まず自分の足で立ち上がり、今やるべき事に全力で集中しなければ明日はない。そしてどんなに途方も無い道でも、一歩ずつ踏み出していくのです。
いまや全世界注目の福島原発の足下に、音楽レーベルがあったことをご存知だろうか?東京で約10年活動してきたノーマディックレコードは、2009年に代表/平山の地元である富岡町に移転。その場所第一、第二原発の真ん中。東北から情報発信し始め、山形のインストバンドdinnerのリリースに向けて活動していた矢先の3.11であった。ドキュメント形式で綴ります。
3.11その時、自分は床屋にいました。突然きた尋常じゃない地震で急遽自宅に戻ると、町も家もかなりの被害。自分の部屋もぐしゃぐしゃで、放り出されたパソコンやら機材が心配だったが、片付ける間もなく次から次へと来る余震。もうそこは後回しにして、停電による暗闇と余震止まぬ中、ラジオだけを頼りに情報収集。聞く限りは漠然と東北が大変なことになってるらしい…。翌12日、町に原発事故による避難勧告が。自分はすぐには動かず、何十キロという避難渋滞に飽きて帰ってきた両親とその日はとどまる事に。だが夜のうちに避難範囲が3から5、10、そして20kmと拡大し、これはもうあかん! と翌日に避難することを決意。明けて13日、出発前に津波の爪痕を確かめる為、ビデオカメラ片手に、富岡駅へ。すると商店街はガレキの山。対照的に駅から海にかけては流されてなにもない…。いったいどんだけの人が死んだのか!? 複雑な思いのまま昼頃に出発し、いわき市の親戚宅へ。そこで初めて各地の津波と原発の映像を見て愕然! 自分達はまだましな方なのか? いわき市も海沿いはやはり甚大な津波の被害があったが、避難先付近は比較的平静。ただ水が止まってたので2週間は風呂に入れず、水汲み、食料、ガソリン、風評など諸問題は山積み。当初は市内も原発の影響で屋内退避勧告が出されてた為、店舗は全休、人も車も少ない、ここもある意味ゴーストタウン状態だった。そんな中、何かをしなければいけない衝動にかられ、休業中だったいわきソニックに場所を借り、ネットや友人達の連絡網で、情報の収集と発信を始めた。主に富岡町の消息不明者の捜索と、東京のライブハウスやネットでの救援物資募集などが日課となり、制作中のCDジャケットなども入稿。その後いわき市は海岸付近と避難所を除けば徐々に平常通りに。そして4/22。警戒区域指定により、20km圏内は封鎖され立ち入り禁止に。それが半年なのか1年なのか、10年20年なのか。全ては原発次第。自分は失われた通常の生活や亡くなった沢山の人々を思う度に、いまだに感情の堤防が決壊しそうになる事がある。その度、奥歯を食いしばり、こみ上げてくるものを何度も飲み込んだ。しかし、何に期待するではなく、まず自分の足で立ち上がり、今やるべき事に全力で集中しなければ明日はない。そしてどんなに途方も無い道でも、一歩ずつ踏み出していくのです。
4月の中旬以降、ようやく仙台の中心部も以前のような賑わいを取り戻してきました。3/11の地震発生以来ライブハウスやクラブが営業をできていない状況でしたが、現在はほとんどの店舗が営業を再開しております。しかし、中心部のアーケード街にも立ち入り禁止の赤い紙が張られているビルも多く、実際に移転を余儀なくされたライブハウスがあるのも実態です。幸いにもライブホールRensaは地震による影響で当初の予定より3週間の遅れが出たものの、4/29に無事オープンを迎える事ができました。オープンして感じた事は非常に多くの方が音楽に、LIVEに飢えているということです。避難所からLIVEへ来ている方も少なくはなく、改めて音楽やLIVEが人に与えるパワーを実感しています。このような状況の中新たに誕生したライブホールRensa、復興への希望と情熱を持って前進していきます!
