今年6月に『フィールソーグッド e.p.』を発売したばかりのKidori Kidoriが、早くも新作となる3rdミニアルバム『OUTSIDE』をドロップした。8月末にはBa.汐碇真也の脱退が急遽発表されるなどアクシデントには見舞われつつも、その独自の道行きはちっとも揺らぐ気配がない。音楽に対する異常なまでの探究心を反映したような多彩な曲調の中にも、今作全体には一貫した空気感と意志が感じられるのだ。“輪の外 僕たちだけ”という歌い出しから、“逆さまさ いずれは”と締め括るリード曲「アウトサイダー」は今作、ひいては彼ら自身の姿勢をも象徴するものだろう。メインストリームに迎合するわけではなく、かと言ってアンダーグラウンドに閉じこもるわけでもなく、誰も未だ見たことのない新天地をただ求めて旅を続ける。時にはもう戻らない過去への羨望が胸をよぎりながらも自分を信じ、未来を見据えて進んでいく。そんな決意と覚悟に迫る、Vo./G.マッシュへのスペシャル・ロングインタビュー。
●“BAYCAMP 2016 TGIF”出演時のライブ映像をYouTube上で見て、すごく良いなと思ったんです。あれが2人になって初のライブだったんですよね?
マッシュ:そうです。
●そういう状況だったからこその緊張感や気迫がすごく感じられて、鬼気迫るものがあるなと思って。
マッシュ:もちろん自分としても気合いはめちゃめちゃ入っていたし、“絶対にやってやるんだ”っていう気持ちはありましたね。2人やからってナメられへんように色んな人にも手伝ってもらいながら音作りもちゃんとやったし、アレンジを全部見直して2人だけでも成り立つように作って。演奏も勢いだけでワーッとやるんじゃなくてプロフェッショナルとしてやってやろうという考えでいたから、機材をトラブらせてしまったのはちょっと悔しかったですけど…。ライブが終わった後はめちゃめちゃヘコんだけど、冷静に後から映像を見たらそんなに変なライブはしていなかったと思うし、手応えみたいなものも後々になってから感じてきて…まぁ、成功したと言えるんじゃないかなと思います。
●Ba.汐碇くんが脱退してすぐだったというのもありますけど、あの日はメンバー2人だけでやるということに意味があったのかなと思うんですよ。
マッシュ:そうですね。サポートメンバーを探すというのも考えたんですけど、それよりも2人でやるほうが良いような気がしたんですよ。でも2人やとできる曲とできない曲がやっぱり出てくるからそこをまず整理して、アレンジを作ってみた中で“お、イケるな”っていう妙な確信を持った瞬間があって。そこで「2人でやりたい」っていうのを川元とマネージャーに伝えたんです。そしたらみんなもそういうふうに感じていたのか「それで行きましょう」となって、そこからが忙しかったですけどね…。
●本番までにアレンジを作り直すわけですからね。
マッシュ:なかなかの仕事量でしたね。
●でもあのライブを観ると、このまま2人でも良いんじゃないかという気すらします。
マッシュ:今はそこを考え中ですね。2人でやっても面白いなとは思うけど、もちろん音が増えていけばいくほど色んなことができるから。今は色々と試行錯誤中っていう感じです。
●今回のミニアルバム『OUTSIDE』までは3人で録ったということですが、全体的にどこか物悲しさというかダウナーな感じが漂っているなと。
マッシュ:ダウナーですよね。今回の5曲はどれも空しい感じの気分を歌ったものばかりなので、余計にそういうふうに聴こえるのかなと思います。
●あと、全体的に淡々としている感じもするというか。
マッシュ:それは意図してやったところもあって、アゲアゲな感じにはしたくなかった。東京に来て色んな人に出会って、バンドをやってきた中で自分が大人になっているという自覚があるんですよね。そこから自分の今まで好きだったものや昔の自分だったり、色んなことを見返すっていう目線が今回のテーマとしてあったんです。だから空しいし、やるせないし、どこか羨ましい気持ちがある。それでも進んでいかないといけないから、そういうものもしっかりと自分の中で抱きかかえて進んでいこうじゃないかっていう気持ちがすごくあるんですよ。だから淡々としているけど、秘めたものもかなりあるというか。
●羨ましいというのは、何に対する気持ち?
