優れた音楽性とシーン最強のアンサンブルを武器に目覚ましい成長を遂げ、8/19にバンド初のライブアルバム発売&再現ライブ開催、そして9月のニューアルバムリリースと10月の全国7公演のリリースツアーを控えているNothing's Carved In Stone。当連載は、同バンドのフロントマン村松が、様々な“表現者”とガチのぶつかり合いを行い、その際に起こる化学反応を赤裸々にレポートしていく村松拓強化プロジェクトである。
前々回はストレイテナー・ホリエアツシ、前回はHUSKING BEE “いっそん”こと磯部正文との対談を行った当連載。たっきゅんこと村松拓が愛して止まないヴォーカリスト2人との対談を経た今月号は、当連載四半期の総決算として2回の対談を振り返る反省会。果たして「たっきゅんの受け身の美学」はこの方向で間違っていないのだろうか?
今回は『たっきゅんの受け身の美学』の四半期の区切りということで、今まで2回行ってきた対談を振り返る反省会をしたいと思います。
やっぱり新鮮でした。自立したバンドをやっていて、1つのプロジェクトをずっと引っ張ってきている人と、こうやって正面切ってゆっくり時間をかけて話すっていうことが俺はなかったんですよね。
そうおっしゃってましたね。でも、人として興味がある人は当然居るわけですよね? そういう人に、色々訊きたくならないんですか?
なりますよ。だからそういう人にはバンドマンに限らず色々と訊いちゃう。質問攻めになっちゃうんです。
確かにホリエさんとの対談、色々と拓さんから質問して、回答があったらそれで満足してた。
そうなんですよ。だから俺、ホリエさんとの対談とかめっちゃ焦りましたもん。“会話が続かない!”って(笑)。インタビュアーって大変ですよね。
ホリエさんのときも磯部さんのときも、俺の感覚ではインタビュアーのつもりだったんです。
うん。拓さんもっと無責任な感じで来るのかなと思ってたら、“僕がホストです”みたいなスタンスだった。
でも言ってもさ、俺が大好きで尊敬してて、みんなから慕われている人気者の人をさ、“たっきゅんの〜”と名前が付いている場所に呼んで話を訊くんですよ? そりゃあもう、ものすごいプレッシャーですよ。だから、そこはちゃんと“しっかりホリエさんの魅力を引き出したい”と思ったし、俺が好きな磯部さんの“なにか”を伝えたいと思ったし。だから手を抜けないっていうか。
だから焦っちゃって、後で自分で読み返すと、結局俺が訊きたいことだけ訊いて満足して、受け身を取ってないんですよ。
あっ、ホントだ! “受け身の美学”と言ってるのに受け身取ってない!
俺は毎回思うんだけど、言ってもらったことに対して“それについては僕はこうです”と言いたいんですよ。その都度ちゃんと受け身を取って、転がしていきたかったんです。
そうそう。何も転がってない。言葉をもらっただけ。だからね、なんか俺、それが難しくて。根掘り葉掘り訊くっていう感じになっちゃうんですよ。どうしたらいいんですか?
うん。インタビュアーの立場から見て、『たっきゅんの受け身の美学』をどういう方向に持っていくべきだと思うのかなって。
ホリエさんのときも磯部さんのときもそうなんですけど、拓さんが準備してきた質問というのは、たぶんどこかの雑誌や記事で読めるものだったと思うんです。
そうなんだよ〜。そうなんだよね。そこが俺は結構びびってて。“適当な事できないよな”って思っちゃうから。実際に2人には普段から訊きたいと思っていたことを訊いたんですけど、でももっと深いところまで話したかったというか。
なるほど。参考になるかどうかわからないですけど、僕自身は“この人がどういうところで心を動かしているのか?”ということに興味があるというか、そこにドラマがある気がしているんです。
その人の魅力を引き出す方法のひとつとして。“心が動く”ということは、嬉しいだけじゃなくて苦しかったり、人に言いたくなかったり、恥ずかしかったりすることだと思うんです。そこをインタビューしながら“訊く”というより“一緒に探す”という感覚で。
だから僕、拓さんにも結構ズケズケ言いますよね? 「対談怖くないんですか?」とか。それって、あまり人に見せたくない部分だと思うんです。
そういうところ、JUNGLE☆LIFEにめっちゃ載ってるよね(笑)。
なるほどね。それはすごく大きなヒントですね。対談はなんか難しかったなぁ…。すごく、本当に難しいと思った。たぶん来てくれた2人は“対談で何の話するの?”と思っていたと思うんです。まずそれが、俺にとってのハードルだったというか。だから俺の中では“俺はあなたのことが好きです。だからあなたを紹介したいです”というつもりで、2回とも対談をしたんです。
完璧に自分本位じゃないですか。「対談があるから来てください」って言って来てもらって、なんだかよくわかんないまま帰すのは嫌なんですよ。だから“人を呼ぶ”ということをあまり理解していなかったかも。
でも2回の対談は面白かったと思います。さっき拓さんがおっしゃっていましたけど、拓さんが好きな2人の側面を引き出せていたと感じますし、僕自身も対談を通じてホリエさんと磯部さんを今まで以上に好きになった。
こういう風にしゃべると、やっぱり知らないうちにいっぱい影響を受けているんですよ。そういう誌面だけじゃないところに影響が出ているというのは、すごくいいことだと思っているんですよね。
この2回の対談をやってみて感じたことは、刺々しかった時代を経て“意図的に自分を変えていかなきゃ”と思ったホリエさんのように、自分自身を知って自分の個性や良さを伸ばしていこうと思った磯部さんのように、拓さんもなってほしいなと思ったことで。
なるほど〜。じゃあ結果的に2回の対談は良かったということですか?
