所の人間やレコード会社の人間が考えることだったんですけど。
と、まあこれはあくまで音楽で生計を立てていきたい、と考えている人に向けて書いたお話で、俺は趣味で楽しんでバンド活動をしている、他の仕事をメインとしていてそれを音楽で崩すつもりはない、という方々に関してはこれに当てはまりません。むしろオノレを貫きたいというのならそっちのほうがいいと思います。いや、むしろそうであるべき。
とまあ最後は暗い話で今回は〆ることになってしまいましたが、音楽業界の不況というのは間接的にバンドにも支障をきたしているというお話でございました。

といったところでそろそろ今回のページはおしまいなんですけど、でもねえ、未来は全く暗いか、といえばそうでもないよ、とも思います。ただ以前より賢く立ち回らないといけない、とは思いますが。そういった話を次号では書こうかなあ、とか。覚えていれば、ですけど(笑)。ではまた次号!

松江でちょっと考えたの巻

読者の皆様にはナンの関係もない話でございますが、前回でジャングルライフの担当みかりんが退社されてしまったのであります。いきなり。びっくりしたなあもう。このグズグズした連載をああだこうだと支えてくれてありがとうね、みかりん。まあみかりんは去ってもまだ連載は続けることができるみたいですけども。

最近、一時期は減っていた出張というものが徐々に又増えてきて、嬉しい限りでございます。出張好きなもんで。いろんな場所に行っていろんな人に会っていろんな食べ物やレコードも買えたりする出張!素晴らしい出張!
もちろん仕事もするけどさ(笑)。