マッシュ:妙な懐かしさというか…“ノスタルジー”って簡単に言うと感傷的な気持ちではあると思うんですけど、(過去に対する)羨ましさみたいなものでもあると思うんです。何となく口にする「若いなぁ〜」っていう言葉も、嫉妬以外の何ものでもないというか。
●もう戻れない過去への羨望?
マッシュ:そうそう。自分もかつてそこにいたということが、余計にそういう気持ちにさせるっていう。そんな目線の羨ましさなのかなと。
●えっと、マッシュくんってまだ27歳でしたよね…?
マッシュ:そうなんですけど、聴いている音楽がバッファロー・スプリングフィールドとかですからね。
●おっさんか、っていう(笑)。
マッシュ:もうおじいさんですよ(笑)。
●ハハハ(笑)。27歳でも、既にそういう感覚を抱いたりすると。
マッシュ:もちろん、まだまだやとは思いますけどね。“何を言ってるんやろう?”っていうところもあるけど、そういう感覚もなくはないから。
●確かに18歳のキラキラさはもうないですよね。
マッシュ:ないない。
●まぁ、マッシュくんが18歳の時にキラキラしていたかどうかは知らないですけど(笑)。
マッシュ:してないし(笑)。
●そんな気がします(笑)。
マッシュ:僕は17歳の時に留学していたんですけど、その時期に留学するということは修学旅行をパスすることになるんですよ。そしたらどうなるかっていう…。
●どうなるんですか?
マッシュ:僕の通っていた高校って元が女子校だったので、男子が少なかったんですよね。だから、男の“グループ力”っていうのがすごくて。5人の仲良しグループがあって、僕も元々はそいつらといつも一緒にいたんです。でも留学で1年間そこから離脱して、日本に帰ってきたらその中でなぜか派閥ができていて…。
●へぇ〜、そういうものなんですね。
マッシュ:誰かと誰かがちょっと仲が悪くなっていたりとか。あと、僕がいなかった間に来ていた留学生のことをみんなが懐かしがって「あいつにまた会いたいな」とか言うんですけど、僕はそいつを知らんっていう(笑)。そういう空しさというか、妙な疎外感がその時にあったんです。それが僕にとっての18歳やったから、キラキラはしていなかったですね。
●そういう妙な疎外感が、今回の“アウトサイダー”という感覚にも通じているのかなと。
マッシュ:たとえば僕もそうですけど、喫煙者なんかもそうじゃないですか。もっと言えば“バンドをやっている”こともそうだし、僕の地元の人間からしたら“東京に出てきている”ということすらも“アウトサイダー”なんだと思うんですよ。アウトサイダーって言うと“めちゃくちゃ破天荒な野郎なのかな?”と思ったりするかもしれないけど、案外身近にいるし自分自身もそうやと思うから。よくいるようなタイプとは違うヤツらのことを指すんじゃないかなと。そこが行きすぎると、今度は“アウトロー”になってくるんですけど。
●そうか、“アウトロー”ではないんですね。
マッシュ:そうそう。あくまで“外側”やから。アウトサイダーって単純に“外側の人”っていうふうに訳したら“外道”やけど、僕は道を外すというよりはヘンテコな道を歩きたいというか、“邪道”でいたいのかなって。
●そういう感覚で“アウトサイダー”という言葉を使っていると。
マッシュ:自分自身の存在が“点”やとすると、線の外側にいて傍観するような目線と、もう1つ自分自身を俯瞰するような目線というのがあって。その目線って外側から見ることやから“アウトサイド”なのかなっていう。そもそも自分が線の外側にいるって自覚しているのは俯瞰しているからやし…っていうようなことを、今作では歌っています。
●自分を俯瞰してみた時に、“アウトサイダー”だと認識している。
マッシュ:非常に冷静に見ると、“普通に生きる”というのが一番難しいと思うんですよ。でも僕自身も大学を出るまでは、普通の人生やったような気がするんです。もしかしたら生まれがイギリスという時点で線の外側にいたのかもしれないけど、いつの間に外にハミ出したかはわからなくて。でも今も音楽をやれていて、自分の音楽を聴いてくれる人がいて、自分の音楽を広めるために手伝ってくれる人がいるっていうのはそうそうないことだと思うので、そういう意味でも自分は“アウトサイダー”なのかなと。単純に悪い意味とかじゃないし、“僕は人とは違う”っていう意味でもない。
●そういうことって、以前から考えていたんですか?