うん。良かったと思います。でも欲を言えば、拓さんの内面も同時に知りたかった。対談相手と拓さんの気持ちの絡み、みたいなものが出れば、本当にいい対談だと言えるんじゃないかなと僕は勝手に思ってるんですけど。
じゃあ次からは、ここにあまり責任を持たないようにする(笑)。
そうですよ。そもそもこの連載は「我々が好き勝手にやる」というのが裏テーマだったし。
でも、これを編集長に言うのも失礼だけど、俺の連載がそこまで影響力を持っていると思ってないから、“せめて少しでも魅力を伝えたい!”と考えちゃうよね。
いや、あんたはウチのキラーコンテンツなんだよ! だから対談に来てもらうのは、対バンと同じなんだよ。
アハハハ(笑)。そっか(笑)。じゃあ次からはここに責任を持たないようにします。
でもホリエさんも磯部さんも、話しててすごく気持ちいい人でしたね。
なんというか、空気の支配力があるよね。返事をしてるのか、話をしているのかがすごくわかりやすくて、会話も上手で、伝えることを普段からしている人だなって。俺、そこはめっちゃサボってる(笑)。
サボってる(笑)。というか“伝える必要がない”と思っているんですよね。
うん。バンドで歌っていれば敢えて伝える必要はない気がしてる。後はくだらないことをしゃべってればいい。普段の些細なこととかを気にしていたんですけど、ここ最近はいい意味でどうでもよくなってきた。
バンドやれていればそれでいいっていう気がしてきたというか(笑)。
ハハハ(笑)。さっき言われましたけど、“村松拓に責任を持つ”ということにもっと真面目に生きようと思って。色んなことに力が分散しすぎると、大切なことが疎かになるというか。今まで色んなことがいっぱい見えてたよ。色んな人の色んな気持ちがいっぱい見えてたけど、そこを気にし過ぎると、自分にとって何が大切かが俺はわかんなくなる。
だからこれから生きていく上で、もっと自分に責任を持つという部分で、周りの人にも責任を持ちたいという部分で、“じゃあ何がいちばん大事なの?”と問うたら、やっぱり歌ってバンドやって生きていくということがいちばん大事。
周りのことを気にし過ぎると、“自分らしく”をないがしろにして周りに合わせてしまっていたということ?
そうそう。そういうことです。それが今、すごく視界がクリアになったというか。でもその分、色んなものを見るザルの目がめっちゃ拡がったので、今まで何を気にしていたのかもあまり覚えてない(笑)。
めっちゃ楽になりました。俺ね、昔からそうなんですけど、わからないことはめっちゃ気になって悩んでしまうんですけど、一度わかったら悩む必要がなくなるんです。自分の中で決着がつくから。物事には理由と順序があるでしょ? その理由がわかんないと俺は釈然としないんです。
でも理由を知って、“だからこうなんだ”とわかればそれでいいの。一回自分の中で決着がついたことはもう悩まない。あんなことで悩んでいた自分、ファックオフだよ(笑)。
ヴォーカリストと歌詞を書いている人ですね。曲を書いている人にはあまり興味がない。
生き方にフィーチャーされるのはヴォーカリストだけだと思うんです。今の時代をどういう風に見て、どういう風に生きてて、何を考えているか。その人の生き方を知りたい。作詞家も同じ。松本隆さんとか阿久悠さんとか。
松本隆さん大好きなんですけど、俺が“知りたいな”と思うのはやっぱり生き方だった。そこがわかんないと本当のことがわかんないなって。松本さんの歌詞を形成しているものを知りたいというか、そういう人が出す空気に触れてみたい。
みんなが受け入れているということには理由があると思うんです。世の中に生きている人たちの気持ちをえぐるようなポピュラリティがあると思うんです。なんか、尊く見えるんですよね。それが何なのかわかんないんです。
言葉の洗練した感じとかじゃないですか。言葉に力を宿す方法を知っている方というか。
そうですね。だから最近も日本語の歌詞はありますし、歌詞の書き方も変えていて。
ストレートなものが気持ちよくなってきたんです。歌詞って、普段使うような言葉を、普段使わないように並べて歌うから“歌詞”だと思うんです。倒置法も入れない、比喩もしない、日記に書くような文章そのままを歌詞にしたら、歌詞じゃないと思うんです。でもそれを平気で歌っている人はいっぱいいて。それは全然いいんだけど、俺たちは同じことをしたくなかったんです。俺が書く意味がないから。
だから心の風景を書いて、そこに人の心が寄り添えるようなものを書きたいんです。「朱い群青」が今のところ俺の中では最高傑作なんですよ。あの歌詞が書けたときに“俺の作詞家としての才能は花開きました”と自分で思いましたもん(笑)。
「Brotherhood」もそうで。“壊れてゆく記憶の水面を蹴るよ”とか…記憶に水面なんてないもん。
それは、俺が好きな松本隆さんとかの表現に近づける作業をずっとしてきていて。でも松本隆さんが理想なんじゃないよ。それに近い理想が頭の中にあって、歌詞を書くのはそこに近づける作業なんです。…恥ずかしげもなく言うと、俺もたぶん歌詞に関しては天才だと思うんよ。
だってさ、“記憶の水面を蹴るよ”だよ。これ書けるって、もうこれは天才でしょ。
「(as if it's) A Warning」の歌詞も拓さんですよね。僕は「(as if it's) A Warning」の方が天才だと思いますけど。
だって“対角線向こう側の自分”、“誰も私を許せない”ですよ? わけわからへんけど、わかるもん。全裸で勃起してるような全能感。
アハハハハハハ(笑)。その表現本当に好きだな。前から言ってますよね(笑)。
メロディも含めてのあの無敵な感じ。なんで全裸で勃起しながら“誰も私を許せない”って偉そうに歌えるんだ? って。あのイッちゃってる感じ。すごくいい。
というか「全裸」ってよくわかりますよね(笑)。あの曲は何をイメージしたかというと、腰布を巻いているローマ時代の人たちを想像して俺は書いてるから。
というか腰布も巻いてないです。僕のイメージとしては、ものすごい権力を持っている王様が、何万人もひれ伏している前で、全裸で勃起しながら「誰も私を許せない!」と言っている狂気の世界。そういう全能感。
え? うーん…、似たような感覚はあるかもしれないですね。例えばNothing’s Carved In Stoneのライブレポートを書いたとき、バンドのアンサンブルと拓さんの歌を“巨大な金属の機械に血液が流れ込んだ”という表現をしたんです。
でも誰も評価しない。みんな気づいてない。そんな天才な表現したのに、誰1人気づいてないんですよ。
誰も気づいてないんですよ。だから自分で「俺は天才だ!」って言っていこうと思ってるんです。
たっきゅんの受け身の美学へのメッセージや感想は
yamanaka@hirax.co.jpまで!!
