阪神淡路大震災の10年後に立ち上がり、今年で15回目を迎える入場無料のチャリティーフェス“COMING KOBE”。阪神淡路大震災を風化させず語り継ぎ、神戸からの恩返しとして被災地支援を行い、神戸の魅力を伝える事を最大のテーマし、減災・防災・そして震災からひとりでも多くの方に“気づき”の“きっかけ”を作るという目的で続いてきた同フェス、今年も開催決定が発表された。“GOING KOBE”時代から同フェスを追い続けてきたJUNGLE☆LIFEでは、2ヶ月連続で“COMING KOBE 19”に関わる人たちの“想い”を紹介。“COMING KOBE 19”特集第1弾となる今月号では、実行委員会のインタビューを敢行した。
COMIN'KOBE実行委員会(L-R)
村上 雅之(株式会社パインフィールズ)
吉川 哲平(music zoo KOBE 太陽と虎 ブッキングマネージャー)
風次(music zoo KOBE 太陽と虎 園長)
●松原さん(COMIN'KOBE実行委員長)が癌になった2016年以降は、実行委員会のみなさんで運営されているんですよね?
村上:そうですね。松原の癌が発覚するまでは、ほぼ松原が1人で動いていて、風次がアーティストブッキングを手伝っていた感じだったんです。
●なるほど。
村上:会場、協賛、行政などとの交渉や、アーティストブッキングなどを手分けしてやっています。2016年はそれまで松原が準備していたんですけど、2017年、2018年とだんだん僕たちが引き継いでいった感じですね。ただ、「これもやってたんか」「あれもやってたんか」ってびっくりすることが多くて。会場だったり神戸市とのやりとりとか。
●そうなんですね。アーティストブッキングは松原さんと風次さん、哲平さんの3人でやっている感じなんですか?
風次:そうですね。最初は松原と僕の2人でやっていて、途中から哲平が入社して3人でやるようになって。
吉川:僕は2013年からブッキングを担当しているんですが、ライブハウスの方でもブッキングを担当していて、今まで見てきた、もしくは今後見ていきたいアーティストとキチンと関係を作っていって、イベントにも出演してもらうっていう流れを作ってきたというか。
●ということは、“COMING KOBE”のアーティストブッキングに関しては、太陽と虎の日常業務の延長線上ということですね。
吉川:そうですね。
風次:僕らは1年かけて見ている中での“COMING KOBE”、という感じですね。
●今年5/11と決めたのはいつぐらいだったんですか?
村上:発表したのは毎年恒例の1/17ですけど、日程はかなり早い段階で決めていました。10連休と神戸まつりの間の日程ということで。
●3人それぞれ“COMING KOBE”への関わり方は違うと思いますが、このイベントに対する想い入れはどのようなものでしょうか?
村上:僕の場合、このイベントから貰ったものが多いんです。演者として出演させてもらったこともあって、バンドとして自分たちのキャリアでは体験し得ない景色を見せてもらったことが1つ。それと運営する側になって、200〜300人しか入らないライブハウスに出てくれているアーティストと一緒にこの規模のイベントが出来るっていう…簡単に言うと夢とかロマンみたいな…そういうものを体験させて貰えたというのもあるんです。
●立場によって、色々と想い入れも変わってくる。
村上:あと、自分の人生の中で“震災復興”ということに関しては“COMING KOBE”しかないんです。震災のことに関わっていることが、これしかないんです。
●ああ〜、なるほど。
村上:自分自身は別に阪神淡路大震災の被災者ではないんですが、“GOING KOBE”が始まって“COMING KOBE”になって続いていく中で、日本では色んな災害が起きたじゃないですか。このイベントはそこに対する“神戸からの恩返し”というテーマもあって。東北や東日本、中越や熊本に対してもそうなんですが、自分が出来ることっていうのはこれ(“COMING KOBE”)しかないんです。だからこれをがんばって成立させることが、少しでも震災復興に対する貢献になるんじゃないかなって。
●お客さんも含め、そういう人も多いと思うんです。「“COMING KOBE”を通じて世の中の役に立てれば」って。
村上:同じ音楽業界で、自分の力で直接的に動いている人たちもいっぱい居るじゃないですか。そういう人たちはすごく尊敬しているんですが、自分はそれが出来ていないっていう気持ちもあって。でも“COMING KOBE”をがんばれば、何かの足しになるかなって。自分の人生の中で納得できるというか、恥ずかしくないことに関わらせてもらっているのかなって思います。
●それは僕もすごく思います。“COMING KOBE”は社会貢献の場所を与えてくれたというか。
村上:そうですね。
●風次さんはどうですか?
