2011年に前バンドLONELY↑D解散後、すぐさまソロ活動を始めライブを重ねてきたカタオカセブン。約3年をかけ各地で経験を積んで生まれた『フォークとロック』は、生々しい程に全てを曝け出した、並みの等身大を越えた等身大な作品。そんな曲たちに触れることで、カタオカセブンという人間そのものを知ることができるだろう。過去も卑屈も全て拭い去りできあがったキャリア最高作で、新たな一歩をまた踏み出した。
●今作『フォークとロック』はソロ作品ということですが、前バンド解散時からリリースまでの3年間はどのような活動をされていたんですか?
セブン:まず2011年に解散してから、わりかし早い期間でライブを始めました。3ヶ月後くらいには東京、名古屋、そして地元の兵庫でソロワンマンツアーをやっていましたね。
●すぐにソロ活動を始めたんですね。
セブン:そこから2年半強は、ずっとソロでのライブ活動オンリーでやらせていただいていて。バンド形態でのライブを求められることも多かったんですけど、“しばらくはひとりでやる”っていうことを決心していたんですよ。
●なぜそのような決心を?
セブン:ソロ活動を始めてすぐに納得のいくパフォーマンスを見せられるほど、この世界は甘くはないと思っていたので。3〜4年くらいは、周りからなにを言われても、例えファンが離れていったとしてもソロとしてやっていくべき“我慢の時期”だなと思っていたんです。
●自分を鍛える期間というか。
セブン:音楽活動って、基本的に“このやり方が絶対に正しい”っていうのがないじゃないですか。その中でひとつだけ正解なのは、続けるっていうことなんですよ。だからそこにくらいついていった感じですね。
●そこからリリースに踏み切るには、何かキッカケがあったんでしょうか?
セブン:僕はインディー界の大先輩である加藤卓雄さん、Dr,gbさんたちと一緒に“フォークロック戦線”というイベントをやっていまして。いろんなゲストさんを呼んだりする濃いイベントなんですけど、やっぱりシンガーソングライターのパイオニアであるようなすごい人たちと共演させていただくと、くじけそうなことも多かったんです。でも2013年の秋頃、岡山公演のときに“俺、今まででいちばんいいライブをしたかもしれへん”っていう瞬間があって。それは“先輩たちよりもすごいライブをした”っていう意味ではなく、やっと自分らしさの出たライブができたっていう感覚。それがキッカケで“CDをリリースしたいな”と。
●ひとつの転機があったんですね。曲自体は、それまでにもたくさんできていたんですか?
セブン:書いていましたね。今でもそうなんですけど、“フォークロック戦線”をはじめ様々なものに影響を受けていて。それを否定するんじゃなくて、全て肯定したいなというか。近しい友人や家族、恋人の影響って無意識のうちに受けたりすると思うんです。それは例えばちょっとした言葉遣いだったりとか、すごくちっちゃなこともあると思うんですけど…そういう意味で、飾らず尖らず、等身大でやれたらなと。「めちゃめちゃ影響受けてるやん!」って言われても、「そうですね、一緒にやってますもんね」くらいのフランクさというか、寛大な気持ちが持てたんじゃないかなと思います。
●自然体であるというのが大事であって、“誰かに似ている”といった点はあまり意識していない?
セブン:いろんなものを消化して、オリジナリティがあるように見えるケースはあるかもしれませんけど、結局音楽シーンで0を1にするジャンルっていうのはないと思うんです。「○○っぽいよね」って言われてわざわざ噛み付くのもおかしいし、いちいち指摘する方が問題じゃないかなと。だから○○っぽいというのは気にしなくていいんじゃないかな。
●確かに自分をしっかり持っている方は、あまり人に対して批判したりしないですよね。
セブン:そいつ自身が音楽に対して真摯であれば問題ないだろうし、“本物”と言われるような方ってそういうこと言わないですからね。
●影響は受けるけど、左右されているわけではないと。
●今作はM-7「青春、それは落日に似ている」がプッシュ曲ですが、アルバムを引っ張るという意味で、この曲の存在が大きかったんでしょうか?
