10枚目のアルバム『By Your Side』のリリースツアー“By Your Side Tour”のワンマンシリーズを大成功させたNothing's Carved In Stone。ABSTRACT MASHの渋谷CLUB QUATTROワンマンを終え、SPECIAL ONE-MAN LIVE“BEGINNING2020”や“Hand In Hand Tour 2020”の準備をしつつ、次のステップに向けて現在絶賛インプット期間中というたっきゅんと、徒然なるままにぺちゃくちゃおしゃべりしてきました。
※今回のインタビューは映画『セブン』(1995年アメリカ)のネタバレが含まれていますので、これから『セブン』を観ようと思っている方は閲覧をお控えください。また、今回の会話をより深く理解したいと思われる方には、映画『セブン』を観てから読むことをご推奨いたします。
“By Your Side Tour”が1/18の大阪で終わり、2/2にはABSTRACT MASHの渋谷CLUB QUATTROワンマンがありましたが、最近はどう過ごしてますか?
スマホで映画とか観れるじゃないですか。最近はそれがおもしろいんですよね。
例えば『アイリッシュマン』とか。ロバート・デ・ニーロ、アルパチーノ、ジョー・ペシが出ていて、『グッドフェローズ』を観ていたらぐっとくるようなメンツ(※共に監督はマーティン・スコセッシ)。おもしろかったなぁ〜、憎いよね〜。
でもキャストでよだれ出まくっちゃうみたいな映画って憎いなぁと思う。
それでいうと『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』は観ました?
レオナルド・ディカプリオとブラッド・ピットが初共演したという。
それがよだれ出ちゃうよね。監督はクエンティン・タランティーノでしたよね?
タランティーノの作品の割に、あまりハラハラしない感じでしたよね。ディカプリオがおもしろくて。
NetflixやAmazonプライムって色々と観れるじゃないですか。ちょうど今、インプット期間なんですよ。Nothing's Carved In Stoneはツアーも落ち着いたし、“これから制作しようぜ”っていう感じで。だからこれからまたインプットしようと思って、新しいものだけじゃなくて、一度観た作品を改めて観たりもしていて。それでざーっとアプリの画面に出てくるおすすめ作品をクリックして…そこで『セブン』を久しぶりに観たんですよ。
前に観たときに、キリスト教のことをよくわかってないと理解できない映画だなって思ったんです。今まで何度か観てるけど、でもなんとなく興味本位でもう1回観てみたんですよ。
やっぱり難しいなと。エグい描写も多いし、ブラッド・ピットの演技すごいとか、役者さんすごいとか、脚本すごいと思ったんですけど、結局キリスト教がよくわかっている人からしたらどういう映画に映るんだろう? と、また思ったんです。
ほう。『セブン』はキリスト教徒からするとどう感じるか…確かにそこは興味がある。
“七つの大罪”はキリスト教の用語で、人間が持っている“罪”とされるもの。えっと、暴食・高慢・怠惰・物欲・ 色欲・嫉妬・怒り、かな。
“七つの大罪”の意味や内容も調べたりして。そうやって調べてたら、映画批評のサイトとか、映画の感想を書いているブログにたまたま辿り着いたんですよ。そこである人のブログを見ていたんですけど、「これ実はハッピーエンドじゃないか」と解釈を書いている人が居たんです。
『セブン』という映画は完全にバッドエンドじゃないですか。監督のデヴィット・フィンチャーは脚本家(アンドリュー・ケビン・ウォーカー)と相談して、“怒り”の感情に任せて暴力を行使してしまう救いのない話として作ったらしいんです。めちゃくちゃ作り込んでいる作品だから、画面から伝わってくるものとか、俳優が話してる言葉とかで、だいたいのメッセージは理解できると思うんですよ。
ブラッド・ピットが最終的に悲しみと怒りに囚われて「撃ったら負けだぞ」と同僚に言われるんだけど、撃ってしまう。その最後のシーンについてブログ主みたいな人が「ハッピーエンドじゃないか」みたいな解釈をバーッと書いてて、それを自分で色々と理論を立てて肉付けしているんです。その半分くらいは映画には描かれていない想像なんだろうけど、監督や脚本家の意図とは全く逆のことが書かれていて。「ブラッド・ピットは怒りに囚われたんじゃなくて、自己犠牲というか利他的な想いで、すごく純粋な気持ちで撃ったんじゃないか」「だから大罪を犯しているわけではない」みたいな。
で、その解釈に対して訪問者がコメント欄にバーッと反論を書いていて、ブログ主がコメントに対して熱くなって、バーッとまたその反論を書いて。「あなたの言ってることはただの揚げ足取りです」みたいな言い合いになっていて。
