2018年10月7日の日本武道館ワンマン公演“10th Anniversary Live at BUDOKAN”に続き、11月15日に初めて大阪で開催した“Live on November 15th”も大成功させたNothing’s Carved In Stone。同バンドのヴォーカリスト村松拓(たっきゅん)が日本一の漢を目指す当連載『続・たっきゅんのキングコングニー』は今まで様々な企画を行ってきたが、今月号は11/9の公開以来、右肩上がりで大ヒットしている音楽伝記映画『ボヘミアン・ラプソディ』を鑑賞し、直後に感想インタビューを敢行。フレディ・マーキュリーの生き様を目にしたたっきゅんは果たして何を感じたのだろうか。
今日は僕からお誘いして、大ヒット上映中の映画『ボヘミアン・ラプソディ』を一緒に観に行って感想を言い合うという企画にしたんですが…。
最初にフレディが出てきて…あ、ネタバレになっちゃうの嫌なので詳しくは言いませんけど…いちばん最初のオープニングの場面でもう…。僕はいちおう10代の頃からQUEENを聴いてきてるんですよ。だからどんなバンドだとか、彼らがどういう経歴なのかはある程度わかっていたつもりなんです。
あと、僕の最初のイメージとして、あの映画はフレディの孤独を描いていく物語だと勝手に思っていたんですけど、そうじゃなかったなって。
確かに。僕も観る前から「感動した」「感動した」という情報がポンポン入ってきたので、ヒューマンドラマみたいな作品なのかなと思っていて。
そうですよね。でもそれは入り口で。最初からもうバンバン涙がこぼれました(笑)。正直な感想言っていいですか?
「良すぎて」っていうのが的確なのかどうかはわからないですけど。
そういう部分もあるかもしれないですね。あの映画の素晴らしいところは、QUEENの素晴らしいところが詰まっていたところだと思うんです。
QUEENがどうやって曲を作っていっただとか、QUEENがどういうものをロックに求めていたのかだとか、オーディエンスに何を求めていたのだとか。本当かどうかはわらかないですけど、そのすべてがちゃんと描かれていたような気がするんです。どこまで本当かわからないですけど、どこまで描き切れているかはわからないですけど、そういうものが伝わってくる映画だったから。僕は、そこに自分を重ねながら観ることができたんですよ。
だからそこをあーだこーだ話すと、自己分析になっちゃう気がする(笑)。
ハハハ(笑)。さっき拓さんがネタバレになるのは嫌とおっしゃっていたように、これからあの映画を観る読者の人も多いでしょうからあまり内容については言えないですけど…僕はQUEENのこと全然詳しくないし、CDも持っていないんですけど、劇中で流れていた曲、全部知ってるし、わかったんですよね。
それこそ僕の世代は洋楽全盛期でMTVとかでQUEENももちろん知ってましたけど、歌がめちゃくちゃ上手い変な格好したおっちゃん、というふうに当時は思っていたんです。
でも今回『ボヘミアン・ラプソディ』を観て、QUEENがなぜみんなに好かれるのかがわかったような気がしたんです。
そうですね。バンドの醍醐味とか、本当に色んなものが詰まっていましたよね。QUEENというバンドのフレディ・マーキュリーにどれだけ強烈な個性があったか。途中で本物のフレディに見えてくるし。最初観たときは「(フレディを演じていたラミ・マレックが)小せえ!」と思ったんですけど、だんだん本物のフレディに見える瞬間が出てきて。
それはなんでだろうな? って考えながら観てたんですけど、役者さんとか監督さんとかスタッフさんとか…エンドロールに出てきたように、いろんな人のQUEENに対する愛で作られた映画だと思うんだけど…厳格な家庭に生まれて、色んな差別も体験して、あれだけ壮絶な人生を生きて、短い人生で色んなことを経験してそれを乗り越えた強烈さがあるから、みんなQUEENにのめり込んでいけるんだと思ったんです。だからみんなが、映画に出てくる色んな人間の一部分に憑依していけるんですよね。だから疲れましたけどね(笑)。