風次:僕にとってはライブハウス業務の延長線上なんですけど、最初はめちゃくちゃ軽いノリだったんです。「神戸にフェスないからフェスやりたいな」くらいの。
●あ、そうだったんですね。
風次:そのアイディアの段階ではチャリティーの要素などもなくて。でもたまたまその時が、阪神淡路大震災から10年目で、復興の一貫としての音楽フェス、という意味合いで始めたんです。でも僕らチャリティーに関してもド素人ですし、フェスに関してもド素人で。“COMING KOBE”をきっかけに色んなことを考えるようになって、成長させてもらったという感じですね。
●なるほど。
風次:ただ、松原が癌になってちょっと意味合いが変わってきて、「癌になった実行委員長ががんばってやっているフェス」というニュアンスと、いつもどおりの「復興のチャリティーフェス」っていう、2つのテーマになり始めているなっていう感じがあって。
●そこについては、風次さんはどう思っているんですか?
風次:松原が先頭に立ってやってきたのでどちらのテーマでもいいと思うんですが、今後どう変わっていくかっていうところが重要かなと。アーティストが「松原を応援したい」と言ってくれる気持ちもすごく嬉しいですし、一方で「チャリティー」っていう部分も大切で。“COMING KOBE”はこれからも続けようというのが実行委員会の総意なんですが、松原が全部やってきたものを実行委員会のみんなで分担するようになって、僕ら実行委員会の1人1人の中でも色んな想いが増えてきているというか、変わっていく時期なのかもしれないです。
●“COMING KOBE”も過渡期に差し掛かっている。
風次:色々と大変ですけどね。別にこのイベントは利益を目的にやっているわけではないじゃないですか。僕らも太陽と虎という本業があるので、“COMING KOBE”に携わることによって本業がまわらなくなってしまうと本末転倒だし。
村上:松原も「儲けを出すイベントではないから1人でやっていた」と言ってました。
●確かに。哲平さんは“COMING KOBE”に対する想い入れはどうですか?
吉川:実行委員会の中で、震災に関して僕がいちばん遠かったんです。
●遠かった?
吉川:僕は北海道出身なんですけど、阪神淡路大震災のときは北海道に居て、外国で起きた出来事のような感じで。だから阪神淡路大震災のことはバンドとして出演したときよりも、実行委員会になってから知ったことも多くて、色々と考えるきっかけを貰いましたね。あとは、僕らは普段ライブハウスの業務をメインにやっているので“アーティストを応援したい”という気持ちが強いんですけど、有名なバンドも「出たい」と言ってくれたり、実際にノーギャラで出ていただいたりして、気持ちがこんなに表に出るフェスは他に無いんじゃないかなって思うんです。
●無いでしょうね。
吉川:そういう素晴らしいイベントを一緒にやらせてもらっているというのは自信にもなりますし、毎年この時期は身が引き締まる想いになりますね。
●神戸は個性的で勢いのあるバンドを多く排出している印象があるんです。地域に根ざしつつ全国区のアーティストも出演する“COMING KOBE”というイベントがあるからこそ、ミュージシャン同士が切磋琢磨して成長していく土壌があるのかなという気がするんですが。
風次:そういう実感はありますね。“COMING KOBE”はオーディションもやっていますし、“KOBE”とタイトルに入るだけあって、地元のバンドを応援したいという気持ちも大きくて。ステージも、小さいところだったら太陽と虎と変わらないくらい…キャパ200〜250人くらいのところもあり、最大130組くらい出演していて。
●はい。
風次:最初は小さいステージに出てもらって、最終的にワールド記念ホールのメインステージまでいったバンドも実際に居るんです。上がっていく階段みたいなものを、“COMING KOBE”で作ることが出来たのかなって。ここから全国デビューするような人たちや、自分たちの力だけでワールド記念ホールでワンマンするような人たちが出てきたり。そういう部分でも“COMING KOBE”は貢献できているのかなと思います。だから毎年ステージ作りはとても重要ですね。
●それにお客さんと一緒に歩んできたという感じもすごくあって、オフィシャルHPで「赤字になったので800万円で壺を売ります」とか(笑)、お客さんに理解してもらっていないとなかなか言えないと思うんです。
吉川:そうですね。Twitterとかで…お客さんは「カミコベ流」って呼んでくれているんですけど…Twitterとかでめちゃくちゃふざけたことを発信したときに、本気で怒ってくる人もほとんど居ないんですよ。本当に“COMING KOBE”というイベントのことをわかってくれて、愛してくれているんだなっていうのはすごく感じます。
村上:“GOING KOBE”時代から、主催者とお客さんが直接繋がろうとしてきたんだと思うんです。今はSNS全盛なので、バンドとお客さんが直接繋がりやすい時代だと思うんですけど、SNSが普及する以前から、俗に言う「中の人」のキャラクターをちゃんと見せてきたから、1つ1つのボケに対する理解があるのかなって。客観的に見るとそう思いますね。
●毎年バンドから「出演させてほしい」と言われることも多いんじゃないですか?