優れた音楽性とシーン最強のアンサンブルを武器に目覚ましい成長を遂げ、8/19にバンド初のライブアルバム発売&再現ライブ開催、そして9月のニューアルバムリリースと10月の全国7公演のリリースツアーを発表したNothing's Carved In Stone。当連載は、同バンドのフロントマン村松が、様々な“表現者”とガチのぶつかり合いを行い、その際に起こる化学反応を赤裸々にレポートしていく村松拓強化プロジェクトである。
先月号ではストレイテナー・ホリエアツシとの対談を行った当連載、今月号ではたっきゅんがずっと憧れ続けていた存在であるHUSKING BEE “いっそん”こと磯部正文との対談が決定。まるで頬を撫でる春風のごとく語る磯部を見つめるたっきゅんの瞳は、終始キッズのようにキラキラと輝いていた。
拓さんは昔から磯部さんが大好きで憧れ続けている先輩ということで、今回の対談をお願いしました。
一緒に花を摘んだり、痛くないフリスビーを投げる企画かと思ってました。
もともと2人はイベントとか対バンの機会にご挨拶して、話すようになったんですか?
そうです。大阪で1回対バンさせてもらって、楽屋で「好きです!」と言わせてもらって。その後、1回ラジオにゲストで来てもらったんですよね。
はい。HUSKING BEEのライブもよく観に行ったし、10代の頃はコピーバンドをやっていたんですけど、THE BLUE HEARTSとHUSKING BEEのコピーをやってたんです。
はい。ひたすらコピーしてました。「A SMALL POTATO’S MIND」とか“なんでこんなダウンのミュート弾きながら歌えるんだろう?”って。
いやいや(笑)、だから憧れの存在だったんです。一括りにするのはあまり好きじゃないんですけど、いわゆるAIR JAM世代というのがあって、そこのトップで走っているバンドの1つだと思うんですけど、なんか特殊なんですよね。
バンドの感じが。エモいし、8ビート推してくるし、メロディにフックがあって、アレンジもめちゃくちゃ凝ってたり、MARK TROMBINOがプロデュースしたり、いつの間にか日本語詞になってて、日本語もおもしろいし…なんか僕の想い出話になっちゃっててすみません。
僕の印象では当時、他のバンドはみんな「オイ!」って感じだったんですけど、HUSKING BEEは違ってて、歌を聴かせる感じというか。ライブでも、すごく一生懸命歌っててそれが伝わってくる…その感じがすごく好きなんです。
磯部さんは拓さんがおっしゃったように「憧れてます」と言われることも多いと思うんですけど、当時はどういうことを考えておられたんですか?
僕にもやっぱり憧れている存在はたくさん居ましたし、アメリカとかイギリスのいいバンドを見習おうと思っていて。僕らはパンクに傾倒していたけど、パンクに限らずいろんな見せ方をするバンドがいっぱい居るわけじゃないですか。その中でなぜパンクが好きなんだろうな? と自問したり、「パンクとは?」を考えてみたり。
HUSKING BEEを始めた初期の頃はSNUFFY SMILEという素晴らしいレーベルで、そこでは音はともかく“パンクとはなにか?”っていう思想が中心にあって。そこを納得させるにはどうしたらいいか? とか考えたり、若いから認められたい気持ちも強かったし。今から考えたら若干無理していた感もあったけど、「メジャー行ったらパンクじゃない」とか「いや、メジャー行ってもパンクだよ」とか「みんなにとってのパンクは?」とか「俺にとってのパンクは?」みたいな色々と考えていることを曲にしようと思っていたので、寡黙にしているけど“僕は歌に全部変える”みたいなところもあったりして。MCでも全部言わなかったり。そういう気持ちは今よりは強かったですね。
芯のある歌声だし、でも拓ちゃんを支える周りの音の中で、ちゃんと“芯”で居られる感じ。すげぇいいバンドだなって思いました。言っても数えるくらいしか対バンしたことがなくて。対バンやりたいよね。
僕、磯部さんの話でひとつすごく好きな話があって。磯部さんは中学1年生くらいの頃までにはもう「歌を仕事にする」と決めてたんですよね?
何者なんだろうな? と思って(笑)。で、中1くらいの頃には友達に「お前まだやりたいこと決まってないの? しっかりしろよ!」と言ってたみたいで。
その話が強烈だったんですよ。で、レコーディングでアメリカに行ったとき、英語で歌ってたのをやめて日本語で歌ったらMARK TROMBINOに「お前はこんないい歌が歌えるのか」って言われたんですよね?