マッシュ:自分は大阪にいた頃から引っ越しも多かったし、“流れ者”みたいな感覚が妙にあって。だから常日頃から、そういうことは思っていたというか。地元愛みたいなものもあんまりないし、きっとそこで一生を終えるとかはできないと思う。27年も生きてきた中で、一番長く住んだ家で6年くらいですからね。“常に動いていたな”っていうのは、大学の頃から思っていました。
●1つのコミュニティの中にずっといたわけじゃないから、俯瞰する目線も身についたのでは?
マッシュ:1つの環境の中にずっといると“そういうものなんだ”っていう意識が働くと思うんですけど、僕は“そんなものなわけないだろう!”って思うから。それってたぶん、流れ者が考えるようなことなのかなって。だから生涯、流れ続けるんだろうなと。
●ここまで話したような感覚を象徴しているのがM-1「アウトサイダー」だと思うんですが、この曲が今作の軸になっている?
マッシュ:これが完全に軸ですね。アウトサイダーであるっていうことを、自分としては今さらながら歌にすることにして。みんなもそういう節があるじゃないですか。特に音楽が好きな人なんて、ちょっと変なヤツが多いし。そういう人の居場所になるような歌かなって思えば、ちゃんと歌う意味もあって素敵だなと。
●アウトサイダーだからといって外で1人で拗ねているわけじゃなくて、ポジティヴに捉えているというか。
マッシュ:今って本当に先の見えない社会だし、不安なことがいっぱいある。特に音楽って今、絶望的と言えば絶望的な状況じゃないですか。でも“そんな状況を楽しめなくて、ただ悲観するだけで良くなるわけ?”と僕は思うんです。机の前でみんなとああでもないこうでもないと喋っているよりも、「あのバンド聴いた?」とか言っているほうがよっぽど建設的なんじゃないかなって思うから。自分は何事にも楽しい目線を持って接しているモードですね。
●楽しむことが大事だと。
マッシュ:楽しくあるっていう気持ちは何をやっていてもつながると思うから。つまらないカンフー映画で観たセリフが妙に印象に残っていて。「全てにカンフーは宿る」というセリフなんですけど、それってカンフーじゃなくても同じで。自分の生業にしていること…たとえば僕なら全てに音楽が宿っているって思えるんですよね。だから、何をやっていても楽しい。たとえば自分のお母さんを手伝ってあげたりしている時にも“その時間で何かが生まれるかもしれない”って思うと、全部に音楽が宿っているわけだから全部楽しいなって思うんです。
●そう考えれば、何事も楽しめる。
マッシュ:だから自分は暗い人間と言えば暗い人間なんですけど、根本は楽観的に見ているというか。僕はとにかく楽しくやりたいし、楽しくできているんですよ。楽しくやっていて、この先もっと明るければ最高やんっていう目線な人間なんですよね。
●物事を悲観していないから、ダウナーだとしてもどこかユーモアや明るさを感じさせる音楽性になるんでしょうね。
マッシュ:もちろん説教してくれるような曲を聴いてハッとすることもあると思うんですけど、僕にとっての音楽ってもっと自分に寄り添ってくれるようなものやったなと思うから。自分の思う道を楽しく極めるような感じかな。
●そういう意識だから、誰でも聴きやすい音楽性にはなっているのかなと。ごく限られた一部の人にしか受け入れられないようなものではないというか。
マッシュ:そうそう。そのほうがアウトサイダーですからね。「俺らは海外しか狙ってないしCDも出さへん」みたいなのもカッコ良いし、僕は好きです。でもそうじゃなくて、もっともっと人に聴いて欲しいと思っている人間のやる“邪道”っていうのが、僕は一番スリリングじゃないかと思うんですよ。たとえばBeckとかもそうだと思うんですけど、そういうものが僕は良いなって思うから。
●マッシュくんはBeckと誕生日が一緒なんですよね。
マッシュ:だから、妙に意識してしまうっていう(笑)。Beckは器用だけど、気分でやっている感じがするというか。ある種、気分に左右されて作っている印象を僕は受けるので、そこが人間らしいなと思うんですよ。妙な茶目っ気があるところも共感するし、かといってBeckになりたいわけじゃないんですけどね。
●茶目っ気という部分は確かに共通していますね。作品の話に戻りますが、M-2「タイムセール」は会場限定のソノシートにも収録されていましたよね。この曲も今作に入ることを想定して作っていたんでしょうか?