風次:多いですね。熱い想いの人も居ますし、プロモーションの一貫として出たいと思っている人も居るし、事務所の意向みたいな感じがする場合もあるし、かと思えば「震災のために何かさせてくれ!」という声もあるし。本当にそれぞれですね。
吉川:うんうん。
●そういう話を整理するだけでも大変だと思うんですが、毎年どうやってブッキングしているんですか?
風次:基本的に太陽と虎に出てもらっている人しか“COMING KOBE”には出てもらってないんですけど、出たことがあるのが前提で、そこでどれだけストーリーを作って、ソウルを交換できるか、みたいなところですね。
●ストーリー?
風次:誰かの力を借りてポン! と出るんじゃなくて、積み重ねてきた物語があって、その流れの先に“COMING KOBE”がある。それがあればこっちの想いも伝わっているので、ステージを任せることができるというか。
●うんうん。
風次:それに“COMING KOBE”には「ひとぼうステージ」(※ひとぼう[人と防災未来センター]が協力し、COMIN'KOBE会場内に、当フェスのコンセプト「震災からの復興・神戸からの恩返し」の想いを具体展開し、「被災地支援」やチャリティーに関するブース等で構成するステージ)のようなトークをする場所もあって、ただライブをしに来るだけじゃなくてそこにも出てほしいんです。1組1組の出演者たちと物語を積み重ねていけば、なぜそこを任されているのかを理解してくれて、協力してもらえるんです。その辺もわかってもらった上で出演してほしいなという想いはありますね。
●太陽と虎があるから出来ることでしょうけど、1組1組のアーティストとそういう関係を作っていくのは大変な作業ですね。
風次:大変ですけど、“COMING KOBE”に限らず、神戸に来てもらうこと自体にもストーリーはあるので、なぜ神戸に来てくれているのか、なぜ東名阪だけじゃないのか、そういうところにも必然性は大切だと思いますし、普段からずっと意識していることですね。
●出演者とかこれから発表されることも多いと思いますが、今年も楽しみにしています!
3人:今後の発表を楽しみにお待ちください!
interview:Takeshi.Yamanaka
阪神淡路大震災が起こった1995年。
当時中学3年生だった僕は何の復興活動もせずにまるで他人事のように事態を受け止め、そのまま何もしないまま気がついたら大人になってしまった。
あるきっかけでその事に気がつき、その罪悪感から今から出来る復興活動をする為に2005年にこのイベントを立ち上げました。
そして気がついたら今年で15年目を迎える事が出来ました。
終わりがあるのか、どこまで続ければいいのか分かりませんが死ぬまで続けたいと思っています。
いや、本当は死んでも続いてほしいです。
何が誰の為になるとか、親切の押し売りとか、偽善とかそんな事じゃ無くて、自分の為に続けたい。
そしてそれが支援になるなら辞める必要はさらに無い。
今年もCOMING KOBEが無事開催されたら是非みなさんのご来場を心からお待ちしております。
カミコベで今年も一緒に沢山の「気づき」と「きっかけ」を探しましょうね。
2019/5/11(土)神戸空港島多目的広場
https://comingkobe.com/