爽快だったし、こんなに色んな人のストーリーがちゃんと詰まっている映画だなって。バンドをやる側の人間としては「確かにここは他人には見えてない部分だな」というところがすごくいっぱいあって。だから僕からしたらすごい大先輩で、すごい才能の持ち主で、比べてもらうつもりも全然ないんですけど(苦笑)、気持ちとしては「そうでありたいな」と思う部分が多かった。
うん。バンドっていいなってまじで思った。想像している以上にバンドだった。勉強になりました。それにあの頃の時代は良くて。駆け上がってくこととバンドであることが、ちゃんとイコールだったじゃないですか。結果どうなっちゃうとか、商業的になってボロボロになっちゃうとか自覚できない時代だから。
ちゃんと文化的なものにしていくことと、人の心に届けることと、ステージ上でどういうふうになっていくかということ…その3つのバランスが成立していた時代だったんでしょうね。それをQUEENはバンドでやりきった。すごいなと思います。
すごいバンドですよね。フレディの言葉で強烈に印象に残っているものが1つあって。フレディは自分のことを「パフォーマーだ」と言ったんですよね。
その言葉が彼のキャラクターのすべてだったような気がしたんです。「アーティスト」とも「ミュージシャン」とも言わないんだと。
「バンドマン」と言わないんだって俺も思いました。あと「作曲家」とか「ヴォーカリスト」とも言わない。あれかっこよかった。
考え方なのかな…。もう1回観に行きたいな(笑)。あと2〜3回観て、もっと深くわかりたいな。久々に劇場に映画を観に行って、ものすごくよかった。元気出ましたね。
僕は拓さんとはちょっと見方が違うと思うんですけど、僕にとってはこの映画は不思議で。感情移入して泣いた部分はなくて、音楽の力で泣いたというか。
ああ、素晴らしい。たぶん同じ話だと思うんですけど、僕がびっくりしたのは「Radio Ga Ga」はロジャー・テイラーが書いていたんですよね。それに「We Will Rock You」はブライアン・メイが書いてるんですよ。僕はそれをちゃんとわかってなくて。…結局僕が言いたいのは「バンドがいい」という話になっちゃう。
ロックって、言葉としては敬遠されがちで、「ロックする」とか、そういう言葉をダサくしてきた人間がいっぱい居たんだなって。そういうことも思った。
ロックって、もっとピュアで、流行り廃りで忘れ去られるものじゃないのに、1回そういうものになってしまった。売れてしまった後でロックをダメにする必要があったり、そういう人たちがいっぱい居たのが原因で、ロックはすごく評価が低くなってしまったような気がするんです。
映画で描かれていたように、あんなにたくさんの人たちをひとつに出来るものだったり、言葉だったり、人間だったりするのに。…と思ったら、俺はずっとロックをやっていて良かったなって(笑)。
思いますよね。ああいう景色が見れるものだから。最初のシーンで…これもネタバレになっちゃいますけど…最初に契約するシーンでマネージャーになる立場の人間が「このバンドの特別なところは何だ?」ってQUEENの4人に訊いたじゃないですか。
あれメンバーは20代前半だったと思うんですけど、「俺だったら何も言えない」と即思っちゃったんです。でもフレディは当然のように言ってたじゃないですか。フレディに続いて他のメンバーも発言して、それぞれの顔が映ったじゃないですか。ブライアン・メイも、ロジャー・テイラーも、ジョン・ディーコンも、フレディが言うと目の色が変わるんですよね。
それがラストシーンまで何回もあって。ライブのシーンも。あれがバンドマンとしては超リアル。あれはまじで、これは本物だなって思いました。
あのメンバーの関係性もいいですよね。言い合いもするけど、底で繋がっている感じ。
仲良いですよね。僕は幸運にも2つバンドがあって、どちらのメンバーともそういういい関係が築けていて、「贅沢だな」って映画観ながら思いました。もしかしたら批判される言葉かもしれないけど、俺は素直に「贅沢だな」って思った。
あのシーンに毎回めちゃくちゃ感動したんですよ。みんなの目の色が変わるところを描写しているシーンに本当に感動して。あのシーンになるたびに僕は顔をひくひくさせてました(笑)。