そこに磯部さんの素晴らしさがあるんだろうなと思ったんです。MARKはアメリカ人で日本語はわからないのに伝わるっていう磯部さんの素晴らしさ。声とか歌に出ているんだろうなって。
その頃は周りのバンドがほぼ英語で歌っていた時代だったから「僕らも英語だ」って、しゃべれるわけでもないのに辞書で調べながら歌詞を書いてて。で、あれやこれやとやっていくうちに2ndアルバム『PUT ON FRESH PAINT』(98年2月)をアメリカでレコーディングすることになって、“なんてことでしょう!”とビビってて。
ドキドキしながら行ったわけですよ。最初、MARKに「僕のギターとか歌とか大丈夫ですか?」って訊いたら「まったく問題ない」って言われて。“ええッ! こんなド下手なのに!?”と思って。それで次の3rdアルバム『FOUR COLOR PROBLEM』のとき、その頃は日本語で歌ったりしていたんだけど、またMARKに録ってもらうことになって行ったら「なんでお前は日本人のくせに日本語で歌わないんだ」って言われたんです。「ぶっちゃけ、お前の英語の発音はなに言ってるかわかんない。でも、僕は英語でも日本語でもない磯部語が好きだから、とにかくお前は一生懸命歌ってりゃいい」って。
それが嬉しくて。だからMARKを喜ばせたかったり、eastern youthの吉野さんに「日本語で歌え」と言われたり、いろんな人の助言があって。ということは「聴きたい」ということなんだろうなって、そこは素直に。
磯部さんの日本語の歌詞はちょっとクセがあるというか、特徴的じゃないですか。ダジャレというか。
うん。いちばん最初に作った日本語詞の曲が「後に跡」(シングル『THE SUN AND THE MOON』/99年10月)で。最初に日本語詞の曲を作るとき、“ものごっつ変なこと考えている人っていう印象を付けよう”と思ったの。
そう。すごく一生懸命歌う感じでずっときてたんだけど、その頃は所ジョージさんの魅力にハマってて。
だからちょっと所さん風に歌いながら歌詞を読んだら「なんだこれ?」という風にしたい。一生懸命な感じにしたくないって。
でもみんなポカーンとしちゃって。「もっと一生懸命歌いなさいよ」みたいな。
でも、一生懸命だったの。僕の今後の人生を決める初めての日本語の曲。ポカーンとさせたかったんだけど、ポカーンとしたのはいいんだけど「やっぱりちゃんと歌おうよ」って言われて、結局ちゃんと歌ったんだけど(笑)。
僕の印象なんですけど、磯部さんは一貫したテーマがあるような気がしていて。パンクスピリットからきているのかはわからないけど、“喜怒哀楽”のどれか1つを書くというより、“喜怒哀楽”の全部を1曲の中に書く、みたいな。
やっぱり感情がウワーッとなったときに書くのがいいと思っているんだよね。“嬉しい”とか“哀しい”とかを素直に。でも素直な感情の裏には、絶対に逆の気持ちもあるハズだから。警戒心じゃないけど、嬉しいだけだと何かを失うかもしれないから。手にするものがあるんだったら、絶対に後々それが要らなくなる哀しさがあるハズだとか…絶対にいろんなことを考えちゃうんだよね。ただ嬉しいだけじゃないっていうか。
そういうことが頭のなかで起こるから、歌詞を書いてても嬉しいだけじゃなくなってくるんだよね。“嬉しいだけにしたかったのにな”って後から思ったり。すごくエモーショナルな曲を作ろうと思っていたのに、作っている途中で楽しくなってきたりするから。“なんか哀しいハズだったのにいい曲になってるぜ!”って。“なにこのジレンマ!”って(笑)
昔から友達とかには言ってんだけど、例えば大好きな吉野さん(eastern youth)は“すごいな”って思うんだけど、その“すごい”の中には“苦しいだろうな”という気持ちも入ってて。吉野さんって哀しみに近い愛の曲が多い。“スコーンと抜けるような曲を作りたくありませんか?”と思うんだけど、でもきっとそうじゃないって思っているんだろうし、なにかを突き詰めている感じに素晴らしさがあると思うし。
でも自分はそうじゃない。きっとそうじゃないから、やっぱり個性があるというか。吉野さんに憧れる部分はあるし、“漢を感じるわ〜”と思うんだけど、言い訳をすると自分は喜怒哀楽を歌えるから“じゃあどんな喜怒哀楽を歌えるか?”っていうところを詰めていこうと。それはいつも思ってるかな。言い訳だけど。
バンドマンに限らず、若い頃は背伸びをするというか、憧れに近づこうとするじゃないですか。でもなにかのきっかけで、憧れと自分とは違うということに気付くタイミングがあるんでしょうね。
そう。ある種の限界を知るというか、同時に許せるようになるというか。“でもここは絶対に伸びるよな”っていう可能性を信じるというか。
磯部さんはHUSKING BEEの活動を再開する前に音楽を辞めようと思っていた時期があったという話を以前インビューで聞かせていただきましたけど、今現時点ではなにのために音楽をやっておられるんですか?