セブン:大きかったですね。さっき言った岡山でのライブが終わって“僕の良さってこれや!”と思ったあとに書けたのがこの曲で。歌詞を見て頂くとわかるんですが、難しい言葉がほとんどないんですよ。初めて自分らしい曲ができたのかもしれない。
●何十年音楽活動をやってきた中でも初めてだった?
セブン:そうですね。昔は小難しいというか、洒落ようとしている感があったというか。でもありのままを書いたら、こっちの方が反応してもらえたんです。本当に背伸びしてない曲。
●それは大きいですね。この曲は“旅が始まる 終わりが始まる”というのがキーワードになっていると思うんですが、そういう曲を書こうと思った心境は?
セブン:長い間関わってきた後輩バンドが解散するときに、SNSで「終わりを始めます」みたいな事を書いていたんですよ。その言葉にグッときて、だんだん自分の人生や青春とリンクしていって。バンドがしたいとか、音楽をしたいとか、あの子が好きだとか嫌いだとか…そういった“自我”っていうのはいつ生まれたんだろうと考えてみたんですよ。そしたら、“やっぱり青春時代だったな”というところに行き着いて。
●「青春」というキラキラしたイメージの言葉が「落日に似ている」という、逆説的なタイトルが印象的でした。
セブン:青春時代に自我が目覚めたときっていうのは、いわば太陽が昇る瞬間やと思うんですよね。当たり前の摂理なんですけど、昇った太陽が必ず沈むように、我々の人生も始まった瞬間に終わることが決まっていて。多感な時期に“自分”というものが生まれた瞬間は、同時に人生の終わりが始まったということなんじゃないかなって。そう考えたときに、すごく切ないなと思ったんですけど…でも30歳を超えて改めて思ったんですが、いくつになっても青春時代の出来事に左右されますよね。多感な時期に得たものは、30代も40代も、何なら50代になってもすごく引きずっちゃうんじゃないかな。例えば学校の中ですごくカッコよかったり可愛かったりした人の名字って、大人になって聞いてもそういう先入観で見てしまうというか。そんなちっちゃいことから、我々は青春に縛られて生きているんじゃないかと思うんです。縛られているってことは、自我が芽生えた瞬間っていうのが、人生にとってそれだけ大きかったってことなんですよね。
●確かに、振り返ってみると“ここは昔から全然変わってないな”っていう点は結構多いかも。
セブン:歌詞にも書いているんですけど、ときには変われないことを周りや時代のせいにしてしまっている自分もいたりして。でもそうじゃなくて、太陽が落日になっていくように、それら全てを肯定したいなという気持ちが出てきたんですよね。
●先ほどおっしゃっていた「周りに左右されない」という話にも繋がりますね。
セブン:そうですね。分かりにくい比喩かもしれませんが、例え一日中曇っていても雨が降っていても、太陽は毎日必ず昇って落ちるじゃないですか。一回きりの人生の中で、曇ったり晴れたりすることもあるけど、最終的には沈むんです。すごく月並みないい方ですけど、だからこそなるべく自分らしくいたい。青春時代に鷲掴みにされたものを胸に生きて行くのが、すごく平凡でいいんじゃないかと思うんです。
●“平凡でいい”、ですか?