思うんですけど、少年の心がないとああならないですよね。信じている心というか。「こいつはどこか俺と一緒だな」というところがないと、ああならないと思うんです。サンクチュアリというか。そういうものを見せられると、こっちもそういう心の状態に還っていくというか…感動しました。「感動しました」みたいな陳腐な言葉でオチを付けたくないな(笑)。
「しゃべりたくない」って言ってたけど、めちゃくちゃしゃべってるなこの人(笑)。
俺が観てて思ったのは…これもネタバレになっちゃうけど…恋人と2人で話していたシーンで「キーは絶対に外せない。ステージで俺はなりたい自分になれる」と言っていたじゃないですか。あの場面を「俺はちょっと違うな」と思って観ていたんです。
俺の場合は、右往左往してやってきて、最終的な目的は自分になること。でもフレディみたいに視野が広くないんです。俺であること。だからそのままでなるべくステージに立ちたいし、自分に近づけていきたい。たぶんやっていることは一緒なんだけど、フレディの場合は「なりたい自分になれる」、俺は「自分が自分で居られる」。それがなんか、パフォーマーとしての考え方とギャップがあるんだなって。やりたいことは一緒なのかもしれないけど、考え方に根本的な違いがあるなって。フレディが本当にどう考えていたのかはわかんないですどね。
個人的な感想としては、フレディは両親がインド人で、最初は自覚がなかったけどゲイで。想像するにずっと「周りの人と自分は違う」と感じていたと思うんです。だから「なりたい自分」と言ってましたけど、それは本来の自分なのかなと。
それを僕は10代の頃に見て「変なおっちゃん」と思ったんですけど、タンクトップをジーンズの中に入れて口ヒゲで短髪でステージに立つって有り得ないじゃないですか。
だから振り切ったというか、自分を貫いたのかなと。たぶん「自分は人と違う」と気づいたけど、周りに合わさなかった結果なのかなと。
間違いない。あと、俺はどこかでアクターだったと思うんです。すごく大事な局面とかで。普段の生活で抑圧されていたりすると自分じゃなかったりするから。映画でも何度もそういうシーンがありましたけど、それを誇張して出さなきゃいけないときってあると思うんですよ。あの考え方は俺にはなかった。
あれがあったら、もっと俺も人のために自分を見せることに近づいていけたのになっていうことを感じながら観ていたんですよ。
それが「パフォーマー」という言葉に集約されている気がします。
めっちゃ集約されていますよね。10代の頃、喫茶店でバイトしていたんですけど、もうバイトを辞めちゃった先輩がよく店に遊びに来てたんですよ。俺は蝶ネクタイしてカウンターの中に居て先輩にコーヒーを出していたんですけど、その人がいろんな話をしてくれて。
俺は今もサン=テグジュペリの『星の王子さま』が好きなんですけど、その先輩が『星の王子さま』と一緒にQUEENのベストアルバムを俺に貸してくれたんですよ。
CD聴いて、当時は「意味わかんねぇー!」と思ってて。『星の王子さま』も2年くらい読まなかったんですよ。でも後々読んで、どちらもフェイバリットになるんです。QUEENはその頃から「普通じゃない」と思ってた。
映画で描かれていたことが全部本当のことどうかわからないので、どこかでQUEENに関する詳しい本を読まないといけないなと思っているんですけど、映画を観る限りは僕がそれまで思っていたよりもいちいちピュアなんですよね、動機が。
みんないいやつですもん。お互いがお互いのことをすごく好きで。俺にはすごく性が合ってる。フレディが来ないからブライアン・メイが「あいつ抜きでやろう」と言ってやり始めたこと…その理由が「もっと上り詰めてやるぜ!」とか「もっとめちゃくちゃにしてやるぜ!」みたいなゲットー的な考えじゃなくて、「あの景色最高だったから、俺たちがみんなを1つにするんだ!」っていう。まじで最高すぎる(笑)。
その曲が今でもずーっと聴かれ続けているってすごいことですよね。バンドって本当に良いなって思いました。
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