うーん…シンプルに思いつくのは、やっぱりたくさんの人のためになるから、かな。余計なことを付け加えるとするならば、それが自分のためにもなるから。“たくさんの人のために”しか思っていないかな。でも「たくさんの人のために」って言いたくないじゃん。恥ずかしいから(笑)。
フフフ(笑)。でも僕はまだ忘れがちになるんですけど、やっぱり人のために生きたいじゃないですか。そういう当たり前のことをバンドでやりたい。僕が磯部さんと同じ歳になったときに同じことを思っているかどうかはわからないですけど、人のために人として生きていきたいという気持ちと、バンドとして自分を表現して世の中を認めさせたいっていう気持ちが、僕はまだあるんですよね。
そう。時期としてはあると思う。何かを作って、それがちゃんと次に繋がるように進んでいるときって、大変だもんね。
それと磯部さんと拓さんはひとまわりくらい年齢が違いますけど、若い世代に期待することってあるんですか?
活躍してほしい。やっぱり刺激になるから。“いいなぁ”って思う。
たぶん自分が作って、ステージに立ったりするからかもしれないけど、昔から嫉妬する気持ちがあまりないんだよね。
なんとなく自分の経験からそう思うんですけど、嫉妬はきっと自分の首を絞めるだろうなって。余計なパワーだって。「嫉妬するくらいなら曲作れ!」って(笑)。嫉妬したら前に進めないですからね。いい人間関係ができていない。
そうそう。なんか楽しくなってくるんです。ライブだけじゃなくて、ライブ終わったあとの表情とかも含めて。外を歩いているだけでも“いいな”と思ったりするの。オーラっていうか、やってる感というか、“この人充実してるな”とか“この人納得してないな”とかさ。納得してなくても、それは何かをやってるからこその気持ちじゃんか。だから“俺も色々と思いてぇ!”って思う。そこがおもしろい。30代なんてクソ悩めるときだからね。
いっそん × たっきゅんチェキプレゼント!!
https://www.jungle.ne.jp/present/
HUSKING BEE
http://www.husking-bee.com/
たっきゅんの受け身の美学へのメッセージや感想は
yamanaka@hirax.co.jpまで!!
優れた音楽性とシーン最強のアンサンブルを武器に目覚ましい成長を遂げ、今年春には3ヶ月連続で開催した渋谷CLUB QUATTROのMonthly Live at QUATTROを大成功させ、8/19にバンド初のライブアルバム発売&再現ライブ開催を発表したNothing's Carved In Stone。当連載は、同バンドのフロントマン村松が、様々な“表現者”とガチのぶつかり合いを行い、その際に起こる化学反応を赤裸々にレポートしていく村松拓強化プロジェクトである。
先月号から華々しくスタートしたNothing's Carved In Stone Vo./G.村松拓の新連載『たっきゅんの受け身の美学』。同連載初の対談相手としてたっきゅんが指名したのは、彼がかねてよりヴォーカリストとしても人間としても尊敬しているというストレイテナーのホリエアツシ。唯一無二・独自の立ち位置で音楽シーンの荒波を乗り越えてきたホリエに対し、果たしてたっきゅんはどういう受け身をとったのだろうか?
『たっきゅんの受け身の美学』の記念すべき初の対談相手は、拓さんのたっての希望でホリエさんにご登場いただきました!
俺が初めてストレイテナーのライブを観たのはNothing's Carved In Stoneに入ってからなんですよ。新木場STUDIO COASTでライブをしている時に俺たちが遊びに行ったんです。
うん。それで新木場STUDIO COASTでライブをやっているのを観て、いろいろ実感がなかったんですけど、「ヤバい人たちと横並びになっちゃったな」みたいな感じだったんです。
俺らはお客さんを呼んでも30人くらいの規模でやっていたのに、急に間を飛ばしてここに来ちゃったというか。それでライブを観て「かっこいいバンドなんだな」って思ったのが第一印象だった。
ホリエさんは、拓さんのことはNothing's Carved In Stoneで知ったんですか?
はい。Nothing's Carved In Stoneを結成する前の段階で、うぶくん(G./Cho.生形真一)が、ひなっち(Ba.日向秀和)に声をかけて。ひなっちはストレイテナーをやっていたから、その段階から俺は知っているわけじゃないですか。
なので、それが徐々に「ドラムにおにぃ(大喜多崇規)誘いました」とか聞いていて。っていう中で、ボーカルはオーディションみたいな感じだったんです。
それでストレイテナーで移動中の時にひなっちが「聴いてよ」って、拓の声を聴かせてもらった気がする。「お、いいじゃん」と思って。
でも、実際は結成してからすぐに知り合ったわけじゃないもんね。しばらく間を置いて、何かのきっかけで。ずっとひなっちから「拓がおもしろい」みたいな感じで聞かされてすごくハードルが上がった状態で会ったんです。でも実際に会ってみたら「意外と内気だった」っていう(笑)。
あまりないですね。みんなで飲むことはよくあったんだけど。弾き語りのときに話したりしたかな。
“New Audiogram”の新年会とかね。あの時にハマショー(浜田省吾)を一緒に歌って。
でも最初はストレイテナーの印象が強かったので、すごく繊細な人だと思っていたんです。実際に内面はすごく繊細だと思うんですけど、でもホリエくんは思っていたより男らしいというか。最初からフタを開けてもフタを閉じてもその距離感は変わらないという。そのフラットな感じにびっくりして。俺は全然フラットじゃないんだけど。
僕はインディーズの頃にホリエさんと知り合いましたけど、昔は毒が強かったような印象があるんですよね。
そうですね。なぜかというと、やっぱり外からの攻撃があったから。実際は誰も攻撃すらしてこないんだけど、外からの無関心に対抗していた感じ。ストレイテナーは2人だったし、「2人だから大したことはできないでしょ?」みたいな、期待されなさが常にあって。
ライブでステージに立っても「どんなバンドか楽しみだな」みたいな目線じゃないんだよね。みんな「大丈夫か?」みたいな。そこで納得させるというか、ガツンと驚かせていくためには尖っていくしかない。常にそんなメンタリティだった思います。
俺、Nothing's Carved In Stoneが始まった頃はそういうメンタリティでしたね。
そっか。逆にそういうメンタリティだったんだね。そうだよね。最初はキツいよね。
俺以外の3人が認知されていて、変な話、全員敵に感じていたんですよね。「ハードルが最初から高い」みたいな。それは贅沢な話だと思うんですけど。
そうそう。でもそれがプレッシャーで。勘違いしていたと思うんですけど、すごく尖るしかなかった。だからより内にこもるようになりましたね。
連載初の対談相手にホリエさんを指名したのは、どういう気持ちがあったんですか?