セブン:“平凡”というと語弊があるかもしれないですけど…もちろん我々は夢や希望、意識を持って仕事をしているし、それに時間や青春をかけて生きていますよ。でもそれが結果的にミュージシャンとして華々しく売れているとか、大きなステージで輝いているとかじゃなくてもいいと思うんです。やっぱりどんな仕事でも、自分たちが人生をかけてきた事柄について、何かしら落としどころが欲しかったりするわけじゃないですか。
●やってきたことに対して、目に見える証がほしいというか。
セブン:そうです。その人生の落としどころを、あえて僕は“平凡”と呼びたいというか。結果的に華々しいステージに立って成功を収めたとか、あるいは家族ができたとか、いろいろ失ったけど友達が残ったとか…それで我々が人生や青春をかけてやってきたものの落としどころが付くならば、どちらも大差がないなと。
●優劣がないという意味での“平凡”なんですね。
●今作は新しい曲だけでなく、かなり昔の曲も入っていますよね。
セブン:いちばん古い曲が2005年に作ったM-9「Rivers」なんですけど、これはLONELY↑Dのインディー時代にやっていた曲なんです。お客さんからの評判もよくて、メジャーアルバムの候補曲にも挙げたていたんですよ。そのときはメーカーの人が全然反応してくれなかったんですけどね。
●そうだったんですか…。
セブン:今ならわかるんですよ。ミュージシャンを支える責務がそれぞれあって、我々が好きというだけで出せるものではないって。ただ、ロックミュージシャンとしては“自分たちはこういう曲で評価されるべきだったな”と思いますね。LONELY↑Dのときはスローバラードでデビューしたんですけど、今作はそういう曲がないんですよ。
●自分の心をそのまま吐き出した曲ばかりですよね。
セブン:だから、“応援してくれている人たちを置き去りにした感が出てしまうんじゃないか”という懸念はありました。でも全曲聴けば“あえてそれをやっていないんだな”っていうのが分かってもらえると思うんです。スローバラードは僕の武器でもあるんですが、いつしか会社の言うことを聞いている自分がいて、ロックとはほど遠い存在になっている気がしていて。その結果10年かけてやってきたバンドが解散になったとき、人生で初めて挫折を味わいました。でも同時に、挫折って悪くないなと思いましたね。
●そこから得るものがあった?
セブン:ありましたね、すごく。クソみたいな人もいればクソみたいなこともあるけど、素晴らしい人もいるし素晴らしい音楽もあるなって気付かせていただいたんで。ちなみにM-6「FOLK」は前メーカーや前プロダクションに向けて書いた曲です。
●作品中でも特に言葉が強い曲ですね。
セブン:問題作ですね。でも、これは憎しみだけでは書けないんですよ。むしろこの曲を書けたことに関しては、メーカーやプロダクションの人たちにはすごく感謝しているんです。彼らも音楽を生業としているなら、“自分たちのおかげてこの曲を書かせてやった”くらいの気持ちでいてほしい。だから強い言葉を使ってはいますけど、それを額面通り受け取れる感受性なら今すぐ音楽業界を辞めた方がいいですよ。
●これは歌詞ありきで作られたんですか?
セブン:曲と歌詞、同時ですね。ソロでやるようになって、いい意味で好きにやらせていただいているというか。“○○っぽくしよう”っていう作り方をしていないし、今作にはそれは相応しくないなと思ったので。
●自分のありのままを出すことが大事だった。
セブン:狙って曲を作るより、等身大を出すことこそ難しいんですよ。この作品は本当に自分を全て出せた、軒並みの等身大を越えた等身大です。もう空っぽですもん(笑)。例えばM-8「バサラ」は昔の自分にあてた曲なんですけど、生きていく中で、音楽を続けるために傷つけてしまった仲間たちがいて…信念的には“それでも自分は間違っていない”という気持ちがあったけど、“俺にも非があったな”って認められた曲でもあるんです。ちょっと大人になったというか(笑)。
●歌詞の中で“少年よ見失うなよ 渇望していたその場所を”とありますが、セブンさんが渇望していた場所というのは何なんでしょうか?
セブン:然るべき評価を受けられるミュージシャンとしてのスポットというか、華々しい成功の場所を見失うなよということを歌っていますね。
●それについては、今も気持ちは変わらない?
セブン:かつての自分にはそう投げかけているけど、今はまた違うんですよね。一歩ずつ軌跡を残していくっていうのが大事だと思っています。
●場所が目的になってないんですね。今作を聴いてみると、過去を顧みながらも最終的には前を向いた作品になっているように感じました。
セブン:それは嬉しいですね。僕も完全に前向きな作品やと思っています。“またここから始まったな”と。
Interview:森下恭子