なんかさ、作品の受け取り方ってまじで人それぞれじゃん。宗教観や文化の違いもあるし、観た人の国籍や性格によっても違うだろうし。そこで思ったのは、受け取る側の自由というのはあると思うけど、それを振りかざしてお互いを否定し合うっていうのはなんだかな〜と思って。
そもそも否定するつもりなんて無いんだろうけど、自分と考えが違ったら、自分自身を否定されたような気持ちになってしまうというか。めちゃくちゃ深く、コマ送りして観て自分の意見を書いてる人が居たりして。そういう人たちのことを悪く言うつもりはないんだけど、俺は映画ってそういう風に観るもんじゃないかなと(笑)。
作り手側の意図を汲み取って観た人と、自由に観た人がすれ違ってるんですよね、議論が。『セブン』は作品を作った意図が明言されていて、監督のインタビュー動画もあって、監督自身は「救いの無い映画です」と言っているらしくて。
でもブログ主は「何度も観てるから、私の解釈は間違っていない」と。だから議論がめちゃくちゃすれ違っているんです。
自分の解釈を言い合っていて、それが正しいか間違っているかを議論していると。
えー! えっと、僕はあまりフィクションをそういう風に観ないというか。「そういう作りにしたんだな」という感想になる。
物語自体の解釈をしたり、作者の意図について考えるというより、もうちょっと距離を置いて「作者の意図がちょっと伝わりにくいな」とか、もっと具体的に言うと「ここの場面はちょっと要らないな」とか。フィクションの作品に対してはそういう感想になっちゃいますね。
そのサイトで議論している人たちは、よっぽど映画が好きっていうか、映画を信じているんだなって。結局人が作っているものだから、完璧なものなんて無いと思うんですよ。その上で楽しむものだから、色んなものが見えてくるんだろうなと俺は思っていて。その時の自分の状況で映画の観方も変わるし、あまり深く観ちゃったら娯楽を超えてものすごく崇高なものになってしまうなと。そういうところがなんかモヤモヤしたんですよね(笑)。
物語の中でしか解消できないような“憧れ”とか“妄想”がみんなあるのかなって。自己投影しちゃうというか。
なんとなくですけど、漫画とかの議論の方が健全な感じがするんですよね。どんな娯楽に対しても、漫画みたいな感じになればいいなと思う。
うーん、例えば「『ドラゴンボール』はピッコロ大魔王を倒したところで終わっておくべきだったよね」とか(笑)。「『ジョジョの奇妙な冒険』はどのシリーズが好き?」とか。
ハハハ(笑)。「“もうちょっとだけ続くんじゃよ”の亀仙人は何だったんだろう?」とか。
そういう議論は相手を否定するものではなくて。すごく理想的なのは、『タモリ倶楽部』みたいなノリでいろんな娯楽や芸術や作品を楽しめたらいいなと。
『タモリ倶楽部』は一般的にはあまり注目されないような“もの”や“こと”に対して、それぞれが勝手な楽しみ方を披露して、その“楽しみ方”を紹介する番組じゃないですか。出演者の“好き”しかないのがいいなと。
こないだほら、佐々木亮介(a flood of circle)とヨシダシンタロー(Gigantics)とその友達と、村松徳一と山中さんで飲んだじゃないですか。あの居酒屋はずっとBGMでビートルズがかかってたけど、「この曲のイントロやばいよね」って言ったら「わかる!」みたいな感じで盛り上がりましたよね。
はいはい。佐々木さんが「如何にギターウルフがすごいか」を熱く語っていて、めちゃくちゃおもしろかった(笑)。
ああいう会話いいですよね(笑)。自分が知らない話もいっぱいあって、それでまた見方が変わるのもいいなと。
そういう感じで、ここのところはインプットしようと思っていろんなものを観たり聴いたり、人と会ったりしてますね。
今はメンバー各々が作ってる段階で、俺も何曲か作ってます。次のアルバムがどうなるかはまだ全然わかんないですけど、メッセージ的に『By Your Side』と同じようなものでもいいと思うし、意味合い的には『By Your Side』の先にあるものにしたいですよね。
そこは繋がっていくんでしょうね。特に『By Your Side』収録曲の「MUSIC」はライブでものすごく成長したし、その先にあるようなもの。
そうですね。Nothing's Carved In Stoneで何を伝えていくかというところは明確になったから、「MUSIC」を作ったお陰でまたそれが拡がっていくと思うんです。たぶん、次に俺たちが最初に作る1〜2曲で、次の作品の方向性が決まっていくだろうなと思ってます。
当連載へのメッセージや感想はyamanaka@hirax.co.jpまで!!