純粋に大好きなんです。歌も年々好きになる。すごく尊敬の対象ですね。面と向かってこんな風に言うのもアレなんですけど(笑)。近いと思うところもいっぱいあるんですけど、ヴォーカリストとして俺にないものもすごく持っていて。キャリアの積み方もそうだし。そういうのが魅力的なんです。
ヴォーカリストとして、ホリエさんのどういうところに惹かれるんですか?
ストレイテナーってすごくオシャレな感じがするんですよ。バンドとして、日本のシーンで。それで「音楽性を伝えていこう」みたいなインディー感とバンド感のドラマチックさもある。でも、ちゃんと歌を聴かせていくっていうか。そういうバンド、日本のシーンの中で他にいないと思うんですよね。それをずっと2人の頃からやっていて、もっとパンクっぽい方向にもいけたけど、ひなっちを入れて、大山純(ストレイテナーG./Cho./Harmonica.)を入れて、それで今「4人でストレイテナーです」って言えるのは、“ホリエアツシ”というものがしっかりとあるからだと思うんです。
すごく繊細な情景が浮かぶような言葉とか、にじみ出てくる何かがあるのに「ひと言でこじ開けていく」みたいなところがある。どこにも居場所がないし、ジャンル分けができない。みんなが「どこにこのバンドの行き先があるんだ?」と思っていても、自分の手でこじ開けていくみたいな姿勢がすごく好きなんです。
そう。すごく新しい気がする。歌詞からもそういう姿勢をすごく感じる。
今まではあまりフォークソングとか歌詞を気にして聴いたことはなかったんですけど、最近になって聴いてみると、物語っぽく綴られていたりとか、俺がよく書くような情景描写で綴られていたりするんだけど、急激に気持ちを鷲掴まれる何かが入ってきたりして。拓も作詞家としては文学的タイプだと思うので、ちょっとひねった表現というか「曖昧なんだけど分かるわ」みたいなものが共通してあるんでしょうね。
でもホリエくんは歌詞もだんだん変わってきているじゃないですか。どんどんストレートになっているというか。一人称も、前はホリエくんとごく少数の仲間だけだったのが、最近はすごく大きくなっているというか、よりピュアになってる。
そうかもね。「よりピュアに」は心がけていて。特に昔のネガティブだった頃は「分かってほしい」よりは「分かるでしょ?」みたいな感じだったんだよね。
そうですね。何がきっかけだったか覚えていないんですけど、いろんな小説だったり、映画を観ていて、たまたまかもしれないですけどこの10年くらいで、いろんな作家の人たちがすごくピュアにメッセージを発信するようになっていて。でもその前の10年とか…90年代の終りくらいから、世界的に音楽は「分かりにくいものがかっこいい」という価値観があったような気がして。
一発では読み解けないものの方が、かっこよくてミステリアス。それが「実はすごい」みたいなことにだんだん気付いていく喜び…そういう美学がずっとあって。30歳くらいまでかな? マニアックなものとか、万人に理解されなくても分かる人が分かって「こいつすげえや!」って評価される方がかっこいいんだって思っていたんですよね。それを徐々に自分で「意図的に変えていかなきゃ」って思うようになってきたという感じです。
うちのバンドもよりストレートになってきていているんです。前はもっとせせこましく、細かく、難しいことをやっていて。歌があって、歌を聴くんだけど、実はその中に構築美があって…みたいなものを見せている。でも最近はそういうものがありつつ「よりピュアなもの、よりストレートなものを作ろう」みたいな風にどんどんなってきていて。
けっこうアレンジありきで作っているように聴こえるもんね。バンドのセッションのフレーズのぶつけ合いみたいなところからNothing's Carved In Stoneの曲ができている。
拓と弾き語りで一緒にやって思うのは、アコギの弾き語りからメロディや歌の世界観をそのまま広げていくようなこととか、そういうのをエアロスミスくらいのピュアさでやればいいのにって(笑)。
この対談の直前にストレイテナーの新曲「NO ~命の跡に咲いた花~」(2015年7月15リリース)を聴かせていただきましたけど、この曲はものすごくピュアですよね。心の中のすごくピュアな気持ちを音楽にしているというか、本当に心から“歌いたい”と思わないと伝わらないというか。こういうことを歌うことに抵抗はなかったんですか?