先日は松江というところに行きました。松江市の美術館の庭で行われたコンテストの審査員をして欲しいとのことで。島根県って10年以上前に出雲で仕事をしたことがあるくらいでほとんど何も知らない。だからまあ逆に楽しみではあったんですけどね。
出雲空港から出迎えの人と落ち合い、某レコード会社の女性と3人空港沿いの道を車で移動。そしたら宍道湖が見えてきて。事前に島根のあれこれをネットで調べてはいたものの、初めて見る宍道湖の風景にちょっと感動しましたね。そりゃ大きさは琵琶湖なんかよりずっと小さいんだけれども、あの対岸がバッチリ見える感じ、いいよなあ。出迎えの方にいろいろ質問をしたんだけどね、宍道湖というのは遠浅で深くても5,6メートルしかない。岸から大分奥のほうに行っても足のつく深さなんだとか。別に泳ぐわけでもないので、あまり役に立たないんだけど、そういう情報も嬉しい。
30分ほど走って会場の美術館に到着したんだけども、これがまた出来たばかりの綺麗な美術館で。生憎仕事なので美術館で行われている展覧会なんかは見れなかったんだけどね、夕日が綺麗だったら美術館のロビー全体がオレンジ色になるんだとか。カップルや女性同士のお客さんが大勢いらっしゃってましたね。
本来の仕事であるコンテストはつつがなく終わり、夜は出演者や主催者の皆さんと地元の居酒屋でお酒も入りながらお食事。地元で音楽をするということ、についてあれこれと教えていただきましたよ。こういうその土地その土地でバンドや弾き語りをしている人達と話すのはとても勉強になります、ホントに。この日の出演者は30歳以上の方がほとんど。しかも松江からだけでなく、岡山や広島や山口なんかからも参加した、いわゆる山陽山陰地方の地元に密着して、別に音楽で食って行こうとかそういうことではなく日々生活をしつつ楽しみで音楽活動をしていらっしゃる方々が集まっていました。
自分の仕事がレコード会社の新人ミュージシャンを見つける担当ということもあって、以前ならそういう地方の自分より年上だったりもする人たちに会って話すのはまあ付き合いだよなあ、なんていう気持ちで参加してましたが最近はちょっと心持ちが違うのね。自分が歳をとってきたから? というのもあるだろうけど、自分の周りの現状を考えるともっと積極的に様々な場所の人の話を聞いておこうとか思うようになっているんですよ。
よく東京を離れた地方で車に乗せてもらって(免許持っていないので)郊外の道をドライブしてたりすると、本当に日本はこれで大丈夫なのか? と思う。どこに行っても風景が一緒。カラオケ、コンビニ、大きなショッピングモール、ホームセンター、ファミリーレストラン、千葉でも青森でも群馬でも滋賀でも宮城でもどこでもいっしょ。代わり映えなし。
そんな代わり映えのない国道沿いを持つ街の、その場その場に住む人たちは果たしてどんな考えで生きているのか!? まあそんな大それた話ではないですけど、人はその土地その土地で違うわけで、話してみてようやくその土地の持つ状況が見えてくるんだよなあ。人と接しないとホントにわかんなくなりつつあるんですよね。
今回もそうでしたが、昨今いろんな場所の人と話してみて痛感するのは東京の状況や送り出される状況はほとんどカットされてしまっているんだな、ということ。僕らが東京に住んで当たり前のように享受されているものや情報が地方の人たちにとってはほとんど未知のものになっているんですよ。東京の僕らにとって宍道湖の水深が何メートルか、なんてことはほとんどの人にとって関係のない情報なんだけど、僕らが送り出してる「これが今後のキモ! 」っていう情報も同じように地方の人にとって関係のないものになっているんですよね。この状況を打破しよう! なんて大それたことはなかなか難しいけどね、知っておく必要が絶対ある。そのために話す必要があるなあ、と思ってます。
松江では様々な年代のミュージシャンや関係者の方々と話しましたが、もはや年齢関係なく新しいものや流れを知らない。好き嫌いじゃなくそれが重要ではない。自分がそれまでで知り得たものが全て。やってる側がそうだから聴く側も推して知るべし。
もちろんその土地その土地で「そんなことはないよ! 」というミュージシャンやイベントを行っている人もいるでしょう。地元で頑張っているたくさんの人を僕も知ってる。そういう人を応援もしたい。でもさ、その人たちがこんなものもあるよ!とオススメしている新しいミュージシャンや新しい潮流を見るべきなのは多くの、それまで体験したことがないような人たちであったほうがいいじゃないですか? でもそれが難しくなってきていることを痛感してしまうのですよ。
よく「これからはライヴありきだよね。全国回ってさ。メディアの情報なんてアテにならなくなってるし。CDも売れなくなったしさ。」なんて意見を目にしますが、あのー、きっとそのライヴツアーで借金負うよ。だって知らないミュージシャンを見よう、なんて人がどんどん地方は少なくなっているんだから。そんなに甘いもんじゃない。そのライヴツアーのためになんらかの情報出しがやっぱり必要になって、それは地方の場合やはりまだメディアの情報が一番有効だったりするんだなあ。ネットが、とかいいますが、地方でわざわざ未知の音楽の情報をもっと!なんてネットで調べる奇特な人が何人いるのか。ネットは知ってるものをさらに知るためのツールなのです、一般的には。
まー厳しいことを書いたりしてますが、出張での旅先の会話はその厳しいことを痛感する旅ですよ。
で、松江で一泊して次の日。僕を東京から呼んでくださった昨夜のコンテスト主催の方が車を出して松江近辺の名所をあちこち見せてくださいました。同行のレコード会社女性のお願いで山の中にある松江の観光スポット、八重垣神社というところにいったんですよ。八重垣神社、ネットで検索していただくとおわかりの通り松江の縁結びスポットとして有名なところ。車じゃないと絶対行けない場所なんですけど、本当にたくさんの観光客が訪れていて。そのほとんどが女性同士のグループ。びっくりした。
その八重垣神社で最も有名なのは鏡の池っていう、紙に10円玉や100円玉を乗せて早く沈んだら願い事が叶うという占いをする場所なんですけど、ここも占い待ちの女性が一杯でしばらく待たないといけなかったほど(一応やってみるのね、オレも・笑)。
松江の街に流れる川を使って行われている観光遊覧船も見学。街の間を縫って流れる堀川を使った遊覧船巡りは97年に始まったそうで、これも待ちの人がいっぱいいらっしゃいましたね。
あと玉造温泉という温泉街の中にある玉作湯神社という神社にも行った。ここも「願い石」「叶え石」という縁結びのスポットらしいんだけどね、現地の人によると、人気が出たのは近年で、以前は全く人が来ないような場所だった、と。そこにも八重垣神社同様女性のお客さん達がいっぱい。
そんな縁結びスポットや遊覧船を見て回っていてなるほどなあ、という気持ちになりましたわ。こと自分が関わっている音楽をめぐるあれこれは不況でCDが売れません、とかいろいろ景気の悪い話でいっぱいですけど、ここには東京や大阪や福岡からわざわざやって来る人(しかも女性同士)でいっぱい。八重垣神社や松江城のような昔からのスポットだけじゃなくて、ここ10数年で出来たものもたくさんあって、ちょっとしたイベントのようなものがそれぞれにあって、それがまた賑わっている。各所で配られている観光パンフレットも女性を意識したかわいらしいデザインで手にとりやすい。
昨夜はそのまま店に入ったのであまり見ていなかった街をあらためて見てみれば、国道沿いはまあほかの地方と同じような感じでしたが、地方の街中によくありがちのシャッター通りのような寂しさがあまりない街でしたね、松江。人は少ないけど動いている街でした。
空港に向かう帰りの車中でぼんやりと、不況ってあんまり理由にならないんだなあ、なんて思いましたわ。単にCDが売れてません、音楽が危機、なんていうのはたぶん音楽を巡る状況が多くの人が思っていることとずれてしまっているからかもな、なんて。いや、ネットで不法にダウンロードしちゃっててーとかそういう理由もあるかもしれませんよ、知らんけどさ、でもそんな理由をあれこれ並べ立てるよりも、もう一度全体で環境を見直して、リスナーが喜ぶ些細なことを用意することで音楽を巡るあれこれももう少しだけマシになるかもなあと思いましたよ。
ほんの小さなイベントやちょっとした気配りで賑わうんだもん、人間って。大きな玉(願い石)に小さな石をくっつけて(叶え石)願い事を紙に書いて石と紙を袋にしまって持って帰る、そんな些細なイベントで人が全く来ない神社に人が来るようになるんだもん。

些細な部分をバッサリと切っちゃうと外した時に大きな痛手を受ける。その痛手が今の地方での音楽の捉えられ方だと思ったりね。

そんなことを思った松江旅行、おっと、松江出張なのでございました。

松江でお世話になった皆様、だんだん(ありがとう)