マッシュ:「タイムセール」だけちょっと先にできていたと思うんですけど、これも自分の純真さみたいなものが失われている…つまりは“大人になっているな”みたいなことを歌っていて。その中でちらっと見えた、まだまだキラキラしているものに妙な気恥ずかしさを覚えるっていう歌なんです。やっぱり今回は一貫して、そういうことばかり歌っていますね。何かを失った者の目線というか。
●M-3「モノクロ」でも“失ってしまった 取り戻せるのかな”と歌っていますよね。
マッシュ:何にしたって、失ったものは取り戻せないんですよ。ゴミ箱に捨てて可燃ゴミに出してしまえば、それはもう帰ってくることはないっていう。そういうのはすごく感じていますね。
●M-5「一人ぼっちも悪くない」もタイトルからして、どこか物悲しいというか…。
マッシュ:悲しいですよね。でも僕としてはただ悲しいとも言い難いような、ぼけ〜っとした感じがあって。いくら待っても相手が来なくて“すっぽかされたかな”とか思っている時って、別に僕は何の感情も湧いていないんですよ。焦るわけでも怒るわけでも寂しいわけでもない。ただ俯瞰すると、“寂しいな”っていうような感じ。
●実際にそういう経験がある?
マッシュ:ぼけ〜っとしていることはよくあるんですけど、ふと“そういうシチュエーションがあるな”と思って。喫茶店に入って、喫煙席の隅っこの席でそういうことを考える…みたいな感じですね。
●物悲しいんだけど、“ぐるぐるぐるぐる”と歌うところはユーモアを感じさせますよね。
マッシュ:そこはわりと意図的なところもありますね。ストローでグラスの中をぐるぐるかき混ぜる動きって、やりませんか?
●暇な時にやりますね。
マッシュ:あれをやっている時って、『テトリス』をやっている時くらい無心じゃないですか。何もないから、ずっとぐるぐるしている。僕はぐるぐるするクセがあって、ストローをかき混ぜるのもそうだし、家に1人でいるとずっと机の周りをぐるぐるするっていうクセがあるんですよ。
●そういうところからも来ているフレーズだと。M-4「The Puddle」は久々の英詞ですが、これは自然に出てきたんでしょうか?
マッシュ:そうですね。でも“あると良いな”と思っていたがゆえに出てきたんだろうなとは思います。完全に日本語詞になるって、無理じゃないですか。昔の曲があるし、それが聴きたい人もいるわけで。僕はイギリス生まれ日本育ちで大学がスペイン語専攻とはなっているけど、別に言語なんか何でもいいよと思っていて。コミュニケーションを取るためのものなんやから、言語が何かとかはどうでもいい。
●そこにこだわってはいないと。
マッシュ:でも音楽的に見ると言語ごとの特性というのはあって、そういうところでの向き不向きはあるんです。でもどっちも知っているんだったら、どっちもやればええやんっていう。それが何より僕やんっていう感じやから。自分では特に「日本語でいく」と言った覚えもないし、「英語は封印する」とも言っていないし、かといって「英語に戻る」とも言っていないぞっていうような…まぁ意地悪ですよね(笑)。
●個人的には英語の曲も日本語の曲も、どちらもあって良いんじゃないかと思いますけどね。
マッシュ:そうですね。でも1曲の中でそこが行き来するっていうのだけは、僕の美学に反するからやりたくないんです。英語やったら英語、日本語やったら日本語っていうふうにしたい。普通に喋っていて、日本語も英語も行き来する瞬間ってなかなかないですからね。だから、僕にとっては棲み分けがあるんです。
●言われてみればKidori Kidoriって、日本語と英語が混在した曲はないんですね。90年代のJ-POP的な感覚が全くないというか。
マッシュ:ないです。それは僕にとってのタブーなんですよ。でもあの感覚って、すごいですよね。昔のアイドルの曲でもむちゃくちゃな英語がありましたけど、そういうのってすごいなと思うんです。たとえば“ケセラセラ”って、大体の日本人にとっては意味のない言葉じゃないですか。“なるようになる”っていう意味なんですけど、それと限りなく近い感性なのかなと思うと、ポップスって無限の可能性があるなと思いますね。
