それでも世界が続くなら 活動中止ワンマン公演「休戦協定」
2018/9/02@下北沢CLUB Que
“活動中止”するという衝撃的な発表をした今年2月から約7ヶ月を経て、いよいよ活動中止ワンマン公演「休戦協定」の当日を迎えてしまった。会場の下北沢CLUB Queを満員に埋め尽くした観客たちは今この時、どんな心持ちでいるのだろう。間違いなく普段のライブとは異なる空気が漂う中で、いつものように薄暗い照明だけのステージにそれでも世界が続くならのメンバー4人が現れる。
Vo./G.篠塚 将行の歌から「優しくない歌」でライブが始まると、一気に彼らの世界観の中へと吸い込まれてしまう。その場にいる者たち全てに語りかけるように歌われる言葉が、1つ1つ耳に届いてきた。“明日死んでしまうなら 僕はもう歌わないよ”、“あと少し一緒に歌おう”といったフレーズには、こんな日だからこその意味を感じずにはいられない。激しく掻き鳴らす轟音に乗せて“自分しかいない。そんなの自分しかいないだろう!”と叫んだ後に、ヘヴィなイントロから「落下」へ。
淡々としていたり、ささやくように歌っていたりしたかと思えば、曲に込めた想いと連動するかのごとく突如ノイジーにバーストするのは、それでも世界が続くならの大きな特徴だろう。その音と連動して、篠塚の歌と叫びが交錯する。1曲1曲の中で展開される激しい感情の起伏に、観ている側も自らの想いを重ねられるがゆえにこんなにも心が揺さぶられるのだ。「水色の反撃」のサビでG.菅澤 智史が一心不乱に頭を振りながら演奏していた姿が象徴的だが、メンバー自身の高ぶりも伝わってきた。
「参加賞」では“自分で救うしかない!”と何度も咆哮し、「僕らのミュージック」では“自分の為に歌え”と叫んだ篠塚。“上手く喋れないから。カッコ悪いけど、歌うしかないんだよね”とつぶやいたとおりライブさえ見ていれば、伝えたい想いは確実に伝わってくる。本来の歌詞にはないフレーズや独りごとのように吐き出される言葉は、どうしようもなくほとばしってしまう感情の断片なのだろう。そういったところにこそ、嘘偽りのない“本心”を感じられるのだ。
浮遊感のある幻想的なサウンドや流麗なギターも鳴り響かせつつ、全てを破壊せんとするかのごとき轟音で耳をつんざく。その様はグロテスクで、美しい。“きれいなものだけ見れたらいいのに”(「リサイクル」)と歌う言葉の裏で、世の中にはたくさんの汚いものが存在することを知っている。もちろん、あえてきれいなものだけを歌うこともできるだろう。だが、そこから目をそらすことなく表現された歌だから、形だけ整った“偽物”にはない、“本当の美しさ”が彼らの音楽にはある。
終盤に来て“全然足りない! どれだけ歌っても、伝わっている気がしない!”と、苛立ちを吐露した篠塚。それに対して“伝わってるよ”という声が、客席から口々に飛ぶ。そう、本人が思っている以上の効果や影響を与えることができるのも、音楽や芸術の為せる業(わざ)なのだ。本編ラストの「カイン」では、オーディエンスやメンバー自身の迷いや葛藤も含めた全てを浄化するような轟音に包まれた。その中でもはっきり聞こえた“僕らはきっと ここから始まるんだよ”という言葉が示すとおり、この先には未来が必ず待っている。
“やってない曲は今度に取っとくから”と、アンコールの最後に篠塚は言った。その“今度”が来る日を我々だけではなく、本人も願っているのは間違いないだろう。“おまえら、(もう)アンコールさせないような演奏しろよ!”とメンバーに呼びかけてから、まさしく全身全霊の演奏を見せた「最後の日」。“バンドがあろうがなかろうが関係ない。俺は生きてるぞ!”と絶叫したように、きっとこれからも歌い続けるのだろう。そして彼が歌い続ける限り、それでも世界が続くならの“最後の日”は来ないはずだ。今はそう信じて、帰還の時を待ちたい。
Text:IMAI
Photo:乙羽