5月からJUNGLE LIFEコラムを再開して初めての年越し。2011年は本当に、私の人生で最悪の事態が起きました。地震、津波、そして原発事故。奇しくも3/11に始まった関西&九州ツアー、そしてまさか「被災地」「ヒバク地」になるとは思っても無かった5月の北海道&東北&関東ツアー。8/6の広島、9月にはまた北海道と韓国へ呼ばれ、今年は本当にいろんな人達に出会い、考え、学ばせて頂いた1年でもありました。福島原発からの放射能も止まらないのに他の原発再開とか、沖縄でも「辺野古」「高江」の基地問題と「泡瀬干潟」埋立問題という三大問題が、裁判や人権を無視して再燃とか、私達や子供達の命に関わる問題を無視できない今、私達に何ができるか考え続け、何か1歩でも前へ行動しなくては、知らんぷりして子供達に押し付けて死ぬわけにはいかないと強く思っています。全国世界で意思表示するアーティスト達にリスペクトを込めて。「オトナだろ? 勇気を出せよ」(忌野清志郎「空がまた暗くなる」)
1999/12/23、「普天間移設辺野古促進決議」が出された夜、それに反対する名護市民達を中心に瀬嵩の浜で始まった“満月まつり”。翌年からは辺野古の浜で開催。反戦フォーク歌手の先輩方が中心だったこの祭りに、2005年に呼ばれて歌いに行った時は正直「アウェイ」で、「気にはなってたけど一度も座り込みに来た事が無い、しかも歌うだけで帰ってごめんなさい」と後ろめたい気持ちでいっぱいだった。でも2007年2月“PeaceMusicFesta!辺野古”(※1)の実行委員に参加するにあたり、座り込みの人達に「君たちミュージシャンには僕たちと一緒に座り込む以上にできる事がある。音楽を通じて、辺野古の事を世界中に伝えてほしい」言われた事が私の人生を変えた。「ちゃんと学び、伝え、彼らが守ってきてくれたバトンを受け継ごう」と覚悟が決まった。それで、同年11月の“第9回満月まつり”には実行委員として参加、ガチの「反戦フェス」じゃなく、いろんな人が参加しやすい「音楽フェス」にしたいと提案し、私の友達の「赤犬」(大阪)と「SAKEROCK」(東京)の別ユニット「みにまむす」「ショピン」も出演してくれて、素晴らしい満月の下で、砂浜での祭りが大成功に終わった。そしてそれまで「反基地の祭りには出れない」と地元を分断していた壁を越えて、ついに2009年の第11回には地元の瀬嵩青年会がエイサーで出演してくれた! 更に今年は、「二見以北10区」から「瀬嵩」と「三原」の子供達も踊りで出演してくれた! ようやく「地元の祭り」として定着しつつある今年は、第10回から提案してきた「浜辺でキャンプイン」も天気も晴れて満月の月灯かりの下、40~50名の人達が浜にキャンプして、対岸に辺野古を見晴らす瀬嵩の自然と触れ合い、地元の人達との交流を楽しんだ。2日目には、ラジオ沖縄の沖縄語番組でも人気の若手民謡歌手「比嘉光龍(バイロン)」、第3子の出産のため放射能を避けて沖縄に移住してきたUA、そして大トリを瀬嵩青年会が飾った。ミニシアターでは、福島から沖縄に避難してきた男の子のドキュメンタリー「10年後の空へ」試写会もあり、福島の子供達を放射能から守るプロジェクトへのカンパもたくさん集まった。
音楽にできる事、人の心を繋ぐ事、まだまだ私達にやれる事、やるべき事、いっぱいある。どんどん繋がって行きましょう。力と心を合わせましょう。
(※1ソウル・フラワー・ユニオンの伊丹英子と沖縄の知花竜海 が中心となって開催している音楽フェス)
▲左から青柳拓次、UA、そしてUA長男はデビュー戦!
▲今年も大トリを飾ってくれた瀬嵩青年会