昔だったら抵抗があったんでしょうね。でも、いろんな要因から引き出されるものがありますよね。この曲は最初から「今年は戦争について歌う曲を出す」っていうのがあったので、最初からどう伝えるかを考えながら書き始めたんです。
知らない世界の“戦争”ではなく、自分の故郷と繋がった自分なりの“戦争”を歌っているからこそ、伝わる力が強い。
戦争の風景を写真とか映像でしか見ていない分、自分が自分の故郷の風景をそこに重ねることってできなくて。本当にここが戦争で爆撃されて、人が何千、何万人死んでっていうことは想像できないというか。「本当にここで?」みたいな感覚。そういう気持ちもありますよね。
うん。こういう曲を作ることはすごく勇気のいることだと思います。震災の後も動き始めた人と、動かなかった人がいたくらいですから。要はその問題自体じゃなくて、思念として日本の中にずっとこういう気持ちがあって、「バンドとして身を置く方向に1曲投げていく」みたいな感じというか。
戦争を知っているお年寄りとか、戦争の頃に生まれて育った人もいるし、その人たちの話を聞いて育った親父の世代もあるし、その中に自分の身を投じていく。それは怖さもあるし、下の世代と自分の世代を気持ちで繋いでいくことでもあると俺は感じたんです。それをバンドでやるっていうのがすごいなと思う。ウチはまだできない。やっぱりストレイテナーはバンドとしても器がすごくデカくなっている気がする。だから“僕ら”の意味がすごい。遠いなぁ…。辿り着きたいところなんですけど…。
うん。やっぱりね。歌がある意味って、歌が最終的に行き着くところって一緒な気がするんですよ。情景描写にしても、歌詞にしても。こっちから気持ちを伝えて「僕の声を聴いてよ」っていう歌だったとしても、聴いている側はそこに自己を投影して、共感してっていう。だってストーリーテラーだから。映画的な、そこにあるひとつのストーリーに自分の身を重ねて「じゃあがんばってみよう」と思ったりとか。「今日は悲しい気持ちに浸っていてもいいや」とか、どんなに反骨心を立てても、行き着くところはそこだと思うんですよね。
いろんな人の気持をどれだけ背負うか。そのつもりがあるかどうかは分からないですけど、でも“僕ら”の意味が変わっているはずだから。そこにはまだちょっと辿り着いていないというか。
変わったんですかね。でも話してて、拓を初めて観た頃に「もっと歌が聴きたいな」と感じたことを思い出したよ。「もっと歌が聴きたい」、「もっと歌をガンと出して欲しい」って。それが何回か観て「すごく良くなった」と思ったことがあったんです。3~4年くらい前かな。「あ、よくなったな」みたいな風に。初めて観た時から、成長の過程をちょこちょこ観させてもらっていて、すごく気持ちいい。
気持ちいいし、一緒にやれても気持ちいいし。バンド同士でお互いにっていう。Nothing's Carved In Stoneを背負っていると思うし。それが気持ちいい。
ホリエアツシ × たっきゅんチェキプレゼント!!
https://www.jungle.ne.jp/present/
ストレイテナー
http://www.straightener.net/
たっきゅんの受け身の美学へのメッセージや感想は
yamanaka@hirax.co.jpまで!!
優れた音楽性とシーン最強のアンサンブルを武器に目覚ましい成長を遂げ、1/14にシングル『Gravity』とLive DVD&Blue-ray『No Longer Strangers』をリリースし、5/14@渋谷CLUB QUATTROのMonthly Live at QUATTRO Vol.3 "3×6=構築"を控えているNothing's Carved In Stone。当連載は同バンドのフロントマン村松が、様々な“表現者”とガチのぶつかり合いを行い、その際に起こる化学反応を赤裸々にレポートしていく村松拓強化プロジェクトである。
いつの頃からか「日本一なるぞ!」という言葉が連載「たっきゅんのキングコングニー」のテーマとなり、飽くなき向上心だけを燃料に様々なことにチャレンジしたたっきゅんだったが、結局日本一の漢になれず、先月4月号にて連載が終了したのは記憶に新しいところ。しかし! あの連載及び動画が公開された直後、村松拓から「ちょっと話があるので来て欲しい」という連絡が編集部に入る。2015年4月某日、指定された場所を訪れると、筆者に対してたっきゅんは新しい扉を開く決意を告白した。
アコースティックライブも、Monthly Live at QUATTRO Vol.2のときも思ったんですけど、最近の拓さんはステージでのびのびとしていて、それがライブにすごくいい作用をしていますよね。
やっぱり「たっきゅんのブレンバスター」をやって「たっきゅんのキングコングニー」をやったことが、ものすごい楔(くさび)になってるんですよ。
最初は迷ってたじゃないですか。この連載で俺がどうなるんだろう? って。でも「とりあえずいろんなおもしろいことがしたい」と言い出して、やっていくうちに“これでいいんだ”と思えて、それがバンドにもちゃんと還元できていて。だからよく最初に楔を打ったよね(笑)。自分でもよく打ったと思うし、よく打たせてもらえたと思うし、よく付き合ってくれたと思いますよ、本当に。
そのお陰で、緊張感というか、プラスとマイナスの真ん中の部分が見えやすくなったというか。緊張感が生み出しやすくなったお陰で、ライブにもいい効果が出ていると思うし、曲づくりも思いの外スムーズだし。
うん、みんなリラックスしてやってる。俺がこうなったのが関係しているのかどうかはわかんないですけど。
いや、それは絶対に関係していると思いますよ。ここ最近のNothing’s Carved In Stoneで何が変わったかと言うと、拓さんが変わったことがいちばん大きいと思う。バンドの中心点がはっきりしたと僕は感じているんですが。
でもウチのバンド、今年はもっと変わっていきますよ。去年1年間変わったことがあったけど、それがやがてベーシックになっていくでしょ? そうすると、各メンバーが変わっていくと思うんですよ。だから更にメンバーがおもしろくなるだろうし、そうなると俺ももっとおもしろくならないとこのバランスは継続しないと思うんです。
だからキングコングニーありがとうございました! なんだけど、今日来てもらった理由というのは…。
キングコングニーが終わってみて初めて、キングコングニーを超える何かをやらなきゃいけないなって気づいたんですよ。毎月たくさんのメールももらってるし。
当初は、漢らしく終わろうと思っていたんですけど、なんかやっぱりおもしろいことがしたいなと思っていて。ちょっと目線を変えたもので。もう少し、自分のフィールドでその人にしか作れないものを作っている人たちと関わってみて、そこで“たっきゅんは何を感じるのか?”ということを俺は知りたいんです。
ほう。たっきゅんを掘り下げるというよりは、独自のフィールドで何かを生み出している人と触れ合うことで、どう反応するのかを見たいと。
そう。きっとそれは“対談”みたいな形になるんだろうけど、そこでしゃべって自分自身が何を感じて、相手には何を感じてもらえるのだろうかっていうことが気になっていて。
うん。1対1でしゃべることって、やっぱりエネルギーも必要だし。
前にJUNGLE☆LIFEで藍坊主のhozzyと対談したことがあったじゃないですか。ああいう感じで、1対1で対談することはよくあるんですか?