皆様からのたくさんの励ましや応援の声にとても感謝しております! さまざまな情報が錯綜していますが、今後も音楽に関わる僕らにできることを精一杯やっていきますので、これまで同様、東北に、仙台に足を運んで頂ければと思います。
地震の影響で相次ぐキャンセル、公演の延期により、3月11日以降の予定は真っ白となりました。もちろん、キャンセル料など入ってくるはずもない上、仕入れ先のドリンク類の購入も制限され、不便且つ、厳しい状況が継続しています。そんな中、ルート14では、店を始めた当初に戻る営業へと移行しています。三ちゃん経営、夫、娘、私で営業する事もしばしばあります。以前からアットホームなライブハウスと言われているルート14ですが、よりこの雰囲気が増しております。また、チャリーティーライブの開催や、募金活動はもちろん、微力ながら、私達に出来る事を、ルート14に出演してくれるバンドマンの力を借りながら行っている日々です。ルート14は古いながらも、特に大きな被害もなく、地震に持ち堪える事ができました。これからをどう乗り切るのか、思案のしどころではありますが、日々前進しています。
生演奏(ライブ)を提供する事で、あなたが一瞬でも全てを忘れる事ができるのなら、私達は、これからも頑張って行きたいと思います。大量の電気を使用する事が幸せの瞬間を導いているのなら、決して非難をされる事ではないと信じています。被災をされた皆様の事を思えば、私達の苦労など、些細な事なのでしょう。ですから、皆様に負けない様、舞台芸術を極めたい! それだけです。
5月中旬現在、仙台ではコンサートホールの休館や大規模な補修、ライブハウスでは、老舗のマカナさんの入居しているビルの取り壊しなど、様々な被害が出ております。今年の6月で10周年を迎えるLIVE HOUSE ennも、未だビルの安全性の確認が取れていない為再開の目処が立っていない状態ですが、4月2日以降の開催可能な公演は昨年6月オープンしましたLIVE HOUSE enn 2nd、LIVE HOUSE enn 3rdの2店舗にて開催させて頂いております。enn 2nd 、enn 3rdは4月末以降、通常のペースで公演開催しており、今後も新たな公演、国内外の著名アーティストの出演なども決まってきております。
東日本大震災に際し、被害を受けられた皆様に心からお見舞い申し上げます。ライブハウスはライブしたい時にライブする。見に行きたい時に見に行く。元々そういう場所だと思います。今後も皆さんご自身のペースでご出演・ご来店下さいますよう宜しくお願い致します。
「現在」だけで言えば、御心配頂きました多くの皆様のお蔭で全く問題無しです。心から感謝致します。有難うございました。茨城周辺も今はもう基本的に元気な様子にしか感じません。本当に良かったです。人間って強いです。とは言え、仕事が無くなってしまったり、農業・漁業で風評被害に遭われている方々も茨城には多く居るのも事実です。大変な事です。にも関わらず、元気な人に限って「元気下さい!」とか言っているのを聞くと残念です。それは頼り過ぎです。止めましょう。未だ「ヤバイ」とか言っている人も、気持ちは解りますが、東北の津波の被害を受けた地域に行けば口は塞がります。是非ボランティアへと思います。今回の出来事で人間同士の絆は更に深まったと思います。更に素敵な日本へ。今後も元気な人達で色々と大変な想いをされている方々を長く支援し続けたいと思います。
「普通」に「熱いこと」やり続けましょう。皆さん、茨城県に是非遊びに来て下さい!
当店は大きな被害もなく、次の日でも音を出せる状態でした。また当時はスケジュールが移動したり中止になったりしてましたが現在はほぼ平常に戻りつつあります。と言うより「こんな時だからライブしたい」とか「こういう時こそ福島に行きたい」ってツアーバンドも多く、嬉しい限りです。しかしながら未だに終息が見えない原発問題…そしてそれに伴う風評被害。福島県はまだまだ戦わなければならない問題を沢山抱えています。それでもみんな前を向いて頑張っています。特に地元のバンドマンは超元気! こういう苦境こそチャンス! とばかりにライブ活動。音源制作などと以前にもまして活発です。今や世界に知れる名前 FUKUSHIMA これを逆手にとってもっと有名にしてやるぜ。
ぜひ郡山に来て下さい。そして街を見てください。いつでも皆さんをお迎え出来ます。東北で一番元気なのは「郡山」です。我々はここで暮らしています。ここで生活しています。私たちの元気をおわけしますよ!
現在いわきは、少しずつですが活気を取り戻しつつあり、営業を再開する店も増えてきました。もちろん津波被害をうけた海岸沿いは瓦礫の山といった場所もまだまだあるのですが…。遠方から来ていただいた方は被害の少ない市街地とダメージの大きい海岸沿いとの温度差をかなり感じるようです。SONICのあるいわき市平は原発による立ち入り禁止区域の入り口、といった位置にあり、(45kmくらい)その影響で一時期かなり人が減りました。営業も可能なのか、それすらわからないといった状況だったのですが、地元の人間の頑張りと、駆けつけてくれた全国のミュージシャン、プロモーター、お客様の最高のお力添えで今日も元気に営業しております!
今いわきは来る事に決心がいる場所だと思います。なので、もう少し落ちついたら是非遊びに来てください! 抵抗無く来れるようになった時期には、震災前以上に素晴らしいライブハウスになっているように頑張りたい、本気でそう考えています。よろしく!