●そこに可能性は感じられる。
マッシュ:もちろん。頭ごなしに「ダメだ」って言うのは、10代だけの特権ですから。僕はここから逆に何でも受け入れて、それでも自分らしくあるっていう大人な道を進めるものなら進みたいなと思っているんです。何かを批判することで自分の存在を確かめるような真似は、もうしなくて良いと思っています。
●中二病的な感じというか。YouTubeのコメント欄とかも、そういうのがたまにありますよね。
マッシュ:こんな世の中で生きていて、自分を正気に保てることのほうが狂っているから。流されるに決まってるやんっていう。YouTubeのコメントやAmazonのカスタマーレビューとかに流されてしまう人のほうが普通だという状況の中で、流されずにいるっていうのは何よりも尖っていることなんじゃないかって思うんですよね。“自分を持つ”っていうことのためには、一番しっかりしないといけないのかなと思うんです。我が強いと言われると思うんですけど、そんなことは知ったこっちゃないと。僕は僕であるために何でも受け入れて、僕を磨いていきたいというふうに思うんですよ。だから頭ごなしに「最近のロックなんて…」とか僕は言いたくない。今のロックもカッコ良いものはカッコ良いよっていう。
●Kidori Kidoriの曲って単に洋楽趣味の人や昔の音楽好きな人が作った音楽みたいな、ただのマニアックすぎる感じはないと思うんです。影響を受けたものをそのまま出すんじゃなくて、自分のフィルターを通した上でちゃんと今の音にして出しているというか。
マッシュ:憧れだけでやったってしょうがないですからね。たとえば僕らが2人になって、「The White Stripesを目指す」と言っても無理なんですよ。“僕らなりのそれをやる”っていうことに意味がある。そうなると主観が入っていないと、絶対にダメなんです。そして主観を持つには、“自分”がないとダメだろうっていう。“俺たち、こんなものを編み出しちゃいました”っていう先輩方が過去50年分くらいはいて、“そこから先に僕はどうしようか?”っていう目線でやっているから。まんま◯◯なバンドみたいに言われるのは癪ですね。
●作品を重ねるごとにKidori Kidoriの音は唯一無二なものに近付いていっている気がするんですよね。
マッシュ:マイウェイを進み続けている感じはしつつ、先駆者がいないゆえの不安はありますけどね。
●それは絶対にありますよね。どうやったら成功するっていうルートが見えないから。
マッシュ:ルートもないし、仮にそんなルートが存在するとしてもそれに乗ること自体が面白いと思っていない。「ジパングっていう国があるらしいよ」くらいの話だけで良いんですよ。僕は別にスペインの船に乗って、どこかに行きたいわけじゃない。
●本当に実在するかどうかわからないけど、とにかく目指すっていうくらいが良いんですよね。“ここに行けばこういうゴールがある”とわかっている道は、言ってみれば誰でも進めるわけで。
マッシュ:そうなんですよ。僕らはそもそも“そんなゴールの先に行きたい”というくらいのことを思っていて。“ゴール”って、限界じゃないですか。そんなものを作る必要はない。もし日本でやることがなくなればアフリカにでも行って、また1からライブハウスをまわればいいやんっていうくらいに思っているから。まだまだバイタリティもやる気もあるから決してここで死ぬことはないし、今までも変化を恐れずに生きてきたから。ここからまた変わるかもしれないし、ひねくれているから変わらないかもしれないけど、絶対に“自分”というもの…信念、美学、ルールっていうものを磨きながら貫いていきたいなっていうスタンスで、Kidori Kidoriをやっています。
●「アウトサイダー」でも“逆さまさ いずれは”と歌っているように、辿り着いた先が今とは“逆さま”になっていたら良いわけですよね。
マッシュ:そうそう。でも逆さまになっていたらなっていたで、また逆に行くんですよ、どうせ(笑)。
Interview:IMAI
Assistant:森下恭子