ないんですよ。hozzyとの対談、あれよかったですよね。俺がしゃべろうと思っていなかったことを引き出してもらえたっていうか。逆に、hozzyも俺に対しての固定観念があっただろうから、そんな話になると思ってなかっただろうなっていうところもあったりして。そういうことがしたい。
1対1で話すことに対して、抵抗というか恐怖感を抱いていたんですか?
怖いですね。ぶっちゃけ、今でも対談して何を訊けばいいかわかってないんだけど。フハハハ(笑)。
はい(笑)。俺は他人に興味が無いっていうところが一貫してあるんですよ。だけど生き方としては、関わったらおもしろいっていう部分というか、たまたま同じ舟に乗ったんだから楽しくやっていきましょうよっていう。
“わかんないからおもしろい”というところにはあまり触れたくないっていう想いがあって。自分が持っている言葉の羅列に、他人をあまり当てはめたくないんですよね。根掘り葉掘り訊いて「やっぱそうなんでしょ?」って言うのはごく限られた仲の良い人間だけでいいんですよ。でも、そういうことに自分からチャレンジして、どこでどういう風に自分が受け身を取るかを見てみたいっていうか。本当に自分目線なんだけど。
だから「たっきゅんの…」と銘打って、山中さんの力を借りて…。
やりましょう! …というかこの茶番、昔どこかで見たことあるな。
今、俺が気になっているのはバンドマン。同業者からどういう風に思われるのかを知りたい。きっと俺はその人に対して“おもしろいな”って思っちゃうんだろうけど、そこで自分がどう思うかも知りたいんです。
打ち上げとかで、バンドマンと1対1で深い話をしたりとかはなかったんですか?
THE BACK HORNの山田将司さんくらいですね。俺は山田さんが好きでしょうがないから、そこに俺のプライドは介在してないの。「山田さん、こういうことあるじゃないですか。こういうことがあると、こうするじゃないですか。山田さんもそうなんですか?」って訊いたら山田さんが「俺もそうだよ」って言ってくれて、「やっぱそうだったのか(笑)。よかった〜」って安心する。
でも1対1で話してみたいと思う人がいるんですよね。この新しい連載では、そういう人としゃべってみたいんです。俺ね、先輩とウワーッ! とはっちゃけるのがいつの間にか苦手になっているんです。
それはたぶん、Nothing’s Carved In Stoneをやり始めたからなんですよ。わかんなくなっちゃって。だって3人のメンバーは、俺にとっての先輩たちとタメな感じの関係性なんですよ。だから関わり方がよくわからなかったんです。「村松ですよろしくお願いします」って挨拶するけど、既に関係性があるから、そこに俺が割って入る必要があるのかなって。
ぶっちゃけて言うと寂しかったんだけど(笑)、それを新しくちゃんと自分の土壌として作っていきたいんです。
あとね、俺は最近風邪で1週間寝込んで、なおかつ3日くらいお腹を壊して寝込んだんですよ。“理由は何かな?”と考えてたんですけど、俺、朝飯をあまり食わなくて。
でも家にはいろんな人からもらったお土産とかがあるから、朝出るときにそれを持って出て食うんです。うまい棒とか。そういう生活をずっとしていたんですけど、それがいけなかったのかなと思って反省したんです。
アハハハ(笑)。お菓子メーカーの人としゃべってみたい。何をしゃべったらいいかわかんないけど。俺が大好きな「岩下の新生姜」の会社の人とも話してみたいし。
そこは山中さんに進行してもらって(笑)。だからまたここで連載をやりたいんですよ。
そう。それと日本のバンドって、サブカルチャーとすごく深い繋がりがあるじゃないですか。ヴィレッヂヴァンガードとか下北沢とか…いわゆるアンダーグラウンドの世界とすごく繋がりが深いでしょ? だからこそ繋がりとかグルーヴとかムーブメントが起きていると思ってて。
売れてる人たちは全然別の話だけど「流行りとか関係ないよね、だけどムーブメントってあるよね」っていうところをバンドが作っていることが多いっていう結論なんです。そういうところで飄々とかっこいい生き方をしている人に惹かれるんですよね。
というか編集長! いまや「たっきゅんの…」っていう名前が付くコンテンツを手放すのは愚の骨頂ですよ。
あっ、プレゼンきた! 茶番だ!
ここでたっきゅんを手放すなんて編集長としてどうなの? って思っちゃいますよ。
こんなキラーコンテンツを手放すのか? と(笑)。他の雑誌で連載するぞ! と。
アハハハハ(笑)、そう。俺もね、正直言うとこのグルーヴを手放す気はさらさらない。だからまた1年よろしくお願いします!
たっきゅんの受け身の美学へのメッセージや感想はyamanaka@hirax.co.jpまで!!